「行動テストバッテリー」の版間の差分

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== 歴史 ==
== 歴史 ==


 複数の[[テスト]]を組み合わせたテストバッテリーがマウスの行動解析に用いられた研究が初めて発表されたのは1963年である1。この時用いられたテストバッテリーで、Irwinは50種類の観察項目について数値化し、マウスの行動特性を定量化している1。現在用いられている基本的な行動観察バッテリーにおける検査項目のいくつか、例えば自発歩行 (locomotion)、れん縮反射 (twitches) 、驚愕反応 (startle)、などは Irwin によって提案されたテスト項目に由来している。Crawley らは、Irwinのテストバッテリーを改良・簡便化し、遺伝子改変マウスに対して用いる予備観察バッテリーとして提案した2。この他に、簡便な行動観察によるテストバッテリーとしては、神経毒性を調べるために開発された機能観察総合評価 (FOB, functional observational battery) 法3や、Rogersらによって考案された SHIRPA (SmithKline Beecham, Harwell, Imperial College, Royal London Hospital, phenotype assessment) の一次検査4などがある。これらのテストバッテリーは、主に被験体の健康状態を調べることを目的としており、[[情動]]や記憶学習などの高次脳機能を評価するためのテストを含んでいない。一方、1990年代に入り遺伝子改変マウスの表現型解析に情動や記憶学習などの高次脳機能を評価するテストが用いられるようになった。宮川らは明暗選択箱テスト (light/dark transition test, 3.3.1 参照) や[[高架式十字迷路]]テスト (elevated plus maze test, 3.3.2 参照) などを用いて初めてノックアウトマウスの不安様行動を評価した5,6。それ以降、遺伝子改変マウスの行動表現型を明らかにすることで、記憶や情動など各種の行動に影響を与える遺伝子が次々と同定された。これらの研究では、多くの場合、テストごとに先行実験の経験を持たないマウスが使用されており、このような方法では複数の異なるテストを用いてマウスの行動特性を評価する場合には大量の被験体が必要となる。Crawley らは、さまざまな行動カテゴリーのテストから比較的簡便に実施できるものを組み合わせた行動テストバッテリーを考案した7,8。この行動テストバッテリーを用いることにより、同一の被験体に対し感覚・[[知覚]]、運動、情動など各種の行動を測定し、多くの遺伝子改変マウスの行動表現型を明らかにしている7,8。多種類の行動カテゴリーのテストを同一の被験体に対して順番に実施し、包括的な行動テストバッテリーとすることにより、限られた数の被験体を用いてマウスの行動特性を少ない労力と時間で効率的に調べることができるようになった2。
 複数の[[テスト]]を組み合わせたテストバッテリーがマウスの行動解析に用いられた研究が初めて発表されたのは1963年である1。この時用いられたテストバッテリーで、Irwinは50種類の観察項目について数値化し、マウスの行動特性を定量化している<ref name=ref1><pubmed></pubmed></ref>。現在用いられている基本的な行動観察バッテリーにおける検査項目のいくつか、例えば自発歩行 (locomotion)、れん縮反射 (twitches) 、驚愕反応 (startle)、などは Irwin によって提案されたテスト項目に由来している。Crawley らは、Irwinのテストバッテリーを改良・簡便化し、遺伝子改変マウスに対して用いる予備観察バッテリーとして提案した<ref name=ref2><pubmed></pubmed></ref>。この他に、簡便な行動観察によるテストバッテリーとしては、神経毒性を調べるために開発された機能観察総合評価 (FOB, functional observational battery) 法<ref name=ref3><pubmed></pubmed></ref>や、Rogersらによって考案された SHIRPA (SmithKline Beecham, Harwell, Imperial College, Royal London Hospital, phenotype assessment) の一次検査<ref name=ref4><pubmed></pubmed></ref>などがある。これらのテストバッテリーは、主に被験体の健康状態を調べることを目的としており、[[情動]]や記憶学習などの高次脳機能を評価するためのテストを含んでいない。一方、1990年代に入り遺伝子改変マウスの表現型解析に情動や記憶学習などの高次脳機能を評価するテストが用いられるようになった。宮川らは明暗選択箱テスト (light/dark transition test, 3.3.1 参照) や[[高架式十字迷路]]テスト (elevated plus maze test, 3.3.2 参照) などを用いて初めてノックアウトマウスの不安様行動を評価した<ref name=ref5><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref6><pubmed></pubmed></ref>。それ以降、遺伝子改変マウスの行動表現型を明らかにすることで、記憶や情動など各種の行動に影響を与える遺伝子が次々と同定された。これらの研究では、多くの場合、テストごとに先行実験の経験を持たないマウスが使用されており、このような方法では複数の異なるテストを用いてマウスの行動特性を評価する場合には大量の被験体が必要となる。Crawley らは、さまざまな行動カテゴリーのテストから比較的簡便に実施できるものを組み合わせた行動テストバッテリーを考案した<ref name=ref7><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref8><pubmed></pubmed></ref>。この行動テストバッテリーを用いることにより、同一の被験体に対し感覚・[[知覚]]、運動、情動など各種の行動を測定し、多くの遺伝子改変マウスの行動表現型を明らかにしている<ref name=ref7 /> <ref name=ref8 />。多種類の行動カテゴリーのテストを同一の被験体に対して順番に実施し、包括的な行動テストバッテリーとすることにより、限られた数の被験体を用いてマウスの行動特性を少ない労力と時間で効率的に調べることができるようになった<ref name=ref2 />。


== 使用目的 ==
== 使用目的 ==
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Hot plate test
Hot plate test


 痛覚感受性を測定するテスト。55℃に熱したプレートにマウスを乗せて、肢をなめたり擦り合わせたりなど熱に対する反応を起こすまでの時間(潜時)を測定する9。このテストで実験群と統制群に差がある場合は、痛みに対する反応性が異なる可能性がある。その場合、恐怖条件づけテスト(3.5.4参照)や受動的回避テストなどのように痛覚刺激を用いる課題では、目的としている行動の測定に問題が生じる可能性がある。例えば電気ショックを与えても痛覚やそれにともなう恐怖が惹起されずにすくみ反応(フリージング)が生じなければ恐怖条件づけテストで記憶を評価することはできない。痛覚感受性のテストとしてはこの他に尾部に熱刺激を加えて回避反応を観察するテールフリックテスト (Tail flick test)10 や後肢にホルマリン溶液を皮下注射して持続性疼痛に対する反応を観察するホルマリンテスト (formalin test)11、非侵害刺激に対する痛み([[アロディニア]])を評価するフォン・フレイ・フィラメントテスト(von Frey filament test)12がよく用いられている。
 痛覚感受性を測定するテスト。55℃に熱したプレートにマウスを乗せて、肢をなめたり擦り合わせたりなど熱に対する反応を起こすまでの時間(潜時)を測定する<ref name=ref9><pubmed></pubmed></ref>。このテストで実験群と統制群に差がある場合は、痛みに対する反応性が異なる可能性がある。その場合、恐怖条件づけテスト(3.5.4参照)や受動的回避テストなどのように痛覚刺激を用いる課題では、目的としている行動の測定に問題が生じる可能性がある。例えば電気ショックを与えても痛覚やそれにともなう恐怖が惹起されずにすくみ反応(フリージング)が生じなければ恐怖条件づけテストで記憶を評価することはできない。痛覚感受性のテストとしてはこの他に尾部に熱刺激を加えて回避反応を観察するテールフリックテスト (Tail flick test)<ref name=ref10><pubmed></pubmed></ref>や後肢にホルマリン溶液を皮下注射して持続性疼痛に対する反応を観察するホルマリンテスト (formalin test)<ref name=ref11><pubmed></pubmed></ref>、非侵害刺激に対する痛み([[アロディニア]])を評価するフォン・フレイ・フィラメントテスト(von Frey filament test)<ref name=ref12><pubmed></pubmed></ref>がよく用いられている。


====聴覚性驚愕反応/プレパルス抑制テスト====
====聴覚性驚愕反応/プレパルス抑制テスト====
Acoustic startle/prepulse inhibition test
Acoustic startle/prepulse inhibition test


 聴覚性驚愕反応テストは、突発的に大きな音刺激をマウスに呈示したときに生じる反射 (全身の筋肉収縮) による体動を、加速度計や静電気検出器などによって測定するテストである。この驚愕反応は条件づけされた恐怖によって増強することが知られている13。
 聴覚性驚愕反応テストは、突発的に大きな音刺激をマウスに呈示したときに生じる反射 (全身の筋肉収縮) による体動を、加速度計や静電気検出器などによって測定するテストである。この驚愕反応は条件づけされた恐怖によって増強することが知られている<ref name=ref13><pubmed></pubmed></ref>。


 驚愕反応を引き起こす音刺激を提示する直前 (100 msec前) に、驚愕反応を引き起こさない程度の大きさの音 (プレパルス) を提示すると、驚愕反応が抑制される14。この現象はプレパルス抑制 (PPI, prepulse inhibition) と呼ばれ、感覚運動統合制御、注意力の指標として用いられている。プレパルス抑制の大きさは、以下の計算式で求められる:
 驚愕反応を引き起こす音刺激を提示する直前 (100 msec前) に、驚愕反応を引き起こさない程度の大きさの音 (プレパルス) を提示すると、驚愕反応が抑制される<ref name=ref14><pubmed></pubmed></ref>。この現象はプレパルス抑制 (PPI, prepulse inhibition) と呼ばれ、感覚運動統合制御、注意力の指標として用いられている。プレパルス抑制の大きさは、以下の計算式で求められる:








 プレパルス抑制はヒトでもほぼ同様のパラダイムで測定することができ、統合失調症15や自閉症16、ハンチントン病17などの精神・神経疾患の患者でプレパルス抑制が低下していることが知られている。
 プレパルス抑制はヒトでもほぼ同様のパラダイムで測定することができ、統合失調症<ref name=ref15><pubmed></pubmed></ref>や自閉症<ref name=ref16><pubmed></pubmed></ref>、ハンチントン病<ref name=ref17><pubmed></pubmed></ref>などの精神・神経疾患の患者でプレパルス抑制が低下していることが知られている。


===活動性===
===活動性===
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Open filed test
Open filed test


 新奇環境下での自発的な活動性を測定するテスト。マウスにとって新奇で広く明るい環境であるオープンフィールドの中にマウスを入れ、一定時間自由に探索させる。オープンフィールドの形状は円形あるいは正方形であり、大きさは正方形の場合には一辺が1m を越えるものから30cm以下のものまでさまざまなものがある7。予備的な観察の場合は5分程度の実験時間が一般的であり、顕著な過活動や休止状態などはこのような短時間の観察で検出することができる。また、長時間にわたって記録することで、新奇環境下での動物の行動の時間経過による変化を観察することができる18。マウスは30分から2時間程度でオープンフィールドの環境に馴化するとされているため、30分から3時間の間で実験時間が設定されることが多い7。藤田保健衛生大学および生理学研究所では40 cm × 40 cm の正方形のオープンフィールドを用いており、実験時間は2時間としている。移動距離、立ち上がり回数、常同行動、中央区画滞在時間などを測定し、新奇環境における自発的活動性や不安様行動などを評価する。オープンフィールドテストは、薬物に対する反応性を検査するためにもよく用いられる。
 新奇環境下での自発的な活動性を測定するテスト。マウスにとって新奇で広く明るい環境であるオープンフィールドの中にマウスを入れ、一定時間自由に探索させる。オープンフィールドの形状は円形あるいは正方形であり、大きさは正方形の場合には一辺が1m を越えるものから30cm以下のものまでさまざまなものがある<ref name=ref7 />。予備的な観察の場合は5分程度の実験時間が一般的であり、顕著な過活動や休止状態などはこのような短時間の観察で検出することができる。また、長時間にわたって記録することで、新奇環境下での動物の行動の時間経過による変化を観察することができる<ref name=ref18><pubmed></pubmed></ref>。マウスは30分から2時間程度でオープンフィールドの環境に馴化するとされているため、30分から3時間の間で実験時間が設定されることが多い<ref name=ref7 />。藤田保健衛生大学および生理学研究所では40 cm × 40 cm の正方形のオープンフィールドを用いており、実験時間は2時間としている。移動距離、立ち上がり回数、常同行動、中央区画滞在時間などを測定し、新奇環境における自発的活動性や不安様行動などを評価する。オープンフィールドテストは、薬物に対する反応性を検査するためにもよく用いられる。


====ホームケージ活動解析テスト====
====ホームケージ活動解析テスト====
Home cage activity test
Home cage activity test


 ホームケージでの自発的な活動性を中長期にわたって測定するテスト。飼育用のケージの上部に取り付けられた赤外線カメラによりケージ内のマウスの動きを映像として記録・解析して活動性を評価する19。ケージ内に2匹のマウスを入れて解析することで社会的活動を評価することもできる19。時系列に沿ったマウスの活動パターンを捉えることが可能であり、概日リズム(circadian rhythm)の解析にも用いることができる。 ホームケージでの活動性を評価するテストとしては他にホームケージでの輪回し活動解析20があり、活動性の他に睡眠やリズムなどの評価に用いられる。
 ホームケージでの自発的な活動性を中長期にわたって測定するテスト。飼育用のケージの上部に取り付けられた赤外線カメラによりケージ内のマウスの動きを映像として記録・解析して活動性を評価する<ref name=ref19><pubmed></pubmed></ref>。ケージ内に2匹のマウスを入れて解析することで社会的活動を評価することもできる<ref name=ref19 />。時系列に沿ったマウスの活動パターンを捉えることが可能であり、概日リズム(circadian rhythm)の解析にも用いることができる。 ホームケージでの活動性を評価するテストとしては他にホームケージでの輪回し活動解析<ref name=ref20><pubmed></pubmed></ref>があり、活動性の他に睡眠やリズムなどの評価に用いられる。


===不安様行動===
===不安様行動===
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Light/dark transition test
Light/dark transition test


 マウスが新奇環境下で探索行動を行う性質と、明るい環境を避ける性質とを利用し、不安様行動を評価するテスト。抗不安薬のスクリーニングを行うテストとして開発され、広く使われている21。明箱と暗箱を連結させた装置にマウスを入れ、明箱と暗箱にそれぞれ滞在していた時間と移動距離、明箱と暗箱を行き来した回数、最初に明箱に入るまでの潜時などを測定する 22。明箱と暗箱間の移動回数、明箱での滞在時間が不安様行動の指標としてよく使われる。移動回数が多く、明箱での滞在時間が長ければ不安様行動の低下が、逆に移動回数が少なく、明箱での滞在時間が短ければ不安様行動の増加が示唆される。
 マウスが新奇環境下で探索行動を行う性質と、明るい環境を避ける性質とを利用し、不安様行動を評価するテスト。抗不安薬のスクリーニングを行うテストとして開発され、広く使われている<ref name=ref21><pubmed></pubmed></ref>。明箱と暗箱を連結させた装置にマウスを入れ、明箱と暗箱にそれぞれ滞在していた時間と移動距離、明箱と暗箱を行き来した回数、最初に明箱に入るまでの潜時などを測定する<ref name=ref22><pubmed></pubmed></ref>。明箱と暗箱間の移動回数、明箱での滞在時間が不安様行動の指標としてよく使われる。移動回数が多く、明箱での滞在時間が長ければ不安様行動の低下が、逆に移動回数が少なく、明箱での滞在時間が短ければ不安様行動の増加が示唆される。


====高架式十字迷路テスト====
====高架式十字迷路テスト====