9,444
回編集
細編集の要約なし |
細編集の要約なし |
||
9行目: | 9行目: | ||
{{box|text= | {{box|text= | ||
シナプスとは、神経情報を出力する側と入力される側の間に発達した、情報伝達のための接触構造のことである<ref name=ref1> | シナプスとは、神経情報を出力する側と入力される側の間に発達した、情報伝達のための接触構造のことである<ref name=ref1>'''甘利俊一監修・古市貞一編'''<br>「シリーズ脳科学5―分子・細胞・シナプスからみる脳」<br>''東京大学出版会''、2008</ref>。シナプスを介した情報伝達をシナプス伝達synaptic transmissionと呼び、神経細胞と筋線維(神経筋接合部; NMJ)、神経細胞と他種細胞の間に形成される構造も含めてシナプスと呼ぶこともある<ref name=ref2>'''Purves and Lichtman'''<br>"Principles of Neural Development" <br>''Sinauer Associates Inc'', 1985</ref>。 | ||
シナプスには大別して化学シナプスchemical synapseと電気シナプスelectrical synapseがあり、出力する側の細胞をシナプス前細胞、入力される側の細胞をシナプス後細胞という。 | シナプスには大別して化学シナプスchemical synapseと電気シナプスelectrical synapseがあり、出力する側の細胞をシナプス前細胞、入力される側の細胞をシナプス後細胞という。 | ||
23行目: | 23行目: | ||
「シナプス」の名付け親はSherringtonであり、1897年に神経細胞が別の神経細胞につながる特徴的な構造を指して、synapsis(ギリシャ語で、”to clasp”:「留め具」や「握手」といった意味)と呼んだ。synapsisという言葉は多少改変され、1904年にはSherrington自身もsynapseと呼んでいる<ref name=ref2 />。 | 「シナプス」の名付け親はSherringtonであり、1897年に神経細胞が別の神経細胞につながる特徴的な構造を指して、synapsis(ギリシャ語で、”to clasp”:「留め具」や「握手」といった意味)と呼んだ。synapsisという言葉は多少改変され、1904年にはSherrington自身もsynapseと呼んでいる<ref name=ref2 />。 | ||
神経細胞同士がシナプスで相互作用していることが光学顕微鏡により明らかになっても、形態的・機能的に神経細胞はつながっているのか否かの論争は50年以上にわたり続いた。Cajalのニューロン説(形態的には非連続で接触contiguityしている)とGolgiの網状説(形態的に連続continuityしている)は、1950年代に電子顕微鏡によりシナプス間隙があることが観察され、ニューロン説が正しいことが示された。情報伝達が化学的であるのか電気的であるのかはいわゆる「泡か電撃か」”soup versus spark” 論争である。1950年代後半になって多くのシナプスは化学シナプスである(電子顕微鏡でシナプス小胞が観察された)が、一部は明らかに電気シナプスであり、稀には化学的にも電気的にも情報伝達を行うシナプスがあることがわかった<ref name=ref3>Cowan, Sudhof and Stevens "Synapses" The Johns Hopkins University Press, 2001</ref> <ref name=ref4>Kuno "The Synapse: Function, Plasticity, and Neurotrophism" Oxford University Press, 1995</ref>。 | 神経細胞同士がシナプスで相互作用していることが光学顕微鏡により明らかになっても、形態的・機能的に神経細胞はつながっているのか否かの論争は50年以上にわたり続いた。Cajalのニューロン説(形態的には非連続で接触contiguityしている)とGolgiの網状説(形態的に連続continuityしている)は、1950年代に電子顕微鏡によりシナプス間隙があることが観察され、ニューロン説が正しいことが示された。情報伝達が化学的であるのか電気的であるのかはいわゆる「泡か電撃か」”soup versus spark” 論争である。1950年代後半になって多くのシナプスは化学シナプスである(電子顕微鏡でシナプス小胞が観察された)が、一部は明らかに電気シナプスであり、稀には化学的にも電気的にも情報伝達を行うシナプスがあることがわかった<ref name=ref3>'''Cowan, Sudhof and Stevens'''<br>"Synapses"<br>''The Johns Hopkins University Press'', 2001</ref> <ref name=ref4>'''Kuno'''<br>"The Synapse: Function, Plasticity, and Neurotrophism"<br>''Oxford University Press'', 1995</ref>。 | ||
その後、Loewiによる水溶性情報伝達物質(後に[[アセチルコリン]]と同定)の発見をはじめ、化学シナプスにおける情報伝達に関わる様々な分子が巧妙な実験により明らかになり、Katzらのシナプス小胞仮説vesicle hypothesis(情報伝達が量子的単位を持っているという仮説)につながっていく。同時期には標本固定法と顕微鏡法が発達し、形態と機能の両面から研究が発展する足がかりとなった<ref name=ref3 /> <ref name=ref4 />。 | その後、Loewiによる水溶性情報伝達物質(後に[[アセチルコリン]]と同定)の発見をはじめ、化学シナプスにおける情報伝達に関わる様々な分子が巧妙な実験により明らかになり、Katzらのシナプス小胞仮説vesicle hypothesis(情報伝達が量子的単位を持っているという仮説)につながっていく。同時期には標本固定法と顕微鏡法が発達し、形態と機能の両面から研究が発展する足がかりとなった<ref name=ref3 /> <ref name=ref4 />。 | ||
33行目: | 33行目: | ||
1980年代頃からは分子生物学を用いて、シナプス形成synaptogenesisやシナプス可塑性synaptic plasticityが重要な研究テーマとして認識されるようになった<ref name=ref3 /> <ref name=ref4 />。 | 1980年代頃からは分子生物学を用いて、シナプス形成synaptogenesisやシナプス可塑性synaptic plasticityが重要な研究テーマとして認識されるようになった<ref name=ref3 /> <ref name=ref4 />。 | ||
1990年代には、Kandelらにより、アメフラシを用いて行動の「慣れ」と「感作」に関連するシナプスの研究が進み、動物の学習行動の基盤にシナプス伝達効率の変化が存在し、その実体が[[カリウムチャネル]]の活性化と抑制であることが示された。なお、他に有名なモデルシナプスとしては、イカのGiant synapseや、聴覚中枢のCalyx of Heldなどがある<ref> Kandel, Schwartz and Jessell "Principles of Neural Science 4th ed." McGraw-Hill Medical, 2000</ref> <ref name=ref3 />。 | 1990年代には、Kandelらにより、アメフラシを用いて行動の「慣れ」と「感作」に関連するシナプスの研究が進み、動物の学習行動の基盤にシナプス伝達効率の変化が存在し、その実体が[[カリウムチャネル]]の活性化と抑制であることが示された。なお、他に有名なモデルシナプスとしては、イカのGiant synapseや、聴覚中枢のCalyx of Heldなどがある<ref>'''Kandel, Schwartz and Jessell'''<br>"Principles of Neural Science 4th ed." <br>''McGraw-Hill Medical'', 2000</ref> <ref name=ref3 />。 | ||
その後現在に至るまで、遺伝子・分子・細胞・神経回路・脳・個体など、多様な階層で精力的な研究が行われている。 | その後現在に至るまで、遺伝子・分子・細胞・神経回路・脳・個体など、多様な階層で精力的な研究が行われている。 | ||
52行目: | 52行目: | ||
===構造=== | ===構造=== | ||
[[image:Palay cerebellar synapse.jpg|thumb|350px|'''図2.小脳におけるシナプスの電子顕微鏡像'''<ref>Peters, Palay and Webster | [[image:Palay cerebellar synapse.jpg|thumb|350px|'''図2.小脳におけるシナプスの電子顕微鏡像'''<ref>'''Peters, Palay and Webster'''<br>"Fine Structure of the Nervous System: Neurons and Their Supporting Cells"<br>''Oxford University Press'', 1991</ref><br>電子密度が濃く、黒く見える部分がシナプス。軸索終末にはシナプス小胞が多数観察される。また、グリアがシナプスを包囲し、三者間シナプスを形成している。<br> | ||
As:[[バーグマングリア]]、At:軸索終末、Ax:軸索、sp:スパイン、SR:[[滑面小胞体]]]] | As:[[バーグマングリア]]、At:軸索終末、Ax:軸索、sp:スパイン、SR:[[滑面小胞体]]]] | ||
61行目: | 61行目: | ||
多くの場合、シナプス前要素presynaptic elementsは[[軸索終末]]であり、その構造から終末ボタンpresynaptic boutonと呼ばれる。シナプス間隙に面する軸索膜(シナプス前膜)には、電子密度が高い裏打ち構造を持つ部位があり、アクティブゾーン(活性部位; active zone)という。アクティブゾーンは後述するように、[[開口放出]]の場と考えられている。 | 多くの場合、シナプス前要素presynaptic elementsは[[軸索終末]]であり、その構造から終末ボタンpresynaptic boutonと呼ばれる。シナプス間隙に面する軸索膜(シナプス前膜)には、電子密度が高い裏打ち構造を持つ部位があり、アクティブゾーン(活性部位; active zone)という。アクティブゾーンは後述するように、[[開口放出]]の場と考えられている。 | ||
一方、多くの場合、シナプス後要素postsynaptic elementは細胞体や樹状突起dendriteである。シナプス間隙を挟んだアクティブゾーンの対向面には膜の電子密度が高い裏打ち構造([[シナプス後肥厚部]]:[[postsynaptic density]] ([[PSD]]))が厚く発達している<ref name=ref1 /> <ref name=ref5>Shepherd "The Synaptic Organization of the Brain 5th ed." Oxford University Press, 2004</ref>。 | 一方、多くの場合、シナプス後要素postsynaptic elementは細胞体や樹状突起dendriteである。シナプス間隙を挟んだアクティブゾーンの対向面には膜の電子密度が高い裏打ち構造([[シナプス後肥厚部]]:[[postsynaptic density]] ([[PSD]]))が厚く発達している<ref name=ref1 /> <ref name=ref5>'''Shepherd'''<br>"The Synaptic Organization of the Brain 5th ed."<br>''Oxford University Press'', 2004</ref>。 | ||
シナプス前膜の厚さにくらべ[[シナプス後肥厚]]部が極端に厚いものを非対称性シナプスasymmetrical synapse(Gray 1型)と呼び、[[興奮性シナプス]]excitatory synapseの特徴とされている。シナプス間隙は約30 nmと広く、シナプス前終末のシナプス小胞の形状は小型球形である。なお、[[興奮性]]シナプスが樹状突起に投射する場合、樹状突起棘dendritic spineという特徴的な構造をとることがある。 | シナプス前膜の厚さにくらべ[[シナプス後肥厚]]部が極端に厚いものを非対称性シナプスasymmetrical synapse(Gray 1型)と呼び、[[興奮性シナプス]]excitatory synapseの特徴とされている。シナプス間隙は約30 nmと広く、シナプス前終末のシナプス小胞の形状は小型球形である。なお、[[興奮性]]シナプスが樹状突起に投射する場合、樹状突起棘dendritic spineという特徴的な構造をとることがある。 | ||
86行目: | 86行目: | ||
(10a) なお、情報伝達物質は代謝型受容体metabotropic receptorをも活性化し、(12)セカンドメッセンジャーsecond messengerを通じて、他の代謝性効果も引き起こす。 | (10a) なお、情報伝達物質は代謝型受容体metabotropic receptorをも活性化し、(12)セカンドメッセンジャーsecond messengerを通じて、他の代謝性効果も引き起こす。 | ||
(9a) シナプス前終末もまた情報伝達物質の標的である。 シナプス後部ではNOS(Nitric oxide synthase; 一酸化窒素合成酵素)がセカンドメッセンジャーである一酸化窒素や2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)などをはじめとする[[エンドカンナビノイド]]が産生されることで、活動依存的にシナプス前終末の情報伝達物質の放出を調節している。この機構は、逆行性情報伝達とも呼ばれており、現在ではシナプスはただ単に一方向性の情報伝達を行うだけではなく、より複雑な、両方向性を持った細胞同士の接点と認識されている<ref> Shepherd | (9a) シナプス前終末もまた情報伝達物質の標的である。 シナプス後部ではNOS(Nitric oxide synthase; 一酸化窒素合成酵素)がセカンドメッセンジャーである一酸化窒素や2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)などをはじめとする[[エンドカンナビノイド]]が産生されることで、活動依存的にシナプス前終末の情報伝達物質の放出を調節している。この機構は、逆行性情報伝達とも呼ばれており、現在ではシナプスはただ単に一方向性の情報伝達を行うだけではなく、より複雑な、両方向性を持った細胞同士の接点と認識されている<ref>'''Shepherd'''<br>"The Synaptic Organization of the Brain 4th ed."<br>''Oxford University Press'', 1998</ref>。 | ||
===種類=== | ===種類=== | ||
98行目: | 98行目: | ||
==神経統合== | ==神経統合== | ||
神経細胞がシナプスを介して相互に結合し、活動電位がいかにして神経伝達物質の放出を引き起こすかを解説してきたが、シナプス後細胞では、受け取った興奮性シナプス電位と抑制性シナプス電位が細胞体まで伝わり、軸索小丘axon hillockで統合され、最終的に発火するかどうかが決まる。この影響の相互作用を神経統合neural integrationと呼ぶ<ref> Neil R. | 神経細胞がシナプスを介して相互に結合し、活動電位がいかにして神経伝達物質の放出を引き起こすかを解説してきたが、シナプス後細胞では、受け取った興奮性シナプス電位と抑制性シナプス電位が細胞体まで伝わり、軸索小丘axon hillockで統合され、最終的に発火するかどうかが決まる。この影響の相互作用を神経統合neural integrationと呼ぶ<ref name=ref6>'''Neil R.Carlson著、泰羅雅登・中村克樹監訳'''<br>「第3版 カールソン 神経科学テキスト 脳と行動」<br>''丸善株式会社''、2010</ref>。 | ||
ここで重要なのは、神経細胞同士の結合は1対1とは限らず、1対多、多対1であることが多いということである。すなわち、1つの神経細胞が多くの神経細胞に投射することを発散divergenceといい、多くの神経細胞から1つの神経細胞が投射を受けることを収斂convergenceという。実際には、多対多の投射が演算されて神経回路が形成されている<ref name=ref1 />。 | ここで重要なのは、神経細胞同士の結合は1対1とは限らず、1対多、多対1であることが多いということである。すなわち、1つの神経細胞が多くの神経細胞に投射することを発散divergenceといい、多くの神経細胞から1つの神経細胞が投射を受けることを収斂convergenceという。実際には、多対多の投射が演算されて神経回路が形成されている<ref name=ref1 />。 | ||
なお、抑制性シナプスの発火は、必ずしも行動レベルでの抑制につながるわけではないので注意する必要がある<ref | なお、抑制性シナプスの発火は、必ずしも行動レベルでの抑制につながるわけではないので注意する必要がある<ref name=ref6 />。 | ||
シナプス一つの性質をとっても、シナプスの活動状態によって情報伝達効率が変化する性質があり、これをシナプス可塑性と呼ぶ。 | シナプス一つの性質をとっても、シナプスの活動状態によって情報伝達効率が変化する性質があり、これをシナプス可塑性と呼ぶ。 |