「病識」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
3,592 バイト除去 、 2012年1月18日 (水)
編集の要約なし
編集の要約なし
30行目: 30行目:


=== 認知機能障害モデル ===
=== 認知機能障害モデル ===
 Babinskiや Gerstmannが早くから記載しているように、主に左半身麻痺の人において、「麻痺があたかもないように振るまったり、麻痺の存在に関心を示さない」現象が観察されており、anosognosia, denial of illness, lack of insight, organic repressionなどと呼称されてきた。この現象は、健常な知的能力でも発現し、またある障害については自覚しているが、ある障害については気づかないといった選択性があることも知られている。大橋<ref>'''大橋博司'''<br>「疾病失認」(または疾病否認)について<br>''精神医学:'' 1963, 5:123-130</ref>はanosognosieを「器質性患者による自己の身体機能欠損の否認」と定義し、左片麻痺の際の麻痺の否認や、Anton症状などの疾病否認を例示し、また関連する病態として、失語や失行の際に見られる機能欠損についての無関心anosodiaphorieや、半側無視症状などを紹介している。大橋の症例では、左片麻痺があるにもかかわらず認めようとしないが、現実に歩こうとはしない、多弁で医師に拒否的で疾病の話を受け入れない、否認を貫く間は多幸的であるなど、統合失調症と極めて相似の病識欠如の病態が示されている。
 Babinskiや Gerstmannが早くから記載しているように、主に左半身麻痺の人において、「麻痺があたかもないように振るまったり、麻痺の存在に関心を示さない」現象が観察されており、anosognosia, denial of illness, lack of insight, organic repressionなどと呼称されてきた。この現象は、健常な知的能力でも発現し、またある障害については自覚しているが、ある障害については気づかないといった選択性があることも知られている。大橋<ref>'''大橋博司'''<br>「疾病失認」(または疾病否認)について<br>''精神医学:'' 1963, 5:123-130</ref>はanosognosieを「器質性患者による自己の身体機能欠損の否認」と定義し、左片麻痺の際の麻痺の否認や、Anton症状などの疾病否認を例示し、また関連する病態として、失語や[[失行]]の際に見られる機能欠損についての無関心anosodiaphorieや、半側無視症状などを紹介している。大橋の症例では、左片麻痺があるにもかかわらず認めようとしないが、現実に歩こうとはしない、多弁で医師に拒否的で疾病の話を受け入れない、否認を貫く間は多幸的であるなど、統合失調症と極めて相似の病識欠如の病態が示されている。


 以上のように器質疾患でも観察されることから、病識欠如の成因として認知機能障害を想定することが近年行われるようになっている。
 以上のように器質疾患でも観察されることから、病識欠如の成因として認知機能障害を想定することが近年行われるようになっている。


 病識欠如という現象をセルフモニターの障害として想定する考え方がある。自分の状態を意識する(メタ表象)ためには、ある行動を行うときに一定の目標を自覚しつつ、途中経過を評価し修正することができる(現実の一次表象の照合作業)ことが前提とされ、作動記憶の中央実行系の機能であると考えられている<ref>'''川崎康弘'''<br>統合失調症の認知障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:369-375</ref>。そして中央実行系が障害されると、自発性の減少、保続、場当たり的な行動の増加がおこることが知られ、両側の背外側前頭前野の関与が大きいと考えられている。Amadorら<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、障害認識は modality-specificなものであるので、ある特定の高次連合野の障害というよりは、言語、知覚、記憶などの機能の各単位と、作動記憶のような中心的な意識野との連合が不十分ではないかと推論している。
 病識欠如という現象をセルフモニターの障害として想定する考え方がある。自分の状態を意識する(メタ表象)ためには、ある行動を行うときに一定の目標を自覚しつつ、途中経過を評価し修正することができる(現実の一次表象の照合作業)ことが前提とされ、作動記憶の中央実行系の機能であると考えられている<ref>'''川崎康弘'''<br>統合失調症の認知障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:369-375</ref>。そして中央実行系が障害されると、自発性の減少、保続、場当たり的な行動の増加がおこることが知られ、両側の背外側前頭前野の関与が大きいと考えられている。Amadorら<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、障害認識は modality-specificなものであるので、ある特定の高次連合野の障害というよりは、[[言語]]、[[知覚]]、記憶などの機能の各単位と、作動記憶のような中心的な意識野との連合が不十分ではないかと推論している。


 一方、前頭前野内側部が自己の感情状態、思考、自己の性格特性など自分自身の主観的状態を含む内的表象と密接に関連していることから<ref>'''十一元三'''<br>広汎性発達障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:395-404</ref>、この部位の関与も推定できる。なお Parelladaら<ref><pubmed>20884756</pubmed></ref>は初回エピソード精神病患者(統合失調症圏53例、それ以外57例)を踏査し、[[前頭葉]]および[[頭頂葉]]の[[灰白質]]の減少が2年後の精神病症状についての病識と有意に相関することを報告している。
 一方、前頭前野内側部が自己の感情状態、[[思考]]、自己の性格特性など自分自身の主観的状態を含む内的表象と密接に関連していることから<ref>'''十一元三'''<br>広汎性発達障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:395-404</ref>、この部位の関与も推定できる。なお Parelladaら<ref><pubmed>20884756</pubmed></ref>は初回エピソード精神病患者(統合失調症圏53例、それ以外57例)を踏査し、[[前頭葉]]および[[頭頂葉]]の[[灰白質]]の減少が2年後の精神病症状についての病識と有意に相関することを報告している。


 これまでの実証的研究では、Youngら<ref><pubmed>8398943</pubmed></ref>は、31例の統合失調症患者を対象に、前頭葉機能を反映すると考えられるWisconsin Card Sorting Test (WCST), verbal fluency test, trail   making testを実施し、現在の症状に対する認識と誤った帰属(SUMDによる評価)とが、 WCSTの成績低下と相関していたことを報告しているなど、前頭葉機能と病識との関連を報告したものが多くみられる。
 これまでの実証的研究では、Youngら<ref><pubmed>8398943</pubmed></ref>は、31例の統合失調症患者を対象に、前頭葉機能を反映すると考えられるWisconsin Card Sorting Test (WCST), verbal fluency test, trail   making testを実施し、現在の症状に対する認識と誤った帰属(SUMDによる評価)とが、 WCSTの成績低下と相関していたことを報告しているなど、前頭葉機能と病識との関連を報告したものが多くみられる。
45行目: 45行目:
=== 防衛機制モデル ===
=== 防衛機制モデル ===


 歴史的に見れば、英語圏ではMayer-Grossをはじめとして、障害認識ないしは病識は力動精神医学の視点からは防衛機制であり、防衛にはいくつかの側面があり、回復とともに変化すると考えられてきた。また障害認識を表明するためには、ある程度の教育や知的能力、自己表現する言語能力、情動的な耐性などが必要であり、幻聴などのように単一症状として考えるべきではなく、人格と切り離すことはできないとの見解がある<ref name=Markova_comprehensive><pubmed>7497711</pubmed></ref>。妄想を述べる患者がそれにしたがった行動はとらないなど、なんらかの乖離が現実にしばしば見られるところにも、防衛機制の存在を指摘する考え方が行われてきた。
 歴史的に見れば、英語圏ではMayer-Grossをはじめとして、障害認識ないしは病識は力動精神医学の視点からは[[防衛機制]]であり、防衛にはいくつかの側面があり、回復とともに変化すると考えられてきた。また障害認識を表明するためには、ある程度の教育や知的能力、自己表現する言語能力、情動的な耐性などが必要であり、幻聴などのように単一症状として考えるべきではなく、人格と切り離すことはできないとの見解がある<ref name=Markova_comprehensive><pubmed>7497711</pubmed></ref>。[[妄想]]を述べる患者がそれにしたがった行動はとらないなど、なんらかの乖離が現実にしばしば見られるところにも、防衛機制の存在を指摘する考え方が行われてきた。




52行目: 52行目:
 精神障害についての知識が不十分であるときに、自己の中に疾病のために起こってきた変化に対して誤った対応や態度をとることが起こりうる。特に精神障害への根強い偏見がある場合には、自己に起こった事柄は容易には精神障害として認識されえないだろう。ここでわかるように、気づかないことと、誤った知識を持つことと、否認など気づきを抑制することとは互いに反する事柄ではなく、相互に関連を持っている。Macpherson ら<ref><pubmed>8773813</pubmed></ref>は64例の統合失調症患者に調査を行い、SAIにより評価した障害認識を従属変数とした重回帰分析を行ったところ、治療についての知識とこれまでの教育年数とが有意な寄与を示した。
 精神障害についての知識が不十分であるときに、自己の中に疾病のために起こってきた変化に対して誤った対応や態度をとることが起こりうる。特に精神障害への根強い偏見がある場合には、自己に起こった事柄は容易には精神障害として認識されえないだろう。ここでわかるように、気づかないことと、誤った知識を持つことと、否認など気づきを抑制することとは互いに反する事柄ではなく、相互に関連を持っている。Macpherson ら<ref><pubmed>8773813</pubmed></ref>は64例の統合失調症患者に調査を行い、SAIにより評価した障害認識を従属変数とした重回帰分析を行ったところ、治療についての知識とこれまでの教育年数とが有意な寄与を示した。


 認知療法では「誤った認知」モデルが仮定されている。[[幻覚]]や[[妄想]]への誤った認知がその後の不快な感情や問題行動をもたらすというものである<ref>'''丹野義彦'''編著<br>認知行動療法の臨床ワークショップ<br>''金子書房''、東京 2002</ref>。幻聴については、まず幻覚が体験され、それについての認知(悪意的な解釈と善意的な解釈の双方がある)があるが、幻覚と認知との関連はそれほど強くない一方で、認知に引き続いて引き起こされた感情と行動には密接な連関があるという。Birchwood<ref><pubmed>9403906</pubmed></ref>,<ref><pubmed>10824654</pubmed></ref>は、幻覚によって生じる行動や感情は、幻覚の形式や内容ではなく、患者が幻覚に対して抱いている信念ー特に幻覚の力や権威に対してのものーによっており、この信念は幻覚への適応過程の一部であり、個人の自己価値や対人関係についてのスキーマに影響を受けること、幻覚への従属は患者の社会関係におけるふるまい方と関連していることを報告している。妄想についても同様に、きっかけとなる出来事についての誤った認知、すなわち妄想的思考が問題であり、その誤った推論や誤った理由づけに対して治療的アプローチが可能と考えられている。
 認知療法では「誤った認知」モデルが仮定されている。[[幻覚]]や妄想への誤った認知がその後の不快な感情や問題行動をもたらすというものである<ref>'''丹野義彦'''編著<br>認知行動療法の臨床ワークショップ<br>''金子書房''、東京 2002</ref>。幻聴については、まず幻覚が体験され、それについての認知(悪意的な解釈と善意的な解釈の双方がある)があるが、幻覚と認知との関連はそれほど強くない一方で、認知に引き続いて引き起こされた感情と行動には密接な連関があるという。Birchwood<ref><pubmed>9403906</pubmed></ref>,<ref><pubmed>10824654</pubmed></ref>は、幻覚によって生じる行動や感情は、幻覚の形式や内容ではなく、患者が幻覚に対して抱いている信念ー特に幻覚の力や権威に対してのものーによっており、この信念は幻覚への適応過程の一部であり、個人の自己価値や対人関係についてのスキーマに影響を受けること、幻覚への従属は患者の社会関係におけるふるまい方と関連していることを報告している。妄想についても同様に、きっかけとなる出来事についての誤った認知、すなわち妄想的思考が問題であり、その誤った推論や誤った理由づけに対して治療的アプローチが可能と考えられている。


=== 多要因・複数成因モデル ===
=== 多要因・複数成因モデル ===
78行目: 78行目:


== 引用文献 ==
== 引用文献 ==
1)Amador,X.F., Strauss,D.H., Yale,S.A. et al.: Awareness of illness in schizophrenia. Schizophr Bull 17:113-132, 1991
2)Amador, X.F., Strauss,D.H., Yale,S.A. et al.: Assessment of insight in psychosis. Am J Psychiatry 150:873-879, 1993
3)Birchwood,M., Chadwick,P.: The omnipotence of voices: testing the validity of a cognitive model. Psychological Medicine 27:1345-1353, 1997
4)Birchwood,M., Meaden,A., Trower,P. et al.: The power and omnipotence of voices: subordination and entrapment by voices and significant others. Psychologocal Medicine 30:337-344, 2000
5)David A.S.: Insight and psychosis. Br J Psychiatry, 156,798-808, 1990.
6)David A.S., Buchanan A., Reed A. et al.: The assessment of insight in psychosis.  Br J Psychiatry, 161,599-602, 1992.
7)Gilleen,J., Greenwood,K., David,A.S.: Domains of awareness in schizophrenia. Schizophr Bull 37:61-72, 2011
8)林直樹:疾病認識の評価。精リハ誌 5:102-105,2001
9)池淵恵美、安西信雄、米田衆介ほか:精神分裂病の病識に影響を与える要因について。日本社会精神医学雑誌 9:153-162, 2000
10)池淵恵美:「病識」再考。精神医学 46:806-819, 2004
11)Jaspers,K.(内村裕之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳):精神病理学総論。岩波書店、東京、1953
12)川崎康弘:統合失調症の認知障害と前頭葉。臨床精神医学 32:369-375, 2003
13)Lewis,A.: The psychopathology of insight. J Medical Psychology 14:332-348, 1934
14)MacPherson,R., Jerrom,B., Hughes,A.: A controlled study of education about drug treatment in schizophrenia Br J Psychiatry 168:709-717, 1996
15)Markova,I.S., Berrios,G.E.: The meaning of insight in clinical psychiatry. Br J Psychiatry 160:850-860, 1992
16)Markova,I.S., Berrios,G.E.: Insight in clinical psychiatry revisited. Comprehensive psychiatry 36:367-376, 1995
17)McEvoy,J.P., Appelbaum,P.S., Apperson,L.J. et al.: Why must some schizophrenic patients be involuntarily committed? The role of insight. Compr Psychiatry 30:13-17, 1989
18)Medalia A, Thysen J.: A comparison of insight into clinical symptoms versus insight into neuro-cognitive symptoms in schizophrenia. Schizophr Res 118(1-3):134-9, 2010
19)大橋博司:「疾病失認」(または疾病否認)について。精神医学 5:123-130, 1963
20)Parellada,M., Boada,L., Fraguas,D. et al.: Trait and state attributes of insight in first episodes of early-onset schizophrenia and other psychosis: a 2-year longitudinal study. Schizophr Bull 37:38-51, 2011
21)Pallanti,S., Quercioli,L., Pazzagli,A.: Effects of clozapine on awareness of illness and cognition in schizophrenia. Psychiatry Research 86:239-249, 1999
22)Quee P.J., van der Meer,Lisette, Bruggeman,R. et al.: Insight in psychosis: relationship with neurocognition, social cognition and clinical symptoms depends on phase of illness.      Schizophr Bull 37:29-37, 2011
23)Romme,M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.: 'Hearing voices'. Schizophr Bull 15:209-216, 1989
24)Romme,M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.:Empowering people who hear voices. In:G. Haddock, P.D.Slade eds. Cognitive-Behavioural Interventions with Psychotic Disorders. pp137-150, Routledge, London, 1996
25)丹野義彦編著:認知行動療法の臨床ワークショップ。金子書房、東京、2002
26)十一元三:広汎性発達障害と前頭葉。臨床精神医学 32:395-404, 2003
27)安永浩:いわゆる病識から”姿勢”覚へ。精神科治療学 3:43-50, 1988
28)Young,D.A., Davila,R., Scher,H.: Unawareness of illness and neuropsychological performance in chronic schizophrenia. Schizophr Res 10:117-124, 1993


<references/>
<references/>


(執筆者:池淵恵美 担当編集委員:加藤忠文)
(執筆者:池淵恵美 担当編集委員:加藤忠文)

案内メニュー