運動視

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熊野 弘紀
大阪大学大学院生命機能研究科ダイナミックブレインネットワーク研究室
宇賀 貴紀
順天堂大学医学部生理学第一講座
DOI:10.14931/bsd.4068 原稿受付日:2016年2月24日 原稿完成日:2016年月日
担当編集委員:藤田 一郎(大阪大学 大学院生命機能研究科)

 外界で動いている物体の運動方向や速さを知覚する視覚機能を運動視という。初期視覚野にある運動検出器は、前額平行面上における局所空間の運動方向や速さの成分を検出し、高次視覚野で局所成分が様々な形で統合されることで大域的な運動検出が可能となる。特に、初期視覚野の運動検出器では特定の方位に垂直な局所運動成分のみ検出されるため、窓問題にさらされるが、高次視覚野では複数の方位の成分を統合することで窓問題が解かれている。この計算で検出できるのは剛体の並進運動のみであり、それ以外の運動がどのように捉えられているかは未解明である。物体の動き以外に、自身の動きによっても網膜上で動き(オプティックフロー)が生じる。さらに、物体運動は奥行きや物体形状、素材の識別などの手がかりにもなりうる。運動視の研究は、運動視の神経メカニズムのみならず、知覚判断の分野においても重要な知見をもたらした。

運動視研究に用いられる視覚刺激

 従来、運動視の研究ではサイン波状の縞模様(sine-wave grating)刺激が用いられてきた。これは方位や時空間周波数成分が制限された刺激(narrow-band stimuli)を用いることで、特定のニューロンが反応する方位や時空間周波数を同定するには有利であり、初期視覚野における運動検出器の同定や神経回路メカニズムの解明に役立ってきた。一方、高次視覚野では、複数の方位や時空間周波数成分を含むランダムドットなどの広帯域刺激(broad-band stimuli)が用いられる傾向にある。

 輝度の変化で定義できる運動を一次運動(first-order motion)と呼ぶ。平均輝度では定義できないが、輝度の組み合わせ(例えばコントラスト)で定義できる運動を二次運動(second-order motion)と呼ぶ。運動残効(motion aftereffect)や脳機能イメージング研究から、これらの処理は異なる脳部位で行われていることが判明している[1] [2]

運動視の神経経路

 視覚情報は、網膜神経節細胞の時点で時空間周波数表現に変換される。物体の動きは、神経節細胞から主に外側膝状体の大細胞層(magnocellular layer:M層)を介して伝達される情報を基に計算される[3]。最初に、最適時空間周波数は同じであるが、位相が異なる細胞同士の情報を統合することで、局所の運動方向や速さの成分を検出する運動検出器が一次視覚野(V1)で出来上がると考えられている[4]。その後、動きの情報は主にMT野やMST野などの大脳皮質背側視覚経路(空間視経路)で処理される[3]が、動きの速さの表現は腹側視覚経路(物体視経路)にも存在する[5]。運動視は主にV1の4B層からMT野への直接投射が担うと考えられている[6]。実際、MT野に投射するV1ニューロンは運動方向に対して選択的に反応する[7]

MT・MST野

 MT野は解剖学的にはミエリンが濃い領域として明瞭に識別できる[8]。MT野の一番の特徴は、運動方向選択性ニューロン、例えば、物体が右に動くと反応が強いが、左に動いたときには反応がほとんど出ない、といったニューロンが数多く存在することである[9] [10]。受容野サイズは偏心度とだいたい一致する[11]。その他、両眼視差選択性[12]、運動視差選択性[13]、周辺抑制[14]も併せ持つので、視覚刺激の場所、運動方向、両眼視差、大きさを適切にマッチさせれば、大抵のMT野ニューロンを活動させることができる[15]。MST野はMSTd野とMSTl野に分けられるが、多くの研究は受容野が大きいMSTd野で行われている。MSTd野には、並進運動に反応するニューロンに加え、拡大/縮小、回転選択性を持つニューロン[16]がある。

運動盲

 MT野及び周辺領域を損傷したと思われる患者で、運動盲(Akinetopsia)が報告されている。この症状をもつ患者は、他の視覚機能は正常であるが、動きを知覚できず、世の中が連続した静止画のように見えるという[17]。動物においてもMT野の破壊により、運動方向弁別課題の成績が低下するため、MT野は運動視に必須であると考えられている[18]

運動検出器

図1.

 動いている物体は、時々刻々と、その位置を変える。前額平行面内で一方向に等速で動いている物体は、時間軸・空間軸のつくる2次元平面上では斜めの直線となって表される。そのため、運動を検出するには、この時空間軸上での傾きを検出すればよい。V1の単純型細胞のなかには、時空間軸上での傾きを検出する細胞が存在する[19]。さらに複雑型細胞では、受容野内のどの位置で物体が動いても正しく運動が検出されるための統合が行われる[19]。このような初期視覚系での運動検出のモデルとして、エネルギーモデル(図1)が提唱されている[4]。実際に、霊長類のV1ニューロンの特徴はこのエネルギーモデルの予測とよくあっている。動物種によっては、運動検出器が網膜にあるという報告もある[20]

窓問題

図2.
図3.

 運動視において視覚系が直面する問題として窓問題が挙げられる。運動する物体を小さい窓枠から覗いたときには、物体全体の運動方向によらず、窓枠から見える物体の局所輪郭線に直行する方向の運動成分が検出されてしまう(図2)。これを窓問題という。物体運動の最初の検出が行われるV1は、ニューロンの受容野が小さいため、実質的には窓枠となっている。このため、運動を正しく計算するには、V1で検出された局所運動を空間・方位にわたって統合する必要がある。この統合過程はV1より高次の領野、MT野やMST野で行われると考えられている[21]。二つのGratingを重ねたPlaidパターン(図3)と呼ばれる格子状の刺激を用いた生理学的研究によると、MT野では約1/3のニューロンが[22]、MST野ではほぼ全てのニューロンが[23]この統合過程に関わっていると示唆されている。実際、MT野ニューロンが反応する方位と時空間周波数をマッピングすると、個々のニューロンは、特定の方向に動いている物体から生成される方位・時空間周波数成分を統合していることが判明している[24]

奥行き運動

 上記は、前額平行面における並進運動に関する運動視であるが、現実の外界世界は3次元であり、奥行き方向に運動する物体も存在する。そのような奥行き運動を検出する方法は少なくとも2つあり、いずれも両眼性である。ひとつめの方法は、左右眼での物体運動の速度差を利用する方法である。自分に近づいてくる物体は、左眼では右方向に動き、右眼では左方向に動く。逆に自分から遠ざかる物体は、左眼では左方向に動き、右眼では右方向に動く。したがって、両眼間速度差を検出できれば奥行き運動が検出できる。もうひとつの方法は、物体の奥行きそのものの時間変化を計算する方法である。両眼視差から奥行きを推定し、その時間変化を計算できれば奥行き運動が検出できる。

 心理物理学的および脳機能イメージングを用いた研究により、ヒトは両眼間速度差を用いて奥行き運動を知覚していると示唆される[25]。また、MT野にはそれぞれの方法を用いて推定された奥行き運動に反応するニューロンがある[26] [27]

オプティックフロー

 自身の動きによって生じる網膜上の動きをオプティックフローと呼ぶ。オプティックフローは並進運動、回転運動、拡大縮小運動に分解できる。例えば、自身が前に進むと、視線方向を中心に拡大パターンの運動が生じる。逆に、拡大運動を見ただけで前に進んでいる感覚が生じる。MST野には並進、回転、拡大縮小、それぞれの運動に反応するニューロンが見つかっている[16]

運動以外の物体の性質を知覚する手がかりとしての運動

 網膜上の動きは、物体の運動そのものの知覚のみならず、物体の様々な性質を特定するのに使われる。例えば、運動からの物体形状の推定(shape-from-motion)や運動視差(motion-parallax)を用いた奥行きの推定などが挙げられる。また、剛体ではない物体の性質も運動から再現できる。例えば、心理学物理学的研究から、液体の粘性や透明感が運動情報のみから推定できることがわかりつつある[28]。ただし、これらの神経メカニズムに関する情報は少ない。

運動方向弁別

図4.

 運動視の研究は知覚判断の分野において重要な知見をもたらした。運動方向弁別課題では、ランダムドットの動きの方向を答えるが、一定方向に動くドットの割合(motion coherence、図4)を変えることで動きの強さを調整できるため、ある正答率を得るために必要なcoherenceを運動視の閾値として定義できる。閾値は動物でもヒトでも測定できる。以下、一連の研究で明らかになった重要事項を解説する。

運動方向弁別能力とニューロンの感度の比較

 ニューロンと反対の性質をもち、統計学的には同等の振る舞いをするアンチニューロンがあると仮定すると、信号検出理論に則って、ニューロンが発する活動電位の数を基盤に正解率の上限を計算できる。個体とニューロンの閾値を直接比較すると、典型的なMT野ニューロンの閾値は個体と同程度である[29]

ニューロン活動と判断との相関

(choice probability)

 同じ動きを見ても、判断が異なることがある。同じ運動刺激を見ていても、MT野ニューロンの活動は試行ごとに異なり、その活動は判断と相関する[30]。判断を予測できる確率をchoice probabilityと呼ぶ。

ニューロン間のノイズ相関

(noise correlation)

 複数のニューロンが独立の振る舞いをしているのであれば、n個のニューロンが集まれば、理論的には単一ニューロンよりも感度は√n倍良くなるはずである。しかし、実際にはニューロン活動は独立ではない。ニューロン活動のバラツキの試行間相関をノイズ相関(noise correlation)と呼ぶ。ニューロン間の平均ノイズ相関をrとすると、多数のニューロンの情報を合わせても、感度は1/√r倍までしか良くならない。MT野ニューロンのノイズ相関は平均約0.2であるとされているため[31]、多数のニューロンの情報を集めても、感度は単一ニューロンと比較して2倍程度しか良くならないと考えられている。

運動方向の判断の神経メカニズム

 MT野を破壊すると運動方向弁別ができなくなり[18]、電気刺激すると判断がバイアスされるため[32]、MT野の活動は本課題の遂行に必要十分である。しかし、MT野ニューロンは動きに関する感覚情報を提供するが、判断を司るわけではない。運動方向の判断には運動情報を時間的に積分する機構が重要であると考えられている。頭頂葉のLIP野[33]、前頭眼野(FEF)、前頭前野[34]や上丘[35]には、運動情報の時間積分を反映した神経活動が見られる。これらの領野の活動は、判断を眼球運動で回答したときに見られ、腕の運動で回答したときにはMIP野においても見られる[36]。判断を反映した活動が、閾値に到達すると判断が確定すると考えられている[37]。このように考えると、判断が簡単なときには反応時間が短く、難しいときには反応時間が長いことを説明できる。

参考文献

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  3. 3.0 3.1 Resource not found in PubMed.
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