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覚せい剤は、本邦の覚せい剤取締法(後述)では[[メタンフェタミン]]([[フェニルメチルアミノプロパン]])と[[アンフェタミン]]([[フェニルアミノプロパン]] | 覚せい剤は、本邦の覚せい剤取締法(後述)では[[メタンフェタミン]]([[フェニルメチルアミノプロパン]])と[[アンフェタミン]]([[フェニルアミノプロパン]])をはじめとして、これらと同様の作用を持ち制令で指定されたもの、またはそれを含有する物と定義されている。これらは、向精神薬の分類としては、精神刺激薬に含まれるが、精神刺激薬には、治療目的で用いられるメチルフェニデートなどの薬物も含まれる。すなわち、メタンフェタミンとアンフェタミンは、法的・社会的には覚せい剤に含まれ、薬理学的には精神刺激薬と呼ばれる。本稿ではメタンフェタミンおよびアンフェタミンについて概説する。 メタンフェタミンは、我が国で[[エフェドリン]]から合成されたものであり、エフェドリンは咳止め効果のある[[wikipedia:ja:生薬|生薬]]の麻黄([[wikipedia:ja:マオウ|マオウ]]、[[wikipedia:ja:エフェドラ|エフェドラ]])の成分である。ここからエフェドリンが抽出され、他の化学物質と反応させ密造される。性状は白色、無臭の結晶で水に溶けやすい。 1941年に[[wikipedia:ja:ヒロポン|ヒロポン]]などの販売名で発売され、第二次世界大戦時には軍需工場の労働者が徹夜作業を行う際にヒロポンを服用した。戦後、大量の覚せい剤が民間に放出され、乱用された。本邦は第二次世界大戦後の第一次覚せい剤乱用期(1945~1958)ののち、第二次覚せい剤乱用期(1970~1995)、第三次覚せい剤乱用期(1995~現在)を経験している。 | ||
== 化学構造 == | == 化学構造 == |