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身体図式
身体図式 (英:Body schema, 類義語:Body image)
 
要約
じぶんが今椅子に座っていること、また、右足を左足の上に組んでいることをひとは観察によることなく直接知っている。あるいは、暗闇であってもじぶんが蚊に刺されれば、即座にその身体箇所に手のひらを持っていくことができる。このような場面で働いている身体に関わる潜在的な知覚の枠組みのことを、身体図式という(Head and Holmes, 1911, 1912)。
 
身体図式とは
身体図式という術語は、心理学、神経科学、哲学、ロボティクスで広く用いられ、心や意識の身体性、感覚運動統合を論じる上で重要な概念である。一方で異分野間、研究者間で身体図式の確立した定義について合意が得られていない。これまでのところ、身体図式には次のような特徴があると言われている。身体図式は、 1)再帰的な意識、自覚を必要としない。身体運動を意識下で調整している主体である。したがって、ひとが身体図式に対して顕在的な知識を持っているとは限らない。2)サル、ヒトの脳に共通して、大脳皮質の頭頂葉連合野および運動前野が身体図式に関わっている。ヒトでは特に頭頂連合野の損傷によって、身体図式の障害が起こる。3)身体図式は変容する(可塑性を持つ)。日常的には、ある道具の使用に熟達すると、私たちは道具を持っている手そのものではなく「道具の先端」で対象を感じがちである。 身体図式は感覚運動学習の結果、あるいは実験的に作り出された錯覚によって、一時的に変容させることもできる。
 
身体に関わる意識
意識下で作動する身体図式は、身体イメージとは区別される (body image)。身体イメージとは、「私は、身長170cmで、瘦せ型である。大きな耳を持っている。」というような顕在的な自己身体に関する知識を指す(Gallagher, Tanaka)。自己概念としての身体と区別して、潜在的な身体図式の存在を主張する根拠とされてきた現象が、幻影肢である。幻影肢とは、戦場での負傷や交通事故などによって、四肢を切断する手術を受けたひとが、既に存在しないはずの手足の末端に痛み(幻肢痛)やかゆみを感じる現象を指す。幻影肢は、特に手足の切断手術の場合は90%以上という高い頻度で出現するが、 四肢に限らず、顔面、乳房、耳、内蔵など身体のどの部分でも生じ、時間の経過とともにほぼ消失すると言われている。
 
田中は現象学的な観点から幻影肢と身体図式の関係について、次のように述べている。
「(幻影肢)このような現象に即して忠実に考える限り、我々は以下のような条件を満たすものとして身体図式の存在を想定せざるを得ない。第一に、既に失われた部位の知覚が生じているのだから、欠損した部位からは相対的に独立した機能であること。第二に、通常の状態では意識されず、四肢が欠如したことによって初めて意識されるような潜在的な機能であるあること。第三に、時間の経過ともに消失するような可変的な性質を持つこと。第四に、四肢のすべと関連し、それを全体として統合する機能を持つこと。それゆえ、四肢のどれかが切断されても、全体としての身体図式は、従来のまま働き続けることができる。
 
身体が単なる物でもなく、また純粋な意識でもないことを示しているのが幻影肢という現象であり、意識と身体の結び目として機能しているものこそ身体図式である。」
 
 
 
 
身体図式の障害と神経心理学的症状
頭頂葉の損傷が身体の感覚や認識を障害することは神経心理学的研究によって明らかにされてきた。身体図式の障害について、Wolpertら(1998)は、左上頭頂小葉の損傷で、右上・下肢の身体位置感覚が閉眼によって失われるという症例を報告している。この症例は、身体図式が体性感覚と視覚情報の統合を必要とし、頭頂連合野が強く関わっていることを示した。
また右頭頂葉の損傷では、自分の左半分の空間を認識しない左半側空間無視の症状が観察される(XXXX, xxxx)。自己の左半身の身体の存在を意識しなくなるという意味で、 半側身体失認を伴う場合がある。患者はしばしば、顔の左半分の化粧をしなかったり、服を着ても左半分をきちんと着れなかったりする。この他にも頭頂葉の損傷は、身体図式と身体イメージを含めた広義の身体意識に関わる症状を引き起こすことが報告されている(例えば、病体失認、身体失認、身体部位失認)。
 
マカクサルの大脳皮質を用いた電気生理学的知見
Sakataらは、サル頭頂葉5野から、上肢関節と皮膚の特定の組み合わせで決まる姿勢に選択的に反応するニューロンを記録した。たとえば、あるニューロンは両手を胸の前であわせる「合掌」の姿勢に選択的に反応した。こうしたニューロンは、身体部位の位置の変化を検出し、身体図式の更新に関わると考えられている。
 
また、サル頭頂葉の5野と7野の境界からは、体性感覚情報だけで決まる姿勢に加えて、体性感覚と視覚情報の両方を統合するニューロンを記録した。たとえば、この種のニューロンは、肩内旋と肘屈曲という関節の組み合わせ、すなわち、 サルが手を口に近づける動作に選択的に反応し、遂行中の動作を多関節の組み合わせで識別していると考えられている。さらに、この種のニューロンでは、サルを閉眼させ上述の動作をサルに遂行させる場合よりも、開眼させ視覚情報を伴って動作させる場合の方が強く発火した(Tanaka et al., 2004)。すなわち、視覚と体性感覚情報の両方を統合し、三次元空間における身体部位の位置を知覚する機能と考えられている。こうしたニューロンを、視覚と体制感覚を統合する多種(異種)感覚ニューロンと呼ぶ。
 
自分を取り巻く三次元空間は無限に広がっているように見えても、実際は、自分の手の届く範囲の空間が生存のためにもっとも重要である。頭頂連合野のVIP野および腹側運動前野のF4野の多種感覚ニューロンは、自分の身体の上肢、頭部の皮膚が触れられた時に反応し、また同じ身体部位の近接空間に視覚刺激を提示したときにも反応する。この時、視覚刺激はサルの皮膚表面に沿って動く刺激、あるいは接近させる刺激が有効なことから、身体図式が関わるもう一つの機能として、自分の手の届く範囲の空間(身体近接空間、ペリパーソナルスペース, peri-personal space)に侵入してくる物体と身体の関係を知覚し、その物体と身体の衝突を回避する防衛的機能が提唱されている。これらの領域では、身体近接空間の視覚と体性感覚刺激の両方に反応するニューロンに加えて、聴覚刺激に同時に反応するニューロンも記録される。異種感覚を統合するニューロンは、上側頭溝の尾側部(Hikosaka, XXXX)や被殻(Graziano, XXXX)、上丘(Graziano, XXXX)からも記録されている。
 
錯覚による身体図式の変容
身体図式は人工的に変容させることができる。たとえば、 手首の伸展筋の腱に振動刺激を与えると、実際は手首は動いていなく、自ら動かそうと意図しないにもかかわらず、自分の手が動いているかのような屈曲運動錯覚が起こる(Hagrua et al., 2007, Nito et al., 1999))。振動刺激を与え続けるとやがて閉眼被験者は、関節が物理的に不可能な位置まで到達したと感じるという 。この錯覚では、背側運動前野や一次運動野の活動が被験者が経験した錯覚の強度と正の相関を示すことが分かっている。さらに これらの部位の損傷は、逆に、この運動錯覚を有意に減弱させる(Naito et al., 2007)。
 錯覚による身体図式の一時的変容は、単一の身体部位に限らない。ピノッキオ錯覚と呼ばれる錯覚では、閉眼被験者が腕の二頭筋に振動刺激を与えられながら、自分の鼻に触ると自分の鼻がのびていくように感じるという(Lackner JR, 1999)。また、胴体縮小錯覚は、両手首の伸展筋に振動刺激を与えながら、自分の胴体部を触ると自分の胴体が縮小したように感じる。この時、頭頂連合野2,5野に活動が観られる(Eharsson et al, 2005)。
道具使用による身体図式の拡張
習慣的な身体の運動を身につけようとする過程で、身体図式は組み替え更新され、拡張される。身体図式の可塑性を示す証拠として注目されてきたのが、道具使用である。Iriki et al. (1996)は、ニホンザルを用いた実験で、道具の使用が身体図式を拡張する契機になることを示した。ニホンザルに道具を使わせた時、頭頂連合野の視覚と体性感覚の多種感覚ニューロンの活動がどう変わるかを見るために、ニホンザルに熊手の形をした棒を持たせて、手の届かないところにあるエサを手元に引き寄せとらせる訓練をした。Irikiらは、例えば、サルの手のひらに触覚受容野があり、同時にその手近傍に入ってくる視覚刺激にも反応する多感覚ニューロンの活動を記録した。視覚受容野は、サルが道具を使用する前では手のひら周辺の空間にあったが、熊手を使った後では、熊手の先端まで拡張し、道具使用を終えると数分して元の大きさに戻った。以上の結果は、道具使用によって熊手の先に手の身体図式が更新され、拡張した生理学的な証拠を示した。
 
 
Farne and Ladavas (2000)は、 頭頂葉損傷患者における道具使用後の感覚受容野の変化を調べた。両手に同時に刺激を提示した場合、正常なら両方が認識されるが、 右頭頂葉に損傷がある患者では、脳損傷とは反対側、つまり左手に加えられた刺激が知覚されない症状を呈する。これを消去現象 (extinction) という。消去は視覚と触覚の異種感覚間をでも起こり、頭領連合野が視覚と体性感覚の異なる感覚入力を統合していることを示す。この現象についてさらに興味深いのは、視覚刺激に対する消去現象のインパクトは身体近接空間で強まることが知られている点である。すなわち、身体から5cm程度の距離に視覚刺激を提示すると、患者が刺激を無視する割合が高まる。Farneらは多種感覚の消去症状を呈する患者に、38cmの熊手を右手に持ってもらい、その熊手の先に視覚刺激を提示した。この条件では、左手への触覚刺激を検出できた確率は69%だった。ところが、しばらく熊手を使って物体をとる課題を遂行した後では、この確率が53%に下がった。つまり、熊手使用後には、視覚受容野が拡張した結果、触覚刺激に対する検出力が下がる(消去の影響が強まる)ことが分かった。
 
応用
幻影肢の神経リハビリテーション
Ramachandranは鏡を使って幻影肢が人工的に視覚フィードバックを与えることでに制御可能だと示した(Ramachandran, )。幻影肢が不随意に動く感覚を訴える患者に対して、鏡の中に見える健常肢の鏡像と実際の幻影肢の空間的な位置を合わせ、幻影肢(健常肢の鏡像)が静止している映像を患者に観察させた。患者が上肢が静止している視覚フィードバックを獲得することによって、動く幻影肢の症状が軽減した。この結果は、幻影肢が体性感覚だけの体験ではなくて、幻影肢の生起にもともと視覚が関与していた可能性を示したことに加えて、身体図式の可塑性を利用することで幻影肢が解消できることを示した。一方、幻影肢を随意的に動かすことができる患者は、それができない患者と比較して幻肢痛を経験する割合が低いという。住谷らは幻肢痛に訴える患者に、鏡を用いて幻影肢の随意運動を獲得させる訓練を行った。その結果、有意に幻肢痛を軽減することを明らかにし、幻影痛に対する鏡療法の有効性を示した(Sumitani et al., 2008)。
 
 
ロボティクスにおける身体図式
ヒトを含め動物は、様々な新しい環境に迅速にかつ柔軟に適応できる。このとき、頭頂連合野が担う自己の身体とをそれを取り巻く三次元空間情報を知覚する機能、腹側運動前野が担う状況に適合した行動のレパートリーを選択する機能が重要な役割を果たしている。
しかし、身体図式に限ってみても、脳はどのように自己身体のモデルを獲得し、それを柔軟に変容するのか、どのような計算が必要なのか未だ明確に分かっていない部分が多い。身体性に関わる認知機能やその発達に必要な条件を探索するために、ロボットを仮説検証のモデルとして利用するアプローチを認知発達ロボティクス、あるいは、発達構成論的アプローチという(Hoffman et al., 2010)。たとえば、胎児の神経系を直接調べ、身体図式の発達過程を知ることは倫理的にできない。そこでKuniyoshi and Sangawa (2006)は、胎児の全身筋骨格系を模した計算機シミュレーションモデルを作成した。胎児の身体モデルは実際の胎児の物理的特徴(身体部位の大きさ、重量、関節角度など)に、神経モデルは運動制御の生理学的知見(筋紡錘からの救心性感覚繊維、脳幹セントラルパターンジェネレーター、一次運動野、一次体性感覚野)に基づいて構成された。シミュレーション上で、子宮内の環境および胎児の身体と神経モデルを相互作用させた結果、事前に明示的な制御を行っていないにもかかわらず、、実際の胎児が子宮内で見せるような(自己組織化された)身体運動と、 下肢、上肢、体幹、首を区別する体部位局在マップが形成されることが分かった。これは子宮内の環境と身体形状や筋配置等の身体的な制約が身体図式の発達を導いている可能性を示唆した。Hikita et al.(1996)は、ロボットが身体図式の基盤と考えられる多種感覚統合マップを獲得するモデルを提案した。このモデルでは、体性感覚情報を処理するロボットの上肢の位置情報のマップと、視覚に関しては、ボトムアップ注意機構のモデルを援用したSaliency Mapがある。ロボットが物体に触れ触覚情報が入力された時に、Hebb学習によって視覚と体性感覚情報を統合する。このとき生成される統合マップが視覚と体性感覚を統合した多種感覚受容野の機能を持つと想定されている。このモデルによってロボットは、手を用いてターゲットに触れる場合に手先周辺に多種感覚受容野の統合マップが形成されたことに加えて、道具を用いてターゲットに触れる場合では、道具の先端に統合マップが拡張した。
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