「外傷後ストレス障害」の版間の差分

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同義語:心的外傷後ストレス障害  
同義語:心的外傷後ストレス障害  


 外傷後ストレス障害は犯罪被害、災害などが契機となり起きる精神障害である。症状は[[再体験]]、[[回避]]・[[精神麻痺]]、[[過覚醒]]の3つの症状クラスターに大別される。再体験には[[フラッシュバック]]、[[悪夢]]、想起刺激による身体生理反応など、回避・精神麻痺には記憶を想起させる場所、物事、状況への回避、感情麻痺など、過覚醒には[[睡眠障害]]、[[集中困難]]、物音などへの過敏反応などが含まれる。 症状評価は[[自記式質問紙法]]と[[構造化面接法]]があり、目的により使い分ける。治療は大きく[[薬物療法]]と[[心理療法]]に大別される。薬物治療では[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]] がランダム化比較試験の結果から第一選択薬として推奨されている。 心理療法では[[トラウマ焦点化心理療法]](PE療法など)や[[眼球運動による脱感作と再処理法]] ([[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]], [[EMDR]])がランダム化比較試験で有効性が示されている。全米疫学調査では生涯有病率は男性5.0%、女性10.4%だった。トラウマ体験の違いによりPTSD発症率に差があること、PTSDに他の精神障害が合併しやすいことが知られている。病態メカニズムについて神経生理、神経内分泌、脳画像、遺伝子などの研究が行われている。[[恐怖の条件付け]]に関連した[[扁桃体]]、[[内側前頭前野]]と[[海馬]]を含むfear-circuitが症状発生メカニズムに関連した神経回路として想定されており、それを支持する脳画像研究結果が存在する。遺伝子研究においては現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。
 外傷後ストレス障害は犯罪被害、災害などが契機となり起きる精神障害である。症状は[[再体験]]、[[回避]]・[[精神麻痺]]、[[過覚醒]]の3つの症状クラスターに大別される。再体験には[[フラッシュバック]]、[[悪夢]]、想起刺激による身体生理反応など、回避・精神麻痺には記憶を想起させる場所、物事、状況への回避、感情麻痺など、過覚醒には[[睡眠障害]]、[[集中困難]]、物音などへの過敏反応などが含まれる。 症状評価は[[自記式質問紙法]]と[[構造化面接法]]があり、目的により使い分ける。治療は大きく[[薬物療法]]と[[心理療法]]に大別される。薬物治療では[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]] がランダム化比較試験の結果から第一選択薬として推奨されている。 心理療法では[[トラウマ焦点化心理療法]](PE療法など)や[[眼球運動による脱感作と再処理法]] ([[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]], [[EMDR]])がランダム化比較試験で有効性が示されている。全米疫学調査では生涯有病率は男性5.0%、女性10.4%だった。トラウマ体験の違いによりPTSD発症率に差があること、PTSDに他の精神障害が合併しやすいことが知られている。病態メカニズムについて神経生理、神経内分泌、脳画像、遺伝子などの研究が行われている。[[恐怖条件付け]]に関連した[[扁桃体]]、[[内側前頭前野]]と[[海馬]]を含むfear-circuitが症状発生メカニズムに関連した神経回路として想定されており、それを支持する脳画像研究結果が存在する。遺伝子研究においては現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。


== PTSDとは  ==
== PTSDとは  ==
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#Impact of Event Scale-Revised (IES-R):改訂出来事インパクト尺度<br> Horowitsにより開発された出来事インパクト尺度をWeissらが改訂した<ref>'''Weiss DS、Marmar CR'''<br>The Impact of Event Scale-revised<br>''Assessing Psychological Trauma and OTSD (2nd edition)'':168-189,2004</ref>自記式質問紙で、世界的に広く用いられている。最近1週間の22項目の症状についてその強度を0-4点で評価しする。飛鳥井らによって日本語版が作成され、信頼性と妥当性が検証されている<ref><pubmed>11923652</pubmed></ref>。心理検査として診療報酬点数80点が認められている。  
#Impact of Event Scale-Revised (IES-R):改訂出来事インパクト尺度<br> Horowitsにより開発された出来事インパクト尺度をWeissらが改訂した<ref>'''Weiss DS、Marmar CR'''<br>The Impact of Event Scale-revised<br>''Assessing Psychological Trauma and OTSD (2nd edition)'':168-189,2004</ref>自記式質問紙で、世界的に広く用いられている。最近1週間の22項目の症状についてその強度を0-4点で評価しする。飛鳥井らによって日本語版が作成され、信頼性と妥当性が検証されている<ref><pubmed>11923652</pubmed></ref>。心理検査として診療報酬点数80点が認められている。  
#The PTSD checkkist (PCL):PTSDチェックリスト<br> PCLはDSM-Ⅳの17症状により構成された自記式質問紙である<ref>'''Weathers, F. W.、 Litz, B. T.、 Herman, D. S. et al'''<br>The PTSD Checklist (PCL): Reliability, validity, and diagnostic utility<br>''Paper presented at the 9th Annual Conference of the ISTSS, San Antonio, TX.'':1993</ref>。従軍経験でのトラウマ体験へはmilitary version (PCL-M)、特定されていない市民生活でのトラウマ体験へはcivilian version (PCL-C)、既に確定している特定のトラウマ体験へはspecific version&nbsp;(PCL-S)を用いる。最近1か月の17症状についてその強度を1-5点で評価し49/50点をカットオフ値とする。  
#The PTSD checklist (PCL):PTSDチェックリスト<br> PCLはDSM-Ⅳの17症状により構成された自記式質問紙である<ref>'''Weathers, F. W.、 Litz, B. T.、 Herman, D. S. et al'''<br>The PTSD Checklist (PCL): Reliability, validity, and diagnostic utility<br>''Paper presented at the 9th Annual Conference of the ISTSS, San Antonio, TX.'':1993</ref>。従軍経験でのトラウマ体験へはmilitary version (PCL-M)、特定されていない市民生活でのトラウマ体験へはcivilian version (PCL-C)、既に確定している特定のトラウマ体験へはspecific version&nbsp;(PCL-S)を用いる。最近1か月の17症状についてその強度を1-5点で評価し49/50点をカットオフ値とする。  
#Posttraumatic Symptom Scale (PTS-10):外傷後症状尺度<br> Weisaethらにより開発された尺度<ref><pubmed>2624136</pubmed></ref>で、災害後の特異的なストレス症状10項目の有無を評価する簡便な質問紙である。阪神淡路大震災の被災者を対象とした健康調査でも使用された。  
#Posttraumatic Symptom Scale (PTS-10):外傷後症状尺度<br> Weisaethらにより開発された尺度<ref><pubmed>2624136</pubmed></ref>で、災害後の特異的なストレス症状10項目の有無を評価する簡便な質問紙である。阪神淡路大震災の被災者を対象とした健康調査でも使用された。  
#Posttraumatic Diagnostic Scale(PDS): 外傷後ストレス診断面接尺度<br> DSM-Ⅳの診断基準に準拠してFoaらによって作られた成人用の自記式質問紙である。長江らによって日本語版が作成され、信頼性と妥当性が検証されている<ref>'''長江信和、廣幡小百合、志村ゆずほか'''<br>日本語版外傷後ストレス診断尺度作成の試み-一般の大学生を対象とした場合の信頼性と妥当性の検討<br>''トラウマティック・ストレス 5'':51-56,2007</ref>。
#Posttraumatic Diagnostic Scale(PDS): 外傷後ストレス診断面接尺度<br> DSM-Ⅳの診断基準に準拠してFoaらによって作られた成人用の自記式質問紙である。長江らによって日本語版が作成され、信頼性と妥当性が検証されている<ref>'''長江信和、廣幡小百合、志村ゆずほか'''<br>日本語版外傷後ストレス診断尺度作成の試み-一般の大学生を対象とした場合の信頼性と妥当性の検討<br>''トラウマティック・ストレス 5'':51-56,2007</ref>。
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 PTSD患者では、上記症状や合併障害などのためにトラウマ体験以後の生活がしばしば大きく変化する。例えば、再体験症状、麻痺症状、過覚醒症状のためにそれまで可能であった活動の遂行が困難になったり、周囲から孤立する、引きこもるなど社会的活動が障害されたりする。そのような変化が「異常な体験をした人に現れる正常な反応」であることを伝え、支持的・受容的・共感的な態度で接することはどのような治療を選択する場合にも重要である。また、周囲の言動による二次被害を防止しそのサポートを得るために、周囲に対してのアプローチも同様に重要である。  
 PTSD患者では、上記症状や合併障害などのためにトラウマ体験以後の生活がしばしば大きく変化する。例えば、再体験症状、麻痺症状、過覚醒症状のためにそれまで可能であった活動の遂行が困難になったり、周囲から孤立する、引きこもるなど社会的活動が障害されたりする。そのような変化が「異常な体験をした人に現れる正常な反応」であることを伝え、支持的・受容的・共感的な態度で接することはどのような治療を選択する場合にも重要である。また、周囲の言動による二次被害を防止しそのサポートを得るために、周囲に対してのアプローチも同様に重要である。  


 PTSDに対して、これまでさまざまな治療法が試みられてきた。ランダム化比較試験(Randomized Contorolled Trial:RCT)で有効性を証明された治療法に[[認知行動療法]]([[Cognitive Behavior Therapy]]:[[CBT]])、[[EMDR]]([[眼球運動による脱感作と再処理法]]:[[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]])、薬物療法がある。2005年のNICE(英国国立医療技術評価機構:National Institute for Health and Clinical Excellence)のガイドラインでは、心理療法(CBTないしはEMDR)を基本的な第一選択としている。薬物療法が推奨されるのは、心理療法を患者が望まない時や実施が困難は場合としている。また、2007年に示された全米アカデミーズ医学院PTSD治療評価委員のレポートでは、PTSDへの治療的有効性が確立されているのは曝露療法のみで、その他の心理療法、薬物療法の有効性に関するエビデンスは不十分と結論づけられている。但し、実際にはPTSDのための認知行動療法等を実施できる治療者数が限られていることから、多くの患者は薬物と支持的カウンセリングにより治療を受けているのが現状である。   
 PTSDに対して、これまでさまざまな治療法が試みられてきた。ランダム化比較試験(Randomized Contorolled Trial:RCT)で有効性を証明された治療法に[[認知行動療法]]([[Cognitive Behavioral Therapy]]:[[CBT]])、[[EMDR]]([[眼球運動による脱感作と再処理法]]:[[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]])、薬物療法がある。2005年のNICE(英国国立医療技術評価機構:National Institute for Health and Clinical Excellence)のガイドラインでは、心理療法(CBTないしはEMDR)を基本的な第一選択としている。薬物療法が推奨されるのは、心理療法を患者が望まない時や実施が困難は場合としている。また、2007年に示された全米アカデミーズ医学院PTSD治療評価委員のレポートでは、PTSDへの治療的有効性が確立されているのは曝露療法のみで、その他の心理療法、薬物療法の有効性に関するエビデンスは不十分と結論づけられている。但し、実際にはPTSDのための認知行動療法等を実施できる治療者数が限られていることから、多くの患者は薬物と支持的カウンセリングにより治療を受けているのが現状である。   


=== 薬物療法  ===
=== 薬物療法  ===
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==== 抗うつ薬  ====
==== 抗うつ薬  ====


 PTSDに対する薬物療法として、[[セルトラリン]]、[[パロキセチン]]、[[フルオキセチン]]といった選択的セロトニン再取り込み阻害薬 (selective serotonine reuptake inhibitor:SSRI)が海外の複数のランダム化比較試験でPTSDの3つの中核症状(DSM-Ⅳ-TRの基準B,C,D)全てと抑うつなどの合併する精神症状に有効性が証明され、第一選択として推奨されている<ref name="ref1">'''Edna B.Foa, Terence M. Keane, Mattew J.Friedman, Judith A. Cohen'''<br>Effective Treatment for PTSD: Practice Guidelines from the International Society for Traumatic Stress Studies<br>''Guilford press'':2008</ref>。また、[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]](serotonine norepinephrine reuptake inhibitor:SNRI)である[[ベンラファキシン]]も第一選択として推奨されている<ref name="ref1" />が、日本では厚生労働省に承認されていない薬剤である。[[三環系抗うつ薬]]である[[イミプラミン]]、[[アミノトリプチリン]]もランダム化比較試験で効果が認められている<ref name="ref1" />が、SSRI、SNRIと比較して一般的に副作用の出現や忍容性が懸念される薬剤である。その他、[[ミトラザピン]]は小規模のランダム化比較試験で有効性が示され<ref name="ref1" />、[[トラゾドン]]は小規模のオープン試験で有効性を示した研究報告がある<ref name="ref1" />。  
 PTSDに対する薬物療法として、[[セルトラリン]]、[[パロキセチン]]、[[フルオキセチン]]といった選択的セロトニン再取り込み阻害薬 (selective serotonin reuptake inhibitor:SSRI)が海外の複数のランダム化比較試験でPTSDの3つの中核症状(DSM-Ⅳ-TRの基準B,C,D)全てと抑うつなどの合併する精神症状に有効性が証明され、第一選択として推奨されている<ref name="ref1">'''Edna B.Foa, Terence M. Keane, Mattew J.Friedman, Judith A. Cohen'''<br>Effective Treatment for PTSD: Practice Guidelines from the International Society for Traumatic Stress Studies<br>''Guilford press'':2008</ref>。また、[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]](serotonin norepinephrine reuptake inhibitor:SNRI)である[[ベンラファキシン]]も第一選択として推奨されている<ref name="ref1" />が、日本では厚生労働省に承認されていない薬剤である。[[三環系抗うつ薬]]である[[イミプラミン]]、[[アミノトリプチリン]]もランダム化比較試験で効果が認められている<ref name="ref1" />が、SSRI、SNRIと比較して一般的に副作用の出現や忍容性が懸念される薬剤である。その他、[[ミルタザピン]]は小規模のランダム化比較試験で有効性が示され<ref name="ref1" />、[[トラゾドン]]は小規模のオープン試験で有効性を示した研究報告がある<ref name="ref1" />。  


 米国ではパロキセチンとセルトラリンがPTSD治療の薬剤として認可されているが、現在、日本でPTSD治療への適応を認可された薬剤はない。  
 米国ではパロキセチンとセルトラリンがPTSD治療の薬剤として認可されているが、現在、日本でPTSD治療への適応を認可された薬剤はない。  
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==== モノアミン酸化酵素阻害薬  ====
==== モノアミン酸化酵素阻害薬  ====
   
   
 [[モノアミン酸化酵素阻害薬]](MAOI)は食事制限などを厳密に遵守する必要がある薬剤で、[[フェネルジン]]のBとD症状への効果が示されている<ref name="ref1" />。フェネルジンは日本では[[wikipedia:ja:厚生労働省|厚生労働省]]に承認されていない。
 [[モノアミン酸化酵素阻害薬]](MAOI)は食事制限などを厳密に遵守する必要がある薬剤で、[[フェネルジン]]の再体験および過覚醒症状への効果が示されている<ref name="ref1" />。フェネルジンは日本では[[wikipedia:ja:厚生労働省|厚生労働省]]に承認されていない。


====アドレナリン阻害薬  ====
====アドレナリン阻害薬  ====
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==== 非定型抗精神病薬  ====
==== 非定型抗精神病薬  ====


 [[非定型抗精神病薬]]である[[リスペリドン]]、[[オランザピン]]、[[ケチアピン]]はSSRIで症状が残存した時、治療抵抗性のPTSD患者への増強療法として複数の小規模なランダム化比較試験で有効性が報告されている<ref name="ref1" />。過覚醒、[[攻撃行動]]、妄想や精神病性の症状を呈するPTSD患者への効果も期待されている。  
 [[非定型抗精神病薬]]である[[リスペリドン]]、[[オランザピン]]、[[クエチアピン]]はSSRIで症状が残存した時、治療抵抗性のPTSD患者への増強療法として複数の小規模なランダム化比較試験で有効性が報告されている<ref name="ref1" />。過覚醒、[[攻撃行動]]、妄想や精神病性の症状を呈するPTSD患者への効果も期待されている。  


==== Benzodiazepine系薬 ====
==== その他 ====
   
   
 PTSDの中核症状への効果はないとされ、単独での治療は推奨されていない<ref name="ref1" />。  
 Benzodiazepine系薬は、PTSDの中核症状への効果はないとされ、単独での治療は推奨されていない<ref name="ref1" />。  
 
 気分安定薬の有効性に関して一致した結論には至らず、現時点では治療薬としては推奨されていない<ref name="ref1" />。  
==== 抗けいれん薬(気分安定薬)  ====
 
 有効性に関して一致した結論には至らず、現時点では治療薬としては推奨されていない<ref name="ref1" />。  


=== 心理療法  ===
=== 心理療法  ===
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 1995年にKesslerらが行った全米疫学調査<ref><pubmed>7492257</pubmed></ref>ではPTSDの生涯有病率は男性5.0%、女性10.4%、現在有病率は男性1.5%、女性3.0%だった。また、性暴力などの犯罪被害者のPTSD発症率が自然災害被災者よりも高いことが示された。
 1995年にKesslerらが行った全米疫学調査<ref><pubmed>7492257</pubmed></ref>ではPTSDの生涯有病率は男性5.0%、女性10.4%、現在有病率は男性1.5%、女性3.0%だった。また、性暴力などの犯罪被害者のPTSD発症率が自然災害被災者よりも高いことが示された。


 日本国内のデータも川上が9つの市町村の住民を対象に調査を行い、12か月有病率0.70%、生涯有病率1.27%と報告している<ref>'''川上憲人'''<br>トラウマティックイベントと心的外傷後ストレス障害のリスク:閾値下PTSDの頻度とイベントとの関連.大規模災害や犯罪被害等による精神科疾患の実態把握と介入方法の開発に関する研究<br>''平成21年度厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)分担研究報告書'':17-25,2010</ref>。  
 日本国内のデータでは、川上が9つの市町村の住民を対象に調査を行い、12か月有病率0.70%、生涯有病率1.27%と報告している<ref>'''川上憲人'''<br>トラウマティックイベントと心的外傷後ストレス障害のリスク:閾値下PTSDの頻度とイベントとの関連.大規模災害や犯罪被害等による精神科疾患の実態把握と介入方法の開発に関する研究<br>''平成21年度厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)分担研究報告書'':17-25,2010</ref>。  


 発症の危険因子については、生命的危険の認知、社会的サポートの認知、トラウマ体験時の感情反応(恐怖、孤立無援感、戦慄、自責、羞恥など)、トラウマ体験時の解離反応、トラウマ体験後の生活ストレス、過去の精神的問題、過去のトラウマ体験、家族の精神的問題、女性、若年者、低学歴、[[wikipedia:ja:IQ|IQ]]、[[wikipedia:ja:人種|人種]]がある <ref>'''飛鳥井望'''<br>PTSDになる人とならない人<br>''臨床精神医学'':157-162,2012</ref>。  
 発症の危険因子については、生命的危険の認知、社会的サポートの認知、トラウマ体験時の感情反応(恐怖、孤立無援感、戦慄、自責、羞恥など)、トラウマ体験時の解離反応、トラウマ体験後の生活ストレス、過去の精神的問題、過去のトラウマ体験、家族の精神的問題、女性、若年者、低学歴、[[wikipedia:ja:IQ|IQ]]、[[wikipedia:ja:人種|人種]]がある <ref>'''飛鳥井望'''<br>PTSDになる人とならない人<br>''臨床精神医学'':157-162,2012</ref>。  
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=== 神経生理学的知見  ===
=== 神経生理学的知見  ===


 PTSDの再体験、過覚醒症状は トラウマ体験に対する[[恐怖条件づけ]]とみなすと理解しやすく、曝露療法が有効であることも恐怖条件づけの[[消去]]現象と考えると理解しやすい。恐怖条件づけを司る[[扁桃体]]と[[内側前頭前野]]との連絡についての解剖学的知見や内側前頭前野の破壊が恐怖の消去を阻害することを示した動物実験からの知見などが集積され、現在は扁桃体、内側前頭前野、[[海馬]]などを含んだ神経回路(fear-circuit)モデルが想定されている(図2)。神経回路モデルに関して形態学的な研究も行われている。PTSDと診断された者の海馬体積が小さいという報告と差を認めないとする報告がある。CAPS>65の重症PTSD患者とその一卵性の同胞(トラウマ体験に曝露されていない)における海馬が共に小さいことが示され、海馬体積はPTSDの病態に影響を与えている[[脆弱因子]]である可能性も示唆されている<ref><pubmed>12379862</pubmed></ref>。また、同様の一卵性双生児の研究で、PTSDの影響によるpregenual anterior cingulate cortexの体積減少の可能性も示唆されている<ref><pubmed>17825801</pubmed></ref>。   
 PTSDの再体験、過覚醒症状は トラウマ体験に対する[[恐怖条件づけ]]とみなすと理解しやすく、曝露療法が有効であることも恐怖条件づけの[[消去]]現象と考えると理解しやすい。恐怖条件づけを司る[[扁桃体]]と[[内側前頭前野]]との連絡についての解剖学的知見や内側前頭前野の破壊が恐怖の消去を阻害することを示した動物実験からの知見などが集積され、現在は扁桃体、内側前頭前野、[[海馬]]などを含んだ神経回路(fear-circuit)モデルが想定されている(図2)。神経回路モデルに関して形態学的な研究も行われている。PTSDと診断された者の海馬体積が小さいという報告と差を認めないとする報告がある。CAPS>65の重症PTSD患者とその一卵性双生児(トラウマ体験に曝露されていない)における海馬が共に小さいことが示され、海馬体積はPTSDの病態に影響を与えている[[脆弱因子]]である可能性も示唆されている<ref><pubmed>12379862</pubmed></ref>。また、同様の一卵性双生児の研究で、PTSDの影響によるpregenual anterior cingulate cortexの体積減少の可能性も示唆されている<ref><pubmed>17825801</pubmed></ref>。   


 その他、PTSDがストレス反応であるとの観点からストレスホルモンについての研究がなされている。24時間血漿[[コルチゾール]]値で夜間と早朝のベースラインレベルがうつ病患者や健常対照群と比較して有意に低く、[[視床下部-下垂体-副腎皮質系]](hypothalamic-pituitary-adrenal:HPA系)機能の調節異常が示唆されている。また、デキサメタゾン試験によるコルチゾール分泌の過剰抑制、リンパ球[[グルココルチコイド]][[受容体]]の数の増加と感受性亢進と[[視床下部]]における[[コルチコトロピン放出因子]]の分泌亢進が示唆されている。  
 その他、PTSDがストレス反応であるとの観点からストレスホルモンについての研究がなされている。24時間血漿[[コルチゾール]]値で夜間と早朝のベースラインレベルがうつ病患者や健常対照群と比較して有意に低く、[[視床下部-下垂体-副腎皮質系]](hypothalamic-pituitary-adrenal:HPA系)機能の調節異常が示唆されている。また、デキサメタゾン抑制試験によるコルチゾール分泌の過剰抑制、リンパ球[[グルココルチコイド]][[受容体]]の数の増加と感受性亢進、および[[視床下部]]における[[コルチコトロピン放出因子]]の分泌亢進が示唆されている。  


=== 遺伝子研究  ===
=== 遺伝子研究  ===


 恐怖条件づけの消去現象と[[NMDA型グルタミン酸受容体]]、[[GABA受容体]]、[[BDNF]]など分子レベルの因子と関連があることが知られており、さらにそれらの因子と関連する遺伝子レベルの研究も行われている。しかし、現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。遺伝子研究については[[gene-by-environment interaction]] の観点からも研究がおこなわれており、[[糖質コルチコイド受容体]]の関連遺伝子である[[FKBP5]]の4つの多形のうち1つが幼少期の被虐待歴のある者でPTSDのリスクを上昇させるという報告がある<ref><pubmed>18349090</pubmed></ref>。  
 恐怖条件づけの消去現象と[[NMDA型グルタミン酸受容体]]、[[GABA受容体]]、[[BDNF]]など分子レベルの因子と関連があることが知られており、さらにそれらの因子と関連する遺伝子レベルの研究も行われている。しかし、現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。遺伝子研究については[[gene environment interaction]] の観点からも研究がおこなわれており、[[グルココルチコイド受容体]]の関連遺伝子である[[FKBP5]]の4つの多型のうち1つが幼少期の被虐待歴のある者でPTSDのリスクを上昇させるという報告がある<ref><pubmed>18349090</pubmed></ref>。  


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

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