「MPTP」の版間の差分

提供:脳科学辞典
ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
(4人の利用者による、間の25版が非表示)
1行目: 1行目:
化学式:1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine <br>
<div align="right"> 
<font size="+1">[http://researchmap.jp/atsushinambu 南部 篤]</font><br>
''自然科学研究機構 生理学研究所''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年2月4日 原稿完成日:2015年5月2日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446/ 漆谷 真](滋賀医科大学 医学部 神経内科)<br>
</div>


MPTPとは、ドーパミン作動性ニューロンを変性脱落させる神経毒。実験動物に投与し、パーキンソン病モデルを作成するために用いられる。<br>
{{chembox
| verifiedrevid = 464192606
|ImageFile = MPTP.png
|ImageSize = 200px
|IUPACName=1-Methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine
|OtherNames=
|Section1= {{Chembox Identifiers
|  KEGG_Ref = {{keggcite|correct|kegg}}
| KEGG = C04599
| InChI = 1/C12H15N/c1-13-9-7-12(8-10-13)11-5-3-2-4-6-11/h2-7H,8-10H2,1H3
| InChIKey = PLRACCBDVIHHLZ-UHFFFAOYAV
| ChEMBL_Ref = {{ebicite|correct|EBI}}
| ChEMBL = 24172
| StdInChI_Ref = {{stdinchicite|correct|chemspider}}
| StdInChI = 1S/C12H15N/c1-13-9-7-12(8-10-13)11-5-3-2-4-6-11/h2-7H,8-10H2,1H3
| StdInChIKey_Ref = {{stdinchicite|correct|chemspider}}
| StdInChIKey = PLRACCBDVIHHLZ-UHFFFAOYSA-N
| CASNo_Ref = {{cascite|correct|CAS}}
| CASNo=28289-54-5
|  PubChem=1388
| IUPHAR_ligand = 280
|  ChemSpiderID_Ref = {{chemspidercite|correct|chemspider}}
| ChemSpiderID = 1346
|  EINECS=248-939-7
|  ChEBI_Ref = {{ebicite|correct|EBI}}
| ChEBI = 17963
| SMILES = c2c(/C1=C/CN(C)CC1)cccc2
|  MeSHName = 1-Methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine
  }}
|Section2= {{Chembox Properties
|  Formula=C<sub>12</sub>H<sub>15</sub>N
|  MolarMass=173.25 g/mol
|  Appearance=
|  Density=
|  MeltingPtC= 39
|  BoilingPtC= 130
|  Solubility= slightly soluable
  }}
|Section3= {{Chembox Hazards
|  MainHazards=
|  NFPA-H = 4
|  NFPA-F = 0
|  NFPA-R = 0
|  NFPA-O =
|  FlashPt=
|  Autoignition=
  }}
}}
 
IUPAC名:1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine <br>
 
{{box|text=
 MPTPとは、[[ドーパミン]]作動性ニューロンを変性脱落させる神経毒。実験動物に投与し、[[パーキンソン病]]モデルを作成するために用いられる。
}}


==発見の経緯==
==発見の経緯==
疾患モデルを作成するため、長年、パーキンソン病を発症させる神経毒の探索が続いていたが、良い候補は見つかっていなかった。しかし、以下のような皮肉な事件によりMPTPが「発見」されることになった。<br>
[[Image:MPTP Fig2.jpg|thumb|240px|'''図 MPTPの代謝''']]
麻薬常習者の大学院生が、合成ヘロインであるMPPP (1-methyl-4-phenyl-propionoxy-piperidine)を自宅の実験室で合成し、自分で注射していたところ、1976年、重篤なパーキンソン病を発症した。ある時から、合成段階でいくつかの手抜きをしたため、副生成物質が混入したためと思われる。症状は典型的なパーキンソン病で、L-ドーパが著効を示した。その後、麻薬過剰摂取で死亡したため剖検したところ、黒質細胞脱落、レビー小体陽性など病理的にもパーキンソン病であった。しかし原因物質を特定するまでには至らず、この報告は注目されなかった<ref><pubmed> 298352</pubmed></ref>。<br>
 
その後、1982年、北カリフォルニアで4人の若い麻薬常習者が、新しい合成ヘロインを入手し連用したところ、重度の無動を示すパーキンソン病を発症した。この合成ヘロインを分析したところMPTPが発見され、これを実験動物(サル)に投与したところ、パーキンソン病様症状を呈したため、MPTPが原因物質として確定した<ref><pubmed>6823561</pubmed></ref><ref> '''J William Langston, Jon Palfreman'''<br>The Case of the Frozen Addicts 309 pp. <br>''New York, Pantheon,'' 1996</ref>。<br>
 疾患モデルを作成するため、長年、パーキンソン病を発症させる[[神経毒]]の探索が続いていたが、良い候補は見つかっていなかった。しかし、以下のような皮肉な事件によりMPTPが「発見」されることになった。
 
 [[麻薬]]常習者の大学院生が、合成[[ヘロイン]]である[[wikipedia: Desmethylprodine|1-methyl-4-phenyl-propionoxy-piperidine]] (MPPP)を自宅の実験室で合成し、自分で注射していたところ、1976年、重篤なパーキンソン病を発症した。ある時から、合成段階でいくつかの手抜きをしたため、副生成物質が混入したためと思われる。症状は典型的なパーキンソン病で、[[L-ドーパ]]が著効を示した。その後、麻薬過剰摂取で死亡したため剖検したところ、[[黒質細胞]]脱落、[[レビー小体]]陽性など病理的にもパーキンソン病であった。しかし原因物質を特定するまでには至らず、この報告は注目されなかった<ref><pubmed> 298352</pubmed></ref>。
 
 その後、1982年、北カリフォルニアで4人の若い麻薬常習者が、新しい合成ヘロインを入手し連用したところ、重度の無動を示すパーキンソン病を発症した。この合成ヘロインを分析したところMPTPが発見され、これを実験動物([[wikipedia:ja:サル|サル]])に投与したところ、パーキンソン病様症状を呈したため、MPTPが原因物質として確定した<ref><pubmed>6823561</pubmed></ref><ref> '''J William Langston, Jon Palfreman'''<br>The Case of the Frozen Addicts 309 pp. <br>''New York, Pantheon,'' 1996</ref>。  


==作用機序==
==作用機序==
MPTPが脳内に入ると、グリア内でモノアミン酸化酵素B(MAO-B)によって酸化されMPP+になり、これがドーパミン作動性ニューロンに取り込まれ、ミトコンドリアの代謝を阻害するため、細胞が変性すると考えられる。<br>
 MPTPが脳内に入ると、[[アストロサイト]]や[[ミクログリア]]内で[[モノアミン酸化酵素]]B ([[MAO-B]])により酸化されMPP<sup>+</sup>となり、これが細胞外に放出された後、ドーパミン作動性ニューロンに取り込まれる。MPP<sup>+</sup>は[[ミトコンドリア]]内に取り込まれ、電子伝達系のcomplex Iを強力に阻害するため、エネルギー産生能の低下によって細胞が変性すると考えられている(図)。ドーパミン細胞の選択的障害については、MPP<sup>+</sup>がニューロメラニンと結合して毒性機構が増強するためと考えられている<ref name=ref4><pubmed>3091760</pubmed></ref>


==意義==
==意義==
このMPTPの「発見」により、ドーパミン作動性ニューロンが変性・脱落するメカニズムの解明が進んだ。また、主に霊長類にMPTPを投与しパーキンソン病モデルを作成することにより、パーキンソン病の病態の解明<ref name=ref4><pubmed>1695404</pubmed></ref>、定位脳手術や脳深部刺激療法(DBS)などの治療法の開発などにつながった<ref><pubmed>2402638</pubmed></ref>。さらには、パーキンソン病の原因として、内在性・外来性のMPTP類似物質、例えば除草剤などによる原因説も復興した。<br>
 このMPTPの「発見」により、ドーパミン作動性ニューロンが変性・脱落するメカニズムの解明が進んだ。また、主に[[wikipedia:ja:霊長類|霊長類]]にMPTPを投与しパーキンソン病モデルを作成することにより、パーキンソン病の病態の解明<ref name=ref4><pubmed>1695404</pubmed></ref>、[[定位脳手術]]や[[脳深部刺激療法]](DBS)などの治療法の開発<ref><pubmed>2402638</pubmed></ref>などにつながった。さらには、パーキンソン病の原因として、内在性・外来性のMPTP類似物質、例えば[[wikipedia:ja:除草剤|除草剤]]などによる原因説も復興した。
 
 またMPTPによるパーキンソンモデルサルは[[ES細胞]]の移植治療研究に用いられ、症状の改善を認められ[[iPS細胞]]を加えた移植治療の優れた前臨床研究モデルとして注目されている<ref><pubmed>23370347</pubmed></ref>


==毒性==
==毒性==
ヒトを含む霊長類は感受性が高く、ラットは低く、マウス、ネコは、その中間の感受性を示す。MPTPが揮発性・脂溶性であることから、皮膚、呼吸器などから吸収され易く血液脳関門も通過し易い、さらに動物に投与した場合、一部、代謝されないまま排泄されるなど、取り扱いに注意を要する<br><ref><pubmed> 11238711</pubmed></ref>。
 ヒトを含む霊長類は感受性が高く、[[ラット]]は低く、[[マウス]]、[[ネコ]]は、その中間の感受性を示す。ラットでは、[[血液脳関門]]にMAO-Bが豊富に発現しているため、同部位でMPP<sup>+</sup>が産生されるが、MPP<sup>+</sup>は陰性荷電をしており血液脳関門を通過しにくいため、MPTPに感受性が低いと考えられている<ref><pubmed> 3495000 </pubmed></ref>。
 
 MPTPが揮発性・脂溶性であることから、[[wikipedia:ja:皮膚|皮膚]]、[[wikipedia:ja:呼吸器|呼吸器]]などから吸収され易く血液脳関門も通過し易い、さらに動物に投与した場合、一部、代謝されないまま排泄される。このため取り扱い時には使い捨て手袋を着用し、[[wj:ドラフトチャンバー|ドラフトチャンバー]]内で操作すること、使用後や残分のMPTPは1%[[wj:次亜塩素酸|次亜塩素酸]]で不活性化させる([[wj:オートクレーブ|オートクレーブ]]は揮発するため不可)など、取り扱いに注意を要する<ref><pubmed> 11238711</pubmed></ref>。
 
==関連語==
*[[大脳基底核]]
*[[パーキンソン病]]


== 関連語  ==
==外部リンク==
大脳基底核<br>
*[http://www.youtube.com/watch?v=TwCk_dqCg0k BBC Horizon Awakening the Frozen Addicts (1993)]
パーキンソン病<br>
*[http://www.ors.od.nih.gov/sr/dohs/Documents/Procedures_for_Working_with_MPTP_or_MPTP_Treated_Animals.pdf 米国NIHのMPTPおよびMPTP投与動物の取り扱い指針]


==参考文献 ==
==参考文献 ==
<references/>
<references/>
<br>
<br>
(執筆者:南部 篤  担当編集委員:    )

2017年1月9日 (月) 19:55時点における版

南部 篤
自然科学研究機構 生理学研究所
DOI:10.14931/bsd.3032 原稿受付日:2013年2月4日 原稿完成日:2015年5月2日
担当編集委員:漆谷 真(滋賀医科大学 医学部 神経内科)

MPTP
Identifiers
28289-54-5 YesY
ChEBI
ChEMBL ChEMBL24172 YesY
ChemSpider 1346 YesY
EC-number [1]
280
Jmol-3D images Image
KEGG C04599
MeSH 1-Methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine
PubChem 1388
Properties
Molar mass 173.25 g/mol
Melting point 39 °C (102 °F; 312 K)
Boiling point
slightly soluable
危険性
特記なき場合、データは常温(25 °C)・常圧(100 kPa)におけるものである。

IUPAC名:1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine

 MPTPとは、ドーパミン作動性ニューロンを変性脱落させる神経毒。実験動物に投与し、パーキンソン病モデルを作成するために用いられる。

発見の経緯

図 MPTPの代謝

 疾患モデルを作成するため、長年、パーキンソン病を発症させる神経毒の探索が続いていたが、良い候補は見つかっていなかった。しかし、以下のような皮肉な事件によりMPTPが「発見」されることになった。

 麻薬常習者の大学院生が、合成ヘロインである1-methyl-4-phenyl-propionoxy-piperidine (MPPP)を自宅の実験室で合成し、自分で注射していたところ、1976年、重篤なパーキンソン病を発症した。ある時から、合成段階でいくつかの手抜きをしたため、副生成物質が混入したためと思われる。症状は典型的なパーキンソン病で、L-ドーパが著効を示した。その後、麻薬過剰摂取で死亡したため剖検したところ、黒質細胞脱落、レビー小体陽性など病理的にもパーキンソン病であった。しかし原因物質を特定するまでには至らず、この報告は注目されなかった[1]

 その後、1982年、北カリフォルニアで4人の若い麻薬常習者が、新しい合成ヘロインを入手し連用したところ、重度の無動を示すパーキンソン病を発症した。この合成ヘロインを分析したところMPTPが発見され、これを実験動物(サル)に投与したところ、パーキンソン病様症状を呈したため、MPTPが原因物質として確定した[2][3]

作用機序

 MPTPが脳内に入ると、アストロサイトミクログリア内でモノアミン酸化酵素B (MAO-B)により酸化されMPP+となり、これが細胞外に放出された後、ドーパミン作動性ニューロンに取り込まれる。MPP+ミトコンドリア内に取り込まれ、電子伝達系のcomplex Iを強力に阻害するため、エネルギー産生能の低下によって細胞が変性すると考えられている(図)。ドーパミン細胞の選択的障害については、MPP+がニューロメラニンと結合して毒性機構が増強するためと考えられている[4]

意義

 このMPTPの「発見」により、ドーパミン作動性ニューロンが変性・脱落するメカニズムの解明が進んだ。また、主に霊長類にMPTPを投与しパーキンソン病モデルを作成することにより、パーキンソン病の病態の解明[4]定位脳手術脳深部刺激療法(DBS)などの治療法の開発[5]などにつながった。さらには、パーキンソン病の原因として、内在性・外来性のMPTP類似物質、例えば除草剤などによる原因説も復興した。

 またMPTPによるパーキンソンモデルサルはES細胞の移植治療研究に用いられ、症状の改善を認められiPS細胞を加えた移植治療の優れた前臨床研究モデルとして注目されている[6]

毒性

 ヒトを含む霊長類は感受性が高く、ラットは低く、マウスネコは、その中間の感受性を示す。ラットでは、血液脳関門にMAO-Bが豊富に発現しているため、同部位でMPP+が産生されるが、MPP+は陰性荷電をしており血液脳関門を通過しにくいため、MPTPに感受性が低いと考えられている[7]

 MPTPが揮発性・脂溶性であることから、皮膚呼吸器などから吸収され易く血液脳関門も通過し易い、さらに動物に投与した場合、一部、代謝されないまま排泄される。このため取り扱い時には使い捨て手袋を着用し、ドラフトチャンバー内で操作すること、使用後や残分のMPTPは1%次亜塩素酸で不活性化させる(オートクレーブは揮発するため不可)など、取り扱いに注意を要する[8]

関連語

外部リンク

参考文献

  1. Davis, G.C., Williams, A.C., Markey, S.P., Ebert, M.H., Caine, E.D., Reichert, C.M., & Kopin, I.J. (1979).
    Chronic Parkinsonism secondary to intravenous injection of meperidine analogues. Psychiatry research, 1(3), 249-54. [PubMed:298352] [WorldCat] [DOI]
  2. Langston, J.W., Ballard, P., Tetrud, J.W., & Irwin, I. (1983).
    Chronic Parkinsonism in humans due to a product of meperidine-analog synthesis. Science (New York, N.Y.), 219(4587), 979-80. [PubMed:6823561] [WorldCat] [DOI]
  3. J William Langston, Jon Palfreman
    The Case of the Frozen Addicts 309 pp.
    New York, Pantheon, 1996
  4. 4.0 4.1 Jenner, P., & Marsden, C.D. (1986).
    The actions of 1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine in animals as a model of Parkinson's disease. Journal of neural transmission. Supplementum, 20, 11-39. [PubMed:3091760] [WorldCat]
    引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "ref4"が異なる内容で複数回定義されています
  5. Bergman, H., Wichmann, T., & DeLong, M.R. (1990).
    Reversal of experimental parkinsonism by lesions of the subthalamic nucleus. Science (New York, N.Y.), 249(4975), 1436-8. [PubMed:2402638] [WorldCat] [DOI]
  6. Nishimura, K., & Takahashi, J. (2013).
    Therapeutic application of stem cell technology toward the treatment of Parkinson's disease. Biological & pharmaceutical bulletin, 36(2), 171-5. [PubMed:23370347] [WorldCat] [DOI]
  7. Kalaria, R.N., Mitchell, M.J., & Harik, S.I. (1987).
    Correlation of 1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine neurotoxicity with blood-brain barrier monoamine oxidase activity. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 84(10), 3521-5. [PubMed:3495000] [PMC] [WorldCat] [DOI]
  8. Przedborski, S., Jackson-Lewis, V., Naini, A.B., Jakowec, M., Petzinger, G., Miller, R., & Akram, M. (2001).
    The parkinsonian toxin 1-methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine (MPTP): a technical review of its utility and safety. Journal of neurochemistry, 76(5), 1265-74. [PubMed:11238711] [WorldCat] [DOI]