「視差エネルギーモデル」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
9行目: 9行目:
[[Image:BinocularDisparity.png|thumb|350px|<b>図1 両眼視差</b><br />両眼視差. A,2つの眼で黒丸を注視するとき、さまざまな奥行きにある刺激の網膜投影像。B, 左右の網膜を平にして、上下に並べたもの。注視している点(注視点という)に位置する黒丸の像は、網膜で視力の最も高い場所である中心窩に投影される。注視点と同じ奥行きにある刺激(青)の左右の像は、中心窩を基準とした網膜座標上の同じ位置に投影され、その両眼視差はゼロとなる。一方、注視点と異なる奥行き面上にある刺激(赤、緑)は、左右網膜の異なる位置に投影され、ゼロ以外の両眼視差をもつ。手前にある刺激(緑)と、奥にある刺激(赤)の両眼視差の方向は逆になり、前者を交差視差、後者を非交差視差とよんでいる。]]  
[[Image:BinocularDisparity.png|thumb|350px|<b>図1 両眼視差</b><br />両眼視差. A,2つの眼で黒丸を注視するとき、さまざまな奥行きにある刺激の網膜投影像。B, 左右の網膜を平にして、上下に並べたもの。注視している点(注視点という)に位置する黒丸の像は、網膜で視力の最も高い場所である中心窩に投影される。注視点と同じ奥行きにある刺激(青)の左右の像は、中心窩を基準とした網膜座標上の同じ位置に投影され、その両眼視差はゼロとなる。一方、注視点と異なる奥行き面上にある刺激(赤、緑)は、左右網膜の異なる位置に投影され、ゼロ以外の両眼視差をもつ。手前にある刺激(緑)と、奥にある刺激(赤)の両眼視差の方向は逆になり、前者を交差視差、後者を非交差視差とよんでいる。]]  


 われわれが両眼でものをみるとき、2つの眼が注視している点(注視点)と同じ奥行きにある刺激は、左右の網膜上の同じ位置に投影される(=いずれの網膜においても、網膜の中心である中心窩から同じ方向、量だけ離れた位置に投影される)のにたいし、注視点と異なる奥行きにある刺激は水平方向にずれた位置に投影される(図1参照)。この網膜像の位置のずれのことを両眼視差という(単に視差ともいう)。両眼視差の量は刺激と注視点の奥行き距離に比例する。また刺激が注視点より手前にある場合と、奥にある場合とで両眼視差の方向(符号)は逆になる。慣習上、前者にはマイナス、後者にはプラスの符号をつけ、前者を交差視差 、後者を非交差視差とよぶ。  
 われわれが両眼でものをみるとき、2つの眼が注視している点(注視点)と同じ奥行きにある刺激は、左右の網膜上の同じ位置に投影される(=いずれの網膜においても、網膜の中心である中心窩から同じ方向、量だけ離れた位置に投影される)のに対し、注視点と異なる奥行きにある刺激は水平方向にずれた位置に投影される(図1参照)。この網膜像の位置のずれのことを両眼視差という(単に視差ともいう)。両眼視差の量は刺激と注視点の奥行き距離に比例する。また刺激が注視点より手前にある場合と、奥にある場合とで両眼視差の方向(符号)は逆になる。慣習上、前者にはマイナス、後者にはプラスの符号をつけ、前者を交差視差 、後者を非交差視差とよぶ。  


 われわれが両眼視差のみを手がかりにして奥行きを知覚できることは1838年に[[wikipedia:Charles Wheatstone|Wheatstone]]がステレオグラムを考案して証明した。
 われわれが両眼視差のみを手がかりにして奥行きを知覚できることは1838年にチャールズ・ホイートストン([[wikipedia:Charles Wheatstone|Wheatstone]])が葉プロスコープ(ミラー式両眼視システム)を考案して証明した。


== V1野にみられる両眼視差選択性  ==
== V1野にみられる両眼視差選択性  ==


 網膜からの視覚処理経路において、左右両眼に受容野をもつ細胞はV1野ではじめて現れる<ref name="ref2"><pubmed> 14403679 </pubmed></ref>。これらの細胞の一部は、刺激の両眼視差がある範囲に入るときには強く応答し、それ以外のときにはあまり応答しない特性、すなわち両眼視差選択性を示す<ref name="ref4"><pubmed> 6065881 </pubmed></ref>。ゼロ視差やさまざまな大きさの交差視差、非交差視差を最適とする細胞が存在する。初期の研究ではこれらの細胞は6つのタイプに分類されたが<ref name="ref7"><pubmed> 3199191  </pubmed></ref>、最近の研究結果は、これらは1つの連続体として捉えたほうがよいことを示している <ref name="ref8"><pubmed> 11784742  </pubmed></ref>。  
 網膜からの視覚処理経路において、左右両眼に受容野をもつ細胞はV1野で初めて現れる<ref name="ref2"><pubmed> 14403679 </pubmed></ref>。これらの細胞の一部は、刺激の両眼視差がある範囲に入るときには強く応答し、それ以外のときにはあまり応答しない特性、すなわち両眼視差選択性を示す<ref name="ref4"><pubmed> 6065881 </pubmed></ref>。ゼロ視差やさまざまな大きさの交差視差、非交差視差を最適とする細胞が存在する。初期の研究ではこれらの細胞は6つのタイプに分類されたが<ref name="ref7"><pubmed> 3199191  </pubmed></ref>、最近の研究結果は、これらは1つの連続体として捉えたほうがよいことを示している <ref name="ref8"><pubmed> 11784742  </pubmed></ref>。  


 受容野構造の違いから、V1野の細胞は[[単純型細胞]]と[[複雑型細胞]]とに大きく分類され、いずれのタイプにも両眼視差選択性細胞は存在する。しかし、後述するように、単純型細胞よりも複雑型細胞のほうが両眼視差を検出するうえで理想的な振る舞いをする。この複雑型細胞の両眼視差選択性を説明する受容野モデルが視差エネルギーモデルである。このモデルで複雑型細胞の応答は、複数の単純型細胞からの入力の和で生成される。以下に単純型細胞の両眼受容野構造を述べ、続いて視差エネルギーモデルを説明する。  
 受容野構造の違いから、V1野の細胞は[[単純型細胞]]と[[複雑型細胞]]とに大きく分類され、いずれのタイプにも両眼視差選択性細胞は存在する。しかし、後述するように、単純型細胞よりも複雑型細胞のほうが両眼視差を検出するうえで理想的な振る舞いをする。この複雑型細胞の両眼視差選択性を説明する受容野モデルが視差エネルギーモデルである。このモデルで複雑型細胞の応答は、複数の単純型細胞からの入力の和で生成される。以下に単純型細胞の両眼受容野構造を述べ、続いて視差エネルギーモデルを説明する。  
35行目: 35行目:
[[Image:DisparityEnergyModel.png|thumb|350px|<b>図3 視差エネルギーモデル</b><br />複雑型細胞を模倣したエネルギーユニット(Cの記号で表す)は、両眼性単純型細胞を模倣した4つのサブブユニット(S1, S2, S3, S4)が出す信号を線形加算し、外部に出力する。詳細は本文参照。<br />]]  
[[Image:DisparityEnergyModel.png|thumb|350px|<b>図3 視差エネルギーモデル</b><br />複雑型細胞を模倣したエネルギーユニット(Cの記号で表す)は、両眼性単純型細胞を模倣した4つのサブブユニット(S1, S2, S3, S4)が出す信号を線形加算し、外部に出力する。詳細は本文参照。<br />]]  


 単純型細胞の両眼視差選択性は、視覚刺激の単眼位置やコントラストに依存するのにたいし、複雑型細胞の両眼視差選択性はそれらに依存せず一定となる。この複雑型細胞の特性を説明するモデルが視差エネルギーモデルであり、図3のように表される<ref name="ref1" /><ref name="ref13"><pubmed> 9212245  </pubmed></ref>。このモデルにおいて、複雑型細胞(Cの記号で表す)は、両眼性単純型細胞をモデル化した4つのサブユニット(S1, S2, S3, S4)が出す信号を[[wikipedia:ja:線形加算|線形加算]]し、外部に出力する。4つのサブユニットの受容野の位相は、右眼、左眼のそれぞれにおいて90度ずつ異なっている。サブユニットの左右受容野の方位、空間周波数は全て同じである。  
 単純型細胞の両眼視差選択性が視覚刺激の単眼位置やコントラストに依存するのに対し、複雑型細胞の両眼視差選択性はそれらに依存せず一定となる。この複雑型細胞の特性を説明するモデルが視差エネルギーモデルであり、図3のように表される<ref name="ref1" /><ref name="ref13"><pubmed> 9212245  </pubmed></ref>。このモデルにおいて、複雑型細胞(Cの記号で表す)は、両眼性単純型細胞をモデル化した4つのサブユニット(S1, S2, S3, S4)が出す信号を[[wikipedia:ja:線形加算|線形加算]]し、外部に出力する。4つのサブユニットの受容野の位相は、右眼、左眼のそれぞれにおいて90度ずつ異なっている。サブユニットの左右受容野の方位、空間周波数は全て同じである。  


 各サブニットにおいて、左右受容野の両眼間の[[wikipedia:ja:位相|位相]]差を(4つのサブユニットで同一に保ちながら)変化させることで、モデルの両眼視差選択性を変化させることができる。あるいは、両眼間位相差を0にしたまま、受容野の位置を両眼間で一定量ずらすことでも、モデルの両眼視差選択性を変化させうる。前者は単純型細胞の「位相モデル」に対応し、後者は「位置モデル」と対応する。図3の例では、サブユニットの左右の受容野は位相、位置ともにずれがなく、モデルはゼロ視差に選択性をもつ。<br>&nbsp; 刺激の左右の像が、複雑型細胞の最適な両眼視差をもつ場合、受容野内部のどの場所に刺激がくる場合でも、4つのサブユニットのいずれかが強く応答する。図3の場合、明るいゼロ視差の刺激が受容野の中心に呈示される場合にはS1が、左部分に呈示される場合にはS2が、右部分に呈示される場合にはS4がそれぞれ強く応答する。また、背景より暗いゼロ視差の刺激が受容野の中心、左部分、右部分に呈示される場合には、S3、S4、S2がそれぞれ強く応答する。このため、複雑型細胞は、受容野内部の刺激の位置やコントラストに影響されずに、同じ両眼視差選択性を示すようになり、両眼視差の検出器としては理想的な振る舞いをする。  
 各サブニットにおいて、左右受容野の両眼間の[[wikipedia:ja:位相|位相]]差を(4つのサブユニットで同一に保ちながら)変化させることで、モデルの両眼視差選択性を変化させることができる。あるいは、両眼間位相差を0にしたまま、受容野の位置を両眼間で一定量ずらすことでも、モデルの両眼視差選択性を変化させうる。前者は単純型細胞の「位相モデル」に対応し、後者は「位置モデル」と対応する。図3の例では、サブユニットの左右の受容野は位相、位置ともにずれがなく、モデルはゼロ視差に選択性をもつ。<br>&nbsp; 刺激の左右の像が、複雑型細胞の最適な両眼視差をもつ場合、受容野内部のどの場所に刺激がくる場合でも、4つのサブユニットのいずれかが強く応答する。図3の場合、明るいゼロ視差の刺激が受容野の中心に呈示される場合にはS1が、左部分に呈示される場合にはS2が、右部分に呈示される場合にはS4がそれぞれ強く応答する。また、背景より暗いゼロ視差の刺激が受容野の中心、左部分、右部分に呈示される場合には、S3、S4、S2がそれぞれ強く応答する。このため、複雑型細胞は、受容野内部の刺激の位置やコントラストに影響されずに、同じ両眼視差選択性を示すようになり、両眼視差の検出器としては理想的な振る舞いをする。  
47行目: 47行目:
=== 相対視差  ===
=== 相対視差  ===


 ここまで扱ってきた両眼視差は、[[中心窩]]を基準とした座標系における、左右網膜像の位置のずれとして定義されたものであり、絶対視差ともよばれるものである。これにたいし、2つの刺激がもつ絶対視差の差異のことを相対視差とよぶ。われわれは隣接する刺激の奥行きを非常に精度よく弁別できるが、これには[[眼球]]の[[輻輳運動]]の影響をうけない相対視差が利用されていると考えられている。[[wikipedia:ja:サル|サル]]V1野の細胞の大部分は絶対視差をコードしているが、V1野から入力を受ける[[wikipedia:ja:V2野|V2野]]や[[wikipedia:ja:V4野|V4野]]には、相対視差に選択的応答を示す細胞が一定の割合で存在する<ref name="ref14"><pubmed> 11967544 </pubmed></ref><ref name="ref15"><pubmed> 17507498 </pubmed></ref>。この選択性は、異なる場所に受容野をもち、異なる絶対視差に選択性をもつ視差エネルギーモデルの出力を2段階的に統合することで生成できる。<ref name="ref14" />。  
 ここまで扱ってきた両眼視差は、[[中心窩]]を基準とした座標系における、左右網膜像の位置のずれとして定義されたものであり、絶対視差とも呼ばれる。これに対して、2つの刺激がもつ絶対視差の差異のことを相対視差と呼ぶ。われわれは隣接する刺激の奥行きを非常に精度よく弁別できるが、これには[[眼球]]の[[輻輳運動]]の影響をうけない相対視差が利用されていると考えられている。[[wikipedia:ja:サル|サル]]V1野の細胞の大部分は絶対視差をコードしているが、V1野から入力を受ける[[wikipedia:ja:V2野|V2野]]や[[wikipedia:ja:V4野|V4野]]には、相対視差に選択的応答を示す細胞が一定の割合で存在する<ref name="ref14"><pubmed> 11967544 </pubmed></ref><ref name="ref15"><pubmed> 17507498 </pubmed></ref>。この選択性は、異なる場所に受容野をもち、異なる絶対視差に選択性をもつ視差エネルギーモデルの出力を2段階的に統合することで生成できる。<ref name="ref14" />。  


=== 視差の勾配  ===
=== 視差の勾配  ===
55行目: 55行目:
=== 方位視差  ===
=== 方位視差  ===


 前額平行面から奥行き方向に傾いた線分が網膜に投影されるとき、その左右の投影像の方位にはずれが生じる。この方位視差を手がかりに、われわれは線分の奥行き方向の傾きを知ることができる。4つのサブユニットにおいて、左右のガボールフィルターの方位が同じ角度だけずれることを許容すると、視差エネルギーモデルは方位視差に対する感受性をもつようになり、サルV1野には実際にこのような特性を示す細胞が報告されている。さらに、様々な受容野方位をもつサブニットからの入力を集めるようにモデルを拡張すると、この拡張モデルは、刺激の左右の網膜像の方位自身には依存しない方位視差選択性を示すようになるが、そのような特性を示す細胞は報告されていない<ref name="bridge"><pubmed> 11549739 </pubmed></ref>。  
 前額平行面から奥行き方向に傾いた線分が網膜に投影されるとき、その左右の投影像の方位にはずれが生じる。この方位視差を手がかりに、われわれは線分の奥行き方向の傾きを知ることができる。4つのサブユニットにおいて、左右のガボールフィルターの方位が同じ角度だけずれることを許容すると、視差エネルギーモデルは方位視差に対する感受性を持つようになり、サルV1野には実際にこのような特性を示す細胞が報告されている。さらに、様々な受容野方位をもつサブニットからの入力を集めるようにモデルを拡張すると、この拡張モデルは、刺激の左右の網膜像の方位自身には依存しない方位視差選択性を示すようになるが、そのような特性を示す細胞は報告されていない<ref name="bridge"><pubmed> 11549739 </pubmed></ref>。  


=== 二次特徴の両眼視差  ===
=== 二次特徴の両眼視差  ===


 視覚系が利用可能な両眼視差のうち、最も強い奥行き手がかりとなるものは輝度エッジから生じる両眼視差である。しかし、テクスチャーエッジ(例&nbsp;:&nbsp;縦縞模様の領域と横縞模様の領域の境界)など二次特徴とよばれる刺激により生じる両眼視差からも奥行き知覚は可能である。視覚野の細胞の多くは輝度エッジの両眼視差にしか応答しない。しかしながら、ネコ[[18野]](細胞構築学的にはV2野とされる)の1部の細胞は、二次特徴の両眼視差に選択性をもつことが示されている。このような細胞は、輝度のエッジにも同じ両眼視差に最大応答し、特徴手がかりに依存しない両眼視差選択性を示す。2次特徴の両眼視差は、両眼視差エネルギーモデルの各サブユニットの左右受容野を、線形フィルターではなく『フィルター&gt;整流&gt;フィルター』というカスケード型の非線形機構で置き換えることで検出できる<ref name="ref16"><pubmed> 16624957 </pubmed></ref>。  
 視覚系が利用可能な両眼視差のうち、最も強い奥行き手がかりとなるものは輝度エッジから生じる両眼視差である。しかし、テクスチャーエッジ(例&nbsp;:&nbsp;縦縞模様の領域と横縞模様の領域の境界)など二次特徴とよばれる刺激により生じる両眼視差からも奥行き知覚は可能である。視覚野の細胞の多くは輝度エッジの両眼視差にしか応答しない。しかしながら、ネコ[[18野]](細胞構築学的にはV2野とされる)の一部の細胞は、二次特徴の両眼視差に選択性をもつことが示されている。このような細胞は、輝度のエッジにも同じ両眼視差に最大応答し、特徴手がかりに依存しない両眼視差選択性を示す。2次特徴の両眼視差は、両眼視差エネルギーモデルの各サブユニットの左右受容野を、線形フィルターではなく『フィルター&gt;整流&gt;フィルター』というカスケード型の非線形機構で置き換えることで検出できる<ref name="ref16"><pubmed> 16624957 </pubmed></ref>。  


== 視差エネルギーモデルと両眼対応点問題  ==
== 視差エネルギーモデルと両眼対応点問題  ==

案内メニュー