「行動嗜癖」の版間の差分

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<font size="+1">[http://researchmap.jp/9391383089 松本 俊彦]</font><br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/9391383089 松本 俊彦]</font><br>
''独立行政法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究部 薬物依存研究部/自殺予防総合対策センター''<br>
''独立行政法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究部 薬物依存研究部/自殺予防総合対策センター''<br>
DOI [[XXXX]]/XXXX 原稿受付日:2014年1月8日 原稿完成日:2014年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2014年1月8日 原稿完成日:2014年1月31日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
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 こうした経緯から、行動嗜癖を物質依存症と同じカテゴリーに含めることについては、いまだ専門家のあいだでも議論がある<ref name=ref1><pubmed>11691967</pubmed></ref>。実際、行動嗜癖を物質依存症と同じカテゴリーに含めるかどうかについては、1980年代前半から検討され続けられながらも、実際には、[[Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 4th edition]] ([[DSM-IV]])においては「[[衝動制御の障害]]」という疾患分類に、また、[[International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems]] ([[ICD-10]])においては「[[習慣及び衝動の障害]]」の項目に入れられていた。
 こうした経緯から、行動嗜癖を物質依存症と同じカテゴリーに含めることについては、いまだ専門家のあいだでも議論がある<ref name=ref1><pubmed>11691967</pubmed></ref>。実際、行動嗜癖を物質依存症と同じカテゴリーに含めるかどうかについては、1980年代前半から検討され続けられながらも、実際には、[[Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 4th edition]] ([[DSM-IV]])においては「[[衝動制御の障害]]」という疾患分類に、また、[[International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems]] ([[ICD-10]])においては「[[習慣及び衝動の障害]]」の項目に入れられていた。


 しかしその一方で、行動嗜癖には、その行動が存在することで本人の生活機能や社会的機能、さらには本人及び周囲に深刻な主観的苦痛をもたらすのは事実である。そしてその行動には、依存性物質に対する渇望に似た強い衝動や衝迫が認められ、しばしば自己制御が困難である。また、その行動におよんだ直後には、精神的緊張からの解放感や安堵感をもたらす。これらは、まさに物質依存症と共通する特徴である。実際、物質依存症で確立された心理社会的治療や支援を援用することで、一定の治療成果を上げているという現実もある。近年では、後述するように、動物実験研究や[[神経画像的研究]]における物質依存症と共通した生物学的根拠の存在を指摘する報告が増え、特に病的ギャンブリングは生物学的知見に関する報告も多い。
 しかしその一方で、行動嗜癖には、その行動が存在することで本人の生活機能や社会的機能、さらには本人及び周囲に深刻な主観的苦痛をもたらすのは事実である。そしてその行動には、依存性物質に対する渇望に似た強い衝動や強迫が認められ、しばしば自己制御が困難である。また、その行動におよんだ直後には、精神的緊張からの解放感や安堵感をもたらす。これらは、まさに物質依存症と共通する特徴である。実際、物質依存症で確立された心理社会的治療や支援を援用することで、一定の治療成果を上げているという現実もある。近年では、後述するように、動物実験研究や[[神経画像的研究]]における物質依存症と共通した生物学的根拠の存在を指摘する報告が増え、特に病的ギャンブリングは生物学的知見に関する報告も多い。


 こうした状況のなかで、病的ギャンブリングについては、2013年5月に発表された[[DSM-5]]において、物質依存症と同じ診断カテゴリーである、「[[物質関連と嗜癖の障害]](substance-related and addictive disorders)」に分類されることになった。また、将来、正式な精神障害の診断カテゴリーとして採用される候補として、インターネット・ゲーム障害が示唆されている。
 こうした状況のなかで、病的ギャンブリングについては、2013年5月に発表された[[DSM-5]]において、物質依存症と同じ診断カテゴリーである、「[[物質関連と嗜癖の障害]](substance-related and addictive disorders)」に分類されることになった。また、将来、正式な精神障害の診断カテゴリーとして採用される候補として、インターネット・ゲーム障害が示唆されている。


== 嗜癖行動障害の診断基準 ==
 洲脇は、[[ICD-10]]の物質依存の診断基準から物質という言葉を取り除き、6項目を4項目に短縮した内容の診断基準案を示している<ref name=ref2>'''洲脇寛'''<br>嗜癖行動障害の臨床概念をめぐって<br>''精神神経学雑誌'': 2004, 106(10);1307-1313</ref>。
 
=== 嗜癖行動障害の診断基準案 ===


#ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)
#ある種の行動(多くは非適応的、非建設的な行動)を行わずにはおれない抑えがたい衝動(craving)
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#その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動からの回復(行動をやめること)に時間がかかる
#その行動のために、それに代わる(適応的、建設的な)楽しみを無視するようになり、当該行動に関わる時間や、当該行動からの回復(行動をやめること)に時間がかかる
#明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける
#明らかに有害な結果が生じているにもかかわらず、その行動を続ける
(これは、[[ICD-10]]の物質依存の診断基準から物質という言葉を取り除き、6項目を4項目に短縮した内容<ref name=ref2>'''洲脇寛'''<br>嗜癖行動障害の臨床概念をめぐって<br>''精神神経学雑誌'': 2004, 106(10);1307-1313</ref>)


== 行動嗜癖の脳内メカニズム ==
== 行動嗜癖の脳内メカニズム ==


===報酬系回路===
===報酬系回路===
 行動嗜癖と物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なものが[[脳内報酬系]]あるいは[[辺縁報酬系回路]](reward system)と呼ばれるものである<ref name=ref3><pubmed>23963609</pubmed></ref> <ref name=ref4><pubmed>21273114</pubmed></ref> <ref name=ref5><pubmed>12359667</pubmed></ref>。報酬系回路とは、[[食行動]]や[[性行動]]などの[[本能]]的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、生存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存領域に強く関わる神経回路として機能する。
 行動嗜癖と物質依存において、同じ脳内回路の異常が指摘されており、その主なものが[[脳内報酬系]]あるいは[[辺縁報酬系回路]](reward system)と呼ばれるものである<ref name=ref3><pubmed>23963609</pubmed></ref> <ref name=ref4><pubmed>21273114</pubmed></ref> <ref name=ref5><pubmed>12359667</pubmed></ref>。報酬系回路とは、[[食行動]]や[[性行動]]などの[[本能]]的行動を快感として感じることで、行動の継続を図る種の保存のための神経系であるが、生存のための本能的行動が快感追求だけの目的で行われると、快感追求の継続と反復という嗜癖や依存に強く関わる神経回路として機能する。


 報酬系回路は、[[中脳辺縁系]]を中心とする[[ドーパミン神経系]](別名A10神経系)からなり、中脳の[[腹側被蓋野]]から[[側坐核]]に投射するが、側坐核を含む[[腹側線条体]]のみならず、[[眼窩前頭皮質]]、[[前部帯状回皮質]]、[[扁桃体]]、[[海馬]]、[[大脳]]の[[前頭前野]]へも投射している。
 報酬系回路は、[[中脳辺縁系]]を中心とする[[ドーパミン神経系]](別名A10神経系)からなり、中脳の[[腹側被蓋野]]から[[側坐核]]に投射するが、側坐核を含む[[腹側線条体]]のみならず、[[眼窩前頭皮質]]、[[前部帯状回皮質]]、[[扁桃体]]、[[海馬]]、[[大脳]]の[[前頭前野]]へも投射している。
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 依存性物質や、飲食、[[wj:性行為|性行為]]などの快[[情動]]をもたらす自然の強化因子は、腹側被蓋野から側坐核へ一過性のドーパミン放出を誘発することで、報酬系を活性化させる。なお、腹側被蓋野は、必ずしも報酬により快感覚を得られる状況だけではなく、報酬を期待して行動をしているときにも活性化するため、日常生活における意欲の向上や動機づけにおいても重要な役割を担う。
 依存性物質や、飲食、[[wj:性行為|性行為]]などの快[[情動]]をもたらす自然の強化因子は、腹側被蓋野から側坐核へ一過性のドーパミン放出を誘発することで、報酬系を活性化させる。なお、腹側被蓋野は、必ずしも報酬により快感覚を得られる状況だけではなく、報酬を期待して行動をしているときにも活性化するため、日常生活における意欲の向上や動機づけにおいても重要な役割を担う。


 側坐核が刺激されると、その神経細胞間での多量の内部伝達が誘発され、それによりドーパミンの放出が惹起され、快感や高揚感がもたらされる。つまりドーパミンは反復行動の強化と動機づけに重要な役割を果たすと考えられており、報酬系と遊離ドーパミンの濃度が物質乱用や嗜癖に関わっていることを示す知見は数多く存在する。[[パーキンソン症候群]]の治療薬であるドーパミン[[作動薬]]が、[[衝動制御障害]]を誘発する危険因子であることも指摘されている<ref name=ref6><pubmed>20457959</pubmed></ref> <ref name=ref7><pubmed>19346328</pubmed></ref>。
 腹側被蓋野からドパミン伝達により側坐核が刺激されると、快感や高揚感がもたらされる。つまりドーパミンは反復行動の強化と動機づけに重要な役割を果たすと考えられており、報酬系と遊離ドーパミンの濃度が物質乱用や嗜癖に関わっていることを示す知見は数多く存在する。[[パーキンソン症候群]]の治療薬であるドーパミン[[作動薬]]が、[[衝動制御障害]]を誘発する危険因子であることも指摘されている<ref name=ref6><pubmed>20457959</pubmed></ref> <ref name=ref7><pubmed>19346328</pubmed></ref>。


 そして側坐核のみでなく、腹側被蓋野領域から扁桃体、眼窩前頭皮質、前部帯状回皮質、海馬、前頭前野へも一過性のドーパミン放出が惹起される。扁桃体と眼窩前頭皮質は、報酬を予期させるものと、それにより実際に生じた報酬である快情動とを関連づけることに重要な役割を担うとされている。さらに眼窩前頭皮質は、その得られた報酬の価値を[[符号化]]し情報を更新することに関連している。また、[[中脳]]からのドーパミン伝達により、海馬依存性の[[長期記憶]]形成が強化されるため、その報酬に関連した刺激や状況が記憶され、その後の嗜癖形成への発展につながる。前部帯状回は、嗜癖行動とそれにより得られる報酬とを関連づけ、得られる報酬によって行動を選択・制御する。そして、報酬系ドーパミン伝達により、理性的思考により衝動行為を制御する前頭前野の機能が低下する。眼窩前頭皮質と前部帯状回を経由して、神経伝達が上意下達式に中脳辺縁系領域に再び到達し、報酬探索の動機が制御される<ref name=ref8><pubmed>22011681</pubmed></ref>。
 そして側坐核のみでなく、腹側被蓋野領域から扁桃体、眼窩前頭皮質、前部帯状回皮質、海馬、前頭前野へも一過性のドーパミン放出が惹起される。扁桃体と眼窩前頭皮質は、報酬を予期させるものと、それにより実際に生じた報酬である快情動とを関連づけることに重要な役割を担うとされている。さらに眼窩前頭皮質は、その得られた報酬の価値を[[符号化]]し情報を更新することに関連している。また、[[中脳]]からのドーパミン伝達により、海馬依存性の[[長期記憶]]形成が強化されるため、その報酬に関連した刺激や状況が記憶され、その後の嗜癖形成への発展につながる。前部帯状回は、嗜癖行動とそれにより得られる報酬とを関連づけ、得られる報酬によって行動を選択・制御する。そして、報酬系ドーパミン伝達により、理性的思考により衝動行為を制御する前頭前野の機能が低下する。眼窩前頭皮質と前部帯状回を経由して、トップダウンの信号が中脳辺縁系領域に再び到達し、報酬探索の動機が制御される<ref name=ref8><pubmed>22011681</pubmed></ref>。


 物質依存症も行動嗜癖も、渇望を来たす状況への反復的暴露が、中脳辺縁系の活性化と前頭前野の抑制力減弱を招くという点では、衝動制御能低下という共通の特徴をもつ。依存や嗜癖に関連した行動を実行しようとする動機が、それを制御しようとする努力にまさってしまう。徐々にそのような行動の頻度が増え、習慣化していく。物質使用障害では、依存の習慣が形成されていく過程において、刺激により誘発される活性化が、側坐核の背外側部から腹内側部へ、最後には、感覚運動の[[皮質線条体系回路]]も関連する腹側線条体へ移動していくことが示唆されており<ref name=ref9><pubmed>16251991</pubmed></ref>、衝動制御の障害においても、同様の変化を示唆する知見が出てきている<ref name=ref10><pubmed>15643429</pubmed></ref>。ただし嗜癖行動は依存性物質と異なり、直接中枢の神経細胞に作用し、ドーパミン神経系を混乱させるわけではないため、[[幻覚]][[妄想]]、[[認知機能]]障害などの中毒症状や、離脱症状を来たすことはない。
 物質依存症も行動嗜癖も、渇望を来たす状況への反復的暴露が、中脳辺縁系の活性化と前頭前野の抑制力減弱を招くという点では、衝動制御能低下という共通の特徴をもつ。依存や嗜癖に関連した行動を実行しようとする動機が、それを制御しようとする努力にまさってしまう。徐々にそのような行動の頻度が増え、習慣化していく。物質使用障害では、依存の習慣が形成されていく過程において、刺激により誘発される活性化が、側坐核の背外側部から腹内側部へ、最後には、感覚運動の[[皮質線条体系回路]]も関連する腹側線条体へ移動していくことが示唆されており<ref name=ref9><pubmed>16251991</pubmed></ref>、衝動制御の障害においても、同様の変化を示唆する知見が出てきている<ref name=ref10><pubmed>15643429</pubmed></ref>。ただし嗜癖行動は依存性物質と異なり、直接中枢の神経細胞に作用し、ドーパミン神経系を混乱させるわけではないため、[[幻覚]][[妄想]]、[[認知機能]]障害などの中毒症状や、離脱症状を来たすことはない。
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 報酬系回路は主としてドーパミン性神経伝達によるが、その他の神経伝達物質も重要な役割をもつ<ref name=ref11><pubmed>17719013</pubmed></ref>。
 報酬系回路は主としてドーパミン性神経伝達によるが、その他の神経伝達物質も重要な役割をもつ<ref name=ref11><pubmed>17719013</pubmed></ref>。


 腹側被蓋野領域の後部にある吻側内側被害核から、腹側被蓋野領域の近傍と[[黒質]]に投射する[[GABA]][[介在神経]]が、報酬系回路のドーパミン神経系の主な抑制因子として働く<ref name=ref12><pubmed>23055478</pubmed></ref>。[[βエンドルフィン]]が、腹側被蓋野の抑制系回路であるGABA含有ニューロンの[[μオピオイド受容体]]に作用すると、GABA神経系が抑制される。するとドーパミン神経系からドーパミン遊離が促進され、快情動が出現する。つまり、GABA神経系抑制によりドーパミン神経が脱抑制され、脳内報酬系が賦活化される。賦活化が持続すると、精神依存が生じる。
 腹側被蓋野領域の後部にある吻側内側被蓋核から、腹側被蓋野領域の近傍と[[黒質]]に投射する[[GABA]][[介在神経]]が、報酬系回路のドーパミン神経系の主な抑制因子として働く<ref name=ref12><pubmed>23055478</pubmed></ref>。[[βエンドルフィン]]が、腹側被蓋野の抑制系回路であるGABA含有ニューロンの[[μオピオイド受容体]]に作用すると、GABA神経系が抑制される。するとドーパミン神経系からドーパミン遊離が促進され、快情動が出現する。つまり、GABA神経系抑制によりドーパミン神経が脱抑制され、脳内報酬系が賦活化される。賦活化が持続すると、精神依存が生じる。


 また、報酬を「好む」ということは、中脳のμオピオイド受容体への刺激により伝達され、側坐核と[[腹側淡蒼球]]において、ドーパミン神経系と相互作用することも関与する<ref name=ref13><pubmed>17301168</pubmed></ref>。
 また、報酬を「好む」ということは、中脳のμオピオイド受容体への刺激により伝達され、側坐核と[[腹側淡蒼球]]において、ドーパミン神経系と相互作用することも関与する<ref name=ref13><pubmed>17301168</pubmed></ref>。


 以上の機序より、GABA性の治療薬とともに<ref name=ref14><pubmed>20655489</pubmed></ref> <ref name=ref15><pubmed>21459656</pubmed></ref>、オピオイド[[拮抗薬]]が、衝動制御の障害に有効な治療法として期待されている。
 以上の機序より、GABA系に作用する治療薬とともに<ref name=ref14><pubmed>20655489</pubmed></ref> <ref name=ref15><pubmed>21459656</pubmed></ref>、オピオイド[[拮抗薬]]が、衝動制御の障害に有効な治療法として期待されている。


 皮質辺縁線条体回路においては、ドーパミン[[D1受容体|D<sub>1</sub>受容体]]と[[NMDA型グルタミン酸受容体]]系の相互作用が、報酬を得る行動への[[学習]]に必要である<ref name=ref16><pubmed>11978804</pubmed></ref>。物質使用障害に関する研究では、[[前頭葉]]から側坐核への[[グルタミン酸]]神経伝達の変化が、薬物関連行動への衝動に関連することが示唆されており<ref name=ref17><pubmed>15748840</pubmed></ref>、グルタミン酸系の治療薬が行動嗜癖に有効であったという報告もある<ref name=ref18><pubmed>21713109</pubmed></ref> <ref name=ref19><pubmed>21536062</pubmed></ref>。
 皮質辺縁線条体回路においては、ドーパミン[[D1受容体|D<sub>1</sub>受容体]]と[[NMDA型グルタミン酸受容体]]系の相互作用が、報酬を得る行動への[[学習]]に必要である<ref name=ref16><pubmed>11978804</pubmed></ref>。物質使用障害に関する研究では、[[前頭葉]]から側坐核への[[グルタミン酸]]神経伝達の変化が、薬物関連行動への衝動に関連することが示唆されており<ref name=ref17><pubmed>15748840</pubmed></ref>、グルタミン酸系に作用する治療薬が行動嗜癖に有効であったという報告もある<ref name=ref18><pubmed>21713109</pubmed></ref> <ref name=ref19><pubmed>21536062</pubmed></ref>。


 衝動性の亢進は、ドーパミン系の脳内報酬系とは別に、[[セロトニン]]系神経ネットワークの機能低下によって生じることも示唆されている。セロトニンに関連した薬が治療薬になりうるかは議論のあるところであるが<ref name=ref11 />、ドーパミンが報酬探索行動を促進させる一方、セロトニンは、罰則下で衝動的行為に対する抑制的行動を助長させることが示唆されている<ref name=ref20><pubmed>20736991</pubmed></ref>。
 衝動性の亢進は、ドーパミン系の脳内報酬系とは別に、[[セロトニン]]系神経ネットワークの機能低下によって生じることも示唆されている。セロトニンに関連した薬が治療薬になりうるかは議論のあるところであるが<ref name=ref11 />、ドーパミンが報酬探索行動を促進させる一方、セロトニンは衝動的行為に対する抑制的行動に関わっていることが示唆されている<ref name=ref20><pubmed>20736991</pubmed></ref>。


===報酬回路不全症候群===
===報酬回路不全症候群===
 物質依存症と同様に、行動嗜癖においても、報酬系回路が慢性持続的に活性化され続けると馴化が生じ、鈍化が進行する。つまり、報酬系回路の機能は徐々に低下し、より報酬を感じにくく、快感が得られにくくなる。この状態は[[報酬回路不全症候群]]と呼ばれる<ref name=ref21><pubmed>19014506</pubmed></ref>。こうなると、あらゆることに対し興味や関心が薄れ、するとますます、依存している物質乱用や行動嗜癖を繰り返し続ける行動様式に陥ってしまう。
 物質依存症と同様に、行動嗜癖においても、報酬系回路が慢性持続的に活性化され続けると馴化が生じ、鈍化が進行する。つまり、報酬系回路の機能は徐々に低下し、より報酬を感じにくく、快感が得られにくくなる。この状態は[[報酬回路不全症候群]]と呼ばれる<ref name=ref21><pubmed>19014506</pubmed></ref>。こうなると、あらゆることに対し興味や関心が薄れ、するとますます、依存している物質乱用や行動嗜癖を繰り返し続ける行動様式に陥ってしまう。


 報酬回路不全の仮説は、辺縁系における[[D2受容体|D<sub>2</sub>受容体]]密度の減少に関連している。物質依存者では、線条体におけるD<sub>2</sub>受容体結合能の低下が報告されている<ref name=ref22><pubmed>22015315</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>9126741</pubmed></ref> <ref name=ref24><pubmed>11729018</pubmed></ref>。D<sub>2</sub>受容体密度が減少した状態では、快の感覚を感じにくく不快であり、ドーパミンレベルを正常な状態にするために、物質や嗜癖行動などのドーパミンが多く放出するような強い刺激を欲する。しかし一方で、依存の形成において、嗜癖に伴うドーパミンレベルの急上昇の反復が報酬系を感作し、物質や嗜癖行動などの快の刺激の誘因となる動機に対し、過感受性が生じることを示唆する知見も多い。
 この報酬回路不全の仮説は、辺縁系における[[D2受容体|D<sub>2</sub>受容体]]密度の減少により支持される。物質依存者では、線条体におけるD<sub>2</sub>受容体結合能の低下が報告されている<ref name=ref22><pubmed>22015315</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>9126741</pubmed></ref> <ref name=ref24><pubmed>11729018</pubmed></ref>。D<sub>2</sub>受容体密度が減少した状態では、快の感覚を感じにくく不快であり、ドーパミンレベルを正常な状態にするために、物質や嗜癖行動などのドーパミンが多く放出するような強い刺激を欲する。しかし、反対に、依存の形成において、嗜癖に伴うドーパミンレベルの急上昇の反復が報酬系を感作し、物質や嗜癖行動などの快の刺激の誘因となる動機に対し、過感受性が生じることを示唆する知見も多い。


 そもそも、D<sub>2</sub>受容体密度の減少が嗜癖や依存に先行するか後行するかは、まだ結論が出ていない。病的ギャンブリング者、病的過食者、インターネット嗜癖者の線条体におけるD<sub>2</sub>受容体密度の低下が示唆されている。遺伝子研究では、[[Taq1A]][[遺伝子多型]]のA1対立遺伝子が、線条体におけるD<sub>2</sub>受容体減少に関連することが報告されており、[[positron emission tomography]]([[PET]])では、[[ドーパミン輸送体]]や[[受容体]]などの、機能的ダウンレギュレーションが傍証されうる。嗜癖や依存により生じる脳の状態が、報酬回路不全によるドーパミン低活性状態か、感作によるドーパミン過感受性の状態かについて、今後の研究が期待される。
 そもそも、D<sub>2</sub>受容体密度の減少が嗜癖や依存に先行するか続発するかは、まだ結論が出ていない。病的ギャンブリング者、病的過食者、インターネット嗜癖者の線条体におけるD<sub>2</sub>受容体密度の低下が示唆されている。遺伝子研究では、[[Taq1A]][[遺伝子多型]]のA1対立遺伝子が、線条体におけるD<sub>2</sub>受容体減少に関連することが報告されており、[[positron emission tomography]]([[PET]])では、[[ドーパミン輸送体]]や[[受容体]]などの、機能的ダウンレギュレーションが傍証されうる。嗜癖や依存により生じる脳の状態が、報酬回路不全によるドーパミン低活性状態か、感作によるドーパミン過感受性の状態かについて、今後の研究が期待される。


== 併存精神障害 ==
== 併存精神障害 ==
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厚生労働科学研究費補助金(障害保健福祉総合研究事業)平成19~21年度総合分担研究報告書: 2010.</ref>。
厚生労働科学研究費補助金(障害保健福祉総合研究事業)平成19~21年度総合分担研究報告書: 2010.</ref>。


 まず行動嗜癖に先行して、[[大うつ病]]、[[双極性感情障害]]、[[統合失調症]]、[[不安障害]]、[[物質依存症]]、[[摂食障害]]などが存在していることがある。また、反社会性、強迫性、回避性、境界性など、各種[[パーソナリティ障害]]、[[広汎性発達障害]]、[[精神遅滞]]、[[認知症]]、[[器質的問題]]などで衝動制御が困難な状態の併存が見られることがある。さらに、嗜癖行動により、二次的に、抑うつや不安症状が出現することもある。
 まず行動嗜癖に先行して、[[大うつ病]]、[[双極性障害]]、[[統合失調症]]、[[不安障害]]、[[物質依存症]]、[[摂食障害]]などが存在していることがある。また、反社会性、強迫性、回避性、境界性など、各種[[パーソナリティ障害]]、[[広汎性発達障害]]、[[知的障害]]、[[認知症]]、[[器質的問題]]などで衝動制御が困難な状態の併存が見られることがある。さらに、嗜癖行動により、二次的に、抑うつや不安症状が出現することもある。


== 治療 ==
== 治療 ==
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 現在のところ、行動嗜癖に対して認可された治療薬はなく、薬物療法は[[精神療法]]や[[行動療法]]と併用されることが多いが、様々な試行がなされている。
 現在のところ、行動嗜癖に対して認可された治療薬はなく、薬物療法は[[精神療法]]や[[行動療法]]と併用されることが多いが、様々な試行がなされている。


 上述したように、報酬系回路における依存形成や衝動統制に、ドーパミンと[[オピオイド]]神経系が関与していることに注目した薬物療法が行われることがある。[[ナルメフェン]]や[[ナルトレキソン]]といった国内未採用のオピオイド拮抗薬の病的ギャンブリングなどに対する有効性が報告されている<ref name=ref31><pubmed>23503545</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>22426027</pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed>21150845</pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed>18384246</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>20884959</pubmed></ref> <ref name=ref36><pubmed>16449486</pubmed></ref>。また、[[topiramate]]は、中脳辺縁系のドーパミン機能を調節すると考えられており、行動嗜癖に対する有効性が報告されている<ref name=ref37>'''J Horley, D Bowlby'''<br>Theory, research, and intervention with arsonists<br>''Aggression and Violent Behavior'': 2011, 16(3);241–249</ref>。
 上述したように、報酬系回路における依存形成や衝動統制に、ドーパミンと[[オピオイド]]神経系が関与していることに注目した薬物療法が行われることがある。[[ナルメフェン]]や[[ナルトレキソン]]といった国内未採用のオピオイド拮抗薬の病的ギャンブリングなどに対する有効性が報告されている<ref name=ref31><pubmed>23503545</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>22426027</pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed>21150845</pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed>18384246</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>20884959</pubmed></ref> <ref name=ref36><pubmed>16449486</pubmed></ref>。また、抗てんかん薬[[topiramate]]は、中脳辺縁系のドーパミン機能を調節すると考えられており、行動嗜癖に対する有効性が報告されている<ref name=ref37>'''J Horley, D Bowlby'''<br>Theory, research, and intervention with arsonists<br>''Aggression and Violent Behavior'': 2011, 16(3);241–249</ref>。


 セロトニンレベルの低下が、嗜癖の強化に関わる中脳辺縁系に対する抑制作用の低下を惹起するため、セロトニンレベルの低下を改善させる[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]] ([[selective serotonin reuptake inhibitors|selective serotonin reuptake inhibitors]], [[SSRI]])は、行動嗜癖に対する効果が期待されうる。
 セロトニンレベルの低下が、嗜癖の強化に関わる中脳辺縁系に対する抑制作用の低下を惹起するため、セロトニンレベルの低下を改善させる[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]] ([[selective serotonin reuptake inhibitors|selective serotonin reuptake inhibitors]], [[SSRI]])は、行動嗜癖に対する効果が期待されうる。


 行動嗜癖によっては、感情障害の近縁疾患ととらえた薬物療法として、選択的セロトニン再取り込み阻害薬、[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]]、[[三環系抗うつ薬|]]・[[四環系抗うつ薬]]、[[気分安定薬]]、[[抗不安薬]]が試されることもある<ref name=ref27 />。
 行動嗜癖によっては、感情障害の近縁疾患ととらえた薬物療法として、選択的セロトニン再取り込み阻害薬、[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]]、[[三環系抗うつ薬|三環系]]・[[四環系抗うつ薬]]、[[気分安定薬]]、[[抗不安薬]]が試されることもある<ref name=ref27 />。


 いずれの薬剤も、有効であったという症例報告レベルにとどまり、有効性が証明されるまでにはいたっていない。他の精神障害との高い重複率やパーソナリティに関した課題、衝動行為の心理的規制など、個々の行動嗜癖の背景にあるものの相違を考慮すると、各個人で核となる薬物治療の標的が異なるため、標準的薬物療法の確立は困難が予測される。
 いずれの薬剤も、有効であったという症例報告レベルにとどまり、有効性が証明されるまでにはいたっていない。他の精神障害との高い重複率やパーソナリティに関した課題、衝動行為の心理的機制など、個々の行動嗜癖の背景にあるものの相違を考慮すると、各個人で核となる薬物治療の標的が異なるため、標準的薬物療法の確立は困難が予測される。


===薬物療法以外の治療・支援===
===薬物療法以外の治療・支援===
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 切迫した併存精神障害が存在する場合は、精神科医療機関での治療が優先される。行動嗜癖により二次的に生じたうつ症状や[[自殺企図]]が見られた場合<ref name=ref39>'''田辺等'''<br>ギャンブル依存症(病的ギャンブリング)と自殺<br>''精神科治療学'': 2010, 25;223-229</ref>、精神科医療施設や救急医療施設での対応が急務とされる。併存する精神障害によっては、地域社会資源の活用も検討される。
 切迫した併存精神障害が存在する場合は、精神科医療機関での治療が優先される。行動嗜癖により二次的に生じたうつ症状や[[自殺企図]]が見られた場合<ref name=ref39>'''田辺等'''<br>ギャンブル依存症(病的ギャンブリング)と自殺<br>''精神科治療学'': 2010, 25;223-229</ref>、精神科医療施設や救急医療施設での対応が急務とされる。併存する精神障害によっては、地域社会資源の活用も検討される。


 行動嗜癖の問題が顕在化する場所としては、精神科や救急医療現場などの医療機関、行政司法機関、債務問題相談機関([[wikipedia:ja:消費者センター|消費者センター]]、多重債務支援団体、[[wikipedia:ja:司法書士|司法書士]]団体、[[wikipedia:ja:弁護士|弁護士]]団体、[[wikipedia:ja:法テラス|法テラス]])、などが挙げられる。[[wikipedia:ja:ギャンブル|ギャンブル]]、[[wikipedia:ja:窃盗|窃盗]]、[[wikipedia:ja:放火|放火]]、[[wikipedia:ja:性犯罪|性犯罪]]などについては、[[wikipedia:ja:触法行為|触法行為]]で顕在化することもある。
 行動嗜癖の問題が顕在化する場所としては、精神科や救急医療現場などの医療機関、行政司法機関、債務問題相談機関([[wikipedia:ja:消費者センター|消費者センター]]、多重債務支援団体、[[wikipedia:ja:司法書士|司法書士]]団体、[[wikipedia:ja:弁護士|弁護士]]団体、[[wikipedia:ja:法テラス|法テラス]])、などが挙げられる。[[wikipedia:ja:ギャンブル|ギャンブル]]、[[wikipedia:ja:窃盗|窃盗]]、[[wikipedia:ja:放火|放火]]、性的逸脱行動などについては、[[wikipedia:ja:触法行為|触法行為]]で顕在化することもある。


 問題が顕在化しないが、深刻な状況を抱えている人も多いと考えられ、社会的啓発を進めることで、問題に気づく機会を増やすことが期待される。
 問題が顕在化しないが、深刻な状況を抱えている人も多いと考えられ、社会的啓発を進めることで、問題に気づく機会を増やすことが期待される。

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