「軸索再生」の版間の差分

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== 中枢神経系における軸索再生  ==
== 中枢神経系における軸索再生  ==


 ヒトを含む成体哺乳類の神経軸索が、外傷などにより切断された場合、末梢神経では損傷部を超えた軸索の再生が認められるのに対し、中枢神経では軸索の再生は難しいと考えられてきた。この原因として、中枢神経系の損傷部の環境が再生に適していないという外的要因と、中枢神経細胞自体の軸索伸長能が弱いという内的要因の二点があげられる。
 ヒトを含む成体[[wikipedia:JA:哺乳類|哺乳類]]の神経軸索が、外傷などにより切断された場合、末梢神経では損傷部を超えた軸索の再生が認められるのに対し、中枢神経では軸索の再生は難しいと考えられてきた。この原因として、中枢神経系の損傷部の環境が再生に適していないという外的要因と、中枢神経細胞自体の軸索伸長能が弱いという内的要因の二点があげられる。


=== 再生を困難にする外的要因  ===
=== 再生を困難にする外的要因  ===


 哺乳類の中枢神経系には、軸索再生を抑止する機構が神経細胞を取り巻く周囲の細胞に存在すると考えられている。1920年代にRamon y Cajalは、末梢神経である後根神経の軸索を切断し、その後の軸索再生を観察した。再生しかけた後根神経の軸索は、脊髄の中には侵入することがなかった。1980年代には、DavidとAguayoが、脊髄損傷後の欠損部に末梢神経の周囲組織を移植し、この移植片内に軸索が再生することを観察した。以上の研究から、中枢神経の周囲の環境が、軸索の再生に適していないと考えられている。中枢神経細胞の再生を困難にさせる外的要因として、1) [[軸索再生阻害因子]]、2) [[グリア瘢痕]]の形成、3) 炎症反応などが存在する。
 哺乳類の中枢神経系には、軸索再生を抑止する機構が神経細胞を取り巻く周囲の細胞に存在すると考えられている。1920年代に[[wikipedia:Santiago Ramon y Cajal|Santiago Ramón y Cajal]]は、末梢神経である後根神経の軸索を切断し、その後の軸索再生を観察した。再生しかけた後根神経の軸索は、脊髄の中には侵入することがなかった。1980年代には、DavidとAguayoが、脊髄損傷後の欠損部に末梢神経の周囲組織を移植し、この移植片内に軸索が再生することを観察した。以上の研究から、中枢神経の周囲の環境が、軸索の再生に適していないと考えられている。中枢神経細胞の再生を困難にさせる外的要因として、1) [[軸索再生阻害因子]]、2) [[グリア瘢痕]]の形成、3) [[wikipedia:JA:炎症|炎症]]反応などが存在する。


==== 軸索再生阻害因子 ====
==== 軸索再生阻害因子 ====
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[[Image:2. 軸索再生阻害のシグナル伝達機構.png|RTENOTITLE|right|300px]]
[[Image:2. 軸索再生阻害のシグナル伝達機構.png|RTENOTITLE|right|300px]]


 中枢神経軸索は、[[オリゴデンドロサイト]]の細胞膜表面のリン脂質からなるミエリンにより覆われている。軸索が損傷された後にも、ミエリンはdebrisとして残存し、この中には、複数の軸索再生阻害因子が含まれることが報告されている。中でも、[[myelin associated glycoprotein]] (MAG), [[Nogo]], [[oligodendrocyte myelin glycoprotein]] (OMgp)についての研究が進んでいる。
 中枢神経軸索は、[[オリゴデンドロサイト]]の細胞膜表面の[[wikipedia:JA:リン脂質|リン脂質]]からなるミエリンにより覆われている。軸索が損傷された後にも、ミエリンはdebrisとして残存し、この中には、複数の軸索再生阻害因子が含まれることが報告されている。中でも、[[myelin associated glycoprotein]] (MAG), [[Nogo]], [[oligodendrocyte myelin glycoprotein]] (OMgp)についての研究が進んでいる。


 MAGは、1回膜貫通型の糖タンパク質であり、免疫グロブリン様ドメインを有する。Nogoは、2回膜貫通構造を持ち、スプライシングにより長さの異なる3種のタンパク質として発現する。このうち、最も長いNogo-Aには再生阻害作用を有する2つのドメインがある。N末端側のamino-Nogoと、疎水性領域に挟まれる66個のアミノ酸配列からなるペプチド配列Nogo-66である。OMgpは、GPIアンカー型のタンパク質で、セリンスレオニンリッチドメインとロイシンリッチリピートを有する (図1)。
 MAGは、1回膜貫通型の糖タンパク質であり、[[wikipedia:JA:免疫グロブリン|免疫グロブリン]]様ドメインを有する。Nogoは、2回膜貫通構造を持ち、スプライシングにより長さの異なる3種のタンパク質として発現する。このうち、最も長いNogo-Aには再生阻害作用を有する2つのドメインがある。N末端側のamino-Nogoと、疎水性領域に挟まれる66個のアミノ酸配列からなるペプチド配列Nogo-66である。OMgpは、[[wikipedia:JA:GPIアンカー|GPIアンカー]]型のタンパク質で、セリンスレオニンリッチドメインとロイシンリッチリピートを有する (図1)。


 このように、これらの因子は全て構造が異なるにもかかわらず、[[Nogo受容体]] (NgR)、[[PIR-B]]といった共通の受容体を介して軸索再生阻害シグナルを伝える。NgRは[[細胞内ドメイン]]を持たないGPIアンカー型タンパク質である。従って、NgR単独では細胞内にシグナルを伝えることは不可能で、[[神経栄養因子]]の[[受容体]]として知られる[[p75]]と共受容体を形成し、ミエリン由来軸索再生阻害因子のシグナルを細胞内に伝達することが報告されている。p75はこれらの軸索再生阻害因子の存在下で、[[低分子量Gタンパク質]]である[[RhoA]]を活性化することで軸索伸展を阻害する。
 このように、これらの因子は全て構造が異なるにもかかわらず、[[Nogo受容体]] (NgR)、[[PIR-B]]といった共通の受容体を介して軸索再生阻害シグナルを伝える。NgRは[[細胞内ドメイン]]を持たないGPIアンカー型タンパク質である。従って、NgR単独では細胞内にシグナルを伝えることは不可能で、[[神経栄養因子]]の[[受容体]]として知られる[[p75]]と共受容体を形成し、ミエリン由来軸索再生阻害因子のシグナルを細胞内に伝達することが報告されている。p75はこれらの軸索再生阻害因子の存在下で、[[低分子量Gタンパク質]]である[[RhoA]]を活性化することで軸索伸展を阻害する。
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==== グリア瘢痕 ====
==== グリア瘢痕 ====


 損傷を受けた中枢神経系では、損傷周囲部に反応性[[アストロサイト]]が集積し、グリア瘢痕と呼ばれる高密度の瘢痕組織を形成する。これは、軸索再生を妨げる物理的な障害となり得る。また、グリア瘢痕に集まる細胞から産生される因子は、化学的に軸索の再生を妨げる。損傷部位に集積する反応性アストロサイトは、軸索伸長を阻害する[[コンドロイチン硫酸プロテオグリカン]] (chondroitin sulphate proteoglycans: CSPGs)を産生する。CSPGsは長大な糖鎖である[[硫酸グリコサミノグリカン]]とコアタンパク質からなる分子で、[[aggrecan]]、[[brevican]]、[[neurocan]]、[[versican]]、[[phosphacan]]、[[NG2]]などが知られており、軸索伸長阻害作用を示す。脊髄損傷後、CSPGsのコアタンパク質からグリコサミノグリカンを除去する[[コンドロイチナーゼABC]]を投与すると、CSPGsが分解され、[[感覚神経]]線維と[[運動神経]]繊維の再生および、[[運動機能]]、[[固有感覚]]の回復が認められた。CSPGsは[[epidermal growth factor]] (EGF)受容体を介して軸索伸長阻害作用を示すことが示唆されている。脊髄損傷モデル動物に対して、EGF受容体の阻害剤を投与すると、[[縫線核]]脊髄路の[[セロトニン]]作動性神経繊維の再生、及び運動機能、膀胱機能の回復が認められた。他にも、瘢痕組織の線維芽細胞からは、再生反応を阻害するSemaphorin3Aが産生されることが知られている (上記1)参照)。
 損傷を受けた中枢神経系では、損傷周囲部に反応性[[アストロサイト]]が集積し、グリア瘢痕と呼ばれる高密度の瘢痕組織を形成する。これは、軸索再生を妨げる物理的な障害となり得る。また、グリア瘢痕に集まる細胞から産生される因子は、化学的に軸索の再生を妨げる。損傷部位に集積する反応性アストロサイトは、軸索伸長を阻害する[[コンドロイチン硫酸プロテオグリカン]] (chondroitin sulphate proteoglycans: CSPGs)を産生する。CSPGsは長大な糖鎖である[[硫酸グリコサミノグリカン]]とコアタンパク質からなる分子で、[[aggrecan]]、[[brevican]]、[[neurocan]]、[[versican]]、[[phosphacan]]、[[NG2]]などが知られており、軸索伸長阻害作用を示す。脊髄損傷後、CSPGsのコアタンパク質からグリコサミノグリカンを除去する[[コンドロイチナーゼABC]]を投与すると、CSPGsが分解され、[[感覚神経]]線維と[[運動神経]]繊維の再生および、[[運動機能]]、[[固有感覚]]の回復が認められた。CSPGsは[[epidermal growth factor]] (EGF)受容体を介して軸索伸長阻害作用を示すことが示唆されている。脊髄損傷モデル動物に対して、EGF受容体の阻害剤を投与すると、[[縫線核]]脊髄路の[[セロトニン]]作動性神経繊維の再生、及び運動機能、[[wikipedia:JA:膀胱|膀胱]]機能の回復が認められた。他にも、瘢痕組織の[[wikipedia:JA:線維芽細胞|線維芽細胞]]からは、再生反応を阻害するSemaphorin3Aが産生されることが知られている (上記1)参照)。


 一方、グリア瘢痕には、損傷治癒や機能回復を促す方向に作用するという面もある。グリア瘢痕の形成により、炎症細胞の遊走や細胞の変性を局所にとどめ、損傷領域を最小限に抑えられると考えられている。また、一部のアストロサイトは、軸索再生を促すことが示唆されている。[[glial fibrillary acid protein]] (GFAP)陽性の反応性アストロサイトを除去することにより、脊髄損傷後の脱髄の悪化、神経やオリゴデンドロサイトの細胞死の増加、運動機能の悪化することが示されている。脊髄損傷後のアストロサイトの反応性を制御する因子として、[[STAT3]]が報告されている。アストロサイトのSTAT3を欠損させたマウスでは、脊髄損傷後、アストロサイトの損傷部への遊走や蓄積が抑制される。また、STAT3を負に制御する[[Socs3]]をアストロサイトで欠損させたマウスでは、脊髄損傷後の運動機能の回復が認められている <ref><pubmed> 16783372 </pubmed></ref>。  
 一方、グリア瘢痕には、損傷治癒や機能回復を促す方向に作用するという面もある。グリア瘢痕の形成により、炎症細胞の遊走や細胞の変性を局所にとどめ、損傷領域を最小限に抑えられると考えられている。また、一部のアストロサイトは、軸索再生を促すことが示唆されている。[[glial fibrillary acid protein]] (GFAP)陽性の反応性アストロサイトを除去することにより、脊髄損傷後の脱髄の悪化、神経やオリゴデンドロサイトの細胞死の増加、運動機能の悪化することが示されている。脊髄損傷後のアストロサイトの反応性を制御する因子として、[[STAT3]]が報告されている。アストロサイトのSTAT3を欠損させたマウスでは、脊髄損傷後、アストロサイトの損傷部への遊走や蓄積が抑制される。また、STAT3を負に制御する[[Socs3]]をアストロサイトで欠損させたマウスでは、脊髄損傷後の運動機能の回復が認められている <ref><pubmed> 16783372 </pubmed></ref>。  
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 通常状態では、[[血液脳関門]]の存在のため、免疫細胞を含む血液系の細胞の中枢神経系への侵入は限定されている。しかし、損傷時には血液脳関門は破壊され、免疫系細胞が中枢神経系に侵入し、炎症反応を誘導する。免疫細胞は多くの因子を産生し、神経変性を惹起する方向に働くと考えられてきた。一方で、免疫反応が中枢神経の修復に寄与するという報告もあり、中枢神経の軸索再生に対して、促進と阻害の二面性をもつ。
 通常状態では、[[血液脳関門]]の存在のため、免疫細胞を含む血液系の細胞の中枢神経系への侵入は限定されている。しかし、損傷時には血液脳関門は破壊され、免疫系細胞が中枢神経系に侵入し、炎症反応を誘導する。免疫細胞は多くの因子を産生し、神経変性を惹起する方向に働くと考えられてきた。一方で、免疫反応が中枢神経の修復に寄与するという報告もあり、中枢神経の軸索再生に対して、促進と阻害の二面性をもつ。


 脊髄損傷後の自然免疫の役割: 脊髄損傷後には、好中球、マクロファージなどが、損傷部修復のために集積するが、これらの細胞は、組織への障害性も併せ持つ。脊髄損傷後、好中球は活性化し、myeloperoxidaseやelastaseなどの傷害性因子を産生する。脊髄損傷モデル動物に、これらの因子の阻害剤を投与すると、機能的な回復が認められている。マクロファージも神経細胞やグリア細胞に対する傷害性因子を産生する。一方で、これらの細胞の活性化は損傷部位の修復にも貢献する。脊髄損傷後、リポポリサッカライド (LPS)を投与しマクロファージからのサイトカイン産生を誘導すると、損傷部の空洞化が抑制され、神経線維の側枝形成が促されることが報告されている。
 脊髄損傷後の自然免疫の役割: 脊髄損傷後には、[[wikipedia:JA:好中球|好中球]]、[[wikipedia:JA:マクロファージ|マクロファージ]]などが、損傷部修復のために集積するが、これらの細胞は、組織への障害性も併せ持つ。脊髄損傷後、好中球は活性化し、[[wikipedia:JA:ミエロペルオキシダーゼ|myeloperoxidase]]や[[wikipedia:JA:エラスターゼ|elastase]]などの傷害性因子を産生する。脊髄損傷モデル動物に、これらの因子の阻害剤を投与すると、機能的な回復が認められている。マクロファージも神経細胞やグリア細胞に対する傷害性因子を産生する。一方で、これらの細胞の活性化は損傷部位の修復にも貢献する。脊髄損傷後、[[wikipedia:JA:リポポリサッカライド|リポポリサッカライド]] (LPS)を投与しマクロファージからのサイトカイン産生を誘導すると、損傷部の空洞化が抑制され、神経線維の側枝形成が促されることが報告されている。


 脊髄損傷後の獲得免疫の役割: 獲得免疫系においては、リンパ球が主要な役割を担う。脊髄損傷後には、T細胞が中枢神経系のタンパク質に反応性を示し、活性化することが報告されている。これらのT細胞は脊髄損傷後、早期における組織障害を悪化させたり、[[神経変性]]を進行させる。一方で、[[myelin basic protein]] (MBP)に反応性を示すT細胞が、脊髄損傷後の組織修復や機能回復を促すという報告もある <ref><pubmed> 18490917 </pubmed></ref>。  
 脊髄損傷後の[[wikipedia:JA:獲得免疫|獲得免疫]]の役割: 獲得免疫系においては、[[wikipedia:JA:リンパ球|リンパ球]]が主要な役割を担う。脊髄損傷後には、[[wikipedia:JA:T細胞|T細胞]]が中枢神経系のタンパク質に反応性を示し、活性化することが報告されている。これらのT細胞は脊髄損傷後、早期における組織障害を悪化させたり、[[神経変性]]を進行させる。一方で、[[myelin basic protein]] (MBP)に反応性を示すT細胞が、脊髄損傷後の組織修復や機能回復を促すという報告もある <ref><pubmed> 18490917 </pubmed></ref>。  


=== 再生を困難にする内的要因  ===
=== 再生を困難にする内的要因  ===


 中枢神経軸索の再生能が低下する内的要因として、細胞内[[cAMP]]濃度の減少が考えられている。胎生期の神経細胞では、細胞内cAMP濃度が高いが、生後まもなく、神経細胞内のcAMP濃度が劇的に減少する。ミエリン存在下で培養した神経細胞に、細胞膜透過性のcAMPアナログであるdibutyryl cyclic AMP (db-cAMP)を処置すると、神経軸索の伸長が促される。cAMPの分解酵素[[phosphodiesterase]]の阻害剤である[[rolipram]]の投与により、cAMPの濃度上昇を誘導すると、脊髄損傷後のセロトニン作動性神経線維の再生が促され、運動機能が回復する <ref><pubmed> 15173585 </pubmed></ref>。この分子機構として、cAMP濃度上昇に伴う、転写因子[[cAMP response element binding protein]] (CREB)のリン酸化の亢進と、これに続く[[ポリアミン合成酵素]][[Arginase I]] (Arg I)の発現上昇が重要であると考えられている。
 中枢神経軸索の再生能が低下する内的要因として、細胞内[[cAMP]]濃度の減少が考えられている。胎生期の神経細胞では、細胞内cAMP濃度が高いが、生後まもなく、神経細胞内のcAMP濃度が劇的に減少する。ミエリン存在下で培養した神経細胞に、細胞膜透過性のcAMPアナログである[[wikipedia::Dibutyryl cyclic AMP|dibutyryl cyclic AMP]] (db-cAMP)を処置すると、神経軸索の伸長が促される。cAMPの分解酵素[[phosphodiesterase]]の阻害剤である[[rolipram]]の投与により、cAMPの濃度上昇を誘導すると、脊髄損傷後のセロトニン作動性神経線維の再生が促され、運動機能が回復する <ref><pubmed> 15173585 </pubmed></ref>。この分子機構として、cAMP濃度上昇に伴う、[[wikipedia:JA:転写因子|転写因子]][[cAMP response element binding protein]] (CREB)のリン酸化の亢進と、これに続く[[ポリアミン合成酵素]][[Arginase I]] (Arg I)の発現上昇が重要であると考えられている。


 神経栄養因子の投与によっても、細胞内cAMPの濃度が上昇する。神経栄養因子はcAMPの合成は誘導せず、分解を抑制する。神経栄養因子が[[Trk受容体]]に結合すると、細胞内で[[extracellular signal-regulated kinase]] (Erk)の活性化が起こり、phosphodiesteraseが阻害される。この結果、cAMPの分解が抑制されて、細胞内cAMP濃度が上昇する。Erk活性化によるPDE活性阻害とdb-cAMPは相乗的にcAMPの濃度を上昇させる。  
 神経栄養因子の投与によっても、細胞内cAMPの濃度が上昇する。神経栄養因子はcAMPの合成は誘導せず、分解を抑制する。神経栄養因子が[[Trk受容体]]に結合すると、細胞内で[[extracellular signal-regulated kinase]] (Erk)の活性化が起こり、phosphodiesteraseが阻害される。この結果、cAMPの分解が抑制されて、細胞内cAMP濃度が上昇する。Erk活性化によるPDE活性阻害とdb-cAMPは相乗的にcAMPの濃度を上昇させる。  
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# 再生した軸索は、通常の軸索のような走行を示さず、蛇行性に伸長する  
# 再生した軸索は、通常の軸索のような走行を示さず、蛇行性に伸長する  


 中枢神経の軸索再生の研究には、脊髄損傷モデルがよく使われる。完全損傷モデルの場合、全ての軸索が切断されるため、切断された脊髄の段端がはなれて、脳脊髄液で満たされた間隙ができる。また、損傷部周辺では二次的な変性がおこり、切断面をさらに遠ざけてしまう。そこで、組織へのダメージを最小限にするため、不完全損傷モデルが使用されることが多い。不完全損傷モデルには、[[腹側皮質脊髄路]]のみを残し、他の皮質脊髄路の繊維は全て切断するdorsal hemisectionモデルや、一側を完全切断して反対側を残すlateral hemisetionモデルがある。最近の研究から、成体哺乳類の中枢神経系においても、薬剤投与や遺伝子操作により、脊髄損傷モデル動物における軸索再生が誘導されることが報告されている。しかし一方で、これらの結果の再現性に疑問を投げかける研究結果も報告されている。2003年に、National Institute of Neurological Disorders and Stroke (NINDS)により、Facilities of Research Excellence – Spinal Cord Injury (FORE – SCI)というプログラムが開始され、それまでに報告されていた脊髄損傷モデル動物を用いた軸索再生研究の再評価がなされた。その結果、再現性が確認されたのは、12件中2件 (うち1件は報告されていたものよりも、弱い回復)のみであった <ref><pubmed> 22078756 </pubmed></ref>。これらの研究結果からも、中枢神経の軸索再生を実現することの難しさが伺える。
 中枢神経の軸索再生の研究には、脊髄損傷モデルがよく使われる。完全損傷モデルの場合、全ての軸索が切断されるため、切断された脊髄の段端がはなれて、脳脊髄液で満たされた間隙ができる。また、損傷部周辺では二次的な変性がおこり、切断面をさらに遠ざけてしまう。そこで、組織へのダメージを最小限にするため、不完全損傷モデルが使用されることが多い。不完全損傷モデルには、[[腹側皮質脊髄路]]のみを残し、他の皮質脊髄路の繊維は全て切断するdorsal hemisectionモデルや、一側を完全切断して反対側を残すlateral hemisetionモデルがある。最近の研究から、成体哺乳類の中枢神経系においても、薬剤投与や遺伝子操作により、脊髄損傷モデル動物における軸索再生が誘導されることが報告されている。しかし一方で、これらの結果の再現性に疑問を投げかける研究結果も報告されている。2003年に、[[wikipedia:National Institute of Neurological Disorders and Stroke|National Institute of Neurological Disorders and Stroke]] (NINDS)により、Facilities of Research Excellence – Spinal Cord Injury (FORE – SCI)というプログラムが開始され、それまでに報告されていた脊髄損傷モデル動物を用いた軸索再生研究の再評価がなされた。その結果、再現性が確認されたのは、12件中2件 (うち1件は報告されていたものよりも、弱い回復)のみであった <ref><pubmed> 22078756 </pubmed></ref>。これらの研究結果からも、中枢神経の軸索再生を実現することの難しさが伺える。




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 末梢神経は中枢神経に比べ、著明な軸索の再生が認められる。末梢神経では、細胞体が無傷であれば、軸索が切断されても再生が可能である。末梢神経系に存在するグリア細胞である[[シュワン細胞]]は、損傷の刺激で増殖・活性化し、神経再生を促す。
 末梢神経は中枢神経に比べ、著明な軸索の再生が認められる。末梢神経では、細胞体が無傷であれば、軸索が切断されても再生が可能である。末梢神経系に存在するグリア細胞である[[シュワン細胞]]は、損傷の刺激で増殖・活性化し、神経再生を促す。


 末梢神経の軸索が切断されると、損傷部位より遠位の軸索は、[[ワーラー変性]]と呼ばれる過程により断片化し、ミクログリアなどの貪食細胞により除去される。この際、シュワン細胞は柱状に配列し、Büngner’s bandと呼ばれる構造を形成する。[[Büngner’s band]]は、再生軸索の足場を確保するとともに、神経栄養因子を供給して、再生軸索の伸長を助ける。細胞体側の残存した軸索は (やや退縮するが)、[[成長円錐]]を形成し、Büngner’s bandの中を伸長する。
 末梢神経の軸索が切断されると、損傷部位より遠位の軸索は、[[ワーラー変性]]と呼ばれる過程により断片化し、ミクログリアなどの[[wikipedia:JA:貪食細胞|貪食細胞]]により除去される。この際、シュワン細胞は柱状に配列し、Büngner’s bandと呼ばれる構造を形成する。[[Büngner’s band]]は、再生軸索の足場を確保するとともに、神経栄養因子を供給して、再生軸索の伸長を助ける。細胞体側の残存した軸索は (やや退縮するが)、[[成長円錐]]を形成し、Büngner’s bandの中を伸長する。


 末梢神経の再生に関しても、cAMPの細胞内濃度の上昇が重要である。上記の通り、神経栄養因子はcAMPの分解を抑制し、細胞内cAMP濃度を上昇させる。神経栄養因子とdb-cAMPの両方の投与により、脊髄損傷後の感覚神経軸索の再生が促される。損傷前に感覚神経の細胞体が存在する脊髄後根神経節にdb-cAMPを投与しておき、損傷後に神経栄養因子[[neurotrophin-3]] (NT-3)の投与を行うと、損傷1-3ヶ月後に損傷領域を超えて感覚神経の再生が認められる。損傷領域を超えての軸索再生はdb-cAMP、NT-3それぞれ単独投与では認められないことから、脊髄損傷後の軸索再生に必要な細胞内cAMP濃度上昇を促すためには、cAMPの投与と分解の抑制の両方が必要である <ref><pubmed> 12086637 </pubmed></ref>, <ref><pubmed> 12086638 </pubmed></ref>。
 末梢神経の再生に関しても、cAMPの細胞内濃度の上昇が重要である。上記の通り、神経栄養因子はcAMPの分解を抑制し、細胞内cAMP濃度を上昇させる。神経栄養因子とdb-cAMPの両方の投与により、脊髄損傷後の感覚神経軸索の再生が促される。損傷前に感覚神経の細胞体が存在する脊髄後根神経節にdb-cAMPを投与しておき、損傷後に神経栄養因子[[neurotrophin-3]] (NT-3)の投与を行うと、損傷1-3ヶ月後に損傷領域を超えて感覚神経の再生が認められる。損傷領域を超えての軸索再生はdb-cAMP、NT-3それぞれ単独投与では認められないことから、脊髄損傷後の軸索再生に必要な細胞内cAMP濃度上昇を促すためには、cAMPの投与と分解の抑制の両方が必要である <ref><pubmed> 12086637 </pubmed></ref>, <ref><pubmed> 12086638 </pubmed></ref>。