「視交叉上核」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
英語名:[[suprachiasmatic nucleus]] 英略語:[[SCN]]
英語名:[[suprachiasmatic nucleus]] 英略語:[[SCN]]


 視交叉上核は、視交叉の直上で[[視床下部]][[第三脳室]]底部にある一対の小さな神経核であり、哺乳類動物における[[睡眠]]と行動や内[[分泌]]等の生理的現象の概日リズムを支配する最高位中枢である。すなわち、視交叉上核は、末梢の臓器に存在する概日時計の振動や位相を調律する。このことは、生体から取り出した切片培養下の視交叉上核が、何週間も概日振動を示すこと、生体で視交叉上核を周辺の脳組織から切り離すと、視交叉上核では神経活動の概日リズムが見られるが、切り離された脳組織では観察されないこと、生体で視交叉上核を破壊すると概日リズムが失われるが、別の動物から採取した視交叉上核を移植すると概日リズムが回復すること、といった一連の実験から明らかになった。視交叉上核の個々の細胞は、概日時計の基礎となる転写-翻訳のフィードバックループを持つが、これは末梢の細胞がもつ機構と同じものである。しかし、視交叉上核には独自の細胞間コミュニケーションが高度に発達しており、これが視交叉上核が概日時計の中枢である所以とされている<ref name=ref1><pubmed>18419314</pubmed></ref>。
 視交叉上核は、[[視交叉]]の直上で[[視床下部]][[第三脳室]]底部にある一対の小さな神経核であり、[[wikipedia:ja:|哺乳類]]動物における[[睡眠]]と行動や[[内分泌]]等の生理的現象の[[概日リズム]]を支配する最高位中枢である。すなわち、視交叉上核は、末梢の臓器に存在する概日時計の振動や位相を調律する。このことは、生体から取り出した[[切片]]培養下の視交叉上核が、何週間も概日振動を示すこと、生体で視交叉上核を周辺の脳組織から切り離すと、視交叉上核では神経活動の概日リズムが見られるが、切り離された脳組織では観察されないこと、生体で視交叉上核を破壊すると概日リズムが失われるが、別の動物から採取した視交叉上核を移植すると概日リズムが回復すること、といった一連の実験から明らかになった。視交叉上核の個々の細胞は、概日時計の基礎となる[[wikipedia:ja:|転写]]-[[wikipedia:ja:|翻訳]]のフィードバックループを持つが、これは末梢の細胞がもつ機構と同じものである。しかし、視交叉上核には独自の細胞間コミュニケーションが高度に発達しており、これが視交叉上核が概日時計の中枢である所以とされている<ref name=ref1><pubmed>18419314</pubmed></ref>。


== 細胞構造 ==
== 細胞構造 ==


 すべての哺乳類において、視交叉上核は視交叉の後部の直上に、第三[[脳室]]を挟むように存在する一対の卵形の神経核である。ラットの視交叉上核の大きさは、吻尾方向に950 μm、幅が425 μm、背腹方向に400 μmである<ref name=ref2>'''van den Pol AN'''<BR>The suprachiasmatic nucleus: Morphological and cytochemical substrates for cellular interaction. <BR>In: Klein D C, Moore R Y, Reppert S M (eds) Suprachiasmatic nucleus: The mind clock.<br>''Oxford University press'' (1991)</ref>。前方と内側は内側視索前野に、背側と後方は前視床下部野に、腹側は視交叉によって囲まれている。ラットにおいては、一側の視交叉上核に8000個の細胞が存在している<ref name=ref2 />。視交叉上核の神経細胞は中枢神経系においてもっとも小さなものの一つであり、直径は10 μm以下で、小脳や[[海馬]]の顆粒細胞と同程度の大きさである。視交叉上核は均一な細胞集団ではなく、いくつかの異なった細胞群の集まりである。一般組織染色による細胞構築的観察により、視交叉上核は、背内側部と腹外側部の二つの部位に分かれる。背内側部は、最も細胞密度が大きい部位である。細胞は小さく、直径約7-8 μmで、楕円形の細胞が多い。腹外側部は背内側部と比較してやや疎に細胞が分布する。構成する細胞はやや大きく、直径約8-10 μmの円形の細胞が多い。この腹外側部の領域に視交叉上核へのほとんどの求心性線維が終止するのが特徴で、背内側部に入力する神経投射は少ない。上記の2部位は共に明らかに周囲の前視床下部野よりは細胞密度が大きいが、視交叉上核の背外側部は細胞密度が特に疎で、通常の染色では前視床下部野との境界がはっきりしない。
 すべての哺乳類において、視交叉上核は視交叉の後部の直上に、第三脳室を挟むように存在する一対の卵形の神経核である。[[wikipedia:ja:|ラット]]の視交叉上核の大きさは、吻尾方向に950 μm、幅が425 μm、背腹方向に400 μmである<ref name=ref2>'''van den Pol AN'''<BR>The suprachiasmatic nucleus: Morphological and cytochemical substrates for cellular interaction. <BR>In: Klein D C, Moore R Y, Reppert S M (eds) Suprachiasmatic nucleus: The mind clock.<br>''Oxford University press'' (1991)</ref>。前方と内側は[[内側視索前野]]に、背側と後方は[[前視床下部野]]に、腹側は視交叉によって囲まれている。
 
 ラットにおいては、一側の視交叉上核に8000個の細胞が存在している<ref name=ref2 />。視交叉上核の神経細胞は中枢神経系においてもっとも小さなものの一つであり、直径は10 μm以下で、[[小脳]]や[[海馬]]の[[顆粒細胞]]と同程度の大きさである。視交叉上核は均一な細胞集団ではなく、いくつかの異なった細胞群の集まりである。一般組織染色による細胞構築的観察により、視交叉上核は、背内側部と腹外側部の二つの部位に分かれる。背内側部は、最も細胞密度が大きい部位である。細胞は小さく、直径約7-8 μmで、楕円形の細胞が多い。腹外側部は背内側部と比較してやや疎に細胞が分布する。構成する細胞はやや大きく、直径約8-10 μmの円形の細胞が多い。この腹外側部の領域に視交叉上核へのほとんどの求心性線維が終止するのが特徴で、背内側部に入力する神経投射は少ない。上記の2部位は共に明らかに周囲の前視床下部野よりは細胞密度が大きいが、視交叉上核の背外側部は細胞密度が特に疎で、通常の染色では前視床下部野との境界がはっきりしない。


== 神経伝達物質の分布 ==
== 神経伝達物質の分布 ==
[[image:図1視交叉上核.jpg|thumb|300px|'''図1.視交叉上核のペプチド産生細胞の局在と網膜から視交叉上核への神経線維の模式図'''<br>アルギニンバソプレッシン (AVP) 、血管作動性腸管ポリペプチド (VIP)、ガストリン放出ペプチド (GRP)、ソマトスタチン (SST)]]
[[image:図1視交叉上核.jpg|thumb|300px|'''図1.視交叉上核のペプチド産生細胞の局在と網膜から視交叉上核への神経線維の模式図'''<br>アルギニンバソプレッシン (AVP) 、血管作動性腸管ポリペプチド (VIP)、ガストリン放出ペプチド (GRP)、ソマトスタチン (SST)]]


 上述した一般染色による細胞形態の違いはわずかであるが、視交叉上核の細胞はその産生する神経伝達物質が独特な分布を示す。これは、1970-1980年代にペプチドやアミノ酸の免疫組織化学が導入されてはじめて明らかとなった。この結果、視交叉上核は一様ではなく、各々の神経伝達物質が特徴的な神経核内局在を示す、多種類の独立した細胞群からなる構造であることが確定された。
 上述した一般染色による細胞形態の違いはわずかであるが、視交叉上核の細胞はその産生する[[神経伝達物質]]が独特な分布を示す。これは、1970-1980年代に[[wikipedia:ja:|ペプチド]]や[[wikipedia:ja:|アミノ酸]]の[[wikipedia:ja:|免疫組織化学]]が導入されてはじめて明らかとなった。この結果、視交叉上核は一様ではなく、各々の神経伝達物質が特徴的な神経核内局在を示す、多種類の独立した細胞群からなる構造であることが確定された。
 
 視交叉上核を構成する神経細胞には多くの種類のペプチド産生細胞が存在する (図1)。ラットにおいて、背内側部には[[アルギニンバソプレッシン]] (AVP) 産生細胞が、腹外側部には[[血管作動性腸管ポリペプチド]] (VIP) や[[ガストリン放出ペプチド]] (GRP) 産生細胞が存在する。また、背内側部と腹外側部の間の狭い中間部には、[[ソマトスタチン]](SST)や[[サブスタンスP]](SP)を産生する細胞が存在する。これらのペプチド産生細胞の分布様式は、[[wikipedia:ja:|マウス]]や[[wikipedia:ja:|ハムスター]]など[[wikipedia:ja:|齧歯類]]のみならず、[[wikipedia:ja:|ヒト]]や[[wikipedia:ja:|サル]]といった[[wikipedia:ja:|霊長類]]でも基本的に同様であり、なんらかの生理的意義があると考えられている。


 視交叉上核を構成する神経細胞には多くの種類のペプチド産生細胞が存在する (図1)。ラットにおいて、背内側部にはアルギニンバソプレッシン (AVP) 産生細胞が、腹外側部には血管作動性腸管ポリペプチド (VIP) やガストリン放出ペプチド (GRP) 産生細胞が存在する。また、背内側部と腹外側部の間の狭い中間部には、ソマトスタチン(SST)やサブスタンスP(SP)を産生する細胞が存在する。これらのペプチド産生細胞の分布様式は、マウスやハムスターなど齧歯類のみならず、ヒトやサルといった霊長類でも基本的に同様であり、なんらかの生理的意義があると考えられている。
===AVP細胞===
 背内側部に密に存在するAVP細胞については、直径8-9 μmの楕円形あるいは円形のものが多い。電子顕微鏡による超微形態学的観察によると、[[wikipedia:ja:|粗面小胞体]]、[[wikipedia:ja:|ミトコンドリア]]、[[ゴルジ体]]、[[ニューロフィラメント]]等が発達している。AVP含有線維終末は視交叉上核の背内側領域に密に存在するが、腹外側部にはほとんどないのが特徴である。AVPの発現は、視交叉上核において、明暗条件下のみならず、恒常暗条件下においても、明期(主観的昼)に高く、暗期(主観的夜)に低い概日振動を示す。視交叉上核には、AVP[[受容体]]である[[V1]]aおよび[[V1b受容体]]が発現するとされるも、遺伝的にAVPが欠損した[[Brattleboroラット]]では行動異常は無く、V1a受容体で若干の行動周期延長が認められるのみである。このようにAVPおよびその受容体は視交叉上核内に大量に発現しているにもかかわらず、その働きが分っておらず、その役割の解明が待たれる。


 背内側部に密に存在するAVP細胞については、直径8-9 μmの楕円形あるいは円形のものが多い。電子顕微鏡による超微形態学的観察によると、粗面小胞体、ミトコンドリア、[[ゴルジ体]]、ニューロフィラメント等が発達している。AVP含有線維終末は視交叉上核の背内側領域に密に存在するが、腹外側部にはほとんどないのが特徴である。AVPの発現は、視交叉上核において、明暗条件下のみならず、恒常暗条件下においても、明期(主観的昼)に高く、暗期(主観的夜)に低い概日振動を示す。視交叉上核には、AVP受容体であるV1aおよびV1b受容体が発現するとされるも、遺伝的にAVPが欠損したBrattleboroラットでは行動異常は無く、V1a受容体で若干の行動周期延長が認められるのみである。このようにAVPおよびその受容体は視交叉上核内に大量に発現しているにもかかわらず、その働きが分っておらず、その役割の解明が待たれる。
===VIP細胞===
 VIP細胞は、視交叉上核の腹外側部において非常に密に存在する。その多くは、直径8-13 μmの小球形あるいは楕円形の細胞であり、AVP細胞と同様に細胞小器官が発達している。腹外側部のVIP細胞は背内側のAVP細胞に投射し、視交叉上核内で神経回路を形成している。この回路の伝達物質はVIP/PHIで受容体はVPAC2である。VIPあるいはVPAC2欠損マウスにおいては、視交叉上核の神経細胞間の脱同調や概日行動リズムの著明な異常が認められる<ref name=ref3><pubmed>15750589</pubmed></ref>。


 VIP細胞は、視交叉上核の腹外側部において非常に密に存在する。その多くは、直径8-13 μmの小球形あるいは楕円形の細胞であり、AVP細胞と同様に細胞小器官が発達している。腹外側部のVIP細胞は背内側のAVP細胞に投射し、視交叉上核内で神経回路を形成している。この回路の伝達物質はVIP/PHIで受容体はVPAC2である。VIPあるいはVPAC2欠損マウスにおいては、視交叉上核の神経細胞間の脱同調や概日行動リズムの著明な異常が認められる<ref name=ref3><pubmed>15750589</pubmed></ref>。同じく腹外側部に存在するGRP細胞は、その領域はかなりの部分がVIP細胞の分布と重複しているが、VIP細胞よりもさらに外側に存在する傾向がある。VIPとGRPは明暗条件下において、対称的な概日振動を示す。すなわち、VIPおよびそのmRNAは明期に低く暗期に高いのに対して、GRPとそのmRNAは、明期に高く、暗期に低い振動を示す。しかしながら、これらの振動は恒暗条件下では消失する。GRP受容体も視交叉上核に発現し、このノックアウトマウスは光に対する反応性が落ちている<ref name=ref4><pubmed>11752203</pubmed></ref>。また、分泌タンパク質であるprokineticin 2 (PK2)およびその受容体PKR2も視交叉上核に発現する。PKR2は視交叉上核からの直接投射部位である[[背内側核]]、視床[[室傍核]]、外側中隔核で発現していることや、ラットの脳室内にPK2を活動期に投与すると行動が抑制されるため、PK2は視交叉上核からの出力を担う分子とも考えられている<ref name=ref5><pubmed>12024206</pubmed></ref>。
===GRP細胞===
同じく腹外側部に存在するGRP細胞は、その領域はかなりの部分がVIP細胞の分布と重複しているが、VIP細胞よりもさらに外側に存在する傾向がある。VIPとGRPは明暗条件下において、対称的な概日振動を示す。すなわち、VIPおよびそのmRNAは明期に低く暗期に高いのに対して、GRPとそのmRNAは、明期に高く、暗期に低い振動を示す。しかしながら、これらの振動は恒暗条件下では消失する。GRP受容体も視交叉上核に発現し、このノックアウトマウスは光に対する反応性が落ちている<ref name=ref4><pubmed>11752203</pubmed></ref>。また、分泌タンパク質であるprokineticin 2 (PK2)およびその受容体PKR2も視交叉上核に発現する。PKR2は視交叉上核からの直接投射部位である[[背内側核]]、視床[[室傍核]]、外側中隔核で発現していることや、ラットの脳室内にPK2を活動期に投与すると行動が抑制されるため、PK2は視交叉上核からの出力を担う分子とも考えられている<ref name=ref5><pubmed>12024206</pubmed></ref>。


===SST細胞===
 SST細胞は少数で、この中間部より主に腹外側部に突起を伸ばすが、この神経線維は視交叉上核外には投射しないと考えられている。SSTおよびそのmRNAは、明暗条件下・恒暗条件下のどちらにおいても、明期に高く、暗期に低い振動を示す。視交叉上核において、SSTとSPが同一細胞で共存することが示されている。SP陽性線維に関しては網膜の神経節細胞から視交叉上核への投射線維にSPが存在するとの説がある。
 SST細胞は少数で、この中間部より主に腹外側部に突起を伸ばすが、この神経線維は視交叉上核外には投射しないと考えられている。SSTおよびそのmRNAは、明暗条件下・恒暗条件下のどちらにおいても、明期に高く、暗期に低い振動を示す。視交叉上核において、SSTとSPが同一細胞で共存することが示されている。SP陽性線維に関しては網膜の神経節細胞から視交叉上核への投射線維にSPが存在するとの説がある。


案内メニュー