「記憶想起」の版間の差分

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(ページの作成:「英語名:Memory Retrieval、Memory reactivation 鈴木 章円(富山大学医学薬学研究部(医学)生化学講座・助教) 横瀬 淳 (富山大...」)
 
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また、[[大脳皮質]]と想起の関連性も研究されてきている。海馬依存的に形成された記憶は時間経過に伴って大脳皮質依存性に移行し保存される([[遠隔記憶]])と考えられている。このような移行メカニズムにより固定化された記憶は記憶形成後に長時間が経過しても想起することが可能となっている。しかし、想起を担う神経回路が時間とともにどう変化するかは、ほとんど分かっていなかった。2015年、Gregory Quirkらのグループは聴覚性恐怖条件づけ学習課題を用いて、恐怖記憶を形成させ、一定期間経過後にラットの背側視床正中核(Dorsal midline thalamus)に[[GABA]]-A受容体のアゴニストであるムシモールを注入することで背側視床正中核の活動を抑制し、想起と背側視床正中核の関連性を検討した。その結果、学習後短い時間(30分、6時間)ではラットは恐怖記憶を想起でき、背側視床正中核を必要としないが、学習から長い時間(24時間、7、28日)が経過した後ではラットは恐怖記憶を想起できず、長時間経過後の想起には、背側視床正中核が必要であることが明らかになった。同様に、背側視床正中核の一部である視床[[室傍核]](Paraventricular nucleus of the thalamus)では、長時間経過後(24時間経過後)から想起時にc-Fosの発現が増加することや、視床室傍核ニューロンの聴覚性刺激(音)に対する条件反応が増大したことを発見し、記憶後の経過時間と共に視床室傍核が恐怖記憶の想起に関わっていくことを示した。視床室傍核には大脳皮質の一部である前辺縁皮質(Prelimbic cortex)から高密度にニューロンが投射しており、学習から長時間経過後に記憶を想起すると、視床室傍核に投射する前辺縁皮質ニューロンが活性化した。[[光遺伝学]]的手法を用いて、これらの[[投射ニューロン]]を抑制すると長時間経過後の記憶想起が阻害されるが、短時間経過後の想起は阻害されない。これとは対照的に、前辺縁皮質から扁桃体基底外側部への入力を光遺伝学的に抑制すると短時間経過後の記憶想起が阻害されるが、長時間経過後の想起は阻害されないことから、記憶想起を司る神経回路が時間に応じて変化することが明らかになった[5]。
また、[[大脳皮質]]と想起の関連性も研究されてきている。海馬依存的に形成された記憶は時間経過に伴って大脳皮質依存性に移行し保存される([[遠隔記憶]])と考えられている。このような移行メカニズムにより固定化された記憶は記憶形成後に長時間が経過しても想起することが可能となっている。しかし、想起を担う神経回路が時間とともにどう変化するかは、ほとんど分かっていなかった。2015年、Gregory Quirkらのグループは聴覚性恐怖条件づけ学習課題を用いて、恐怖記憶を形成させ、一定期間経過後にラットの背側視床正中核(Dorsal midline thalamus)に[[GABA]]-A受容体のアゴニストであるムシモールを注入することで背側視床正中核の活動を抑制し、想起と背側視床正中核の関連性を検討した。その結果、学習後短い時間(30分、6時間)ではラットは恐怖記憶を想起でき、背側視床正中核を必要としないが、学習から長い時間(24時間、7、28日)が経過した後ではラットは恐怖記憶を想起できず、長時間経過後の想起には、背側視床正中核が必要であることが明らかになった。同様に、背側視床正中核の一部である視床[[室傍核]](Paraventricular nucleus of the thalamus)では、長時間経過後(24時間経過後)から想起時にc-Fosの発現が増加することや、視床室傍核ニューロンの聴覚性刺激(音)に対する条件反応が増大したことを発見し、記憶後の経過時間と共に視床室傍核が恐怖記憶の想起に関わっていくことを示した。視床室傍核には大脳皮質の一部である前辺縁皮質(Prelimbic cortex)から高密度にニューロンが投射しており、学習から長時間経過後に記憶を想起すると、視床室傍核に投射する前辺縁皮質ニューロンが活性化した。[[光遺伝学]]的手法を用いて、これらの[[投射ニューロン]]を抑制すると長時間経過後の記憶想起が阻害されるが、短時間経過後の想起は阻害されない。これとは対照的に、前辺縁皮質から扁桃体基底外側部への入力を光遺伝学的に抑制すると短時間経過後の記憶想起が阻害されるが、長時間経過後の想起は阻害されないことから、記憶想起を司る神経回路が時間に応じて変化することが明らかになった[5]。
大脳皮質は主に6層から構成されており、各層は等質な層構造ではなく、それぞれ異なる細胞種構成や層内・層間の異なるサブネットワークを形成している。各層へ連続的に情報が伝達されることで、より複雑な情報が処理されるというモデルが提唱されてきた。つまり各層ごとに役割が異なることが示唆されているが、手法的な限界により想起に対する役割は解析されていなかった。このような状況の中、2016年に宮下保司らのグループは微小電極記録法、核磁気共鳴画像法(MRI)と組織[[切片]]法を組み合わせた手法を開発し、手がかりとなる図形からペアを組む図形を記憶から想起して選択するように訓練された[[マカクザル]]を用いて大脳皮質の各層から神経細胞の活動を記録し、想起に対する各層構造の関連を解析した。その結果、側頭葉の[[36野]]と呼ばれる領域内の、第2層~4層の神経細胞は手がかりとなる図形の情報を保持しており、一方、第5層・6層の神経細胞は想起させる図形の情報を処理していた。このことから、記憶の想起は第5・6層において主に行われていることが明らかとなり、記憶を想起する際に、側頭葉における各層が異なる情報処理機能を担っていることが明らかとなった[6]。
大脳皮質は主に6層から構成されており、各層は等質な層構造ではなく、それぞれ異なる細胞種構成や層内・層間の異なるサブネットワークを形成している。各層へ連続的に情報が伝達されることで、より複雑な情報が処理されるというモデルが提唱されてきた。つまり各層ごとに役割が異なることが示唆されているが、手法的な限界により想起に対する役割は解析されていなかった。このような状況の中、2016年に宮下保司らのグループは微小電極記録法、核磁気共鳴画像法(MRI)と組織[[切片]]法を組み合わせた手法を開発し、手がかりとなる図形からペアを組む図形を記憶から想起して選択するように訓練された[[マカクザル]]を用いて大脳皮質の各層から神経細胞の活動を記録し、想起に対する各層構造の関連を解析した。その結果、側頭葉の[[36野]]と呼ばれる領域内の、第2層~4層の神経細胞は手がかりとなる図形の情報を保持しており、一方、第5層・6層の神経細胞は想起させる図形の情報を処理していた。このことから、記憶の想起は第5・6層において主に行われていることが明らかとなり、記憶を想起する際に、側頭葉における各層が異なる情報処理機能を担っていることが明らかとなった[6]。
== 記憶想起によって誘起されるプロセス ==
記憶再固定化;Memory Reconsolidation
脳内に保存された記憶(固定化された記憶)が想起された後に、その記憶を再び固定し、脳内に再保存するプロセスのことを指す。2000年にKarim Naderらは、聴覚性恐怖条件づけ学習課題を用いて、ラットに恐怖記憶を憶えさせた。その後、聴覚刺激の再暴露により恐怖記憶を想起させ、その直後にタンパク質合成を阻害する薬剤を扁桃体に注入すると、恐怖記憶が消失することを示した[7]。この結果から、固定化(安定化)された記憶においても、その記憶は想起されると、一度不安定な状態となり(不安定化:Destabilization)、脳内に安定した状態で再保存されるには、「再固定化 (Reconsolidation)」が必要であると提唱した(図1)。また、これまでに固定化と再固定には共にタンパク質合成を伴う事や、転写調節因子CREBが関わること[8]が示され、一方で固定化のプロセスにはBDNFが、再固定化のプロセスにはzif268がそれぞれ関わる[9]などが明らかとなり、再固定化は固定化と類似したプロセスではあるが、分子メカニズムは一部異なることが示唆されている。
再固定化の主な役割として、元の記憶をそのまま維持し脳内に保存すること(Maintenance)や元の記憶をより強化すること(Enhancement)が挙げられる。また、一度固定化された記憶を別の新たな記憶と統合させたり、修正し記憶をアップデートしたりするためであるとも考えられている。なお、想起に伴い常に再固定化が誘導されるわけではなく、記憶の古さや強さなどにより再固定化プロセスに入るか否かは影響を受ける[10], [11]。
== 記憶不安定化 ==
Karim Naderらによる再固定化の発見当時、不安定化とは、想起後に誘導される再固定化が抑制されると、元の恐怖記憶が消失することから、想起された記憶は一度、不安定な状態になるはずであるという考えから産まれた概念に過ぎなかった。しかしながら、現在では不安定化の誘導にはタンパク質分解が関与すること[12]や、L型電位依存性カルシウムチャネル(LVGCCs)とカナビノイド受容体(CB1) の活性化が記憶不安定化に必要であること[13]が明らとなり、不安定化は概念上のものではなく、固定化や再固定化と同様に分子機構を有するプロセスであると考えられている。
== 消去学習 ==
 消去学習とは、恐怖条件付けにより恐怖反応を誘発するようになった動物に対し、条件刺激(CS;チャンバー、音、臭いなど)を繰返し与える、もしくは長時間再曝露することにより条件付けされた恐怖反応の表出(すくみ反応など)が減弱する現象を指す。重要なのは、恐怖記憶自体が消去されるのではなく、恐怖体験と恐怖条件付けに用いた条件刺激とのあいだに関連性がないことを改めて新規に学習するプロセスということである。つまり消去学習とは、想起した記憶とは相反する記憶を形成するプロセスであり、再固定化阻害によって引き起こされる恐怖記憶の消失とは異なり、消去学習後も、元の恐怖記憶自体は脳内に保存されているが、消去学習によって抑制されている状態となっている。したがって、消去学習により抑制された恐怖反応は、他の感覚刺激などが引き金となり再び回復し得ることが知られている。これまでに観察されている恐怖反応が回復する現象として、次のことが報告されている[14],[15](図3)。
 Reinstatement(復元): 消去学習成立後に、通常では恐怖条件付けが成立しないような弱い嫌悪刺激(無条件刺激(US)の再提示など)を与えることで、条件付け刺激(CS‐US pairing)誘発性恐怖反応が再び現れる。
 Renewal(更新): 消去学習成立後に再度CSを提示すると、その後のCS提示に対して恐怖反応が再生される。
 Spontaneous recovery(自発的回復): 消去学習成立後に1 ヵ月程度の期間をおいて再びCSのみを与えると、元の高いレベルの恐怖反応が現れる。
 消去学習には前頭前野(Prefrontal cortex)と扁桃体(Amygdala)が深く関与する[16]。
 恐怖条件付け学習、消去学習、消去学習後の想起時において扁桃体基底外側核(BLA)領域から単一細胞記録により、条件付け刺激(CS)に対して示す神経発火パターンの解析から、すくみ反応が高い時に発火頻度が上昇する細胞(恐怖細胞;Fear neuron)と消去学習を経験してすくみ反応が低下した際に発火頻度が増加する細胞(消去細胞;Extinction neuron)が検出されており、恐怖反応と消去反応はそれぞれ異なる細胞が担っていることが示唆されている[17]。恐怖細胞は腹側海馬からの弱い入力を受け、前頭前野の一領域である前辺縁皮質(PL)に投射している。一方、消去細胞は外辺縁皮質(IL)との間に双方向性の投射を持っている。また、消去学習後のテスト時に、PLに投射するBLAニューロンを光抑制すると消去学習が促進する一方で、ILに投射するBLAニューロンを光抑制すると恐怖反応は促進する[18]。このように、BLAを基点とした前頭前野との接続により恐怖反応は正負に制御されている[15],[17]。