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= 発見の歴史<br>  =
= 発見の歴史<br>  =


=== 研究の萌芽 <br> ===
=== 研究の萌芽 <br> ===


 今からおよそ80年前に、スペインの神経学者Ramon y Cajalが再生阻害の謎を解く重要なヒントを見いだした<ref>Ramon y Cajal, S. Degeneration and regeneration of the nervous system. Hafner, New York, 1928.</ref>。Cajalは、感覚を伝える後根神経という末梢神経の軸索を切断し、その後の軸索の再生を観察した。再生しかけた軸索は、脊髄の中に侵入できず、再生できなかった。その後、Aguayoらは、脊髄の損傷による欠損部を末梢神経の周囲組織をグラフトとして移植することで、このグラフト内を軸索が再生する結果を得た<ref><pubmed> 6171034 </pubmed></ref>。これらにより、神経細胞自体に再生する力がないのではなく、神経細胞を取り巻く環境が再生に適していないのではないかと考えられるようになった。<br> 1980年代、更に研究が進展し、ミエリンが神経突起の伸展を抑制することが報告された。そして、Schwabらは、ミエリンの中に再生を阻害している分子が存在していると考え、ミエリンの各フラクションに対する抗体を作成した。In vitroの実験により、IN-1抗体はミエリンの作用を中和し、220 kDaの糖蛋白に結合することが判明した。また、IN-1抗体を脊髄損傷させたラットに投与すると、軸索再生と運動機能の回復が認められた<ref><pubmed> 2300171</pubmed></ref>。これら一連の成果により、軸索再生阻害という概念が実在のものとして信じられるようになった。しかし再生阻害を担う蛋白の単離は10年かかっても実現しなかった。  
 今からおよそ80年前に、スペインの神経学者Ramon y Cajalが再生阻害の謎を解く重要なヒントを見いだした<ref>Ramon y Cajal, S. Degeneration and regeneration of the nervous system. Hafner, New York, 1928.</ref>。Cajalは、感覚を伝える後根神経という末梢神経の軸索を切断し、その後の軸索の再生を観察した。再生しかけた軸索は、脊髄の中に侵入できず、再生できなかった。その後、Aguayoらは、脊髄の損傷による欠損部を末梢神経の周囲組織をグラフトとして移植することで、このグラフト内を軸索が再生する結果を得た<ref><pubmed> 6171034 </pubmed></ref>。これらにより、神経細胞自体に再生する力がないのではなく、神経細胞を取り巻く環境が再生に適していないのではないかと考えられるようになった。<br> 1980年代、更に研究が進展し、ミエリンが神経突起の伸展を抑制することが報告された。そして、Schwabらは、ミエリンの中に再生を阻害している分子が存在していると考え、ミエリンの各フラクションに対する抗体を作成した。In vitroの実験により、IN-1抗体はミエリンの作用を中和し、220 kDaの糖蛋白に結合することが判明した。また、IN-1抗体を脊髄損傷させたラットに投与すると、軸索再生と運動機能の回復が認められた<ref><pubmed> 2300171</pubmed></ref>。これら一連の成果により、軸索再生阻害という概念が実在のものとして信じられるようになった。しかし再生阻害を担う蛋白の単離は10年かかっても実現しなかった。  
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=== Nogoとその受容体の発見<br>  ===
=== Nogoとその受容体の発見<br>  ===


 Schwabのグループは1999年に、IN-1抗体の認識する蛋白の部分配列を公開した<ref>Spillmann, A.A.: J. Biol. Chem., 273, 19283-19293 (1999)</ref>。このペプチド配列をもとに、長年捜し求めた目的の蛋白がクローニングされ、3つのグループによって同時に報告された<ref><pubmed> 10667796</pubmed></ref><ref><pubmed> 10667797</pubmed></ref><ref><pubmed> 10667780</pubmed></ref>。Nogoと名付けられたこの蛋白はその配列情報から2回膜貫通構造をもっていると考えられ、培養神経細胞に対して突起伸展抑制作用をもっていた。Nogoは選択的スプライシングによって3つの長さの異なる蛋白が作られる。このうち最も長いNogo-Aには再生阻害に働く2つのドメインが存在する。Schwabらはアミノ端のNogoがより重要であると考えているが、Strittmatterらは膜貫通領域に囲まれる66個のアミノ酸からなるペプチド部分(Nogo-66)の再生抑制作用に注目し研究を進めた。<br> そして、Nogoの神経細胞上の受容体が同定された。StrittmatterらはNogo-66の受容体Nogo受容体NgR1を同定した<ref>Fournier, A.E., et al.: Nature, 409, 341-346 (2001)</ref>。NgR1は細胞内ドメインをもたないGPIアンカー型蛋白であり、Nogo-66に対し高親和性を示すことが分かった。
 Schwabのグループは1999年に、IN-1抗体の認識する蛋白の部分配列を公開した<ref>Spillmann, A.A.: J. Biol. Chem., 273, 19283-19293 (1999)</ref>。このペプチド配列をもとに、長年捜し求めた目的の蛋白がクローニングされ、3つのグループによって同時に報告された<ref><pubmed> 10667796</pubmed></ref><ref><pubmed> 10667797</pubmed></ref><ref><pubmed> 10667780</pubmed></ref>。Nogoと名付けられたこの蛋白はその配列情報から2回膜貫通構造をもっていると考えられ、培養神経細胞に対して突起伸展抑制作用をもっていた。Nogoは選択的スプライシングによって3つの長さの異なる蛋白が作られる。このうち最も長いNogo-Aには再生阻害に働く2つのドメインが存在する。Schwabらはアミノ端のNogoがより重要であると考えているが、Strittmatterらは膜貫通領域に囲まれる66個のアミノ酸からなるペプチド部分(Nogo-66)の再生抑制作用に注目し研究を進めた。<br> そして、Nogoの神経細胞上の受容体が同定された。StrittmatterらはNogo-66の受容体Nogo受容体NgR1を同定した<ref>Fournier, A.E., et al.: Nature, 409, 341-346 (2001)</ref>。NgR1は細胞内ドメインをもたないGPIアンカー型蛋白であり、Nogo-66に対し高親和性を示すことが分かった。  


[[Image:Nogo 一次構造.jpg|frame|right|250px|(図1)Nogo蛋白の一次構造]]  
[[Image:Nogo 一次構造.jpg|frame|right|250px|(図1)Nogo蛋白の一次構造]]  
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==== &nbsp; 受容体と細胞内シグナル  ====
==== &nbsp; 受容体と細胞内シグナル  ====


 Nogo受容体はGPIアンカー型蛋白であり、細胞内ドメインを持っていない。したがってNogo受容体は神経細胞内にシグナルを伝達することができないため、シグナル伝達を担う別の受容体がNogo受容体と共受容体を形成しているのではないかと考えられた。<br> その頃、山下(現大阪大学教授)らは機能の良く分かっていなかった神経栄養因子の受容体であるp75受容体の発生時における役割を明らかにした。[[Image:Nogo_signalnew.jpg|frame|right|400px|(図2)Nogoのシグナル伝達経路]]p75は、主として末梢神経の軸索伸展を促進していることが報告された<ref>Yamashita, T., Tucker, K.L., Barde, Y.A.: Neuron, 24: 585-593 (1999)</ref>。その後、山下等はこのp75が軸索伸展阻害因子の一つMAG(Myelin Associated Glycoprotein)のシグナルを神経細胞に伝える受容体であることを見い出した<ref>Yamashita, T., Higuchi, H., Tohyama, M.: J. Cell Biol., 157, 565-570 (2002)</ref>。P75を欠失しているマウスの神経細胞はMAGに対する反応性を失ったのである。<br>p75がMAGのシグナルを伝える受容体であれば、p75とNogo受容体は共受容体を形成し、MAGのみならずNogoとOMgpのシグナルも伝えていることが予測される。その仮説は直ちに検証され、Heらによって正しいことが証明された<ref>Wang, K.C., et al.: Nature, 420, 72-78  (2002)</ref>。こうしてp75は再生阻害のキープレーヤーであると考えられるようになった。<br>それではp75を介してどのような細胞内シグナルが形成されるのだろうか。 ニューロトロフィンがp75に作用して軸索の伸展を促すメカニズムは、Rhoの不活性化である<ref>Yamashita, T., Tucker, K.L., Barde, Y.A.: Neuron, 24: 585-593 (1999)</ref>。Rhoはアクチン骨格系あるいはチューブリンを制御することによって、細胞の形態形成の鍵となる蛋白である(図5)。さらにメカニズム解析がなされ、p75によりRhoとRhoの活性化阻害蛋白であるRho guanine nucleotide dissociation inhibitor(Rho GDI)が解離することでRhoが活性化に導かれる事実が判明した。<br> しかしながらp75/Nogo受容体のみでは、ある種の細胞ではリガンドで刺激してもRhoが活性化しない。必要ではあるが十分ではないということである。そこでLingo-1が新しいp75/Nogo受容体コンポーネントの仲間入りした。この受容体がどのようにシグナル伝達に関わっているかについては明らかではないが、p75/Nogo受容体/Lingo-1という受容体複合によりRhoが活性化されて、軸索伸展が阻止されるという基本モデルが完成した(図2左側)。  
 Nogo受容体はGPIアンカー型蛋白であり、細胞内ドメインを持っていない。したがってNogo受容体は神経細胞内にシグナルを伝達することができないため、シグナル伝達を担う別の受容体がNogo受容体と共受容体を形成しているのではないかと考えられた。<br> その頃、山下(現大阪大学教授)らは機能の良く分かっていなかった神経栄養因子の受容体であるp75受容体の発生時における役割を明らかにした。[[Image:Nogo signalnew.jpg|frame|right|400px|(図2)Nogoのシグナル伝達経路]]p75は、主として末梢神経の軸索伸展を促進していることが報告された<ref>Yamashita, T., Tucker, K.L., Barde, Y.A.: Neuron, 24: 585-593 (1999)</ref>。その後、山下等はこのp75が軸索伸展阻害因子の一つMAG(Myelin Associated Glycoprotein)のシグナルを神経細胞に伝える受容体であることを見い出した<ref>Yamashita, T., Higuchi, H., Tohyama, M.: J. Cell Biol., 157, 565-570 (2002)</ref>。P75を欠失しているマウスの神経細胞はMAGに対する反応性を失ったのである。<br>p75がMAGのシグナルを伝える受容体であれば、p75とNogo受容体は共受容体を形成し、MAGのみならずNogoとOMgpのシグナルも伝えていることが予測される。その仮説は直ちに検証され、Heらによって正しいことが証明された<ref>Wang, K.C., et al.: Nature, 420, 72-78  (2002)</ref>。こうしてp75は再生阻害のキープレーヤーであると考えられるようになった。<br>それではp75を介してどのような細胞内シグナルが形成されるのだろうか。 ニューロトロフィンがp75に作用して軸索の伸展を促すメカニズムは、Rhoの不活性化である<ref>Yamashita, T., Tucker, K.L., Barde, Y.A.: Neuron, 24: 585-593 (1999)</ref>。Rhoはアクチン骨格系あるいはチューブリンを制御することによって、細胞の形態形成の鍵となる蛋白である(図5)。さらにメカニズム解析がなされ、p75によりRhoとRhoの活性化阻害蛋白であるRho guanine nucleotide dissociation inhibitor(Rho GDI)が解離することでRhoが活性化に導かれる事実が判明した。<br> しかしながらp75/Nogo受容体のみでは、ある種の細胞ではリガンドで刺激してもRhoが活性化しない。必要ではあるが十分ではないということである。そこでLingo-1が新しいp75/Nogo受容体コンポーネントの仲間入りした。この受容体がどのようにシグナル伝達に関わっているかについては明らかではないが、p75/Nogo受容体/Lingo-1という受容体複合によりRhoが活性化されて、軸索伸展が阻止されるという基本モデルが完成した(図2左側)。  


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==== Nogoは本当に再生阻害因子か?  ====
==== Nogoは本当に再生阻害因子か?  ====


 ここまでの急速な研究の発展により、中枢神経がなぜ再生しないのかという疑問に分子の言葉で答えられるようになったと多くの研究者が考えた。しかしながら、この単純なモデルの一つ一つが検証され、再検討されてきている。
 ここまでの急速な研究の発展により、中枢神経がなぜ再生しないのかという疑問に分子の言葉で答えられるようになったと多くの研究者が考えた。しかしながら、この単純なモデルの一つ一つが検証され、再検討されてきている。  


 まず、第一の疑問はNogoはin vivoで、再生阻害蛋白として働くのか?という根本的なものであった。Nogoのノックアウトマウスを3つのグループが独自に作成し、脊髄損傷後の再生を評価した26,27,28)。しかしその結果は食い違っていた。Strittmatterらは、ノックアウトマウスでは再生は促進され、運動機能の回復も良かったと報告した。Tessier-Lavigneらは、再生は認められなかったと断じ、Schwabは軽度の再生線維と芽生え現象を確認した。3つのトップグループがそれぞれ異なった結果を報告した理由は今もって解明されていない。
 まず、第一の疑問はNogoはin vivoで、再生阻害蛋白として働くのか?という根本的なものであった。Nogoのノックアウトマウスを3つのグループが独自に作成し、脊髄損傷後の再生を評価した26,27,28)。しかしその結果は食い違っていた。Strittmatterらは、ノックアウトマウスでは再生は促進され、運動機能の回復も良かったと報告した。Tessier-Lavigneらは、再生は認められなかったと断じ、Schwabは軽度の再生線維と芽生え現象を確認した。3つのトップグループがそれぞれ異なった結果を報告した理由は今もって解明されていない。  


 さらに、このシグナル伝達に関する検証も行われた。Tessier-LavigneのグループはNogo受容体のノックアウトマウスを作成し、その神経細胞を用いて、軸索再生の実験をin vitroで行った。神経細胞はワイルドタイプと同様に、ミエリンのみならずNogo-66によって突起の伸展阻害がおこったのである。これに対して、P75ノックアウトマウスの神経細胞はNogo-66に不応性であることが再度確認された。以上の結果が正しいとすると、p75はミエリン由来因子の受容体であるが、Nogo受容体はそうではないということになる。しかし、Nogo受容体及び、P75ノックアウトマウスを用いて、脊髄損傷後の再生が評価された。しかしながらこれらのマウスで再生は認められなかったのである従ってNogo受容体,&nbsp;p75受容体にシグナルが集約されるというモデル自体も再検討されるに至った。
 さらに、このシグナル伝達に関する検証も行われた。Tessier-LavigneのグループはNogo受容体のノックアウトマウスを作成し、その神経細胞を用いて、軸索再生の実験をin vitroで行った。神経細胞はワイルドタイプと同様に、ミエリンのみならずNogo-66によって突起の伸展阻害がおこったのである。これに対して、P75ノックアウトマウスの神経細胞はNogo-66に不応性であることが再度確認された。以上の結果が正しいとすると、p75はミエリン由来因子の受容体であるが、Nogo受容体はそうではないということになる。しかし、Nogo受容体及び、P75ノックアウトマウスを用いて、脊髄損傷後の再生が評価された。しかしながらこれらのマウスで再生は認められなかったのである従ってNogo受容体,&nbsp;p75受容体にシグナルが集約されるというモデル自体も再検討されるに至った。  


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3. ミエリン由来因子はin vivoで再生阻害に働いているのか?<br>3つの因子のシグナルを止める方法として、p75が考えられる。<br>in vitroではp75はシグナル伝達因子として働いているが、in vitroで使用する細胞はin vivoにおいて重要な神経ではない。例えば大人の皮質脊髄路を形成する大脳皮質ニューロンを培養してin vitroで使うことはない。大人においてはもっと別の受容体がシグナルを伝えている可能性がある。<br>この仮説から出発し、p75のファミリー蛋白であるTroyがもう一つのシグナル伝達因子として機能していることをHeらとMiらのグループが最近報告した(図6)30,31)。Troyは成体の脳でも高い発現を示す。それでは、Troyのノックアウトマウスは脊髄損傷から回復できるかどうかについて検討されなければならないだろう。  
3. ミエリン由来因子はin vivoで再生阻害に働いているのか?<br>3つの因子のシグナルを止める方法として、p75が考えられる。<br>in vitroではp75はシグナル伝達因子として働いているが、in vitroで使用する細胞はin vivoにおいて重要な神経ではない。例えば大人の皮質脊髄路を形成する大脳皮質ニューロンを培養してin vitroで使うことはない。大人においてはもっと別の受容体がシグナルを伝えている可能性がある。<br>この仮説から出発し、p75のファミリー蛋白であるTroyがもう一つのシグナル伝達因子として機能していることをHeらとMiらのグループが最近報告した(図6)30,31)。Troyは成体の脳でも高い発現を示す。それでは、Troyのノックアウトマウスは脊髄損傷から回復できるかどうかについて検討されなければならないだろう。  
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