「記憶の分類」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
= 記憶の分類  =
英語名:taxonomy of memory  
英語名:taxonomy of memory  


7行目: 5行目:
== 記憶の保持時間に基づく分類  ==
== 記憶の保持時間に基づく分類  ==


 心理学領域では、記憶はその保持時間の長さに基づいて感覚記憶、短期記憶、長期記憶に区分されている<ref>'''RC Atkinson, RM Shiffrin'''<br>Human memory: a proposed system and its control processes.<br>In: KW Spence, JT Spence, eds.<br>The psychology of learning and motivation, vol. 2<br>''Academic Press (New York)'': 1968, pp.89-195</ref>。感覚記憶は最も保持期間が短い記憶である。各感覚器官に特有に存在し、瞬間的に保持されるのみで意識されない。外界から入力された刺激情報は、まず感覚記憶として保持され、そのうち注意を向けられた情報だけが短期記憶として保持される。短期記憶は保持期間が数十秒程度の記憶である。保持時間だけではなく、一度に保持される情報の容量の大きさにも限界があることが特徴とされる。短期記憶に含まれる情報の多くは忘却され、その一部が長期記憶として保持される。この保持情報が長期記憶として安定化する過程は記憶の固定化と呼ばれる。長期記憶は保持時間が長く、数分から一生にわたって保持される記憶である。短期記憶とは異なり、容量の大きさに制限はないことが特徴とされる。長期記憶には、後述するように、陳述記憶(エピソード記憶、意味記憶)と非陳述記憶(手続き記憶、プライミングなど)が含まれる。<br> 動物実験生理学領域では、短期記憶は保持時間が数分から数時間、長期記憶は保持時間が数日から数週以上の記憶について用いられる<ref><pubmed> 10634773 </pubmed></ref><ref name="ref3">'''CH Bailey, ER Kandel'''<br>Synaptic growth and the persistence of long-term memory: a molecular perspective.<br>In: MS Gazzaniga, ed.<br>The cognitive neuroscience, 3rd ed.<br>''MIT Press (Cambridge)'': 2004, pp.647-63</ref>。記憶の固定化を重視し、それが生じない場合を短期記憶、生じた場合を長期記憶として考える。短期記憶、長期記憶それぞれに保持されている情報は記憶痕跡(エングラム)と呼ばれるが<ref>'''DL Schacter, JE Eich, E Tulving'''<br>Richard Semon’s theory of memory.<br>''Verb Learn Verb Beh'': 1978, 17(6);721-43</ref>、生物学的には、短期記憶の記憶痕跡はシナプス伝達の機能的変化(長期増強や長期抑圧)、長期記憶の記憶痕跡はシナプスの構造的変化(遺伝子の発現や新たなシナプス連絡の形成)に相当すると考えられている<ref name="ref3" />。<br> 臨床神経学領域では、記憶は即時記憶、近時記憶、遠隔記憶に区分されている<ref>'''大竹浩也, 藤井俊勝'''<br>記憶障害の評価.<br>田川皓一(編)<br>神経心理学評価ハンドブック<br>''西村書店(東京)'': 2004, pp.129-140</ref>。即時記憶は情報の記銘後すぐに想起させるもので、想起までに干渉を挟まない。臨床場面では数字系列の復唱などで評価をおこなう。近時記憶は即時記憶より保持時間の長い記憶であるが、保持時間の長さについて明確な定義はない(数分~数日)。情報の記銘と想起の間に干渉が介在されるため、保持情報が一旦意識から消えることを特徴とする。臨床場面では前夜の食事内容を尋ねる、単語の遅延再生などで評価する。心理学における分類との違いは、短期記憶と長期記憶が保持時間のみで区分されるのに対し、即時記憶と近時記憶が記銘から想起までの干渉の有無によって規定されるという点である。遠隔記憶は近時記憶よりもさらに保持時間の長い記憶である(~数十年)。臨床場面では個人の生活史(冠婚葬祭や旅行など)を尋ねることが多い。  
 心理学領域では、記憶はその保持時間の長さに基づいて感覚記憶、短期記憶、長期記憶に区分されている<ref>'''RC Atkinson, RM Shiffrin'''<br>Human memory: a proposed system and its control processes.<br>In: KW Spence, JT Spence, eds.<br>The psychology of learning and motivation, vol. 2<br>''Academic Press (New York)'': 1968, pp.89-195</ref>。感覚記憶は最も保持期間が短い記憶である。各感覚器官に特有に存在し、瞬間的に保持されるのみで意識されない。外界から入力された刺激情報は、まず感覚記憶として保持され、そのうち注意を向けられた情報だけが短期記憶として保持される。短期記憶は保持期間が数十秒程度の記憶である。保持時間だけではなく、一度に保持される情報の容量の大きさにも限界があることが特徴とされる。短期記憶に含まれる情報の多くは忘却され、その一部が長期記憶として保持される。この保持情報が長期記憶として安定化する過程は記憶の固定化と呼ばれる。長期記憶は保持時間が長く、数分から一生にわたって保持される記憶である。短期記憶とは異なり、容量の大きさに制限はないことが特徴とされる。長期記憶には、後述するように、陳述記憶(エピソード記憶、意味記憶)と非陳述記憶(手続き記憶、プライミングなど)が含まれる。
 
 動物実験生理学領域では、短期記憶は保持時間が数分から数時間、長期記憶は保持時間が数日から数週以上の記憶について用いられる<ref><pubmed> 10634773 </pubmed></ref><ref name="ref3">'''CH Bailey, ER Kandel'''<br>Synaptic growth and the persistence of long-term memory: a molecular perspective.<br>In: MS Gazzaniga, ed.<br>The cognitive neuroscience, 3rd ed.<br>''MIT Press (Cambridge)'': 2004, pp.647-63</ref>。記憶の固定化を重視し、それが生じない場合を短期記憶、生じた場合を長期記憶として考える。短期記憶、長期記憶それぞれに保持されている情報は記憶痕跡(エングラム)と呼ばれるが<ref>'''DL Schacter, JE Eich, E Tulving'''<br>Richard Semon’s theory of memory.<br>''Verb Learn Verb Beh'': 1978, 17(6);721-43</ref>、生物学的には、短期記憶の記憶痕跡はシナプス伝達の機能的変化(長期増強や長期抑圧)、長期記憶の記憶痕跡はシナプスの構造的変化(遺伝子の発現や新たなシナプス連絡の形成)に相当すると考えられている<ref name="ref3" />。
 
 臨床神経学領域では、記憶は即時記憶、近時記憶、遠隔記憶に区分されている<ref>'''大竹浩也, 藤井俊勝'''<br>記憶障害の評価.<br>田川皓一(編)<br>神経心理学評価ハンドブック<br>''西村書店(東京)'': 2004, pp.129-140</ref>。即時記憶は情報の記銘後すぐに想起させるもので、想起までに干渉を挟まない。臨床場面では数字系列の復唱などで評価をおこなう。近時記憶は即時記憶より保持時間の長い記憶であるが、保持時間の長さについて明確な定義はない(数分~数日)。情報の記銘と想起の間に干渉が介在されるため、保持情報が一旦意識から消えることを特徴とする。臨床場面では前夜の食事内容を尋ねる、単語の遅延再生などで評価する。心理学における分類との違いは、短期記憶と長期記憶が保持時間のみで区分されるのに対し、即時記憶と近時記憶が記銘から想起までの干渉の有無によって規定されるという点である。遠隔記憶は近時記憶よりもさらに保持時間の長い記憶である(~数十年)。臨床場面では個人の生活史(冠婚葬祭や旅行など)を尋ねることが多い。  


== 記憶の内容に基づく分類  ==
== 記憶の内容に基づく分類  ==


 長期記憶は内容により、陳述記憶と非陳述記憶に大別される<ref><pubmed> 8942965 </pubmed></ref>。陳述記憶はイメージや言語として意識上に内容を想起でき、その内容を陳述できる記憶である。陳述記憶にはエピソード記憶と意味記憶が含まれる<ref>'''E Tulving'''<br>Episodic and semantic memory.<br>In: E Tulving, W Donaldson, eds.<br>Organization of memory<br>'' Academic Press(New York)'': 1972, pp.381-402</ref>。エピソード記憶とは、個人が経験した出来事に関する記憶で、例えば、昨日の夕食をどこで誰と何を食べたか、というような記憶に相当する。エピソード記憶は、その出来事を経験そのものと、それを経験した時の様々な付随情報(時間・空間的文脈、そのときの自己の身体的・心理的状態など)の両方が記憶されていることを特徴とする。意味記憶は知識に相当し、言語とその意味(概念)、知覚対象の意味や対象間の関係、社会的約束など、世の中に関する組織化された記憶である。例えば、「ミカン」が意味するもの(大きさ、色、形、味や、果物の一種であるという知識など)に関する記憶が相当する。意味記憶は、通常同じような経験の繰り返しにより形成され、その情報をいつ・どこで獲得したかのような付随情報の記憶は消失し、内容のみが記憶されたものと考えられる。<br> 一方、非陳述記憶とは意識上に内容を想起できない記憶で、言語などを介してその内容を陳述できない記憶である。手続き記憶、プライミング、連合学習、非連合学習などが含まれる。手続き記憶(運動技能、知覚技能、認知技能など・習慣)は、自転車に乗る方法やパズルの解き方などのように、同じ経験を反復することにより形成される。一般的に記憶が一旦形成されると自動的に機能し、長期間保たれるという特徴を持つ。プライミングとは、以前の経験により、後に経験する対象の同定を促進(あるいは抑制)される現象を指し、直接プライミングと間接プライミングがある。連合学習(条件づけ)とは、梅干しを見ると唾液が出るなどのように、経験の繰り返しや訓練により本来は結びついていなかった刺激に対して、新しい反応(行動)が形成される現象をいう。古典的条件付けとオペラント条件づけがある。非連合学習とは、一種類の刺激に関する学習であり、同じ刺激の反復によって反応が減弱したり(慣れ)、増強したり(感作)する現象である。<br>
 長期記憶は内容により、陳述記憶と非陳述記憶に大別される<ref><pubmed> 8942965 </pubmed></ref>。陳述記憶はイメージや言語として意識上に内容を想起でき、その内容を陳述できる記憶である。陳述記憶にはエピソード記憶と意味記憶が含まれる<ref>'''E Tulving'''<br>Episodic and semantic memory.<br>In: E Tulving, W Donaldson, eds.<br>Organization of memory<br>'' Academic Press(New York)'': 1972, pp.381-402</ref>。エピソード記憶とは、個人が経験した出来事に関する記憶で、例えば、昨日の夕食をどこで誰と何を食べたか、というような記憶に相当する。エピソード記憶は、その出来事を経験そのものと、それを経験した時の様々な付随情報(時間・空間的文脈、そのときの自己の身体的・心理的状態など)の両方が記憶されていることを特徴とする。意味記憶は知識に相当し、言語とその意味(概念)、知覚対象の意味や対象間の関係、社会的約束など、世の中に関する組織化された記憶である。例えば、「ミカン」が意味するもの(大きさ、色、形、味や、果物の一種であるという知識など)に関する記憶が相当する。意味記憶は、通常同じような経験の繰り返しにより形成され、その情報をいつ・どこで獲得したかのような付随情報の記憶は消失し、内容のみが記憶されたものと考えられる。
 
 一方、非陳述記憶とは意識上に内容を想起できない記憶で、言語などを介してその内容を陳述できない記憶である。手続き記憶、プライミング、連合学習、非連合学習などが含まれる。手続き記憶(運動技能、知覚技能、認知技能など・習慣)は、自転車に乗る方法やパズルの解き方などのように、同じ経験を反復することにより形成される。一般的に記憶が一旦形成されると自動的に機能し、長期間保たれるという特徴を持つ。プライミングとは、以前の経験により、後に経験する対象の同定を促進(あるいは抑制)される現象を指し、直接プライミングと間接プライミングがある。連合学習(条件づけ)とは、梅干しを見ると唾液が出るなどのように、経験の繰り返しや訓練により本来は結びついていなかった刺激に対して、新しい反応(行動)が形成される現象をいう。古典的条件付けとオペラント条件づけがある。非連合学習とは、一種類の刺激に関する学習であり、同じ刺激の反復によって反応が減弱したり(慣れ)、増強したり(感作)する現象である。


== 関連項目  ==
== 関連項目  ==
21行目: 25行目:


<references />  
<references />  
<br>
 
(執筆者:鈴木麻希、藤井俊勝 担当編集委員:入來篤史)
(執筆者:鈴木麻希、藤井俊勝 担当編集委員:入來篤史)

案内メニュー