「摂食障害」の版間の差分

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[[Image:Face.png|thumb|right|300px|<b>図1.A嬢の木版画 (William Gull, 1874)</b><br/>]]
英語名:eating disorders 独:Essstörung 仏:Trouble des conduites alimentaires  
英語名:eating disorders 独:Essstörung 仏:Trouble des conduites alimentaires  


 摂食障害は、主に神経性食思(欲)不振症(anorexia nervosa, AN)と神経性過(大)食症(bulimia nervosa, BN)からなる。ANは身体像の障害、強い[[やせ願望]]や[[肥満恐怖]]などのため[[不食]]や[[摂食]]制限、あるいは[[過食]]しては[[wikipedia:JA:嘔吐|嘔吐]]するため著しいやせと種々の身体・精神症状を生じる一つの症候群である。BNは、自制困難な摂食の欲求を生じて、短時間に大量の食物を強迫的に摂取しては、その後嘔吐や[[wikipedia:JA:下剤|下剤]]の乱用、翌日の摂食制限、不食などにより体重増加を防ぎ、体重はANほど減少せず正常範囲内で変動し、過食後に[[無気力感]]、[[抑うつ]]気分、[[自己卑下]]をともなう一つの症候群である。これらの摂食障害が[[wikipedia:JA:思春期|思春期]]から[[wikipedia:JA:青年期|青年期]]の女性を中心に急増している。しかし最近の際立った特徴として、患者が前思春期の低年齢層から既婚の高年齢層まで拡がりをみせていることや、臨床像が多様化して非定型例が増加していることである。このような背景を踏まえて、ここでは摂食障害の中核となるANとBNについて説明する。 [[Image:Face.png|thumb|right|500px|<b>図1 A嬢の木版画 (William Gull, 1874)</b><br/>]]
 摂食障害は、主に神経性食思(欲)不振症(anorexia nervosa, AN)と神経性過(大)食症(bulimia nervosa, BN)からなる。ANは身体像の障害、強い[[やせ願望]]や[[肥満恐怖]]などのため[[不食]]や[[摂食]]制限、あるいは[[過食]]しては[[wikipedia:JA:嘔吐|嘔吐]]するため著しいやせと種々の身体・精神症状を生じる一つの症候群である。BNは、自制困難な摂食の欲求を生じて、短時間に大量の食物を強迫的に摂取しては、その後嘔吐や[[wikipedia:JA:下剤|下剤]]の乱用、翌日の摂食制限、不食などにより体重増加を防ぎ、体重はANほど減少せず正常範囲内で変動し、過食後に[[無気力感]]、[[抑うつ]]気分、[[自己卑下]]をともなう一つの症候群である。これらの摂食障害が[[wikipedia:JA:思春期|思春期]]から[[wikipedia:JA:青年期|青年期]]の女性を中心に急増している。しかし最近の際立った特徴として、患者が前思春期の低年齢層から既婚の高年齢層まで拡がりをみせていることや、臨床像が多様化して非定型例が増加していることである。このような背景を踏まえて、ここでは摂食障害の中核となるANとBNについて説明する。  
 
== 神経性食思不振症  ==
== 神経性食思不振症  ==


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*'''身体像の障害''':低体重でやせていても、自分ではそれほどやせていると思っていない。多いのは大腿部、腹部、頬などが太っているや、膨れていると感じている。  
*'''身体像の障害''':低体重でやせていても、自分ではそれほどやせていると思っていない。多いのは大腿部、腹部、頬などが太っているや、膨れていると感じている。  
*'''病識の欠如''':自ら痩身を望むため、やせている状態を病気と認識していない。しかし種々の身体合併症を生じて体力の低下が意識されると病感を有するようになるが、真の病識は形成されていない。  
*'''病識の欠如''':自ら痩身を望むため、やせている状態を病気と認識していない。しかし種々の身体合併症を生じて体力の低下が意識されると病感を有するようになるが、真の病識は形成されていない。  
*'''その他の精神症状''':低栄養や体重減少により2次的に抑うつ症状を生じる。体重増加や肥満に対する不安や恐怖が強く、食事時になると不安、緊張が高まる。さらに食物やカロリ-などへの強いとらわれ、徹底した摂食制限などのANの中核症状以外にも、「整理整頓」などの強迫症状を高率に認める。また感情の気づきと表現が抑制されている失感情症(alexithymia)をしばしば認める。
*'''その他の精神症状''':低栄養や体重減少により2次的に抑うつ症状を生じる。体重増加や肥満に対する不安や恐怖が強く、食事時になると不安、緊張が高まる。さらに食物やカロリ-などへの強いとらわれ、徹底した摂食制限などのANの中核症状以外にも、「整理整頓」などの強迫症状を高率に認める。また感情の気づきと表現が抑制されている失感情症(alexithymia)をしばしば認める。


==== 行動異常  ====
==== 行動異常  ====
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=== 成因・発症機序  ===
=== 成因・発症機序  ===


  [[Image:Pict1.png|thumb|380px|<b> 図2 摂食障害の発症機序</b>]]
  [[Image:Pict1.png|thumb|300px|<b> 図2.摂食障害の発症機序</b>]]


 現在では生物学的、心理的、社会的要因の複雑な相互作用によるものと考えられている。このうち生物学的要因として、遺伝素因、脳内[[神経伝達物質]]、特に[[セロトニン]]の機能異常、その他脳の構造的異常が推定されている。 図2に発症機序を示した。すなわち[[ストレス]]、やせ願望、思春期の自立葛藤などの社会的、心理的要因により摂食量が低下すると、摂食障害に対する身体的素因を有する人の中枢性摂食調節機構に異常を生じ、適切な[[摂食行動]]が障害される。 さらにやせや栄養障害により生理的、精神的変化(身体的合併症や脳の機能的、形態的変化)を生じ、これがさらに摂食行動の中枢性調節機構に悪影響を及ぼし、「食べない→食べられない→食べたら止まらない」といった摂食行動異常の悪循環に陥り、摂食障害の複雑かつ特異的な病態が形成されるものと考えられる。
 現在では生物学的、心理的、社会的要因の複雑な相互作用によるものと考えられている。このうち生物学的要因として、遺伝素因、脳内[[神経伝達物質]]、特に[[セロトニン]]の機能異常、その他脳の構造的異常が推定されている。 図2に発症機序を示した。すなわち[[ストレス]]、やせ願望、思春期の自立葛藤などの社会的、心理的要因により摂食量が低下すると、摂食障害に対する身体的素因を有する人の中枢性摂食調節機構に異常を生じ、適切な[[摂食行動]]が障害される。さらにやせや栄養障害により生理的、精神的変化(身体的合併症や脳の機能的、形態的変化)を生じ、これがさらに摂食行動の中枢性調節機構に悪影響を及ぼし、「食べない→食べられない→食べたら止まらない」といった摂食行動異常の悪循環に陥り、摂食障害の複雑かつ特異的な病態が形成されるものと考えられる。


=== 診断  ===
=== 診断  ===
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=== 概念と歴史  ===
=== 概念と歴史  ===


 BNは、自制困難な摂食の要求を生じて、短時間に大量の食物を強迫的に摂取しては、その後嘔吐や下剤の乱用、翌日の摂食制限、不食などにより体重増加を防ぎ、体重はANほど減少せず正常範囲内で変動し、過食後に無気力感、抑うつ気分、自己卑下をともなう一つの症候群である。 1950年代頃から過食は肥満症との関連で研究されてきた。そして1970年代頃より体重が正常範囲内で、過食しては嘔吐や下剤を乱用する患者の存在に気づかれるようになった。1979年にイギリスのRussell<ref name="cit7"><pubmed>482466</pubmed></ref>が、1)自己抑制できない過食の衝動、2)過食後の自己誘発性嘔吐または下剤の使用、3)肥満に対して病的恐怖を示す患者の一群をbulimia nervosaと呼び、これらの患者の大部分がANの既往を有していたことから、ANの予後不良の亜型と考えた。 アメリカでは、1980年に[[wikipedia:JA:DSM-Ⅲ|DSM-Ⅲ]]で過食症(bulimia)の診断基準をつくりANと区別した。そして1987年のDSM-ⅢRの診断基準ではBNと改め、1994年のDSM-Ⅳ(2000年にDSM-Ⅳ-TR)の診断基準に至っている。一方WHOは1992年にICD-10の診断基準で、BNの診断基準を新たに設け現在に至っている。  
 BNは、自制困難な摂食の要求を生じて、短時間に大量の食物を強迫的に摂取しては、その後嘔吐や下剤の乱用、翌日の摂食制限、不食などにより体重増加を防ぎ、体重はANほど減少せず正常範囲内で変動し、過食後に無気力感、抑うつ気分、自己卑下をともなう一つの症候群である。1950年代頃から過食は肥満症との関連で研究されてきた。そして1970年代頃より体重が正常範囲内で、過食しては嘔吐や下剤を乱用する患者の存在に気づかれるようになった。1979年にイギリスのRussell<ref name="cit7"><pubmed>482466</pubmed></ref>が、1)自己抑制できない過食の衝動、2)過食後の自己誘発性嘔吐または下剤の使用、3)肥満に対して病的恐怖を示す患者の一群をbulimia nervosaと呼び、これらの患者の大部分がANの既往を有していたことから、ANの予後不良の亜型と考えた。 アメリカでは、1980年に[[wikipedia:JA:DSM-Ⅲ|DSM-Ⅲ]]で過食症(bulimia)の診断基準をつくりANと区別した。そして1987年のDSM-ⅢRの診断基準ではBNと改め、1994年のDSM-Ⅳ(2000年にDSM-Ⅳ-TR)の診断基準に至っている。一方WHOは1992年にICD-10の診断基準で、BNの診断基準を新たに設け現在に至っている。  


=== 疫学  ===
=== 疫学  ===
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==== 行動異常(表2)  ====
==== 行動異常(表2)  ====


*'''摂食行動''':過食、だらだら食い、絶食、摂食制限、隠れ食い、盗み食い、噛んで吐き出す(Chewing and spitting out food)などを示す。BNの中核症状は過食(binge eating)であり、bingeは「どんちゃん騒ぎ、酒宴、大騒ぎ、パ-ティ」などを意味し、binge eatingはこの様な際に大量の食物を無茶食いすることを云う。 しかし、これが摂食障害との関連で用いられる場合において、DSM-Ⅳ(-TR)では、1)一定の時間内(例えば2時間以内)に大部分の人が食べるより明らかに大量の食物を摂取し、2)その間、摂食を自制できないという感じをともなう(例えば、食べるのを途中で止められない感じや、何をどれだけ食べるかをコントロ-ルできない感じ)と定義されている。 過食と嘔吐の代理行動として、噛んで吐き出す行為がみられる。これは食物を噛んでは、そのエキスを吸い嚥下せずその残渣を吐き出して捨てる。  
*'''摂食行動''':過食、だらだら食い、絶食、摂食制限、隠れ食い、盗み食い、噛んで吐き出す(Chewing and spitting out food)などを示す。BNの中核症状は過食(binge eating)であり、bingeは「どんちゃん騒ぎ、酒宴、大騒ぎ、パ-ティ」などを意味し、binge eatingはこの様な際に大量の食物を無茶食いすることを云う。 しかし、これが摂食障害との関連で用いられる場合において、DSM-Ⅳ(-TR)では、1)一定の時間内(例えば2時間以内)に大部分の人が食べるより明らかに大量の食物を摂取し、2)その間、摂食を自制できないという感じをともなう(例えば、食べるのを途中で止められない感じや、何をどれだけ食べるかをコントロ-ルできない感じ)と定義されている。 過食と嘔吐の代理行動として、噛んで吐き出す行為がみられる。これは食物を噛んでは、そのエキスを吸い嚥下せずその残渣を吐き出して捨てる。  
*'''排出行動''':過食による体重増加を防いだり、減量するために自ら嘔吐を誘発したり、下剤や利尿剤を乱用する。自己誘発性嘔吐は過食後に気分が悪くて嘔吐したのがきっかけで、その後常習化したり、最初から過食による体重増加を防ぐために行なわれる。長期にわたり人差し指や中指を使って嘔吐していると、これらの指の背部のつけ根部にいわゆる「吐きダコ」ができる。 下剤乱用は、過食後に食物を体内から排出して、体重増加を防ぐために行われる。下剤で一日に5~10錠位から200錠を超える場合や、漢方薬では常用量をはるかに超えた量を用いる。毎日浣腸剤が用いられる場合もある。 利尿剤乱用について、入手が困難のため極めて少ない。しかし、医師から処方された利尿剤を密かに乱用される場合もある。 その他、サウナや風呂に長時間入り、発汗を促進して体重増加をふせぐ患者もいる。  
*'''排出行動''':過食による体重増加を防いだり、減量するために自ら嘔吐を誘発したり、下剤や利尿剤を乱用する。自己誘発性嘔吐は過食後に気分が悪くて嘔吐したのがきっかけで、その後常習化したり、最初から過食による体重増加を防ぐために行なわれる。長期にわたり人差し指や中指を使って嘔吐していると、これらの指の背部のつけ根部にいわゆる「吐きダコ」ができる。 下剤乱用は、過食後に食物を体内から排出して、体重増加を防ぐために行われる。下剤で一日に5~10錠位から200錠を超える場合や、漢方薬では常用量をはるかに超えた量を用いる。毎日浣腸剤が用いられる場合もある。 利尿剤乱用について、入手が困難のため極めて少ない。しかし、医師から処方された利尿剤を密かに乱用される場合もある。 その他、サウナや風呂に長時間入り、発汗を促進して体重増加をふせぐ患者もいる。  
*'''活動性''':BN患者では無気力、抑うつ状態で活動性は低下する場合が多い。  
*'''活動性''':BN患者では無気力、抑うつ状態で活動性は低下する場合が多い。  
*'''問題行動''':自傷行為や自殺企図、アルコ-ルや薬物乱用などの自己破壊的行為や万引きなどの社会的逸脱行為をしばしば認める。自傷行為として、手首自傷症候群が多い。患者は、鋭利なもので切りつけた時に、イライラや緊張感が一時的に緩和する、などと述べることが多い。自殺企図として、薬物によるものが最も多く、向精神薬の投与は注意を要する。欧米の研究ではBN患者の約3割弱にアルコ-ルや薬物依存を合併すると云われているが、我が国ではそれ程多くない。万引きについて、約1/3の患者にみられ、食品類を盗む場合が多い。
*'''問題行動''':自傷行為や自殺企図、アルコ-ルや薬物乱用などの自己破壊的行為や万引きなどの社会的逸脱行為をしばしば認める。自傷行為として、手首自傷症候群が多い。患者は、鋭利なもので切りつけた時に、イライラや緊張感が一時的に緩和する、などと述べることが多い。自殺企図として、薬物によるものが最も多く、向精神薬の投与は注意を要する。欧米の研究ではBN患者の約3割弱にアルコ-ルや薬物依存を合併すると云われているが、我が国ではそれ程多くない。万引きについて、約1/3の患者にみられ、食品類を盗む場合が多い。


==== 身体症状(表3)  ====
==== 身体症状(表3)  ====
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精神療法:肥満恐怖ややせ願望などの認知の歪みに対して認知行動療法的アプローチで修正していく<ref name="cit4" />。  
精神療法:肥満恐怖ややせ願望などの認知の歪みに対して認知行動療法的アプローチで修正していく<ref name="cit4" />。  


薬物療法:1)過食と排出行動の改善、2)不眠、不安、抑うつ気分、胃重感、消化・吸収機能の低下などの随伴症状に対する対症療法や、3)治療関係を促進し、精神療法や行動療法への導入をはかることなどがある。
薬物療法:1)過食と排出行動の改善、2)不眠、不安、抑うつ気分、胃重感、消化・吸収機能の低下などの随伴症状に対する対症療法や、3)治療関係を促進し、精神療法や行動療法への導入をはかることなどがある。


1)について、種々の抗うつ薬の過食に対する有効性が検証されている。最近では、セロトニンの選択的な再取込み阻害作用を有する[[選択的セロトニン再取り込み阻害剤]]である[[wikipedia:JA:フルボキサミン|フルボキサミン]]、[[wikipedia:JA:セルトラリン|セルトラリン]]、[[wikipedia:JA:パロキセチン|パロキセチン]]の有効性が報告されている。しかし我が国では、これらの薬剤が過食に対して認可されていない。しかしBN患者においてうつ状態を呈しやすく、うつ病や強迫性障害、パニック障害、社会不安障害などの不安障害の併存(comorbidity)が高率なのでこれらの治療でこれらのSSRIを投薬し、過食に対するも効果も期待できる。しかし抗うつ薬は、過食や嘔吐を減少させ、過食と嘔吐→抑うつ状態→過食と嘔吐といった悪循環を一時的に中断することにより、他の治療法を容易にし、その効果を高めることにより、本症からの回復に有効な補助手段となり得る。  
1)について、種々の抗うつ薬の過食に対する有効性が検証されている。最近では、セロトニンの選択的な再取込み阻害作用を有する[[選択的セロトニン再取り込み阻害剤]]である[[wikipedia:JA:フルボキサミン|フルボキサミン]]、[[wikipedia:JA:セルトラリン|セルトラリン]]、[[wikipedia:JA:パロキセチン|パロキセチン]]の有効性が報告されている。しかし我が国では、これらの薬剤が過食に対して認可されていない。しかしBN患者においてうつ状態を呈しやすく、うつ病や強迫性障害、パニック障害、社会不安障害などの不安障害の併存(comorbidity)が高率なのでこれらの治療でこれらのSSRIを投薬し、過食に対するも効果も期待できる。しかし抗うつ薬は、過食や嘔吐を減少させ、過食と嘔吐→抑うつ状態→過食と嘔吐といった悪循環を一時的に中断することにより、他の治療法を容易にし、その効果を高めることにより、本症からの回復に有効な補助手段となり得る。  


==== 家族への対応の仕方  ====
==== 家族への対応の仕方  ====

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