「行動テストバッテリー」の版間の差分

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===脳内中間表現型の探索===
===脳内中間表現型の探索===
 行動テストバッテリーでさまざまなマウス系統を解析すると、行動表現型のパターンが類似する複数の系統が見つかり、さらにそれらの系統の脳を解析すると、共通した脳内の特徴(中間表現型, 脳科学辞典の対応項目参照)が見出されることがある。α-CaMKIIヘテロ欠損マウスは攻撃性の増大、活動性の亢進、不安様行動の低下、うつ様行動の低下、作業記憶の障害など一連の顕著な精神疾患様行動異常を示すことが行動テストバッテリーを用いた解析で明らかになった<ref name=ref68><pubmed></pubmed></ref>。このマウスの脳を解析したところ、海馬歯状回の神経細胞が、分子生物学的、形態学的、電気生理学的に未成熟な細胞の特性を示しており、このマウスの海馬歯状回は非成熟歯状回 (iDG, immature dentate gyrus) であることがわかった<ref name=ref68 />。行動テストバッテリーでさまざまなマウス系統の解析を行った結果、他の遺伝子改変マウス(Schnurri-2欠損マウス、SNAP-25 変異マウスなど)および薬物投与マウスでも活動性の亢進、不安様行動の低下、作業記憶の障害というα-CaMKIIヘテロ欠損マウスと共通する行動異常パターンを示すものが発見された<ref name=ref69><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref70><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref71><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref72><pubmed></pubmed></ref>。これらのマウスの脳を調べたところ、共通して非成熟歯状回を持つことが確認された<ref name=ref69 /> <ref name=ref70 /> <ref name=ref71 /> <ref name=ref72 />。非成熟歯状回は、最近の研究によって統合失調症および双極性気分障害患者の死後脳でも見つかっており<ref name=ref73><pubmed></pubmed></ref>、統合失調症をはじめとした精神疾患の中間表現型となる可能性がある。このように、類型化できるような行動異常のパターンが見られるマウスには、共通した脳内の異常、すなわち行動異常に対応する中間表現型が存在する可能性がある。現在ではヒトの精神疾患ではそれぞれの診断に対応するような生物学的マーカーが存在しておらず、それが精神疾患の治療及び研究を難しくしている。ヒトの精神疾患で各疾患に対応するような生物学的な指標を確立させることができれば、これまでは主観的な所見によって診断されていた精神・神経疾患を、生物学的な特徴に基づいて診断することができ、各患者が示す生物学的な指標に応じた適切な予防・治療法の開発が可能になると期待される<ref name=ref74><pubmed></pubmed></ref>。
 行動テストバッテリーでさまざまなマウス系統を解析すると、行動表現型のパターンが類似する複数の系統が見つかり、さらにそれらの系統の脳を解析すると、共通した脳内の特徴(中間表現型, 脳科学辞典の対応項目参照)が見出されることがある。α-CaMKIIヘテロ欠損マウスは攻撃性の増大、活動性の亢進、不安様行動の低下、うつ様行動の低下、作業記憶の障害など一連の顕著な精神疾患様行動異常を示すことが行動テストバッテリーを用いた解析で明らかになった<ref name=ref68><pubmed></pubmed></ref>。このマウスの脳を解析したところ、海馬歯状回の神経細胞が、分子生物学的、形態学的、電気生理学的に未成熟な細胞の特性を示しており、このマウスの海馬歯状回は非成熟歯状回 (iDG, immature dentate gyrus) であることがわかった<ref name=ref68 />。行動テストバッテリーでさまざまなマウス系統の解析を行った結果、他の遺伝子改変マウス(Schnurri-2欠損マウス、SNAP-25 変異マウスなど)および薬物投与マウスでも活動性の亢進、不安様行動の低下、作業記憶の障害というα-CaMKIIヘテロ欠損マウスと共通する行動異常パターンを示すものが発見された<ref name=ref69><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref70><pubmed>23497716</pubmed></ref> <ref name=ref71><pubmed>20404165</pubmed></ref> <ref name=ref72><pubmed>23560889</pubmed></ref>。これらのマウスの脳を調べたところ、共通して非成熟歯状回を持つことが確認された<ref name=ref69 /> <ref name=ref70 /> <ref name=ref71 /> <ref name=ref72 />。非成熟歯状回は、最近の研究によって統合失調症および双極性気分障害患者の死後脳でも見つかっており<ref name=ref73><pubmed>22781168</pubmed></ref>、統合失調症をはじめとした精神疾患の中間表現型となる可能性がある。このように、類型化できるような行動異常のパターンが見られるマウスには、共通した脳内の異常、すなわち行動異常に対応する中間表現型が存在する可能性がある。現在ではヒトの精神疾患ではそれぞれの診断に対応するような生物学的マーカーが存在しておらず、それが精神疾患の治療及び研究を難しくしている。ヒトの精神疾患で各疾患に対応するような生物学的な指標を確立させることができれば、これまでは主観的な所見によって診断されていた精神・神経疾患を、生物学的な特徴に基づいて診断することができ、各患者が示す生物学的な指標に応じた適切な予防・治療法の開発が可能になると期待される<ref name=ref74><pubmed>23840971</pubmed></ref>。


==今後の展望==
==今後の展望==
 現在、マウスにおいてすべての遺伝子のノックアウトマウスをつくるというプロジェクト「国際ノックアウトマウスコンソーシアム」 (IKMC, International Knockout Mouse Consortium)<ref name=ref75><pubmed></pubmed></ref>が国際的に協調して行われており、その中ではコンベンショナルなノックアウトマウスだけではなく、Cre-flox システムによるコンディショナル(時期・部位特異的)ノックアウトマウスをすべての遺伝子について作製するというプロジェクトも進んでいる<ref name=ref76><pubmed></pubmed></ref>。これらのプロジェクトで作製されたマウスの表現型解析についても国際的な協力の下に行われており、国際共同開発プロジェクト「国際マウス表現型解析コンソーシアム」 (IMPC, International Mouse Phenotyping Consortium) では、IKMCで開発したノックアウトマウスの眼の形態観察、血液検査、各種の生理学的な指標の解析を大規模に行っている<ref name=ref77><pubmed></pubmed></ref>。しかし、このような大規模解析においては、行動表現型の解析はごく簡単なスクリーニングに限定されており、例えばIMPCにおいて必須の実施項目とされている行動テストは筋力 (grip strength) と感覚 (acoustic startle/PPI, auditory brain stem response) のテストのみである。このように現状では限られた行動テストしか実施されておらず、重要な行動表現型が見落とされてしまう可能性がある。今後、高次脳機能の解析を含めた行動テストバッテリーによる網羅的な解析プロジェクトが実施され、作製された遺伝子改変マウスの行動表現型が解析されれば、新たな精神疾患モデルマウスの同定や、さまざまな遺伝子の脳における新規機能の発見などの成果が次々と得られると期待される。
 現在、マウスにおいてすべての遺伝子のノックアウトマウスをつくるというプロジェクト「国際ノックアウトマウスコンソーシアム」 (IKMC, International Knockout Mouse Consortium)<ref name=ref75><pubmed>17218247</pubmed></ref>が国際的に協調して行われており、その中ではコンベンショナルなノックアウトマウスだけではなく、Cre-flox システムによるコンディショナル(時期・部位特異的)ノックアウトマウスをすべての遺伝子について作製するというプロジェクトも進んでいる<ref name=ref76><pubmed>21677750</pubmed></ref>。これらのプロジェクトで作製されたマウスの表現型解析についても国際的な協力の下に行われており、国際共同開発プロジェクト「国際マウス表現型解析コンソーシアム」 (IMPC, International Mouse Phenotyping Consortium) では、IKMCで開発したノックアウトマウスの眼の形態観察、血液検査、各種の生理学的な指標の解析を大規模に行っている<ref name=ref77><pubmed>22566555</pubmed></ref>。しかし、このような大規模解析においては、行動表現型の解析はごく簡単なスクリーニングに限定されており、例えばIMPCにおいて必須の実施項目とされている行動テストは筋力 (grip strength) と感覚 (acoustic startle/PPI, auditory brain stem response) のテストのみである。このように現状では限られた行動テストしか実施されておらず、重要な行動表現型が見落とされてしまう可能性がある。今後、高次脳機能の解析を含めた行動テストバッテリーによる網羅的な解析プロジェクトが実施され、作製された遺伝子改変マウスの行動表現型が解析されれば、新たな精神疾患モデルマウスの同定や、さまざまな遺伝子の脳における新規機能の発見などの成果が次々と得られると期待される。


 日本国内で行動テストバッテリーによるマウス解析を行っている施設としては、先述の藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 システム医科学研究部門および生理学研究所 行動・代謝分子解析センター 行動様式解析室のほか、理化学研究所、遺伝学研究所などがある。各施設で解析されたデータをまとめてデータベース化し、バイオインフォマティクス的な解析を可能にしようという試みがなされている<ref name=ref78><pubmed></pubmed></ref>。得られた大量のデータを解析することで、各種指標間の関係や環境パラメータの行動に与える影響などマウスの行動解析についての基礎的な知見が得られることが期待される。藤田保健衛生大学と生理学研究所では同一のプロトコルによってさまざまな遺伝子改変マウスが解析され、全て同じ形式でデータが蓄積されているため、得られたデータは容易に比較できる。しかし、異なる施設間では通常プロトコルが異なっており、さらにプロトコルの記述方法についても異なることが多いために、得られたデータの比較が難しいという問題がある。この問題を改善するためにプロトコルの記述方法の統一をする試みも進められている<ref name=ref57 />。
 日本国内で行動テストバッテリーによるマウス解析を行っている施設としては、先述の藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 システム医科学研究部門および生理学研究所 行動・代謝分子解析センター 行動様式解析室のほか、理化学研究所、遺伝学研究所などがある。各施設で解析されたデータをまとめてデータベース化し、バイオインフォマティクス的な解析を可能にしようという試みがなされている<ref name=ref78>http://www.mouse-phenotype.org/ Mouse Phenotype Database</ref>。得られた大量のデータを解析することで、各種指標間の関係や環境パラメータの行動に与える影響などマウスの行動解析についての基礎的な知見が得られることが期待される。藤田保健衛生大学と生理学研究所では同一のプロトコルによってさまざまな遺伝子改変マウスが解析され、全て同じ形式でデータが蓄積されているため、得られたデータは容易に比較できる。しかし、異なる施設間では通常プロトコルが異なっており、さらにプロトコルの記述方法についても異なることが多いために、得られたデータの比較が難しいという問題がある。この問題を改善するためにプロトコルの記述方法の統一をする試みも進められている<ref name=ref57 />。


 近年では、ゲノムワイド関連解析 (GWAS, genome-wide association study, 脳科学辞典の該当項目参照) により、疾患や行動特性に関連を示す遺伝子や遺伝子多型が報告されるようになった。ヒトの認知機能に対しても、知能テストや言語機能テストなどで構成されるような高次脳機能テストバッテリーが実施されており、ヒトの各種の脳機能とそれらに関連する遺伝子の情報が得られている<ref name=ref79><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref80><pubmed>21835680</pubmed></ref>。これらの遺伝子の欠損や変異を導入したマウスを作製すれば、ヒトには適用できない各種の解析手法を用いて当該遺伝子やその多型の機能的意義をより詳細に評価することができる。また、遺伝子工学の技術が発展したことにより、マウスだけではなくラット<ref name=ref81><pubmed>15057803</pubmed></ref>、そして霊長類であるサル(マーモセット)においても遺伝子改変動物を作製することが可能となった<ref name=ref82><pubmed>22225614</pubmed></ref>。霊長類のように高等な動物の脳機能は、より人間に近いと考えられており、高次脳機能における遺伝子の機能をさらに詳しく明らかにできると期待されている。このような目的のために、今後はマウスだけではなく、これらの動物種にも適用できる行動テストバッテリーの開発と整備が望まれる。
 近年では、ゲノムワイド関連解析 (GWAS, genome-wide association study, 脳科学辞典の該当項目参照) により、疾患や行動特性に関連を示す遺伝子や遺伝子多型が報告されるようになった。ヒトの認知機能に対しても、知能テストや言語機能テストなどで構成されるような高次脳機能テストバッテリーが実施されており、ヒトの各種の脳機能とそれらに関連する遺伝子の情報が得られている<ref name=ref79><pubmed>19734545</pubmed></ref> <ref name=ref80><pubmed>21835680</pubmed></ref>。これらの遺伝子の欠損や変異を導入したマウスを作製すれば、ヒトには適用できない各種の解析手法を用いて当該遺伝子やその多型の機能的意義をより詳細に評価することができる。また、遺伝子工学の技術が発展したことにより、マウスだけではなくラット<ref name=ref81><pubmed>15057803</pubmed></ref>、そして霊長類であるサル(マーモセット)においても遺伝子改変動物を作製することが可能となった<ref name=ref82><pubmed>22225614</pubmed></ref>。霊長類のように高等な動物の脳機能は、より人間に近いと考えられており、高次脳機能における遺伝子の機能をさらに詳しく明らかにできると期待されている。このような目的のために、今後はマウスだけではなく、これらの動物種にも適用できる行動テストバッテリーの開発と整備が望まれる。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
<references />
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