「病識」の版間の差分

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6 バイト除去 、 2012年1月17日 (火)
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 こうした諸家の見解をもとに池淵<ref>'''池淵恵美'''<br>「病識」評価<br>''精神医学:'' 2004, 46:806-819</ref>は、「精神障害によってもたらされる何らかの変化の気づき」つまり主観的な変化の体験の自覚をひろく障害認識と呼び、障害認識についてそれが医学的に妥当であるかどうかを客観的評価したものを病識と呼んだ(図1)。障害認識や病識と専門家の認知に乖離が生ずる時に病識不十分、もしくは病識欠如と評価される。たとえば、「前よりも感情がわかず、喜怒哀楽が薄くなった」と感じるのは障害認識のレベルであり、それを何らかの精神障害に基づく症状として自覚できているかどうか、その正確さによって専門家が病識の程度を判定することになる。本論では上記の意味で「病識」を使っていくが、しかし文献によって「病識」という言葉が指し示す内容は異なることがあるので留意が必要である。
 こうした諸家の見解をもとに池淵<ref>'''池淵恵美'''<br>「病識」評価<br>''精神医学:'' 2004, 46:806-819</ref>は、「精神障害によってもたらされる何らかの変化の気づき」つまり主観的な変化の体験の自覚をひろく障害認識と呼び、障害認識についてそれが医学的に妥当であるかどうかを客観的評価したものを病識と呼んだ(図1)。障害認識や病識と専門家の認知に乖離が生ずる時に病識不十分、もしくは病識欠如と評価される。たとえば、「前よりも感情がわかず、喜怒哀楽が薄くなった」と感じるのは障害認識のレベルであり、それを何らかの精神障害に基づく症状として自覚できているかどうか、その正確さによって専門家が病識の程度を判定することになる。本論では上記の意味で「病識」を使っていくが、しかし文献によって「病識」という言葉が指し示す内容は異なることがあるので留意が必要である。


 障害認識及び病識は、異なる成因からなる多要因の概念であると近年は考えられるようになっている。たとえばDavid<ref name=David_Br?J?Psychiatry><pubmed>2207510</pubmed></ref>,<ref><pubmed>1422606</pubmed></ref>は病識の概念を二分して、「何らかの疾患に罹患しており、それが精神障害であること」と、「特定の精神的な変化の体験を病的であると認識できる能力」とした。また両概念とも、「あり」「なし」の二分法では記述できないこと、両概念の相互関連性は必ずしも高くないことを示した。そしてこれまでのさまざまな研究における病識欠如の出現率は評価方法と、評価している時期に依存していることを指摘した。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>,<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、病識はひとまとまりの症状群ごとに検討されるべき modality-specificなものであり、障害認識及び病識は少なくとも以下の4次元から成り立っていると主張している。1)精神症状や症候や疾病のもたらす変化についての認識、2)疾病についての帰属、および症状や起こってくる変化についての帰属、3)自己概念形成、4)心理的防衛。池淵ら<ref>'''池淵恵美、安西信雄、米田衆介ほか'''<br>精神分裂病の病識に影響を与える要員について<br>''日本社会精神医学雑誌:'' 2000, 9:153-162</ref>は、ICD-10によって統合失調症と診断された31例(社会復帰病棟に入院中の慢性例)を対象に、複数の尺度による評価を試み、3因子(治療遵守と疾病の認識因子、服薬理由の因子、精神症状認識の因子)を抽出した。
 障害認識及び病識は、異なる成因からなる多要因の概念であると近年は考えられるようになっている。たとえばDavid<ref name=David_J_Psychiatry><pubmed>2207510</pubmed></ref>,<ref><pubmed>1422606</pubmed></ref>は病識の概念を二分して、「何らかの疾患に罹患しており、それが精神障害であること」と、「特定の精神的な変化の体験を病的であると認識できる能力」とした。また両概念とも、「あり」「なし」の二分法では記述できないこと、両概念の相互関連性は必ずしも高くないことを示した。そしてこれまでのさまざまな研究における病識欠如の出現率は評価方法と、評価している時期に依存していることを指摘した。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>,<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、病識はひとまとまりの症状群ごとに検討されるべき modality-specificなものであり、障害認識及び病識は少なくとも以下の4次元から成り立っていると主張している。1)精神症状や症候や疾病のもたらす変化についての認識、2)疾病についての帰属、および症状や起こってくる変化についての帰属、3)自己概念形成、4)心理的防衛。池淵ら<ref>'''池淵恵美、安西信雄、米田衆介ほか'''<br>精神分裂病の病識に影響を与える要員について<br>''日本社会精神医学雑誌:'' 2000, 9:153-162</ref>は、ICD-10によって統合失調症と診断された31例(社会復帰病棟に入院中の慢性例)を対象に、複数の尺度による評価を試み、3因子(治療遵守と疾病の認識因子、服薬理由の因子、精神症状認識の因子)を抽出した。


== 歴史的背景 ==
== 歴史的背景 ==
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治療関係の中で不安や挫折感を受け止めつつ、病気によって起こってきた変化や病感を一緒に確認し、障害認識そして病識へと高めていく個人精神療法のアプローチは重要である。安永27は、病覚ないしは病識を姿勢覚になぞらえ、内部図式の知覚であり、運動感覚的なもの、運用感覚であるとし、細部を知覚することはむしろ必要がなく、かんどころ、いわば関節部分が抑えられればよい、と述べた。そして以下のような精神療法の提言を行っている。「(病覚ないし病識の)認識の対象は外にあるものではない。自分のみのうち、精神身体空間の内部にある何者かである」「そのアナロジー(類推)として、「身のこなし」の感覚がやりやすい」と述べている。
治療関係の中で不安や挫折感を受け止めつつ、病気によって起こってきた変化や病感を一緒に確認し、障害認識そして病識へと高めていく個人精神療法のアプローチは重要である。安永27は、病覚ないしは病識を姿勢覚になぞらえ、内部図式の知覚であり、運動感覚的なもの、運用感覚であるとし、細部を知覚することはむしろ必要がなく、かんどころ、いわば関節部分が抑えられればよい、と述べた。そして以下のような精神療法の提言を行っている。「(病覚ないし病識の)認識の対象は外にあるものではない。自分のみのうち、精神身体空間の内部にある何者かである」「そのアナロジー(類推)として、「身のこなし」の感覚がやりやすい」と述べている。


 精神障害の症状や経過や治療法についての正確な情報を提供し、それが受けいれられるように援助する心理教育のアプローチは病識を育てる上で重要であろう。Jaspers<ref name=Jaspers_精神病理学総論>'''Jaspers,K.(内村裕之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳)'''<br>精神病理学総論<br>''岩波書店''、東京、1953</ref>は"pseudo-insight"、すなわち「病気の説明をさまざまな理論から単に受け売りしている状態」を指摘した。しかしDavid<ref name=David_Br?J?Psychiatry><pubmed>2207510</pubmed></ref>は、「こうしたpseudo-insightも、混乱した患者の中に何らかの秩序を見いだし、本来の疾病の自覚へと導くプロセスを開始する可能性がある」と指摘している。個人精神療法の役割が、安永に習って「自分のみのうちにある何らかのもの」への気づきを高めていくことにあるとすれば、心理教育はそれを客体化し、他者と共有可能なものとし、対処方法を見つけていくことを可能にするアプローチといえよう。 
 精神障害の症状や経過や治療法についての正確な情報を提供し、それが受けいれられるように援助する心理教育のアプローチは病識を育てる上で重要であろう。Jaspers<ref name=Jaspers_精神病理学総論>'''Jaspers,K.(内村裕之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳)'''<br>精神病理学総論<br>''岩波書店''、東京、1953</ref>は"pseudo-insight"、すなわち「病気の説明をさまざまな理論から単に受け売りしている状態」を指摘した。しかしDavid<ref name=David_J_Psychiatry><pubmed>2207510</pubmed></ref>は、「こうしたpseudo-insightも、混乱した患者の中に何らかの秩序を見いだし、本来の疾病の自覚へと導くプロセスを開始する可能性がある」と指摘している。個人精神療法の役割が、安永に習って「自分のみのうちにある何らかのもの」への気づきを高めていくことにあるとすれば、心理教育はそれを客体化し、他者と共有可能なものとし、対処方法を見つけていくことを可能にするアプローチといえよう。 


 持続的な精神症状や後遺障害への対処スキルや、薬物療法と協同していくためのさまざまなスキル形成をねらう認知行動療法のアプローチや、近年研究報告の増えている幻覚や妄想への認知療法によって、障害認識や病識を認知・行動のレベルで形成していくアプローチも有用と思われる。認知行動療法の視点からは、病識欠如をより具体的かつ観察可能な対処行動のレベルでとらえ、ひとつひとつの対処行動を改善の標的とする。たとえば服薬を中断してしまうことを取り上げても、さまざまな対処スキルが関係する。
 持続的な精神症状や後遺障害への対処スキルや、薬物療法と協同していくためのさまざまなスキル形成をねらう認知行動療法のアプローチや、近年研究報告の増えている幻覚や妄想への認知療法によって、障害認識や病識を認知・行動のレベルで形成していくアプローチも有用と思われる。認知行動療法の視点からは、病識欠如をより具体的かつ観察可能な対処行動のレベルでとらえ、ひとつひとつの対処行動を改善の標的とする。たとえば服薬を中断してしまうことを取り上げても、さまざまな対処スキルが関係する。

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