「記憶固定化」の版間の差分

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=== 長期記憶の維持 ===
=== 長期記憶の維持 ===
 通常の長期記憶のテストは、学習後1日目で評価されてきた。しかし、実際は長期記憶は数週間以上維持されるものである。このような固定化された長期記憶の長期間の維持には、学習後の複数回の遺伝子発現の上昇が必要であることが報告されている。
 通常の長期記憶の[[テスト]]は、学習後1日目で評価されてきた。しかし、実際は長期記憶は数週間以上維持されるものである。このような固定化された長期記憶の長期間の維持には、学習後の複数回の遺伝子発現の上昇が必要であることが報告されている。


 学習後のタンパク質合成阻害剤の長期記憶形成阻害の実験から、記憶の固定化のタイムウインドウは、学習後3時間位までが想定されていた。しかし、学習12時間後のタンパク質合成阻害剤の処理が、2日目の記憶には影響を及ぼさないが、学習後7日目の記憶テストに阻害を与えることが明らかになった<ref><pubmed>17224407</pubmed></ref> 。例えば学習12時間後の脳由来神経栄養因子(Brain-derived neurotrophic factor, BDNF)遺伝子の発現を抑制すると、上述のタンパク質合成阻害と同じ結果が得られる。最初期遺伝子の一つであるarc遺伝子でも同様の現象が報告されている<ref><pubmed>25589774</pubmed></ref> 。
 学習後のタンパク質合成阻害剤の長期記憶形成阻害の実験から、記憶の固定化のタイムウインドウは、学習後3時間位までが想定されていた。しかし、学習12時間後のタンパク質合成阻害剤の処理が、2日目の記憶には影響を及ぼさないが、学習後7日目の記憶テストに阻害を与えることが明らかになった<ref><pubmed>17224407</pubmed></ref> 。例えば学習12時間後の脳由来神経栄養因子(Brain-derived neurotrophic factor, BDNF)遺伝子の発現を抑制すると、上述のタンパク質合成阻害と同じ結果が得られる。最初期遺伝子の一つであるarc遺伝子でも同様の現象が報告されている<ref><pubmed>25589774</pubmed></ref> 。


 このような後期固定化段階が、記憶の想起無しに自発的に起こることによって記憶の長期安定化に繋がっていると示唆される。
 このような後期固定化段階が、記憶の[[想起]]無しに自発的に起こることによって記憶の長期安定化に繋がっていると示唆される。


== 記憶の固定化と睡眠 ==
== 記憶の固定化と睡眠 ==
 近年、学習後の睡眠が記憶の固定化に重要な役割を担っていることが明らかになってきている。
 近年、学習後の[[睡眠]]が記憶の固定化に重要な役割を担っていることが明らかになってきている。


 直線走路を歩いている動物の海馬内では、複数の場所細胞がそれぞれ対応する場所で順番に活動する様子が観察される。この順序を持った場所細胞の活動パターンは、レム睡眠(Rapid eye movement sleep, REM sleep)中にもノンレム(Non-REM)睡眠中にも再現されている<ref><pubmed>12495631</pubmed></ref> 。この結果から、「覚醒時に経験した情報が睡眠中に再生されている」という休息時リプレイという概念が提唱されている。レム睡眠時には覚醒時と同様に、脳波は 4-8 Hz のシータ波が優先的に振動をしており、リプレイは覚醒時とほぼ同じタイムスケールを持って観察される<ref><pubmed>11182087</pubmed></ref> 。また、睡眠中のシータ波の発生を抑えると、睡眠前の学習で獲得した記憶が減弱する<ref><pubmed>27174984</pubmed></ref> 。
 直線走路を歩いている動物の海馬内では、複数の[[場所細胞]]がそれぞれ対応する場所で順番に活動する様子が観察される。この順序を持った場所細胞の活動パターンは、レム睡眠(Rapid eye movement sleep, REM sleep)中にもノンレム(Non-REM)睡眠中にも再現されている<ref><pubmed>12495631</pubmed></ref> 。この結果から、「覚醒時に経験した情報が睡眠中に再生されている」という休息時リプレイという概念が提唱されている。レム睡眠時には覚醒時と同様に、[[脳波]]は 4-8 Hz のシータ波が優先的に振動をしており、リプレイは覚醒時とほぼ同じタイムスケールを持って観察される<ref><pubmed>11182087</pubmed></ref> 。また、睡眠中のシータ波の発生を抑えると、睡眠前の学習で獲得した記憶が減弱する<ref><pubmed>27174984</pubmed></ref> 。


 一方、ノンレム睡眠時には0-4 Hzのデルタ波が振動をしており、海馬においては鋭波と呼ばれる-100ミリ秒続く特徴的な波形に乗って100-200Hz程度のリップル波と呼ばれる振動が観察される。ノンレム睡眠時のリプレイは、リップル波に乗る形で実際のタイムスケールを数10分の1に圧縮した形で再現される<ref><pubmed>12495631</pubmed></ref> 。日々のトレーニングの後、海馬で発生するリップル波のパターンを乱すことによっても記憶の獲得レベルが低下する<ref><pubmed>19749750</pubmed></ref> 。
 一方、ノンレム睡眠時には0-4 Hzのデルタ波が振動をしており、海馬においては鋭波と呼ばれる-100ミリ秒続く特徴的な波形に乗って100-200Hz程度のリップル波と呼ばれる振動が観察される。ノンレム睡眠時のリプレイは、リップル波に乗る形で実際のタイムスケールを数10分の1に圧縮した形で再現される<ref><pubmed>12495631</pubmed></ref> 。日々のトレーニングの後、海馬で発生するリップル波のパターンを乱すことによっても記憶の獲得レベルが低下する<ref><pubmed>19749750</pubmed></ref> 。
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== 記憶の消去学習 ==
== 記憶の消去学習 ==
 固定化を経た恐怖条件付け長期記憶は、消去学習(extinction learning)により恐怖反応を抑制することができる。消去学習では、CSの提示があってもUSが来ず、そのCSが安全であることを動物が新たに学習するまで繰り返し、あるいは長時間CSに曝すことで消去を誘導する<ref><pubmed>15152039</pubmed></ref>  (図1)。この場合、記憶が消えるわけではなく、元の恐怖記憶そのものは残っているので、再び回復して恐怖反応を示すこともある。[[ヒト]]における[[心的外傷後ストレス障害]]([[post-traumatic stress disorder]], [[PTSD]])の治療では、患者が安全だと認識する状況で繰り返し恐怖体験を想起することで、想起したトラ[[ウマ]]記憶の減弱化を導く[[持続エクスポージャー療法]]が用いられているが、これは消去学習を適用したものである。