「行動テストバッテリー」の版間の差分

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※ (10) の学習・記憶実験は目的やマウスの特性などに応じて選択する。
※ (10) の学習・記憶実験は目的やマウスの特性などに応じて選択する。


 以下に、行動テストバッテリーを構成するテストについて具体的な例を示す。テストの装置やプロトコルなどについては藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 システム医科学研究部門および生理学研究所 行動・代謝分子解析センター 行動様式解析室で使用されているものを元に記載してある。
 以下に、行動テストバッテリーを構成する個別のテストについて紹介する。テストの装置やプロトコルなどについては藤田保健衛生大学 総合医科学研究所 システム医科学研究部門および生理学研究所 行動・代謝分子解析センター 行動様式解析室で使用されているものを元に記載してある。


===感覚・知覚===
===感覚・知覚===
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Porsolt forced swim test
Porsolt forced swim test


 回避ができない環境で強制的に泳がされたマウスが学習性無力感によって遊泳しなくなることを利用したうつ様行動のテスト。水を入れた円筒形の容器にマウスを入れ、無動状態の時間を測定する<ref name=ref32><pubmed>204499</pubmed></ref>。水に入れた直後、マウスは脱出しようと動き回るが、次第に遊泳しなくなり動かない時間(無動時間)が増える。抗うつ薬を投与すると無動時間が減少する<ref name=ref32 />ことから、無動時間の長さがうつ様行動の指標とされている。無動時間が長ければうつ様行動の増加が、短ければ減少が示唆される。
 回避ができない環境で強制的に泳がされたマウスが学習性無力感によって遊泳しなくなることを利用したうつ様行動を測定するテスト。水を入れた円筒形の容器にマウスを入れ、無動状態の時間を測定する<ref name=ref32><pubmed>204499</pubmed></ref>。水に入れた直後、マウスは脱出しようと動き回るが、次第に遊泳しなくなり動かない時間(無動時間)が増える。抗うつ薬を投与すると無動時間が減少する<ref name=ref32 />ことから、無動時間の長さがうつ様行動の指標とされている。無動時間が長ければうつ様行動の増加が、短ければ減少が示唆される。


====尾懸垂テスト====
====尾懸垂テスト====
Tail suspension test
Tail suspension test


 逆さ向きに吊されたマウスが学習性無力感によって動かなくなることを利用したうつ様行動のテスト。マウスを尻尾から逆さに吊るし、無動時間を測定する<ref name=ref33><pubmed>15890404</pubmed></ref>。吊されたマウスは脱出しようと動き回るが、次第に動かない時間が増えてくる。このテストでも抗うつ薬を投与すると無動時間が減少する<ref name=ref33 />ことから、無動時間の長さがうつ様行動の指標とされている。
 逆さ向きに吊されたマウスが学習性無力感によって動かなくなることを利用したうつ様行動を測定するテスト。マウスを尻尾から逆さに吊るし、無動時間を測定する<ref name=ref33><pubmed>15890404</pubmed></ref>。吊されたマウスは脱出しようと動き回るが、次第に動かない時間が増えてくる。このテストでも抗うつ薬を投与すると無動時間が減少する<ref name=ref33 />ことから、無動時間の長さがうつ様行動の指標とされている。


 先述した不安様行動テストの場合と同様に、うつ様行動の代表的な2つのテストであるポーソルト強制水泳テスト (項目 3.4.1) と尾懸垂テスト (項目 3.4.2) でも、それぞれのテストで測定される行動の背景には共通の要因と個別に異なる要因とがある。そのため同じ遺伝子改変マウスに2つのテストを行った場合に、両方でうつ様行動の増減が同方向にみられる<ref name=ref34><pubmed>23300874</pubmed></ref>こともあれば一方ではうつ様行動が増加、他方では減少というように逆方向になることもある<ref name=ref31 />。ポーソルト強制水泳テストと尾懸垂テストは、ともに抗うつ剤の評価およびスクリーニングによく使われている。[[抗うつ薬]]の臨床における治療効果は、長期間の服用ではじめて得られるとされているが、[[wikipedia:ja:げっ歯類|げっ歯類]]を用いたこれらの実験では急性投与での効果のみが評価さていれるという問題が指摘されている<ref name=ref35><pubmed>11931738</pubmed></ref>。
 先述した不安様行動テストの場合と同様に、うつ様行動を測定する代表的な2つのテストであるポーソルト強制水泳テスト (項目 3.4.1) と尾懸垂テスト (項目 3.4.2) でも、それぞれのテストで測定される行動の背景には共通の要因と個別に異なる要因とがある。そのため同じ遺伝子改変マウスに2つのテストを行った場合に、両方でうつ様行動の増減が同方向にみられる<ref name=ref34><pubmed>23300874</pubmed></ref>こともあれば一方ではうつ様行動が増加、他方では減少というように逆方向になることもある<ref name=ref31 />。ポーソルト強制水泳テストと尾懸垂テストは、ともに抗うつ剤の評価およびスクリーニングによく使われている。[[抗うつ薬]]の臨床における治療効果は、長期間の服用ではじめて得られるとされているが、ポーソルト強制水泳テストと尾懸垂テストを用いたこれらの薬剤のスクリーニングでは急性投与での効果のみが評価されているという問題が指摘されている<ref name=ref35><pubmed>11931738</pubmed></ref>。


===学習・記憶===
===学習・記憶===
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Morris water maze test
Morris water maze test


 水を張った円形のプール内で、水面下に設置されたプラットフォーム(逃避台)をマウスに泳いで探索させることで空間記憶を測定するテスト<ref name=ref36>'''Morris, R. G. M.'''<br>Spatial localization does not require the presence of local cues. <br>''Learn. Motiv.'' 12, 239–260 (1981).</ref>。水からの逃避が動機づけとなっており、マウスは迷路外にある視覚的手がかりを利用してプラットフォームを 探索する。プールの大きさは施設やプロトコルによって異なるが、直径80〜200cm、高さ30〜50cm のものが使われることが多い。プール内の水は白色の塗料やスキムミルク、酸化チタンなどを用いて白濁させ、水面下のプラットフォームをマウスに対して不可視化する。
 水を張った円形のプール内で、水面下に設置されたプラットフォーム(逃避台)をマウスに泳いで探索させることで空間記憶を測定するテスト<ref name=ref36>'''Morris, R. G. M.'''<br>Spatial localization does not require the presence of local cues. <br>''Learn. Motiv.'' 12, 239–260 (1981).</ref>。水からの逃避が動機づけとなっており、マウスは迷路外にある視覚的手がかりを利用してプラットフォームを 探索する。プールの大きさは施設やプロトコルによって異なるが、直径80〜200cm、高さ30〜50cm のものが使われることが多い。プール内の水は白色の塗料やスキムミルク、酸化チタンなどを用いて白濁させ、水面下のプラットフォームがマウスから見えないようにする。


 一般的に用いられる方法では、最初にマウスをプールとプラットフォームに慣らせるために visible platform task を行う。この課題では、プラットフォームにマウスが目視できる旗やオブジェクトなどの目印をつけるか、プラットフォームそのものが水面より上になるように設置し、被験体の水泳能力や視覚能力を評価する。プラットフォームの位置は試行毎にランダムに設定される。
 一般的に用いられる方法では、最初にマウスをプールとプラットフォームに慣らせるために visible platform task を行う。この課題では、プラットフォームにマウスが目視できる旗やオブジェクトなどの目印をつけるか、プラットフォームそのものが水面より上になるように設置し、被験体の水泳能力や視覚能力を評価する。プラットフォームの位置は試行毎ごとにランダムに設定される。


 Visible platform task での成績に特に異常が見られなければ、次にプラットフォームを不可視にしてその位置を探索・学習させるhidden platform task を行う。通常、訓練の初期はランダムにプラットフォームの位置を探索するか、接触走性 (Thigmotaxis) によって壁に沿って泳いでプラットフォームにたどり着くことが多いが、訓練が進むにしたがって直接プラットフォームのある方向へ泳ぐようになる。接触走性によって迷路外の刺激を使わずに壁に沿って探索する戦略が固定してしまうとこのテストでの空間記憶の評価は難しくなってしまうのでマウスがプラットフォームを探索する戦略についても注意が必要である<ref name=ref37><pubmed>11390774</pubmed></ref>。
 Visible platform task での成績に特に異常が見られなければ、次にプラットフォームを不可視にしてその位置を探索・学習させるhidden platform task を行う。通常、訓練の初期ではプラットフォームの位置を規則性なく探索(ランダムサーチ)するか、接触走性 (Thigmotaxis) によって壁に沿って泳いでプラットフォームにたどり着くことが多いが、訓練が進むにしたがって直接プラットフォームのある方向へ泳ぐようになる。接触走性によって迷路外の刺激を使わずに壁に沿って探索する戦略が固定してしまうとこのテストでの空間記憶の評価は難しくなってしまうのでマウスがプラットフォームを探索する戦略についても注意が必要である<ref name=ref37><pubmed>11390774</pubmed></ref>。


 統制群のマウスでプラットフォームにたどり着くまでの時間や距離が短縮され、プラットフォーム位置についての学習が成立した後、プローブテストを行う。プローブテストでは、プラットフォームを取り除いた状態でマウスを自由に探索させ、プラットフォームが設置されていた領域にマウスが留まる時間の長さによって[[空間記憶]]をどのくらい保持・[[想起]]できるかを評価する。モリス[[水迷路]]は、もともとはラットを対象として考案されたテストであり、マウスでの使用には問題点も指摘されている。例えば、課題遂行の動機付けが水からの逃避ではない空間学習記憶においてマウスはラットと同等の遂行能力を持つものの、モリス水迷路においてはマウスの遂行能力はラットに比較して劣っていることが報告されている<ref name=ref38><pubmed>8916170</pubmed></ref>。また、水泳能力や[[wikipedia:ja:視力|視力]]、水に対する反応性などの違いが混交要因 (4.5 結果の解釈における注意事項を参照) となり、結果が大きく変わることがあるので実験の選択および得られた結果の解釈には注意が必要である<ref name=ref37 />。
 統制群のマウスでプラットフォームにたどり着くまでの時間や距離が短縮され、プラットフォーム位置についての学習が成立した後、プローブテストを行う。プローブテストでは、プラットフォームを取り除いた状態でマウスを自由に探索させ、プラットフォームが設置されていた領域にマウスが留まる時間の長さによって[[空間記憶]]をどのくらい保持・[[想起]]できるかを評価する。モリス[[水迷路]]は、もともとはラットを対象として考案されたテストであり、マウスでの使用には問題点も指摘されている。例えば、課題遂行の動機付けが水からの逃避ではない空間学習記憶においてマウスはラットと同等の遂行能力を持つものの、モリス水迷路においてはマウスの遂行能力はラットに比較して劣っていることが報告されている<ref name=ref38><pubmed>8916170</pubmed></ref>。また、水泳能力や[[wikipedia:ja:視力|視力]]、水に対する反応性などの違いが混交要因 (4.5 結果の解釈における注意事項を参照) となり、結果が大きく変わることがあるので実験の選択および得られた結果の解釈には注意が必要である<ref name=ref37 />。
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Barnes maze test
Barnes maze test


 マウスが明るくて広い場所を避ける性質を利用し、円盤上に空けられた穴の下にある逃避箱の位置を学習させることで空間記憶を測定するテスト<ref name=ref39><pubmed>221551</pubmed></ref>。水迷路のドライ版とも言われ、実験の方法はモリス水迷路と類似している。水を使用しないため、水泳能力や水に対する反応などに実験結果が影響を受けず、マウスに与えるストレスも水迷路と比較すると少ないため、広く使われている。迷路は円盤状で周辺部に等間隔で穴があいており、そのうち1カ所の下に逃避箱を設置する。マウスを迷路に置くと、円盤上を探索し、最終的には逃避箱を発見してその中へ入る。逃避箱にたどり着くまでの時間、移動距離、逃避箱が設置されていない穴を探索した回数(エラー数)などを測定する。参照記憶課題では、逃避箱の位置をマウスごとに一定とし、迷路外の物体を手がかりに逃避箱の位置を学習させるトレーニングを行う。トレーニング中は、一定数の試行毎に迷路を回転させ、迷路内の刺激を逃避箱の位置を記憶する手がかりとして使わせないようにする。トレーニング後、逃避箱を外した状態でマウスに迷路上を探索させ、逃避箱があった場所にどの程度留まるかを測定するプローブテストを行うことで、空間記憶をどの程度保持し想起できていたのかを評価する。
 マウスが明るくて広い場所を避ける性質を利用し、円盤上に空けられた穴の下にある逃避箱の位置を学習させることで空間記憶を測定するテスト<ref name=ref39><pubmed>221551</pubmed></ref>。水迷路のドライ版とも言われ、実験の方法はモリス水迷路と類似している。水を使用しないため、水泳能力や水に対する反応などに実験結果が影響を受けず、マウスに与えるストレスも水迷路と比較すると少ないため、広く使われている。迷路は円盤状で周辺部に等間隔で穴があいており、そのうち1カ所の下に逃避箱が設置される。マウスは迷路上に置かれると、円盤上を探索し、最終的には逃避箱を発見してその中へ入る。逃避箱にたどり着くまでの時間、移動距離、逃避箱が設置されていない穴を探索した回数(エラー数)などを測定する。参照記憶課題では、逃避箱の位置をマウスごとに一定とし、迷路外の視覚刺激を手がかりに逃避箱の位置を学習させるトレーニングを行う。トレーニング中は、一定数の試行毎ごとに迷路を回転させ、円盤上の小さな傷や匂いなど迷路内の刺激を逃避箱の位置を記憶する手がかりとして使わせないようにする。トレーニング後、逃避箱を外した状態でマウスに迷路上を探索させ、逃避箱があった場所にどの程度留まるかを測定するプローブテストを行うことで、空間記憶をどの程度保持し想起できていたのかを評価する。


====8方向放射状迷路テスト====
====8方向放射状迷路テスト====
Eight-arm radial maze test
Eight-arm radial maze test


 食事制限したマウスに対して、迷路上の餌を探索させることで空間記憶を評価するテスト。プラットフォームから放射状に延びた8本のアームの先端に報酬となる餌を置き、食事制限によって空腹となったマウスに迷路内で餌を探索させる<ref name=ref40>'''Olton, D. S. & Samuelson, R. J.'''<br>Remembrance of places passed: Spatial memory in rats. <br>''J. Exp. Psychol. Anim. Behav. Process.'' 2, 97–116 (1976).</ref>。一度選択して餌を食べたアームには餌はないので、効率よく餌を食べて課題を終了させるためには、既に餌を食べたアームの空間的な位置を試行中に記憶しておかなければならない。一度訪れたアームを再度選択するとエラーとなり、このエラー数が増加すれば作業記憶 (認知過程の中で、情報を一時的に保持しつつ操作を行う記憶のシステム)の低下が示唆される。最初の8回選択中の正答数も作業記憶の指標となり、正答数が少なければ作業記憶が低下している可能性が高い。8方向[[放射状迷路]]は作業記憶の評価に使われることが多いが、一定のアームにだけ餌を置いてテストを行うことで作業記憶のように一時的ではなく長期に保持される参照記憶(一般的法則・事実についての情報を保存する記憶のシステム)を評価することも可能である。
 食事制限により空腹にしたマウスに対して、迷路上の餌を探索させることで空間記憶を評価するテスト。プラットフォームから放射状に延びた8本のアームの先端に報酬となる餌を置き、食事制限によって空腹となったマウスに迷路内で餌を探索させる<ref name=ref40>'''Olton, D. S. & Samuelson, R. J.'''<br>Remembrance of places passed: Spatial memory in rats. <br>''J. Exp. Psychol. Anim. Behav. Process.'' 2, 97–116 (1976).</ref>。一度選択して餌を食べたアームには餌はないので、効率よく餌を食べるためには、既に餌を食べたアームの空間的な位置を試行中に記憶しておかなければならない。一度訪れたアームを再度選択するとエラーとなり、このエラー数が増加すれば作業記憶 (認知過程の中で、情報を一時的に保持しつつ操作を行う記憶のシステム)の低下が示唆される。最初の8回選択中の正答数も作業記憶の指標となり、正答数が少なければ作業記憶が低下している可能性が高い。8方向[[放射状迷路]]は作業記憶の評価に使われることが多いが、一定のアームにだけ餌を置いてテストを行うことで作業記憶のように一時的ではなく長期に保持される参照記憶(一般的法則・事実についての情報を保存する記憶のシステム)を評価することも可能である。


====恐怖条件づけテスト====
====恐怖条件づけテスト====
Fear conditioning test
Fear conditioning test


 マウスに場所(文脈)や音、光などの条件刺激と電気刺激などの無条件刺激を組み合わせて与えることで条件づけした後、条件刺激を再度提示した際にマウスが[[すくみ反応]]([[フリージング]])を示した時間を測定し、その割合を記憶能力の指標とするテスト<ref name=ref41><pubmed>7208128</pubmed></ref>。条件づけした文脈や手がかり刺激を与えてもすくみ反応を示さなかったり、示している時間が短かったりすれば、記憶能力の異常が示唆される。このテストは古典的条件づけおよび文脈記憶のテストとして広く使われている。恐怖条件づけでは、マウスに電気ショックなどの非常に強い刺激を用いるため、このテストを経験させた動物はその後の行動特性が大きく変化する可能性がある。そのため、本テストはテストバッテリーの終盤に行うことが多い。逆に実験者による取り扱いに(ハンドリング)に全く慣れていない個体をテストの被験体として用いると、ケージから取り出しなどのハンドリングも含めて無条件刺激となってしまい、どんな文脈に対してもすくみ反応を示してしまうこともある。このような場合は、文脈や手がかりを記憶しているかどうかの評価ができなくなってしまうので、実験を計画する際には注意が必要である。
 マウスに場所(文脈)や音、光などの条件刺激と電気刺激などの無条件刺激を組み合わせて与えることで条件づけした後、条件刺激を再度提示した際にマウスが[[すくみ反応]]([[フリージング]])を示した時間を測定し、一定時間あたりのフリージング持続時間を記憶能力の指標とするテスト<ref name=ref41><pubmed>7208128</pubmed></ref>。条件づけした文脈や手がかり刺激を与えてもすくみ反応を示さなかったり、示している時間が短かったりすれば、記憶能力の異常が示唆される。このテストは古典的条件づけおよび文脈記憶のテストとして広く使われている。恐怖条件づけでは、マウスに電気ショックなどの非常に強い刺激を与えるため、このテストを経験させた動物はその後の行動特性が大きく変化する可能性がある。そのため、本テストはテストバッテリーの終盤に行うことが多い。他のテストを経験しておらず、実験者による取り扱いに(ハンドリング)にも全く慣れていない個体をテストの被験体として用いると、ケージからの取り出しや持ち運びなどのハンドリングも含めて無条件刺激となってしまい、どんな文脈に対してもすくみ反応を示してしまうこともある。このような場合は、文脈や手がかりを記憶しているかどうかの評価ができなくなってしまうので、実験を計画する際には注意が必要である。


==実施にあたって留意すべき事項==
==実施にあたって留意すべき事項==
===マウスの準備===
===マウスの準備===
 各種の実験操作を受けた解析の対象となる実験群のマウスとその対照となる統制群のマウスを用意する。実験群と統制群のマウスは、実験操作以外の条件、例えば、週齢、性別、遺伝背景、成育飼育環境などの条件が統制されている必要がある。同腹仔(littermates)であれば、週齢、遺伝背景、胎内環境、生育環境などが同じになるのでそこから実験群と統制群のペアを作り、を準備するのが望ましい。
 各種の実験操作を受けた解析の対象となる実験群のマウスとその対照となる統制群のマウスを用意する。実験群と統制群のマウスは、実験操作以外の条件、例えば、週齢、性別、遺伝的背景、成育環境などの条件が統制されている必要がある。同腹仔(littermates)であれば、週齢、遺伝的背景、胎内環境、生育環境などが同じになるのでそこから実験群と統制群のペアを作り、実験用のマウスを準備するのが望ましい。


====遺伝的背景====
====遺伝的背景====
 実験用のマウスにはさまざまな系統が存在し、系統によって行動特性は大きく異なる[7] [8]。どの系統をバックグランド系統とするかによって、検出される表現型が変化する可能性があるので使用する系統の選択には注意が必要である。例えば、プレパルス抑制がもともとあまり見られない系統をバックグランド系統として解析をした場合、プレパルス抑制の低下を検出するは難しい。逆に、プレパルス抑制が向上するという表現型であれば強調されて検出が容易になる可能性もある。
 遺伝子改変マウスの表現型解析を行う場合において、バックグラウンド系統として現在よく使われているのは C57BL6/J という系統である。一方で遺伝子改変マウスの作製に用いられるES細胞には、最も早く[[ES細胞]]株が確立されたマウス系統である129由来のものが多く使用されていた<ref name=ref43><pubmed>7242681</pubmed></ref> <ref name=ref44><pubmed>6950406</pubmed></ref>。
 遺伝子改変マウスの表現型解析を行う場合において、バックグラウンド系統として現在よく使われているのは C57BL6/J という系統である。一方で遺伝子改変マウスの作製に用いられるES細胞には、最も早く[[ES細胞]]株が確立されたマウス系統である129由来のものが多く使用されていた<ref name=ref43><pubmed>7242681</pubmed></ref> <ref name=ref44><pubmed>6950406</pubmed></ref>。


 この129という系統から派生した亜系統(亜系統について次段落参照)では[[脳梁]]の形成不全が生じており、記憶・学習に障害があるとされたため<ref name=ref45><pubmed>7093694</pubmed></ref>、遺伝子改変マウスを行動解析する際には多くの場合、遺伝的背景を129系 からC57BL6/J系統にする[[wikipedia:ja:戻し交配|戻し交配]] ([[wikipedia:ja:バッククロス|バッククロス]]) が行われている。実際、129系の亜系統のうち、129/J, 129/SvJ, 129/Sv では空間学習の成績低下が知られている<ref name=ref46><pubmed>10415403</pubmed></ref>。しかし、別の亜系統129S6/SvEvTac ではモリス水迷路や恐怖条件づけで測定される学習・記憶は正常であると報告されている<ref name=ref46 />。作業記憶についてもT迷路やY迷路を用いた自発的交替課題で129S2/SvHsd (129) とC57BL/6JOlaHsd との間で交替率(正答率)に大きな違いは見られない<ref name=ref47><pubmed>11423164</pubmed></ref>。その他にも、C57BL6/Jではプレパルス抑制 (項目3.1.2 参照) が低いのに対して、129/SvEvTacや129/J、129/SvJは高いことが報告されている<ref name=ref48><pubmed>9266614</pubmed></ref>。
 この129という系統から派生した亜系統(亜系統について次段落参照)では[[脳梁]]の形成不全が生じており、記憶・学習に障害があるとされたため<ref name=ref45><pubmed>7093694</pubmed></ref>、遺伝子改変マウスの行動を解析する際には多くの場合、遺伝的背景を129系 からC57BL6/J系統にする[[wikipedia:ja:戻し交配|戻し交配]] ([[wikipedia:ja:バッククロス|バッククロス]]) が行われている。実際、129系の亜系統のうち、129/J, 129/SvJ, 129/Sv では空間学習の成績低下が知られている<ref name=ref46><pubmed>10415403</pubmed></ref>。しかし、別の亜系統129S6/SvEvTac ではモリス水迷路や恐怖条件づけで測定される学習・記憶は正常であると報告されている<ref name=ref46 />。作業記憶についてもT迷路やY迷路を用いた自発的交替課題で129S2/SvHsd (129) とC57BL/6JOlaHsd との間で交替率(正答率)に大きな違いは見られない<ref name=ref47><pubmed>11423164</pubmed></ref>。その他にも、C57BL6/Jではプレパルス抑制 (項目3.1.2 参照) が低いのに対して、129/SvEvTacや129/J、129/SvJは高いことが報告されている<ref name=ref48><pubmed>9266614</pubmed></ref>。
 
 このように遺伝的背景が129系統であっても必ずしも表現型解析に問題が生じるわけではないのでC57BL6系へのバッククロスは必ずしも必要ではないと考えられる。また、戻し交配を行う場合に注意すべきこととして、ドナー系統(もとの系統)の遺伝子の残存がある。C57BL6/Jによる戻し交配を6回経て生まれたマウスは、遺伝子の98.4%がC57BL6/J由来のものとなる。しかし、これは理論上の値であり、遺伝子判定を行った上で遺伝子改変マウスを選別して戻し交配を行うのでターゲットとした遺伝子の周辺にはドナー系統の遺伝子が残存しており表現型に影響を与える可能性がある (隣接遺伝子効果, Flanking-gene effect) ので注意が必要である<ref name=ref49><pubmed>15364034</pubmed></ref>。現在ではC57BL6系統のES細胞株も確立されており、戻し交配を経ることなくC57BL6純系で遺伝子改変マウスを得ることができる<ref name=ref50><pubmed>17298852</pubmed></ref>。


====系統による行動特性の違い====
 このように遺伝的背景が129系統であっても必ずしも表現型解析に問題が生じるわけではないのでC57BL6系へのバッククロスが必須というわけではないと考えられる。また、戻し交配を行う場合に注意すべきこととして、ドナー系統(もとの系統)の遺伝子の残存がある。C57BL6/Jによる戻し交配を6回経て生まれたマウスは、遺伝子の98.4%がC57BL6/J由来のものとなる。しかし、これは理論上の値であり、遺伝子型判定を行った上で遺伝子改変マウスを選別して戻し交配を行うのでターゲットとした遺伝子の周辺にはドナー系統の遺伝子が残存しており表現型に影響を与える可能性がある (隣接遺伝子効果, Flanking-gene effect) ので注意が必要である<ref name=ref49><pubmed>15364034</pubmed></ref>。現在ではC57BL6系統のES細胞株も確立されており、戻し交配を経ることなくC57BL6純系で遺伝子改変マウスを得ることができる<ref name=ref50><pubmed>17298852</pubmed></ref>
 実験用のマウスにはさまざまな系統が存在し、系統によって行動特性は大きく異なる<ref name=ref7 /> <ref name=ref8 />。どの系統をバックグランド系統とするかによって、検出される表現型が変化する可能性があるので使用する系統の選択には注意が必要である。例えば、プレパルス抑制がもともとあまり見られない系統をバックグランド系統として解析をした場合、プレパルス抑制の低下を検出するは難しい。逆に、プレパルス抑制が向上するという表現型であれば強調されて検出が容易になる可能性もある。


====亜系統間の行動特性差====
 遺伝的に均一である近交系マウスでも、共通の祖先から別れて20世代以上にわたり維持されると、亜系統 (substrain) として区別される。例えばC57BL6には、J, N, C といった亜系統がある。これらはもともと同じ系統であったが、異なる場所で繁殖・維持が続けられた結果、それぞれ独立した亜系統となったものである。これらの亜系統はいずれも広く使われているが、亜系統間では行動特性が大きく異なっていることが報告されている。例えば、自発活動性についてはJがN, Cに比較して高く、プレパルス抑制についてはNがJ, Cと比べて大きく、明暗選択箱で測定される不安様行動ではCが他に比べて低いなど、それぞれ特徴的な行動特性を示す<ref name=ref51><pubmed>20676234</pubmed></ref> <ref name=ref52><pubmed>21390289</pubmed></ref>。遺伝子改変マウスの系統維持の際には亜系統の違いには注意が払われないことが多いが、行動実験に用いる場合は亜系統も含めた遺伝的背景を統制することが重要である。
 遺伝的に均一である近交系マウスでも、共通の祖先から別れて20世代以上にわたり維持されると、亜系統 (substrain) として区別される。例えばC57BL6には、J, N, C といった亜系統がある。これらはもともと同じ系統であったが、異なる場所で繁殖・維持が続けられた結果、それぞれ独立した亜系統となったものである。これらの亜系統はいずれも広く使われているが、亜系統間では行動特性が大きく異なっていることが報告されている。例えば、自発活動性についてはJがN, Cに比較して高く、プレパルス抑制についてはNがJ, Cと比べて大きく、明暗選択箱で測定される不安様行動ではCが他に比べて低いなど、それぞれ特徴的な行動特性を示す<ref name=ref51><pubmed>20676234</pubmed></ref> <ref name=ref52><pubmed>21390289</pubmed></ref>。遺伝子改変マウスの系統維持の際には亜系統の違いには注意が払われないことが多いが、行動実験に用いる場合は亜系統も含めた遺伝的背景を統制することが重要である。


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が1の差、すなわち1標準偏差分の平均値の差、に対して十分な検出力 (statistic power > 0.80) を持つような被験体数は、各群について20匹程度となる<ref name=ref53>'''Cohen, J.'''<br>Statistical Power Analysis for the Behavioral Sciences.<br>''Routledge Academic'', 1988</ref>。
が1の差、すなわち1標準偏差分の平均値の差、に対して十分な検出力 (statistic power > 0.80) を持つような被験体数は、各群について20匹程度となる<ref name=ref53>'''Cohen, J.'''<br>Statistical Power Analysis for the Behavioral Sciences.<br>''Routledge Academic'', 1988</ref>。


 遺伝子変異マウスの解析については Crusio らが論文化に際しての基準を提唱しており、順守するべき項目として以下に示す8項目を挙げている<ref name=ref54><pubmed>18778401</pubmed></ref>。
 遺伝子変異マウスの解析については Crusio らが論文出版に際しての基準を提唱しており、遵守すべき項目として以下に示す8項目を挙げている<ref name=ref54><pubmed>18778401</pubmed></ref>。


#亜系統を含む完全な系統情報を正しい用語を使い記載すること。購入した系統は販売者情報を記載し、繁殖させて用いたものはその手続きを再現できるように十分に詳しく書くこと。
#亜系統を含む完全な系統情報を正しい用語を使い記載すること。購入した系統は販売者情報を記載し、繁殖させて用いたものはその手続きを再現できるように十分に詳しく書くこと。
#確証なく隣接遺伝子効果の影響を無視あるいは軽視しないこと。
#確証なく隣接遺伝子効果の影響を無視あるいは軽視しないこと。
#変異マウスとその統制群となる野生型マウスを別々の系統として維持しないこと。
#変異マウスとその統制群となる野生型マウスを別々の系統として維持しないこと。
#変異マウスの維持が、各個体がランダムに交配しているようなコロニーで維持されている場合、変異マウスとそのコントロールとなる野生型マウスとの比較は同腹子間でされるべきであり、どちらかの群が不釣り合いに特定の親のペアから供給されることのないようにすること。
#変異マウスの維持が、各個体がランダムに交配しているようなコロニーで維持されている場合、変異マウスとそのコントロールとなる野生型マウスとの比較は同腹子間でされるべきであり、どちらかの群が特定の親のペアから極端に多く供給されることのないようにすること。
#変異マウスが選択交配による[[コンジェニック系統]](Congenic strain)として維持されている場合、バッククロスを可能な限り長く続けることが推奨される。
#変異マウスが選択交配による[[コンジェニック系統]](Congenic strain)として維持されている場合、バッククロスを可能な限り長く続けること。
#変異マウスがコンジェニック系統から得られる場合は、バックグラウンドとして使用している系統を野生型マウスとしてコントロールに用いて比較することができる。
#変異マウスがコンジェニック系統から得られる場合は、バックグラウンドとして使用している系統を野生型マウスとしてコントロールに用いて比較することができる。
#遺伝子変異が[[トランスジェニック]]によってもたらされている場合、最初の解析では複数の樹立系統から由来する系統を用いる必要がある。
#遺伝子変異が[[トランスジェニック]]によってもたらされている場合、最初の解析では複数の樹立系統から由来する系統を用いる必要がある。
#サンプル数が少なくてもオスとメスのデータをまとめないこと。
#サンプル数が少なくてもオスとメスのデータをまとめないこと。
以上の8項目は、遺伝子変異マウスの解析に限らず、マウスで行動解析を行う場合には考慮するべきである。
以上の8項目は、ノックアウトマウス、トランスジェニックマウス、自然変異マウス、化学物質や放射線によって誘発された変異マウスなどあらゆる遺伝子変異マウスを用いた研究において遵守されるべきである。


===行動テストバッテリーの構成===
===行動テストバッテリーの構成===
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 マウスの行動は実験時の照明の明るさ、温度や騒音などの環境条件によって大きく影響を受けるため<ref name=ref55><pubmed>11682087</pubmed></ref>、実験を行う際は環境を可能な限り統制する必要がある。すなわち、できる限り実験室内やテスト装置内の照度を一定にし、防音室のように防音加工が施された独立スペースにおいてテストを行うなどの対策を講じることが望ましい。今日では、多くの行動テストにおいて、被験体の行動をコンピュータプログラムによる画像の取得と自動解析によってデータ化することが可能となっている。自動化された実験では、被験体の近くで実験者が直接的に行動を観察し記録を行うことはなくなった。その結果、実験者は解析中に実験室から離れることが可能となり、実験者の動きや息づかい、匂いなど実験者が意図せず[[無意識]]的に発する刺激によってマウスの行動が影響される可能性は小さくなっている。それでも、実験者がマウスを扱う以上は、実験者の影響を完全に排除することは難しい。この他、実験を行う時間帯や順番なども結果に影響を及ぼし得るので注意が必要である(節4.3実験者効果とカウンターバランスを参照)。
 マウスの行動は実験時の照明の明るさ、温度や騒音などの環境条件によって大きく影響を受けるため<ref name=ref55><pubmed>11682087</pubmed></ref>、実験を行う際は環境を可能な限り統制する必要がある。すなわち、できる限り実験室内やテスト装置内の照度を一定にし、防音室のように防音加工が施された独立スペースにおいてテストを行うなどの対策を講じることが望ましい。今日では、多くの行動テストにおいて、被験体の行動をコンピュータプログラムによる画像の取得と自動解析によってデータ化することが可能となっている。自動化された実験では、被験体の近くで実験者が直接的に行動を観察し記録を行うことはなくなった。その結果、実験者は解析中に実験室から離れることが可能となり、実験者の動きや息づかい、匂いなど実験者が意図せず[[無意識]]的に発する刺激によってマウスの行動が影響される可能性は小さくなっている。それでも、実験者がマウスを扱う以上は、実験者の影響を完全に排除することは難しい。この他、実験を行う時間帯や順番なども結果に影響を及ぼし得るので注意が必要である(節4.3実験者効果とカウンターバランスを参照)。


 Crabbeらは、実験環境が行動解析の結果にどのような影響を与えるかを明らかにするため、3つの異なる研究施設において、機器、プロトコル、餌、ケージ、床敷き、ケージ内のマウスの匹数、明暗サイクル、ケージ交換の頻度、マウスの週齢などの条件を統一した上で、8種類の行動テストを実施した<ref name=ref56><pubmed>10356397</pubmed></ref>。これらの条件を統一しても、各研究機関で得られたデータの間には統計的に有意な差が生じることが明らかとなった。研究施設間で統一できていなかった条件としては、実験者、マウスの輸送条件、使用した水道水、実験室の構造、換気用フィルター、湿度などがあげられている。このようにマウスの行動表現型は、実験者が認識していないような要因によっても影響を受ける可能性がある。特に効果の小さい表現型については実験を行った研究室の環境に依存する可能性が高いと考えられ、他の研究室では再現されない場合も想定される。論文で発表されている結果や他の研究室で得られたデータについて、比較あるいは追試する場合は上記のような可能性について考慮しなければならない。また、行動実験プロトコルを作成する際には、他の研究者が追試やデータ比較を行うことができるように実験環境の情報についても詳細に記すべきである<ref name=ref57><pubmed>20194625</pubmed></ref>。
 Crabbeらは、実験環境が行動解析の結果にどのような影響を与えるかを明らかにするため、3つの異なる研究施設において、機器、プロトコル、餌、ケージ、床敷き、ケージ内のマウスの匹数、明暗サイクル、ケージ交換の頻度、マウスの週齢などの条件を統一した上で、8種類の行動テストを実施した<ref name=ref56><pubmed>10356397</pubmed></ref>。マウス系統について6種類の行動テストを実施した[56]。系統によって大きな違いが見られるような行動については多くの場合において各機関で同様に系統による差が検出されたが、いくつかの行動についてはある研究機関においては系統による差が検出されるが他の研究機関では検出されなかった。研究施設間で統一できていなかった条件としては、実験者、マウスの輸送条件、使用した水道水、実験室の構造、換気用フィルター、湿度などがあげられている。このようにマウスの行動表現型は、実験者が認識していないような要因によっても影響を受ける可能性がある。特に効果の小さい表現型については実験を行った研究室の環境に依存する可能性が高いと考えられ、他の研究室では再現されない場合も想定される。論文で発表されている結果や他の研究室で得られたデータについて、比較あるいは追試する場合は上記のような可能性について考慮しなければならない。また、行動実験プロトコルを作成する際には、他の研究者が追試やデータ比較を行うことができるように実験環境の情報についても詳細に記すべきである<ref name=ref57><pubmed>20194625</pubmed></ref>。


===実験者効果とカウンターバランス===
===実験者効果とカウンターバランス===
 評価しようとしている遺伝子改変や薬物投与などの実験操作の効果について事前に何らかの仮説を実験者が持っている場合、無意識的なバイアスにより測定が偏ってしまうことがある。実験者の期待が実験動物の行動に影響を与える例としては、19世紀末から20世紀初頭に話題になった「[[wikipedia:ja:クレバーハンス|クレバーハンス]]」が有名である。当時、クレバーハンスは人間の言葉が分かり計算もできる[[wikipedia:ja:馬|馬]]と評判であった、しかし実際には出題をする飼い主や観客が無意識に行う動作や息づかいなどを察知して回答しており、この馬に言葉や計算などの能力があるわけではなかった<ref name=ref58>'''Pfungst, O. & Rahn, C. L.'''<br>Clever Hans (the horse of Mr. Von Osten) a contribution to experimental [[animal]] and human psychology.<br>''New York, H. Holt and company'', 1911.</ref>。このように、実験者が意図せずに実験結果に及ぼしてしまう影響を「実験者効果」と呼ぶ。実験操作や記録だけでなく、飼育時や実験時のマウスの持ち方や運び方なども行動に影響する可能性があるので注意が必要である。さらに実験者効果を排除するため、どの被験体が実験群か統制群かが実験を行う者だけでなくデータを解析する者にも、わからないように情報を伏せて実験・解析を行う[[wikipedia:ja:二重盲検法|二重盲検法]] (double blind test)を用いることが望ましい。
 評価しようとしている遺伝子改変や薬物投与などの実験操作の効果について事前に何らかの仮説を実験者が持っている場合、無意識的なバイアスにより測定が偏ってしまうことがある。実験者の期待が実験動物の行動に影響を与える例としては、19世紀末から20世紀初頭に話題になった「[[wikipedia:ja:クレバーハンス|クレバーハンス]]」が有名である。当時、クレバーハンスは人間の言葉が分かり計算もできる[[wikipedia:ja:馬|馬]]と評判であった、しかし実際には出題をする飼い主や観客が無意識に行う動作や息づかいなどを察知して回答しており、この馬に言葉や計算などの能力があるわけではなかった<ref name=ref58>'''Pfungst, O. & Rahn, C. L.'''<br>Clever Hans (the horse of Mr. Von Osten) a contribution to experimental [[animal]] and human psychology.<br>''New York, H. Holt and company'', 1911.</ref>。このように、実験者が意図せずに実験結果に及ぼしてしまう影響を「実験者効果」と呼ぶ。実験操作や記録だけでなく、飼育時や実験時のマウスの持ち方や運び方なども行動に影響する可能性があるので注意が必要である。さらに実験者効果を排除するため、どの被験体が実験群か統制群かが実験を行う者だけでなくデータを解析する者にも、わからないように情報を伏せて実験・解析を行う[[wikipedia:ja:二重盲検法|二重盲検法]] (double blind test)を用いることが望ましい。


 また、複数の装置を用いて実験を行う場合、装置ごとの特性の差異、音の反響や匂いの違いなど実験者が認識できない違いがある可能性があるので、実験群と統制群で使用する測定装置に偏りがないようにカウンターバランスをとることが必要である。また、マウスの行動には、日内変動や日間変動のような周期性を示すものもあり、行動実験を行う時間帯が群間で偏らないように注意を払う必要がある。また、集団飼育されている中から順次マウスをケージから取り出してテストを実施すると、テストを受けた順番がいくつかの行動の指標に影響することが知られている<ref name=ref59><pubmed>8140167</pubmed></ref>。このように実験の実施に際しては、各種要因を考慮してカウンターバランスをとることが必要である。
 また、ある実験を行うのに同じ装置を用いる場合、装置ごとの特性の差異、音の反響や匂いの違いなど実験者が認識できない違いがある可能性があるので、実験群と統制群で使用する測定装置に偏りがないようにカウンターバランスをとることが必要である。また、マウスの行動には、日内変動や日間変動のような周期性を示すものもあり、行動実験を行う時間帯が群間で偏らないように注意を払う必要がある。また、集団飼育されている中から順次マウスをケージから取り出してテストを実施すると、テストを受けた順番がいくつかの行動の指標に影響することが知られている<ref name=ref59><pubmed>8140167</pubmed></ref>。このように実験の実施に際しては、各種要因を考慮してカウンターバランスをとることが必要である。


===多重比較とその補正===
===多重比較とその補正===
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==脳科学研究における行動テストバッテリーの役割==
==脳科学研究における行動テストバッテリーの役割==
 行動テストバッテリーを用いた解析により、さまざまな遺伝子の変異や薬物、食品などが行動に与える影響が明らかとなってきている。ここでは[[遺伝子改変マウスの行動テストバッテリー]]を用いてどのような研究が進められているかを紹介する。
 行動テストバッテリーを用いた解析により、さまざまな遺伝子の変異や薬物、食品などが行動に与える影響が明らかとなってきている。ここでは[[遺伝子改変マウスの行動テストバッテリー]]を用いてどのように研究が進められているかを紹介する。
 
===脳科学研究のハブ===
 マウスはヒトと同じ哺乳類であり、個体レベルで認知や情動などの高次機能を解析することができ、さらに遺伝子を任意に改変できるといった特長がある。マウスで発現している遺伝子の99%はヒトでホモログがあり、マウスで効果があった遺伝子の変異や多型がヒトの脳の活動や高次認知機能にどういった影響を及ぼすかを調べることができる。これらの理由から、現在の脳神経科学研究において、マウスは実験動物として最も広く使われている。遺伝子改変マウスで行動表現型を見出すことができれば、その行動と関係している可能性の高い脳部位や回路、分子などを推測することができる。これに基づいて分子・細胞・回路・個体レベルなど、さまざまな階層においてその遺伝子の機能を解析する研究に繋がる[67]。このように、遺伝子改変マウスの行動テストバッテリーは、脳科学研究における各階層の研究を繋げるハブとして機能することが可能である。


===精神・神経疾患モデルの作製・同定===
===精神・神経疾患モデルの作製・同定===
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 これとは別に、遺伝子改変マウスの行動表現型から疾患モデルマウスを同定するアプローチもある。ある遺伝子の遺伝子改変マウスを網羅的行動テストバッテリーにより解析し、[[精神疾患]]様の行動異常が見出されれば、その遺伝子と特定の疾患との関係を示唆する仮説がそれまでなかったとしても、そのマウスは精神疾患のモデルマウスとなる可能性がある。例えば、[[前脳]]特異的[[カルシニューリン]] (CN) 欠失マウス (CNマウス) の行動を網羅的行動テストバッテリーで解析したところ、作業記憶に顕著な障害があること、さらに活動量の亢進、社会的行動の低下、PPIの低下など一連の[[統合失調症]]様の行動異常をこのマウスが示すことが明らかになった<ref name=ref19 /> <ref name=ref64><pubmed>11733061</pubmed></ref>。もともとCNと精神疾患との関係を明示するような仮説はなかったが、CNマウスで得られた結果に基づき、統合失調症患者と健常者を対象に人類遺伝学的研究を行ったところ、CNのサブユニット・[[CNAγ]]をコードする遺伝子[[PPP3CC]]が統合失調症と関連を示すことが分かった<ref name=ref65><pubmed>12851458</pubmed></ref> <ref name=ref66><pubmed>17895921</pubmed></ref>。このように遺伝子改変マウスの行動表現型の発見が、疾患モデルマウスの同定に加え、ヒトでの疾患関連遺伝子の発見に繋がる例もある。
 これとは別に、遺伝子改変マウスの行動表現型から疾患モデルマウスを同定するアプローチもある。ある遺伝子の遺伝子改変マウスを網羅的行動テストバッテリーにより解析し、[[精神疾患]]様の行動異常が見出されれば、その遺伝子と特定の疾患との関係を示唆する仮説がそれまでなかったとしても、そのマウスは精神疾患のモデルマウスとなる可能性がある。例えば、[[前脳]]特異的[[カルシニューリン]] (CN) 欠失マウス (CNマウス) の行動を網羅的行動テストバッテリーで解析したところ、作業記憶に顕著な障害があること、さらに活動量の亢進、社会的行動の低下、PPIの低下など一連の[[統合失調症]]様の行動異常をこのマウスが示すことが明らかになった<ref name=ref19 /> <ref name=ref64><pubmed>11733061</pubmed></ref>。もともとCNと精神疾患との関係を明示するような仮説はなかったが、CNマウスで得られた結果に基づき、統合失調症患者と健常者を対象に人類遺伝学的研究を行ったところ、CNのサブユニット・[[CNAγ]]をコードする遺伝子[[PPP3CC]]が統合失調症と関連を示すことが分かった<ref name=ref65><pubmed>12851458</pubmed></ref> <ref name=ref66><pubmed>17895921</pubmed></ref>。このように遺伝子改変マウスの行動表現型の発見が、疾患モデルマウスの同定に加え、ヒトでの疾患関連遺伝子の発見に繋がる例もある。
===脳・神経科学研究のハブ===
 マウスはヒトと同じ[[wikipedia:ja:哺乳類|哺乳類]]であり、個体レベルで認知や情動などの高次機能を解析することができ、さらに遺伝子を任意に改変できるといった特長がある。マウスで発現している遺伝子の99%はヒトでホモログがあり、マウスで効果があった遺伝子の変異や多型がヒトの脳の活動や高次認知機能にどういった影響を及ぼすかを調べることができる。これらの理由から、現在の[[脳神経]]科学研究において、マウスは実験動物として最も広く使われている。遺伝子改変マウスで行動表現型を見出すことができれば、その行動と関係している可能性の高い脳部位や回路、分子などを推測することができる。これに基づいて分子・細胞・回路・個体レベルなど、さまざまな階層においてその遺伝子の機能を解析する研究に繋がる<ref name=ref67><pubmed>17524507</pubmed></ref>。このように、遺伝子改変マウスの行動テストバッテリーは、脳・神経科学研究における各階層の研究を繋げるハブとして機能することが可能である。


===脳内中間表現型の探索===
===脳内中間表現型の探索===

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