「Forkhead box protein P2」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
15行目: 15行目:
==発話・言語機能発達に関わる遺伝子FOXP2の発見==
==発話・言語機能発達に関わる遺伝子FOXP2の発見==
 1900年に、3世代のメンバー約半数に重篤な発話障害または言語障害がある家系(KE家)が報告された<ref><pubmed> 2332125 </pubmed></ref>。詳細な遺伝学的解析から、KE家の発話・言語障害の原因となる遺伝子座(SPCH1)が第7染色体長腕上の7q31という領域にあることが同定された<ref><pubmed> 9462748 </pubmed></ref>。さらに、KE家とは血縁関係になく、KE家と類似の発話・言語機能障害を持つC.S.氏の遺伝子を解析することにより、発話・言語機能障害の原因となる遺伝子領域が絞りこまれ、発話・言語障害の原因遺伝子としてFOXP2が同定された<ref><pubmed> 10880297 </pubmed></ref> <ref name=Lai_2001><pubmed> 11586359 </pubmed></ref>。ヒトFOXP2の相同遺伝子Foxp2は[[サル]]、[[マウス]]、キンカチョウ等他の動物において同定されている<ref name=Ferland_2003><pubmed> 12687690 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 18461604 </pubmed></ref> <ref name=Teramitsu_2004><pubmed> 15056695 </pubmed></ref>。
 1900年に、3世代のメンバー約半数に重篤な発話障害または言語障害がある家系(KE家)が報告された<ref><pubmed> 2332125 </pubmed></ref>。詳細な遺伝学的解析から、KE家の発話・言語障害の原因となる遺伝子座(SPCH1)が第7染色体長腕上の7q31という領域にあることが同定された<ref><pubmed> 9462748 </pubmed></ref>。さらに、KE家とは血縁関係になく、KE家と類似の発話・言語機能障害を持つC.S.氏の遺伝子を解析することにより、発話・言語機能障害の原因となる遺伝子領域が絞りこまれ、発話・言語障害の原因遺伝子としてFOXP2が同定された<ref><pubmed> 10880297 </pubmed></ref> <ref name=Lai_2001><pubmed> 11586359 </pubmed></ref>。ヒトFOXP2の相同遺伝子Foxp2は[[サル]]、[[マウス]]、キンカチョウ等他の動物において同定されている<ref name=Ferland_2003><pubmed> 12687690 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 18461604 </pubmed></ref> <ref name=Teramitsu_2004><pubmed> 15056695 </pubmed></ref>。
[[ファイル:Osumi_Foxp2_Fig1.jpg|400px|thumb|'''図1.FOXP2/Foxp2の発現部位''']]


==FOXP2タンパクの構造とFOXP2遺伝子変異==
==FOXP2タンパクの構造とFOXP2遺伝子変異==
25行目: 23行目:


==神経系におけるFOXP2の機能と発現部位==
==神経系におけるFOXP2の機能と発現部位==
[[ファイル:Sugiyama&Osumi_figure2.jpg|300px|thumb|'''図2.Foxp2の発現パターン'''<br> (A)マウス14日齢の大脳新皮質領域<br>(B)マウス30日齢の小脳皮質領域]]  
[[ファイル:Osumi_Foxp2_Fig1.jpg|300px|thumb|'''表1.FOXP2/Foxp2の発現部位''']]
[[ファイル:Sugiyama&Osumi_figure2.jpg|300px|thumb|'''図1.Foxp2の発現パターン'''<br> (A)マウス14日齢の大脳新皮質領域<br>(B)マウス30日齢の小脳皮質領域]]  


 Foxp2の生体における機能を知るため、発生工学的に遺伝子機能を欠損させたノックアウトマウスや<ref name=French_2007 />、KE家に見られる遺伝子変異(R552H)を挿入したノックインマウス<ref name=Fujita_2008><pubmed> 18287060 </pubmed></ref>  <ref name=Groszer_2008><pubmed>  18328704 </pubmed></ref>が作製された。Foxp2のノックアウトマウスでは小脳の縮小が見られた <ref name=French_2007 />。同様にFoxp2の変異ノックインホモ接合マウス(R552H/R552H)でも小脳の縮小、小脳[[プルキンエ細胞]]数の減少、さらに樹状突起の[[シナプス]]後部に発現するシナプトフィジンの発現も減少していた<ref name=Fujita_2008 />。またR552H/R552Hマウスは新生仔が発する超音波による鳴き声(ultrasonic vocalization, USV)の減少という表現型が得られた<ref name=Fujita_2008 />。一方、ヘテロ接合ノックインマウスR552H/+では、形態的に小脳は正常なマウスとほとんど変わらなかったが、行動学的には、全般的な運動機能の障害や、線条体と[[小脳の神経回路]]におけるシナプス可塑性の異常、ホモ接合ノックインマウスR552H/ R552H に比べてマイルドなUSVの異常が見られた<ref name=Fujita_2008 /> <ref name=Groszer_2008 />。
 Foxp2の生体における機能を知るため、発生工学的に遺伝子機能を欠損させたノックアウトマウスや<ref name=French_2007 />、KE家に見られる遺伝子変異(R552H)を挿入したノックインマウス<ref name=Fujita_2008><pubmed> 18287060 </pubmed></ref>  <ref name=Groszer_2008><pubmed>  18328704 </pubmed></ref>が作製された。Foxp2のノックアウトマウスでは小脳の縮小が見られた <ref name=French_2007 />。同様にFoxp2の変異ノックインホモ接合マウス(R552H/R552H)でも小脳の縮小、小脳[[プルキンエ細胞]]数の減少、さらに樹状突起の[[シナプス]]後部に発現するシナプトフィジンの発現も減少していた<ref name=Fujita_2008 />。またR552H/R552Hマウスは新生仔が発する超音波による鳴き声(ultrasonic vocalization, USV)の減少という表現型が得られた<ref name=Fujita_2008 />。一方、ヘテロ接合ノックインマウスR552H/+では、形態的に小脳は正常なマウスとほとんど変わらなかったが、行動学的には、全般的な運動機能の障害や、線条体と[[小脳の神経回路]]におけるシナプス可塑性の異常、ホモ接合ノックインマウスR552H/ R552H に比べてマイルドなUSVの異常が見られた<ref name=Fujita_2008 /> <ref name=Groszer_2008 />。
 FOXP2/Foxp2の発現部位に関しては、齧歯類の胚と成体、[[胎生期]]のヒトにおいて解析が為されている(鳴禽については別の項で記述する)。FOXP2/Foxp2は、感覚神経核、辺縁系神経核、大脳新皮質、そして運動機能に関わる領域(小脳や線条体、橋など)において広範な発現パターンを示す (図1)<ref name=Ferland_2003 /> <ref name=Gray_2008><pubmed> 18218908 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 12876151 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 19463901 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 12815709 </pubmed></ref> <ref name=Teramitsu_2004 />。なお、Foxp2は脳だけでなく、肺や[[心臓]]、腸にも発現が見られ<ref name=Shu_2001 />、肺発生においては肺上皮細胞の[[分化]]にFoxp2が関与していることが報告されている <ref name=Shu_2001 />。またFoxp2は呼吸中枢の橋背側部にも発現が認められている <ref name=Gray_2008 />。図2にマウス脳におけるFoxp2発現パターンの例を示す。
 FOXP2/Foxp2の発現部位に関しては、齧歯類の胚と成体、[[胎生期]]のヒトにおいて解析が為されている(鳴禽については別の項で記述する)。FOXP2/Foxp2は、感覚神経核、辺縁系神経核、大脳新皮質、そして運動機能に関わる領域(小脳や線条体、橋など)において広範な発現パターンを示す (表1)<ref name=Ferland_2003 /> <ref name=Gray_2008><pubmed> 18218908 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 12876151 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 19463901 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 12815709 </pubmed></ref> <ref name=Teramitsu_2004 />。なお、Foxp2は脳だけでなく、肺や[[心臓]]、腸にも発現が見られ<ref name=Shu_2001 />、肺発生においては肺上皮細胞の[[分化]]にFoxp2が関与していることが報告されている <ref name=Shu_2001 />。またFoxp2は呼吸中枢の橋背側部にも発現が認められている <ref name=Gray_2008 />。図1にマウス脳におけるFoxp2発現パターンの例を示す。
 
{| class="wikitable"
|+ '''表1.FOXP2/Foxp2の発現部位'''
|-
|'''感覚神経核'''<br>
ー ヒト(胎児期)および齧歯類(胚および成体)<br>
   嗅球、上丘、下丘、視床(VPL核、VPM核、外側・内側膝状体)
|-
|''''''<br>
ー <br>
|-
|''''''<br>
ー <br>
|-
|''''''<br>
ー <br>
|-
|''''''<br>
ー <br>
|-
|''''''<br>
ー <br>
|-
|''''''<br>
ー <br>
|-
|''''''<br>
ー <br>  
 


==FOXP2発現に依拠した神経回路モデル==
==FOXP2発現に依拠した神経回路モデル==
 Vargha-Khademらは、FOXP2を発現している脳領域間で形成される神経回路が発話・言語を制御する、という神経回路モデルを提唱している<ref><pubmed> 15685218 </pubmed></ref>。この神経回路モデルでは、前頭葉-線条体経路と前頭葉-小脳経路の2つの経路がある(図3)。これらの神経回路において橋[[灰白質]]以外は全てFOXP2の発現が見られる領域である。運動機能に関わる領域において、広範なFOXP2の発現が見られる意義は、まだ不明な点が多い。しかし、KE家での遺伝子変異の表現型が示すように、FOXP2を発現している神経細胞とその神経細胞によって構成される神経回路は、口腔や顔面の運動制御に重要な役割を果たしていると考えられる。
[[ファイル:Osumi_Foxp2_Fig4.jpg|300px|thumb|'''図2.鳴禽の歌学習に関わる神経回路の模式図''' ]]
 Vargha-Khademらは、FOXP2を発現している脳領域間で形成される神経回路が発話・言語を制御する、という神経回路モデルを提唱している<ref><pubmed> 15685218 </pubmed></ref>。この神経回路モデルでは、前頭葉-線条体経路と前頭葉-小脳経路の2つの経路がある(図2)。これらの神経回路において橋[[灰白質]]以外は全てFOXP2の発現が見られる領域である。運動機能に関わる領域において、広範なFOXP2の発現が見られる意義は、まだ不明な点が多い。しかし、KE家での遺伝子変異の表現型が示すように、FOXP2を発現している神経細胞とその神経細胞によって構成される神経回路は、口腔や顔面の運動制御に重要な役割を果たしていると考えられる。


==Foxp2と鳴禽の歌学習==
==Foxp2と鳴禽の歌学習==
[[ファイル:Osumi_Foxp2_Fig4.jpg|300px|thumb|'''図3.鳴禽の歌学習に関わる神経回路の模式図''' ]]
 鳴禽は、生得的に歌うだけでなく、[[模倣]]することを通して歌学習を行う。鳴禽が歌うことに関わる脳領域にFoxp2の発現が見られることが報告されている(詳細は後述)。このことから種間を超えたFOXP2の類似点に注目が集まり、研究が進められてきた。進化の過程で哺乳類と鳥類が分かれたのは3億年前と言われている。鳴禽の一種であるゼブラフィンチとマウスのFoxp2タンパク質の違いは5アミノ酸であり、ゼブラフィンチとヒトでは8アミノ酸異なる<ref name=Haesler_2004><pubmed> 15056696 </pubmed></ref>。つまり、ヒトとゼブラフィンチの間でFOXP2タンパク質は98%以上が同一である。また、ゼブラフィンチ脳内でのFoxp2の発現パターンはヒト胎児脳の発現パターンと非常に類似していることが報告されている <ref name=Teramitsu_2004 />。
 鳴禽は、生得的に歌うだけでなく、[[模倣]]することを通して歌学習を行う。鳴禽が歌うことに関わる脳領域にFoxp2の発現が見られることが報告されている(詳細は後述)。このことから種間を超えたFOXP2の類似点に注目が集まり、研究が進められてきた。進化の過程で哺乳類と鳥類が分かれたのは3億年前と言われている。鳴禽の一種であるゼブラフィンチとマウスのFoxp2タンパク質の違いは5アミノ酸であり、ゼブラフィンチとヒトでは8アミノ酸異なる<ref name=Haesler_2004><pubmed> 15056696 </pubmed></ref>。つまり、ヒトとゼブラフィンチの間でFOXP2タンパク質は98%以上が同一である。また、ゼブラフィンチ脳内でのFoxp2の発現パターンはヒト胎児脳の発現パターンと非常に類似していることが報告されている <ref name=Teramitsu_2004 />。