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英:[[supplementary motor area]] 英略語:[[SMA]]
英:[[supplementary motor area]] 英略語:SMA


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 補足運動野(supplementary motor area, SMA)とは[[大脳皮質]][[前頭葉]]のうち[[wikipedia:Korbinian Brodmann|Brodmann]][[ブロードマンの脳地図|脳地図]]の[[6野]]内側部を占める[[高次運動野|皮質運動領野]]である。[[wikipedia:JA:Wilder Penfield|Penfield]]とWelchによって初めてその存在が報告され、それまでに知られていた[[一次運動野]]に対して、もう一つの補足的な皮質運動領野であるという意味を込めて命名された。しかしその後の研究によって補足運動野は運動制御において一次運動野とは異なる固有の役割(例、自発的な運動の開始、異なる複数の運動を特定の順序に従って実行する、両手の協調動作など)を果たしていることが明らかにされている。なお、当初補足運動野は6野内側部全体を占めていると考えられていたが、現在では補足運動野は6野内側部後方を占める一方、6野内側部前方部は[[前補足運動野]]として区別される。このため、補足運動野は前補足運動野との区別を強調する意図でcaudal SMA, SMA properなどと呼ばれることもある。  
 補足運動野とは[[大脳皮質]][[前頭葉]]のうち[[w:Korbinian Brodmann|Brodmann]][[ブロードマンの脳地図|脳地図]]の[[6野]]内側部を占める[[高次運動野|皮質運動領野]]である。[[ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド|Penfield]]とWelchによって初めてその存在が報告され、それまでに知られていた[[一次運動野]]に対して、もう一つの補足的な皮質運動領野であるという意味を込めて命名された。しかしその後の研究によって補足運動野は運動制御において一次運動野とは異なる固有の役割(例、自発的な運動の開始、異なる複数の運動を特定の順序に従って実行する、両手の協調動作など)を果たしていることが明らかにされている。なお、当初補足運動野は6野内側部全体を占めていると考えられていたが、現在では補足運動野は6野内側部後方を占める一方、6野内側部前方部は[[前補足運動野]]として区別される。このため、補足運動野は前補足運動野との区別を強調する意図でcaudal SMA, SMA properなどと呼ばれることもある。  
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== 歴史的背景  ==
== 歴史的背景  ==
[[Image:M1-SMA-pre-SMA2.png|thumb|right|275px|'''図1.サル(左)及びヒト(右)における一次運動野、補足運動野、前補足運動野の位置関係'''<br>CA-CP: 前交連及び後交連を通る平面。VCA: 前交連を通りCA-CP面に垂直な直線。]]  
[[Image:M1-SMA-pre-SMA2.png|thumb|right|275px|'''図1.サル(左)及びヒト(右)における一次運動野、補足運動野、前補足運動野の位置関係'''<br>CA-CP: 前交連及び後交連を通る平面。VCA: 前交連を通りCA-CP面に垂直な直線。]]  
 補足運動野は20世紀中盤にカナダの脳外科医[[Wilder Penfield]]及びKeasley Welchによって発見・命名された<ref name="Penfield1951"><pubmed> 14867993 </pubmed></ref>。大脳皮質に於いては[[中心溝]]に接する[[前頭皮質]]([[中心前回]])に運動を支配する領域(一次運動野)が存在する事が古くから知られていたが、Penfieldらは[[中心前回]]の更に前方、Brodmannの6野内側部に電気刺激によって運動が誘発される領域があることを見出した。この領域における誘発運動には[[体部位再現]]が存在する。つまり刺激部位によって前方から後方にかけて刺激側とは反対側の顔、上肢、体幹、下肢の順に異なる体部位の運動が誘発され、かつこの体部位再現は一次運動野のもの(外側から内側にかけて顔、上肢、体幹、下肢)とは位置的にも別個のものである。更に、[[ヒト]]や[[サル]]において一次運動野を切除した後でも補足運動野の電気刺激によって運動を惹起できることから<ref name="Penfield1951"/>、補足運動野は一次運動野とは独立した皮質運動領野として確立された。
 補足運動野は20世紀中盤にカナダの脳外科医[[ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド|Wilder Penfield]]及びKeasley Welchによって発見・命名された<ref name="Penfield1951"><pubmed> 14867993 </pubmed></ref>
 
 大脳皮質に於いては[[中心溝]]に接する[[前頭皮質]]([[中心前回]])に運動を支配する領域(一次運動野)が存在する事が古くから知られていたが、Penfieldらは[[中心前回]]の更に前方、Brodmannの6野内側部に電気刺激によって運動が誘発される領域があることを見出した。この領域における誘発運動には[[体部位再現]]が存在する。つまり刺激部位によって前方から後方にかけて刺激側とは反対側の顔、上肢、体幹、下肢の順に異なる体部位の運動が誘発され、かつこの体部位再現は一次運動野のもの(外側から内側にかけて顔、上肢、体幹、下肢)とは位置的にも別個のものである。更に、[[ヒト]]や[[サル]]において一次運動野を切除した後でも補足運動野の電気刺激によって運動を惹起できることから<ref name="Penfield1951"/>、補足運動野は一次運動野とは独立した皮質運動領野として確立された。


 後の研究によって、補足運動野の位置する6野内側部には前後各一つずつの運動関連領野が存在することが判明し、そのうち従来から知られていた補足運動野の性質(体部位再現の存在、電気刺激による運動の誘発、[[脊髄]]への投射経路の存在など)は6野内側部後方の領域に当てはまる事が判明したため、現在では6野内側前方部を[[前補足運動野]]、後方を元来の意味での補足運動野として区別する(図1)。以下、本項目ではこの新しい定義による補足運動野を取り扱う。
 後の研究によって、補足運動野の位置する6野内側部には前後各一つずつの運動関連領野が存在することが判明し、そのうち従来から知られていた補足運動野の性質(体部位再現の存在、電気刺激による運動の誘発、[[脊髄]]への投射経路の存在など)は6野内側部後方の領域に当てはまる事が判明したため、現在では6野内側前方部を[[前補足運動野]]、後方を元来の意味での補足運動野として区別する(図1)。以下、本項目ではこの新しい定義による補足運動野を取り扱う。
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 補足運動野はBrodmann6野内側部後方に位置する<ref>'''C Vogt. O Vogt'''<br>Allgemeinere Ergebnisse unserer Hirnforschung<br>Journal für Psychologie und Neurologie: 1919, 25:277-462</ref><ref><pubmed>1757597</pubmed></ref>。
 補足運動野はBrodmann6野内側部後方に位置する<ref>'''C Vogt. O Vogt'''<br>Allgemeinere Ergebnisse unserer Hirnforschung<br>Journal für Psychologie und Neurologie: 1919, 25:277-462</ref><ref><pubmed>1757597</pubmed></ref>。


 補足運動野は運動系中枢との密な線維連絡を持ち、一次運動野、[[背側運動前野|背側]]及び[[腹側運動前野]]、[[帯状皮質運動野]]と双方向性に結合する<ref name="Luppino1993"><pubmed>7507940</pubmed></ref>ほか、[[脳幹]][[運動神経核]]や[[脊髄]]へ直接投射する<ref><pubmed>1705965</pubmed></ref><ref><pubmed>7696600</pubmed></ref>。ただし、補足運動野から脊髄への投射は脊髄[[灰白質]]の中間層(Rexed分類の第7層)に大部分が終始し、[[wikipedia:ja:脊髄|脊髄]][[運動ニューロン]]の細胞体が存在する第9層への入力は比較的乏しい<ref><pubmed>8815929</pubmed></ref>。
 補足運動野は運動系中枢との密な線維連絡を持ち、一次運動野、[[背側運動前野|背側]]及び[[腹側運動前野]]、[[帯状皮質運動野]]と双方向性に結合する<ref name="Luppino1993"><pubmed>7507940</pubmed></ref>ほか、[[脳幹]][[運動神経核]]や[[脊髄]]へ直接投射する<ref><pubmed>1705965</pubmed></ref><ref><pubmed>7696600</pubmed></ref>。ただし、補足運動野から脊髄への投射は脊髄[[灰白質]]の中間層(Rexed分類の第7層)に大部分が終始し、[[wj:脊髄|脊髄]][[運動ニューロン]]の細胞体が存在する第9層への入力は比較的乏しい<ref><pubmed>8815929</pubmed></ref>。


 [[頭頂葉]]との関係では、[[二次体性感覚野]]や[[Brodmann]]の[[5野]]からの入力を受ける<ref name="Luppino1993" />。一方で[[前頭前野]]、[[前頭眼窩野]]とは直接の線維連絡を持たない<ref name="Luppino1993" />。また補足運動野は[[視床]][[外側腹側核吻側部]](VLo核)を介して[[大脳基底核]]からの入力を受け取る一方、[[小脳核]]からの入力は乏しい<ref name="Schell1984"><pubmed>6199485</pubmed></ref><ref><pubmed>8841922</pubmed></ref><ref><pubmed>9924930</pubmed></ref><ref name="Sakai2002"><pubmed>12088388</pubmed></ref>。対照的に一次運動野や運動前野は小脳からの入力が優勢である<ref name="Schell1984" /><ref name="Sakai2002" /><ref><pubmed>9193166</pubmed></ref>。  
 [[頭頂葉]]との関係では、[[二次体性感覚野]]や[[Brodmann]]の[[5野]]からの入力を受ける<ref name="Luppino1993" />。一方で[[前頭前野]]、[[前頭眼窩野]]とは直接の線維連絡を持たない<ref name="Luppino1993" />。また補足運動野は[[視床]][[外側腹側核吻側部]](VLo核)を介して[[大脳基底核]]からの入力を受け取る一方、[[小脳核]]からの入力は乏しい<ref name="Schell1984"><pubmed>6199485</pubmed></ref><ref><pubmed>8841922</pubmed></ref><ref><pubmed>9924930</pubmed></ref><ref name="Sakai2002"><pubmed>12088388</pubmed></ref>。対照的に一次運動野や運動前野は小脳からの入力が優勢である<ref name="Schell1984" /><ref name="Sakai2002" /><ref><pubmed>9193166</pubmed></ref>。  
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 一次運動野と異なり補足運動野の損傷は軽微な[[麻痺]]しか起こさず、一見すると運動の制御に重要な役割を果たしていないように見える。しかし補足運動野の損傷は自発的な[[発語]]や運動の開始が著しく困難になる[[無動性無言症]](akinetic mutism)と呼ばれる特徴的な症状を惹き起こす。一方でこうした患者でも本を渡して「声を出して読みなさい」と指示されると問題なく読むことが出来、験者が行う動作を[[真似]]する限りはなんら障害を示さない。つまり運動の遂行自体に障害はなく、外部から何をいつ為すべきか指示を与えられると運動を遂行できるが、自発的に運動を開始できないのである。動物実験からも同様の所見が得られている<ref><pubmed>7737391</pubmed></ref>。  
 一次運動野と異なり補足運動野の損傷は軽微な[[麻痺]]しか起こさず、一見すると運動の制御に重要な役割を果たしていないように見える。しかし補足運動野の損傷は自発的な[[発語]]や運動の開始が著しく困難になる[[無動性無言症]](akinetic mutism)と呼ばれる特徴的な症状を惹き起こす。一方でこうした患者でも本を渡して「声を出して読みなさい」と指示されると問題なく読むことが出来、験者が行う動作を[[真似]]する限りはなんら障害を示さない。つまり運動の遂行自体に障害はなく、外部から何をいつ為すべきか指示を与えられると運動を遂行できるが、自発的に運動を開始できないのである。動物実験からも同様の所見が得られている<ref><pubmed>7737391</pubmed></ref>。  


 こうした所見からは補足運動野は自発的な運動の開始に寄与している事が窺われ、実際、[[wikipedia:ja:ヒト|ヒト]]では自発運動の開始に先行して補足運動野領域から[[運動準備電位]](Bereitschaftspotential)が記録される<ref><pubmed>4066425</pubmed></ref>。又、[[wikipedia:ja:サル|サル]]の補足運動野のニューロン活動を記録した研究によっても、補足運動野のニューロンは動物が外部からの指示に拠らずに運動を実行する際に活動する傾向があることが指摘されている<ref><pubmed>2257906</pubmed></ref><ref><pubmed>1753282</pubmed></ref>。  
 こうした所見からは補足運動野は自発的な運動の開始に寄与している事が窺われ、実際、[[wj:ヒト|ヒト]]では自発運動の開始に先行して補足運動野領域から[[運動準備電位]](Bereitschaftspotential)が記録される<ref><pubmed>4066425</pubmed></ref>。又、[[wj:サル|サル]]の補足運動野のニューロン活動を記録した研究によっても、補足運動野のニューロンは動物が外部からの指示に拠らずに運動を実行する際に活動する傾向があることが指摘されている<ref><pubmed>2257906</pubmed></ref><ref><pubmed>1753282</pubmed></ref>。  


 補足運動野の損傷は自発的な運動の開始に困難をもたらす一方で、意図しない運動の出現をもたらす。補足運動野の損傷によって生じる非意図的な運動の代表例として挙げられる“[[他人の手症候群]](alien-hand syndrome)”では、患者の手が本人の意思とは無関係にまるで他人の手であるかのように一定のまとまった動作(例、健側の手が片付けた物を患側の手が勝手に取り出すなど)を行う。その他にも道具の強制使用、強制把握などの非意図的な運動が生じる。我々の脳は五感を通して外界の状況を認知し、それを基に運動を企画・実行するが健常者なら全ての感覚入力に対して自動的に反応するのではなく、何に対してどう反応するか、又は反応しないか等、意図による制御が働いている。補足運動野が損傷されるとこの意図による制御が働かず、感覚入力によって自動的に運動が惹起されてしまうと考えられる<ref><pubmed>18356377</pubmed></ref>。  
 補足運動野の損傷は自発的な運動の開始に困難をもたらす一方で、意図しない運動の出現をもたらす。補足運動野の損傷によって生じる非意図的な運動の代表例として挙げられる“[[他人の手症候群]](alien-hand syndrome)”では、患者の手が本人の意思とは無関係にまるで他人の手であるかのように一定のまとまった動作(例、健側の手が片付けた物を患側の手が勝手に取り出すなど)を行う。その他にも道具の強制使用、強制把握などの非意図的な運動が生じる。我々の脳は五感を通して外界の状況を認知し、それを基に運動を企画・実行するが健常者なら全ての感覚入力に対して自動的に反応するのではなく、何に対してどう反応するか、又は反応しないか等、意図による制御が働いている。補足運動野が損傷されるとこの意図による制御が働かず、感覚入力によって自動的に運動が惹起されてしまうと考えられる<ref><pubmed>18356377</pubmed></ref>。