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夢に関する記述は古代から数多く見られるが、研究の対象として広く扱われるようになったのはフロイトを筆頭とする精神分析学からである(「夢と精神分析」を参照)。その後1950年代にAserinskyとKleitmanによりレム睡眠 (Rapid Eye Movement sleep: REM sleep) が発見され (1) 、レム睡眠中に被験者を起こすと高い確率で「夢を見ていた」との報告が得られることがわかり(2)、夢は科学的研究の対象となった。これまでにさまざまな手法を用いて夢に関する研究がおこなわれ、最近は脳機能イメージングを用いた研究も進んでいる。しかし、夢がどのように生み出されるのか、また夢に生物学的な意義が存在するかなど、現在においても数多くの疑問が残されている。 | 夢に関する記述は古代から数多く見られるが、研究の対象として広く扱われるようになったのはフロイトを筆頭とする精神分析学からである(「夢と精神分析」を参照)。その後1950年代にAserinskyとKleitmanによりレム睡眠 (Rapid Eye Movement sleep: REM sleep) が発見され (1) 、レム睡眠中に被験者を起こすと高い確率で「夢を見ていた」との報告が得られることがわかり(2)、夢は科学的研究の対象となった。これまでにさまざまな手法を用いて夢に関する研究がおこなわれ、最近は脳機能イメージングを用いた研究も進んでいる。しかし、夢がどのように生み出されるのか、また夢に生物学的な意義が存在するかなど、現在においても数多くの疑問が残されている。 | ||
== 夢の発生機構 == | == 夢の発生機構 == | ||
現在のところ、夢がどのような神経機構により生み出されるのかについて、一致した見解はない。現在提唱されている夢の発生機構についての仮説には、(1) レム睡眠の発生機構によるとするもの、(2) レム睡眠機構以外の機構によるとするもの、さらに(3) ノンレム睡眠中の夢に関しては、夢の発生に覚醒過程が関与するとの説がある。 | 現在のところ、夢がどのような神経機構により生み出されるのかについて、一致した見解はない。現在提唱されている夢の発生機構についての仮説には、(1) レム睡眠の発生機構によるとするもの、(2) レム睡眠機構以外の機構によるとするもの、さらに(3) ノンレム睡眠中の夢に関しては、夢の発生に覚醒過程が関与するとの説がある。 | ||
=== (1) 夢はレム睡眠機構によるとする説 === | === (1) 夢はレム睡眠機構によるとする説 === | ||
幻覚様のイメージ体験、断続的で不調和・不安定な奇異的知覚特性、強烈な情動性などがレム睡眠からの覚醒で得られる夢の特徴であるが、これらは視覚野や辺縁系の賦活や前頭皮質の活動低下といったレム睡眠中の脳活動とよく対応していることから、夢はレム睡眠機構により生み出されるとの考えが導かれる。その初期のモデルが、HobsonとMcCarleyが提案した活性化合成仮説 (activation-synthesis hypothesis)である(6)。 | 幻覚様のイメージ体験、断続的で不調和・不安定な奇異的知覚特性、強烈な情動性などがレム睡眠からの覚醒で得られる夢の特徴であるが、これらは視覚野や辺縁系の賦活や前頭皮質の活動低下といったレム睡眠中の脳活動とよく対応していることから、夢はレム睡眠機構により生み出されるとの考えが導かれる。その初期のモデルが、HobsonとMcCarleyが提案した活性化合成仮説 (activation-synthesis hypothesis)である(6)。 | ||
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=== (2) 夢はレム睡眠機構以外のメカニズムによるとする説 === | === (2) 夢はレム睡眠機構以外のメカニズムによるとする説 === | ||
レム睡眠時の夢の特徴がレム睡眠中の脳活動とよく一致するとしても、上述のように夢はノンレム睡眠中にも生じる。また、夢見の消失と脳の病変や器質的変化との関係を調べた研究から、レム睡眠発言の機構は夢の出現に必ずしも必要ではないと言う見解もある。 | レム睡眠時の夢の特徴がレム睡眠中の脳活動とよく一致するとしても、上述のように夢はノンレム睡眠中にも生じる。また、夢見の消失と脳の病変や器質的変化との関係を調べた研究から、レム睡眠発言の機構は夢の出現に必ずしも必要ではないと言う見解もある。 | ||
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=== (3) ノンレム睡眠中の夢には覚醒過程が関与するという説 === | === (3) ノンレム睡眠中の夢には覚醒過程が関与するという説 === | ||
ノンレム睡眠中の夢見には、覚醒過程の混入が関係している可能性がある。いくつかの実験によって、ノンレム睡眠中に混入する覚醒過程が夢の報告と関連することが報告されている。 | ノンレム睡眠中の夢見には、覚醒過程の混入が関係している可能性がある。いくつかの実験によって、ノンレム睡眠中に混入する覚醒過程が夢の報告と関連することが報告されている。 | ||
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さらに、夜間の睡眠中には、意識されないほど短い覚醒が頻繁に混入する(12)という知見を踏まえると、ノンレム睡眠中に生じた短い覚醒時に外界からの情報が取り込まれ、それが覚醒直前に体験した夢として自覚される可能性も否定できない。 | さらに、夜間の睡眠中には、意識されないほど短い覚醒が頻繁に混入する(12)という知見を踏まえると、ノンレム睡眠中に生じた短い覚醒時に外界からの情報が取り込まれ、それが覚醒直前に体験した夢として自覚される可能性も否定できない。 | ||
== 夢の役割・生物学的意義 == | == 夢の役割・生物学的意義 == | ||
夢は何らかの生物学的意義を持っているか? 今のところ、明確な答えはない。睡眠が生物学的意義を持つことは、レム断眠(REM sleep deprivation)を含む断眠(sleep deprivation)によって身体機能・認知機能に大きな影響が生じることから明らかである。しかし、夢に生物学的意義があるかどうか、その見解は分かれている。 | 夢は何らかの生物学的意義を持っているか? 今のところ、明確な答えはない。睡眠が生物学的意義を持つことは、レム断眠(REM sleep deprivation)を含む断眠(sleep deprivation)によって身体機能・認知機能に大きな影響が生じることから明らかである。しかし、夢に生物学的意義があるかどうか、その見解は分かれている。 | ||
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活性化合成仮説が主張するように、夢を見る事自体はレム睡眠の付随現象かもしれない。しかし、われわれの意識・精神活動は脳の神経細胞の電気的活動に基づくものであるが、覚醒時の行動の多くが意識には上らない脳活動の影響を受けている。「無我夢中」という言葉があるように、レム睡眠中の夢では、後述の明晰夢を除いていわゆる自己意識は無い(夢を見ながら、これは現実ではなく、自分は夢を見ていると気がつく事は稀である)。レム睡眠中におけるヒトの夢見という現象を、覚醒ともノンレム睡眠とも異なる、覚醒に近いが自己意識が無い状態における自発性の精神活動として捉えれば、夢の脳科学的研究は睡眠にとどまらずヒトの意識や自発性の脳活動と精神活動の関連を研究するための重要な研究手段となりうる。 | 活性化合成仮説が主張するように、夢を見る事自体はレム睡眠の付随現象かもしれない。しかし、われわれの意識・精神活動は脳の神経細胞の電気的活動に基づくものであるが、覚醒時の行動の多くが意識には上らない脳活動の影響を受けている。「無我夢中」という言葉があるように、レム睡眠中の夢では、後述の明晰夢を除いていわゆる自己意識は無い(夢を見ながら、これは現実ではなく、自分は夢を見ていると気がつく事は稀である)。レム睡眠中におけるヒトの夢見という現象を、覚醒ともノンレム睡眠とも異なる、覚醒に近いが自己意識が無い状態における自発性の精神活動として捉えれば、夢の脳科学的研究は睡眠にとどまらずヒトの意識や自発性の脳活動と精神活動の関連を研究するための重要な研究手段となりうる。 | ||
== 夢はレム睡眠に特異的か? == | == 夢はレム睡眠に特異的か? == | ||
レム睡眠の発見に続き、レム睡眠から覚醒させた場合は夢見の報告率が80%以上であるのに対して、ノンレム睡眠(non-Rapid Eye Movement sleep: NREM sleep)から覚醒させた場合は10%以下であること、レム睡眠中の急速眼球運動 (Rapid Eye Movements: REMs)の出現パタンと夢内容に関連性があることから(2, 3)、夢はレム睡眠に特異的な現象とみなされるようになった。 | レム睡眠の発見に続き、レム睡眠から覚醒させた場合は夢見の報告率が80%以上であるのに対して、ノンレム睡眠(non-Rapid Eye Movement sleep: NREM sleep)から覚醒させた場合は10%以下であること、レム睡眠中の急速眼球運動 (Rapid Eye Movements: REMs)の出現パタンと夢内容に関連性があることから(2, 3)、夢はレム睡眠に特異的な現象とみなされるようになった。 | ||
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上記の夢の定義のうち、(2)物語風の構造、(3)断続的で不調和、不安定な奇異的知覚特性、(4)強烈な情動性などを夢の必要条件とした場合はノンレム睡眠からの夢の報告率は低くなる。一方、夢を「被験者が睡眠中に生じたとみなす精神活動」と広義にとらえれば、ノンレム睡眠からの夢の報告率は高くなる。われわれが一般に「夢を見た」と言う場合の夢は、主にレム睡眠中に見ている夢である。 | 上記の夢の定義のうち、(2)物語風の構造、(3)断続的で不調和、不安定な奇異的知覚特性、(4)強烈な情動性などを夢の必要条件とした場合はノンレム睡眠からの夢の報告率は低くなる。一方、夢を「被験者が睡眠中に生じたとみなす精神活動」と広義にとらえれば、ノンレム睡眠からの夢の報告率は高くなる。われわれが一般に「夢を見た」と言う場合の夢は、主にレム睡眠中に見ている夢である。 | ||
== 夢に関連した諸現象 == | == 夢に関連した諸現象 == | ||
=== 入眠時心像(入眠時幻覚) === | === 入眠時心像(入眠時幻覚) === | ||
入眠期に幾何学模様や人物、風景が見えたり、その音や声が聞こえたりする現象を入眠時心像 (hypnagogic imagery) あるいは入眠時幻覚 (hypnagogic hallucination) という。 | 入眠期に幾何学模様や人物、風景が見えたり、その音や声が聞こえたりする現象を入眠時心像 (hypnagogic imagery) あるいは入眠時幻覚 (hypnagogic hallucination) という。 | ||
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=== 明晰夢 === | === 明晰夢 === | ||
夢を見ている最中に「今、自分は夢を見ている」という自覚が生じることがある。これを明晰夢 (lucid dreaming) という。 | 夢を見ている最中に「今、自分は夢を見ている」という自覚が生じることがある。これを明晰夢 (lucid dreaming) という。 | ||
89行目: | 75行目: | ||
近年ではパーキンソン病やLewy小体病の前駆症状として注目されている。RBDの患者を用いて、レム睡眠中の動作と眼球運動の関連を調べた研究では、対象をつかむ、指し示すなどの目標のはっきりした四肢の動作と眼球運動の方向が一致することが報告されている(**)。従来、夢の内容に関しては被験者の主観的な言語報告に頼るしかなかったが、夢の内容を動作として他者が観察可能なRBDは、夢の研究にとっても重要な手がかりを与えてくれるだろう。 | 近年ではパーキンソン病やLewy小体病の前駆症状として注目されている。RBDの患者を用いて、レム睡眠中の動作と眼球運動の関連を調べた研究では、対象をつかむ、指し示すなどの目標のはっきりした四肢の動作と眼球運動の方向が一致することが報告されている(**)。従来、夢の内容に関しては被験者の主観的な言語報告に頼るしかなかったが、夢の内容を動作として他者が観察可能なRBDは、夢の研究にとっても重要な手がかりを与えてくれるだろう。 | ||
== 夢と精神分析 == | == 夢と精神分析 == | ||
夢という精神現象を単なる現象記述から覚醒時を含む総合的な精神体系の中に位置づけた点は、精神分析学の功績である。ただし精神分析学においても逸話的な報告と恣意的な解釈にとどまり、結果的に夢の研究を脳研究から切り離してしまった感は否めない。 | 夢という精神現象を単なる現象記述から覚醒時を含む総合的な精神体系の中に位置づけた点は、精神分析学の功績である。ただし精神分析学においても逸話的な報告と恣意的な解釈にとどまり、結果的に夢の研究を脳研究から切り離してしまった感は否めない。 | ||
精神分析学に基づく夢分析・解釈は現在でも臨床心理学において用いられているが、(1) 報告される夢は、一晩の間に見た夢のごく一部であると考えられること、(2) 見た夢を覚えていて報告できるかどうかは、覚醒直前に見ていた夢であるかないかに大きく依存すること、(3) 夢分析・解釈の基本となる無意識・抑圧と言う過程について、現在の脳科学ではそのメカニズムはおろか、実体すら明らかにされていないこと、(4) 夢分析・解釈の妥当性及び再現性を確認する方法が確立されていないことから、脳科学とは切り離して考えるべきである。 | 精神分析学に基づく夢分析・解釈は現在でも臨床心理学において用いられているが、(1) 報告される夢は、一晩の間に見た夢のごく一部であると考えられること、(2) 見た夢を覚えていて報告できるかどうかは、覚醒直前に見ていた夢であるかないかに大きく依存すること、(3) 夢分析・解釈の基本となる無意識・抑圧と言う過程について、現在の脳科学ではそのメカニズムはおろか、実体すら明らかにされていないこと、(4) 夢分析・解釈の妥当性及び再現性を確認する方法が確立されていないことから、脳科学とは切り離して考えるべきである。 | ||
(執筆者:寒 重之、宮内 哲 担当編集委員:定籐 規弘) |
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