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この行動嗜癖という臨床概念は、病的ギャンブリング(pathological gambling)やインターネット・ゲーム障害(internet gaming disorder)、窃盗癖(kleptomania)などの他、買い物、暴力・虐待、自傷、性的逸脱行動、[[摂食障害#過食|過食]]・嘔吐、放火、携帯電話など、多様な行動上の障害を含んであり、現状では不均質な症候群といわざるを得ない。なかには日常的で必要不可欠な社会的行為もあり、その点では、正常とのあいだに質的な差異はなく、あくまでも量的に逸脱した病態といえる。また、病態を説明する生物学的根拠がいまだ不十分なことも、行動嗜癖の位置づけを難しくさせている。物質[[依存症]]の場合、すでに精神作用物質の習慣的摂取による脳内変化や生理学的依存の存在が明らかにされており、それに依拠して依存症概念が確立された経緯がある。 | この行動嗜癖という臨床概念は、病的ギャンブリング(pathological gambling)やインターネット・ゲーム障害(internet gaming disorder)、窃盗癖(kleptomania)などの他、買い物、暴力・虐待、自傷、性的逸脱行動、[[摂食障害#過食|過食]]・嘔吐、放火、携帯電話など、多様な行動上の障害を含んであり、現状では不均質な症候群といわざるを得ない。なかには日常的で必要不可欠な社会的行為もあり、その点では、正常とのあいだに質的な差異はなく、あくまでも量的に逸脱した病態といえる。また、病態を説明する生物学的根拠がいまだ不十分なことも、行動嗜癖の位置づけを難しくさせている。物質[[依存症]]の場合、すでに精神作用物質の習慣的摂取による脳内変化や生理学的依存の存在が明らかにされており、それに依拠して依存症概念が確立された経緯がある。 | ||
こうした経緯から、行動嗜癖を物質依存症と同じカテゴリーに含めることについては、いまだ専門家のあいだでも議論がある<ref name=ref1><pubmed>11691967</pubmed></ref>。実際、行動嗜癖を物質依存症と同じカテゴリーに含めるかどうかについては、1980年代前半から検討され続けられながらも、実際には、[[DSM-IV]](DSMとは米国精神医学会が定めた精神障害についてのガイドライン、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersの略。)においては「衝動制御の障害」という疾患分類に、また、[[ICD-10]] | こうした経緯から、行動嗜癖を物質依存症と同じカテゴリーに含めることについては、いまだ専門家のあいだでも議論がある<ref name=ref1><pubmed>11691967</pubmed></ref>。実際、行動嗜癖を物質依存症と同じカテゴリーに含めるかどうかについては、1980年代前半から検討され続けられながらも、実際には、[[DSM-IV]](DSMとは米国精神医学会が定めた精神障害についてのガイドライン、Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersの略。)においては「衝動制御の障害」という疾患分類に、また、[[ICD-10]](ICDとは世界保健機関により公表された疾病及び関連保健問題の国際統計分類、international statistical classification of diseases and related health problemsの略。)においては「習慣及び衝動の障害」の項目に入れられていた。 | ||
しかしその一方で、行動嗜癖には、その行動が存在することで本人の生活機能や社会的機能、さらには本人及び周囲に深刻な主観的苦痛をもたらすのは事実である。そしてその行動には、依存性物質に対する渇望に似た強い衝動や衝迫が認められ、しばしば自己制御が困難である。また、その行動におよんだ直後には、精神的緊張からの解放感や安堵感をもたらす。これらは、まさに物質依存症と共通する特徴である。実際、物質依存症で確立された心理社会的治療や支援を援用することで、一定の治療成果を上げているという現実もある。近年では、後述するように、動物実験研究や[[神経画像的研究]]における物質依存症と共通した生物学的根拠の存在を指摘する報告が増え、特に病的ギャンブリングは生物学的知見に関する報告も多い。 | しかしその一方で、行動嗜癖には、その行動が存在することで本人の生活機能や社会的機能、さらには本人及び周囲に深刻な主観的苦痛をもたらすのは事実である。そしてその行動には、依存性物質に対する渇望に似た強い衝動や衝迫が認められ、しばしば自己制御が困難である。また、その行動におよんだ直後には、精神的緊張からの解放感や安堵感をもたらす。これらは、まさに物質依存症と共通する特徴である。実際、物質依存症で確立された心理社会的治療や支援を援用することで、一定の治療成果を上げているという現実もある。近年では、後述するように、動物実験研究や[[神経画像的研究]]における物質依存症と共通した生物学的根拠の存在を指摘する報告が増え、特に病的ギャンブリングは生物学的知見に関する報告も多い。 | ||
こうした状況のなかで、病的ギャンブリングについては、2013年5月に発表された[[DSM-5]] | こうした状況のなかで、病的ギャンブリングについては、2013年5月に発表された[[DSM-5]]において、物質依存症と同じ診断カテゴリーである、「物質関連と嗜癖の障害(substance-related and addictive disorders)」に分類されることになった。また、将来、正式な精神障害の診断カテゴリーとして採用される候補として、インターネット・ゲーム障害が示唆されている。 | ||
== 嗜癖行動障害の診断基準 == | == 嗜癖行動障害の診断基準 == | ||
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物質依存症と同様に、行動嗜癖においても、報酬系回路が慢性持続的に活性化され続けると馴化が生じ、鈍化が進行する。つまり、報酬系回路の機能は徐々に低下し、より報酬を感じにくく、快感が得られにくくなる。この状態は「[[報酬回路不全症候群]]」と呼ばれる<ref name=ref21><pubmed>19014506</pubmed></ref>。こうなると、あらゆることに対し興味や関心が薄れ、するとますます、依存している物質乱用や行動嗜癖を繰り返し続ける行動様式に陥ってしまう。 | 物質依存症と同様に、行動嗜癖においても、報酬系回路が慢性持続的に活性化され続けると馴化が生じ、鈍化が進行する。つまり、報酬系回路の機能は徐々に低下し、より報酬を感じにくく、快感が得られにくくなる。この状態は「[[報酬回路不全症候群]]」と呼ばれる<ref name=ref21><pubmed>19014506</pubmed></ref>。こうなると、あらゆることに対し興味や関心が薄れ、するとますます、依存している物質乱用や行動嗜癖を繰り返し続ける行動様式に陥ってしまう。 | ||
報酬回路不全の仮説は、辺縁系における[[D2受容体]] | 報酬回路不全の仮説は、辺縁系における[[D2受容体|D<sub>2</sub>受容体]]密度の減少に関連している。物質依存者では、線条体におけるD<sub>2</sub>受容体結合能の低下が報告されている<ref name=ref22><pubmed>22015315</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>9126741</pubmed></ref> <ref name=ref24><pubmed>11729018</pubmed></ref>。D<sub>2</sub>受容体密度が減少した状態では、快の感覚を感じにくく不快であり、ドーパミンレベルを正常な状態にするために、物質や嗜癖行動などのドーパミンが多く放出するような強い刺激を欲する。しかし一方で、依存の形成において、嗜癖に伴うドーパミンレベルの急上昇の反復が報酬系を感作し、物質や嗜癖行動などの快の刺激の誘因となる動機に対し、過感受性が生じることを示唆する知見も多い。 | ||
そもそも、D<sub>2</sub>受容体密度の減少が嗜癖や依存に先行するか後行するかは、まだ結論が出ていない。病的ギャンブリング者、病的過食者、インターネット嗜癖者の線条体におけるD<sub>2</sub>受容体密度の低下が示唆されている。遺伝子研究では、[[Taq1A]]遺伝子多型のA1対立遺伝子が、線条体におけるD<sub>2</sub>受容体減少に関連することが報告されており、[[positron emission tomography]]([[PET]])では、ドーパミン輸送体や[[受容体]]などの、機能的ダウンレギュレーションが傍証されうる。嗜癖や依存により生じる脳の状態が、報酬回路不全によるドーパミン低活性状態か、感作によるドーパミン過感受性の状態かについて、今後の研究が期待される。 | |||
== 併存精神障害 == | == 併存精神障害 == | ||
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厚生労働科学研究費補助金(障害保健福祉総合研究事業)平成19~21年度総合分担研究報告書: 2010.</ref>。 | 厚生労働科学研究費補助金(障害保健福祉総合研究事業)平成19~21年度総合分担研究報告書: 2010.</ref>。 | ||
まず行動嗜癖に先行して、[[大うつ病]]、[[双極性感情障害]]、[[統合失調症]]、[[不安障害]]、[[物質依存症]]、[[摂食障害]]などが存在していることがある。また、反社会性、強迫性、回避性、境界性など、各種[[パーソナリティ障害]]、[[広汎性発達障害]]、[[精神遅滞]]、[[認知症]]、[[器質的問題]]などで衝動制御が困難な状態の併存が見られることがある。さらに、嗜癖行動により、二次的に、抑うつや不安症状が出現することもある。 | |||
== 治療 == | == 治療 == | ||
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===薬物療法=== | ===薬物療法=== | ||
現在のところ、行動嗜癖に対して認可された治療薬はなく、薬物療法は[[精神療法]]や[[行動療法]]と併用されることが多いが、様々な試行がなされている。 | |||
上述したように、報酬系回路における依存形成や衝動統制に、ドーパミンとオピオイド神経系が関与していることに注目した薬物療法が行われることがある。[[nalmefene]]や[[naltrexone]]といった国内未採用のオピオイド拮抗薬の病的ギャンブリングなどに対する有効性が報告されている<ref name=ref31><pubmed>23503545</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>22426027</pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed>21150845</pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed>18384246</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>20884959</pubmed></ref> <ref name=ref36><pubmed>16449486</pubmed></ref>。また、[[topiramate]]は、中脳辺縁系のドーパミン機能を調節すると考えられており、行動嗜癖に対する有効性が報告されている<ref name=ref37>'''J Horley, D Bowlby'''<br>Theory, research, and intervention with arsonists<br>''Aggression and Violent Behavior'': 2011, 16(3);241–249</ref>。 | |||
セロトニンレベルの低下が、嗜癖の強化に関わる中脳辺縁系に対する抑制作用の低下を惹起するため、セロトニンレベルの低下を改善させる[[ | セロトニンレベルの低下が、嗜癖の強化に関わる中脳辺縁系に対する抑制作用の低下を惹起するため、セロトニンレベルの低下を改善させる[[selective serotonin reuptake inhibitors|selective serotonin reuptake inhibitors]]([[SSRI]])は、行動嗜癖に対する効果が期待されうる。 | ||
行動嗜癖によっては、感情障害の近縁疾患ととらえた薬物療法として、SSRI、[[SNRI]] | 行動嗜癖によっては、感情障害の近縁疾患ととらえた薬物療法として、SSRI、[[SNRI]]、[[三|三環系抗うつ薬]]・[[四環系抗うつ薬]]、[[気分安定薬]]、抗不安薬が試されることもある<ref name=ref27 />。 | ||
いずれの薬剤も、有効であったという症例報告レベルにとどまり、有効性が証明されるまでにはいたっていない。他の精神障害との高い重複率やパーソナリティに関した課題、衝動行為の心理的規制など、個々の行動嗜癖の背景にあるものの相違を考慮すると、各個人で核となる薬物治療の標的が異なるため、標準的薬物療法の確立は困難が予測される。 | いずれの薬剤も、有効であったという症例報告レベルにとどまり、有効性が証明されるまでにはいたっていない。他の精神障害との高い重複率やパーソナリティに関した課題、衝動行為の心理的規制など、個々の行動嗜癖の背景にあるものの相違を考慮すると、各個人で核となる薬物治療の標的が異なるため、標準的薬物療法の確立は困難が予測される。 | ||
===薬物療法以外の治療・支援=== | ===薬物療法以外の治療・支援=== | ||
現在国内では、アルコール・薬物依存症専門医療機関や[[wikipedia:ja:精神保健福祉センター|精神保健福祉センター]]のなかには、物質依存症に対する治療プログラムを修正して、行動嗜癖に対する個人もしくは集団による認知行動療法を試みている施設もあるが、現状では、ごく一部の施設における「試行的」な実践の域を出ない。他には、自助グループにおける「いい放し、聞き放し」のミーティング、あるいは、日記による[[セルフモニタリング]]などを利用した自助プログラムの取り組みが行われている。 | |||
心理的負荷や[[ストレス]]によって衝動・強迫行為が加速していくことは、病的ギャンブリングなどにおいて知られており<ref name=ref38>'''Blaszcsynski, A'''<br>Overcoming Compulsive Gambling.<br>''Robinson Pub'', London, 2010</ref>、認知行動療法では、行動嗜癖につながりやすい出来事や気分を同定・認識し、そのような出来事や気分が出現した際、問題となる行動を起こす前に、より適応的に対処する行動に置き換える訓練などが行われる。 | 心理的負荷や[[ストレス]]によって衝動・強迫行為が加速していくことは、病的ギャンブリングなどにおいて知られており<ref name=ref38>'''Blaszcsynski, A'''<br>Overcoming Compulsive Gambling.<br>''Robinson Pub'', London, 2010</ref>、認知行動療法では、行動嗜癖につながりやすい出来事や気分を同定・認識し、そのような出来事や気分が出現した際、問題となる行動を起こす前に、より適応的に対処する行動に置き換える訓練などが行われる。 | ||
また、国内には、[[アルコール依存症]]におけるalcoholics anonymous(A.A.)の12ステッププログラムを援用した自助グループが活動している。病的ギャンブリングについてはgamblers anonymous(G.A.)が、[[摂食]]障害についてはovereaters anonymous(O.A.)や日本アノレキシア・ブリミア協会(NABA)が、窃盗癖についてはkleptomaniacs anonymous(K.A.)が、そして買い物依存についてはdebtors anonymous(D.A.)が活動をしている。回復者が運営している民間リハビリ施設としては、病的ギャンブリングに関してはワンデーポートが存在するが、他の嗜癖行動については、こうした民間の支援資源はきわめて乏しい実情にある。 | |||
切迫した併存精神障害が存在する場合は、精神科医療機関での治療が優先される。行動嗜癖により二次的に生じたうつ症状や[[自殺企図]]が見られた場合<ref name=ref39>'''田辺等'''<br>ギャンブル依存症(病的ギャンブリング)と自殺<br>''精神科治療学'': 2010, 25;223-229</ref>、精神科医療施設や救急医療施設での対応が急務とされる。併存する精神障害によっては、地域社会資源の活用も検討される。 | |||
行動嗜癖の問題が顕在化する場所としては、精神科や救急医療現場などの医療機関、行政司法機関、債務問題相談機関([[wikipedia:ja:消費者センター|消費者センター]]、多重債務支援団体、[[wikipedia:ja:司法書士|司法書士]]団体、[[wikipedia:ja:弁護士|弁護士]]団体、[[wikipedia:ja:法テラス|法テラス]])、などが挙げられる。[[wikipedia:ja:ギャンブル|ギャンブル]]、[[wikipedia:ja:窃盗|窃盗]]、[[wikipedia:ja:放火|放火]]、[[wikipedia:ja:性犯罪|性犯罪]]などについては、[[wikipedia:ja:触法行為|触法行為]]で顕在化することもある。 | |||
問題が顕在化しないが、深刻な状況を抱えている人も多いと考えられ、社会的啓発を進めることで、問題に気づく機会を増やすことが期待される。 | 問題が顕在化しないが、深刻な状況を抱えている人も多いと考えられ、社会的啓発を進めることで、問題に気づく機会を増やすことが期待される。 |