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{{box|text= | {{box|text= FOXP2タンパク質は[[DNA]]結合領域をもつ[[転写制御因子]]であり、多くの遺伝子の発現を制御する。数世代間にわたって[[発話障害]]または[[言語障害]]をもつ家系の遺伝子解析から見出され、現在、[[ヒト]]の発話・言語機能の発達に関与する[[遺伝子]]として着目されている。言語機能とFOXP2との関連が見出された結果、主に言語学と心理学が対象としていたヒトの言語に対して、広範な神経科学の側面からのアプローチが可能となった。近年、FOXP2の制御下にある遺伝子群が網羅的に解析され、遺伝子ネットワークの重要性に注目が集まっている。発生期から成体期[[哺乳類]]の[[神経系]]において、FOXP2/Foxp2の発現は領域特異的に認められているが、それぞれの領域におけるFOXP2/Foxp2の詳細な機能はまだ不明な点が多い。これらのFOXP2/Foxp2発現領域間に形成される神経回路モデルが提唱されており、今後の研究によってその意義が解明されることが期待される。また、Foxp2は進化的に保存された遺伝子であり、[[鳴禽類]]の[[歌学習]]に関わる脳領域に発現が認められ、その機能解析が精力的に行われている。鳴禽類の歌学習に関与する神経回路はヒトの[[前頭葉]]と[[線条体]]に相同であることから、鳴禽類Foxp2の研究によって、ヒトの脳とFOXP2との機能的な関連が見出される可能性も期待されている。}}{{PBB/93986}} | ||
==FOXP2とは== | |||
}}{{PBB/93986}} | 1900年に(編集コメント:1990年でしょうか)、3世代のメンバー約半数に重篤な発話障害または言語障害がある家系(KE家)が報告された<ref><pubmed> 2332125 </pubmed></ref>。詳細な遺伝学的解析から、KE家の発話・言語障害の原因となる遺伝子座(SPCH1)が第7染色体長腕上の7q31という領域にあることが同定された<ref><pubmed> 9462748 </pubmed></ref>。さらに、KE家とは血縁関係になく、KE家と類似の発話・言語機能障害を持つC.S.氏の遺伝子を解析することにより、発話・言語機能障害の原因となる遺伝子領域が絞りこまれ、発話・言語障害の原因遺伝子としてFOXP2が同定された<ref><pubmed> 10880297 </pubmed></ref> <ref name=Lai_2001><pubmed> 11586359 </pubmed></ref>。ヒトFOXP2の相同遺伝子Foxp2は[[サル]]、[[マウス]]、[[キンカチョウ]]等他の動物において同定されている<ref name=Ferland_2003><pubmed> 12687690 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 18461604 </pubmed></ref> <ref name=Teramitsu_2004><pubmed> 15056695 </pubmed></ref>。 | ||
== | |||
言語は単なる音声ではなく、意思疎通を取るためのコミュニケーションツールの一つである。言語は、[[視覚]]や[[聴覚]]という[[感覚系]]を介して脳に情報を入力し、発話や筆記、[[ジェスチャー]]といった運動系によって出力される。感覚系と運動系の間の脳における情報処理は、言語における重要な特質である。これまで言語の研究は伝統的には、言語学や心理学の観点から為されてきたが、[[fMRI]]等の脳画像情報が得られるようになり、認知科学者も参画するようになった。さらに、ヒトの発話・言語機能の発達に関わる遺伝子FOXP2の発見により、言語の起源や獲得、神経生物学的側面についても研究が進むようになった。 | 言語は単なる音声ではなく、意思疎通を取るためのコミュニケーションツールの一つである。言語は、[[視覚]]や[[聴覚]]という[[感覚系]]を介して脳に情報を入力し、発話や筆記、[[ジェスチャー]]といった運動系によって出力される。感覚系と運動系の間の脳における情報処理は、言語における重要な特質である。これまで言語の研究は伝統的には、言語学や心理学の観点から為されてきたが、[[fMRI]]等の脳画像情報が得られるようになり、認知科学者も参画するようになった。さらに、ヒトの発話・言語機能の発達に関わる遺伝子FOXP2の発見により、言語の起源や獲得、神経生物学的側面についても研究が進むようになった。 | ||
== | ==構造== | ||
FOXP2/Foxp2遺伝子は[[Forkheadドメイン]]というDNA結合領域を持つ転写制御因子をコードしている<ref name=Lai_2001 /> <ref name=Shu_2001><pubmed> 11358962 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 16407075 </pubmed></ref>。 | |||
FOXP2/Foxp2遺伝子は[[Forkheadドメイン]]というDNA結合領域を持つ転写制御因子をコードしている<ref name=Lai_2001 /> <ref name=Shu_2001><pubmed> 11358962 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 16407075 </pubmed></ref | |||
==ファミリー== | |||
(他のFoxファミリーやそれらとの相互作用についても簡単に御言及頂けると幸いです)。 | |||
==発現== | ==発現== | ||
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|} | |} | ||
==FOXP2発現に依拠した神経回路モデル== | ==機能== | ||
===転写制御=== | |||
FOXP2/Foxp2タンパクは転写制御因子として、標的遺伝子の転写調節領域に結合し、転写抑制の制御を行う<ref><pubmed> 14701752 </pubmed></ref> <ref name=Shu_2001 />。FOXP2/Foxp2がどのような遺伝子の発現を制御しているかについて網羅的な解析がなされ、そのうちのいくつか([[APOD]], [[CCK]], [[CCK-AR]], [[CCND2]], [[CD5]], [[DISC1]], [[DRD2]], [[GABBR1]], [[MT2A]], [[NOS1]], [[PMX2B]], [[TDO2]], [[TIMELESS]], [[Wnt1|WNT1]], and [[ZNF74]])は言語発達との関連があると言われている<ref><pubmed> 17999357 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 17999362 </pubmed></ref>。逆に、Foxp2自身を制御する上流因子もしくは相互作用する因子の候補として、脳の発生発達に重要な[[PAX6|Pax6]]が挙げられる<ref><pubmed> 21617155 </pubmed></ref>。 | |||
===言語機能との関わり=== | |||
====遺伝子変異==== | |||
KE家の遺伝子変異はFOXP2配列の553番目の塩基が[[アルギニン]]から[[ヒスチジン]]に変わっており(R553H)、この遺伝子変異はKE家の中でも障害を抱えるメンバーのみに起こり、障害を抱えないKE家のメンバーは健常者と同様に遺伝子変異は見られなかった<ref name=French_2007><pubmed> 17619227 </pubmed></ref>。FOX遺伝子ファミリーにおいて、この553番目のアルギニンは不変部位であり、このアルギニンの隣には、Forkheadドメインの第3ヘリックスを構成するヒスチジンがある<ref><pubmed> 8332212 </pubmed></ref>。一方、C.S.氏の遺伝子変異はKE家の遺伝子変異とは異なり、FOXP2遺伝子上にて転座が生じたためにDNA結合領域が壊されている <ref name=Lai_2001 />。 | |||
[[ファイル:Sugiyama&Osumi_figure2.jpg|300px|thumb|'''図1.Foxp2の発現パターン'''<br> (A)マウス14日齢の大脳新皮質領域<br>(B)マウス30日齢の小脳皮質領域]] | |||
Foxp2の生体における機能を知るため、発生工学的に遺伝子機能を欠損させたノックアウトマウスや<ref name=French_2007 />、KE家に見られる遺伝子変異(R552H)を挿入したノックインマウス<ref name=Fujita_2008><pubmed> 18287060 </pubmed></ref> <ref name=Groszer_2008><pubmed> 18328704 </pubmed></ref>が作製された。Foxp2のノックアウトマウスでは小脳の縮小が見られた <ref name=French_2007 />。同様にFoxp2の変異ノックインホモ接合マウス(R552H/R552H)でも小脳の縮小、小脳[[プルキンエ細胞]]数の減少、さらに[[樹状突起]]のシナプス後部に発現する[[シナプトフィジン]]の発現も減少していた<ref name=Fujita_2008 />。またR552H/R552Hマウスは新生仔が発する[[wikipedia:ja:超音波|超音波]]による鳴き声([[ultrasonic vocalization]], USV)の減少という表現型が得られた<ref name=Fujita_2008 />。一方、ヘテロ接合ノックインマウスR552H/+では、形態的に小脳は正常なマウスとほとんど変わらなかったが、行動学的には、全般的な[[運動機能]]の障害や、線条体と小脳の神経回路における[[シナプス可塑性]]の異常、ホモ接合ノックインマウスR552H/ R552H に比べてマイルドなUSVの異常が見られた<ref name=Fujita_2008 /> <ref name=Groszer_2008 />。 | |||
====FOXP2発現に依拠した神経回路モデル==== | |||
[[ファイル:Osumi_Foxp2_Fig4.jpg|300px|thumb|'''図2.鳴禽の歌学習に関わる神経回路の模式図''' ]] | [[ファイル:Osumi_Foxp2_Fig4.jpg|300px|thumb|'''図2.鳴禽の歌学習に関わる神経回路の模式図''' ]] | ||
Vargha-Khademらは、FOXP2を発現している脳領域間で形成される神経回路が発話・言語を制御する、という神経回路モデルを提唱している<ref><pubmed> 15685218 </pubmed></ref>。この神経回路モデルでは、前頭葉-線条体経路と前頭葉-小脳経路の2つの経路がある(図2)。これらの神経回路において[[橋]][[灰白質]]以外は全てFOXP2の発現が見られる領域である。運動機能に関わる領域において、広範なFOXP2の発現が見られる意義は、まだ不明な点が多い。しかし、KE家での遺伝子変異の表現型が示すように、FOXP2を発現している神経細胞とその神経細胞によって構成される神経回路は、口腔や顔面の運動制御に重要な役割を果たしていると考えられる。 | Vargha-Khademらは、FOXP2を発現している脳領域間で形成される神経回路が発話・言語を制御する、という神経回路モデルを提唱している<ref><pubmed> 15685218 </pubmed></ref>。この神経回路モデルでは、前頭葉-線条体経路と前頭葉-小脳経路の2つの経路がある(図2)。これらの神経回路において[[橋]][[灰白質]]以外は全てFOXP2の発現が見られる領域である。運動機能に関わる領域において、広範なFOXP2の発現が見られる意義は、まだ不明な点が多い。しかし、KE家での遺伝子変異の表現型が示すように、FOXP2を発現している神経細胞とその神経細胞によって構成される神経回路は、口腔や顔面の運動制御に重要な役割を果たしていると考えられる。 | ||
==Foxp2と鳴禽の歌学習== | ====Foxp2と鳴禽の歌学習==== | ||
[[ファイル:Sugiyama&Osumi_figure3.jpg|300px|thumb|'''図3.''']] | [[ファイル:Sugiyama&Osumi_figure3.jpg|300px|thumb|'''図3.''']] | ||
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鳴禽の歌学習に関わる神経回路においてFoxp2が発現していることは非常に興味深い。ヒトの前頭葉-線条体経路と相同の神経回路が鳴禽の脳内に存在する。ヒトの大脳皮質に相当する鳥類の[[皮質領野]]([[high vocal center]]: [[HVC]])とヒトの線条体に相当する鳥類の領野XにFoxp2が発現している<ref name=Haesler_2004 />。HVCから[[領野X]]へ、領野Xは視床の[[背外側視床]]の[[内側核]](DLM核)へ、DLM核は皮質の前線条体の[[外側大細胞部]]([[LMAN核]])へと軸索が投射され、LMAN核は歌の生成に関わる神経回路に軸索投射する(図3)<ref name=Scharff_2004><pubmed> 15313783 </pubmed></ref>。またFoxp2は領野Xに発現があるだけでなく、鳴禽の歌学習時に発現量が上昇する<ref name=Haesler_2004 />。HVCとLMANからの投射がある[[終脳]]核(robustus arcopallialis: RA)は歌の機能に関わる[[運動ニューロン]]に投射する<ref name=Scharff_2004 /> <ref name=Teramitsu_2004 />。 | 鳴禽の歌学習に関わる神経回路においてFoxp2が発現していることは非常に興味深い。ヒトの前頭葉-線条体経路と相同の神経回路が鳴禽の脳内に存在する。ヒトの大脳皮質に相当する鳥類の[[皮質領野]]([[high vocal center]]: [[HVC]])とヒトの線条体に相当する鳥類の領野XにFoxp2が発現している<ref name=Haesler_2004 />。HVCから[[領野X]]へ、領野Xは視床の[[背外側視床]]の[[内側核]](DLM核)へ、DLM核は皮質の前線条体の[[外側大細胞部]]([[LMAN核]])へと軸索が投射され、LMAN核は歌の生成に関わる神経回路に軸索投射する(図3)<ref name=Scharff_2004><pubmed> 15313783 </pubmed></ref>。またFoxp2は領野Xに発現があるだけでなく、鳴禽の歌学習時に発現量が上昇する<ref name=Haesler_2004 />。HVCとLMANからの投射がある[[終脳]]核(robustus arcopallialis: RA)は歌の機能に関わる[[運動ニューロン]]に投射する<ref name=Scharff_2004 /> <ref name=Teramitsu_2004 />。 | ||
== | ==進化== | ||
ヒトのFOXP2タンパク質と、他の[[霊長類]]や哺乳類のFoxp2タンパク質とを比較した結果、FOXP2は最も保存されたタンパク質5%の中に含まれることが明らかにされた<ref name=Enard_2002><pubmed> 12192408 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 21690130 </pubmed></ref> <ref name=Zhang_2002><pubmed> 12524352 </pubmed></ref>。またFOXP2のアミノ酸配列は人種間に差異がほとんど見られないことから、現代人においてFOXP2配列は保存されていると考えられる<ref name=Enard_2002 /> <ref name=Zhang_2002 />。ヒトとマウスの種が分かれたのは7000万年前と言われており、FOXP2遺伝子には多くの塩基置換が蓄積されてきたが、FOXP2タンパク質のアミノ酸配列に変化があったのは3箇所だけであり、変化のあった3箇所のうち2つがヒト特有で、[[チンパンジー]]や[[オランウータン]]、[[ゴリラ]]には見られなかった<ref name=Enard_2002 /> <ref name=Zhang_2002 />。ヒト特有のFOXP2の変化が起きたのはチンパンジーと分かれた400~600万年前と推定されている。 | ヒトのFOXP2タンパク質と、他の[[霊長類]]や哺乳類のFoxp2タンパク質とを比較した結果、FOXP2は最も保存されたタンパク質5%の中に含まれることが明らかにされた<ref name=Enard_2002><pubmed> 12192408 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 21690130 </pubmed></ref> <ref name=Zhang_2002><pubmed> 12524352 </pubmed></ref>。またFOXP2のアミノ酸配列は人種間に差異がほとんど見られないことから、現代人においてFOXP2配列は保存されていると考えられる<ref name=Enard_2002 /> <ref name=Zhang_2002 />。ヒトとマウスの種が分かれたのは7000万年前と言われており、FOXP2遺伝子には多くの塩基置換が蓄積されてきたが、FOXP2タンパク質のアミノ酸配列に変化があったのは3箇所だけであり、変化のあった3箇所のうち2つがヒト特有で、[[チンパンジー]]や[[オランウータン]]、[[ゴリラ]]には見られなかった<ref name=Enard_2002 /> <ref name=Zhang_2002 />。ヒト特有のFOXP2の変化が起きたのはチンパンジーと分かれた400~600万年前と推定されている。 | ||
FOXP2のアミノ酸置換をもとに予測されるのは、ヒト特有のアミノ酸置換がFOXP2の機能を変えたであろうということである。例えば325番目のアスパラギンからセリンへの置換は[[リン酸]]化の部位を付与し、[[転写抑制因子]]としての機能に影響を与えた可能性がある。しかしながら、ヒト特有のアミノ酸置換が現代人の言語・発話機能に与えた影響については未だ明らかにされていない。また、[[非コード領域]]における遺伝子変異が、どのようにFoxp2の発現領域を変えたかについても、まだ未知となっている<ref name=Enard_2002 /> <ref name=Zhang_2002 />。 | FOXP2のアミノ酸置換をもとに予測されるのは、ヒト特有のアミノ酸置換がFOXP2の機能を変えたであろうということである。例えば325番目のアスパラギンからセリンへの置換は[[リン酸]]化の部位を付与し、[[転写抑制因子]]としての機能に影響を与えた可能性がある。しかしながら、ヒト特有のアミノ酸置換が現代人の言語・発話機能に与えた影響については未だ明らかにされていない。また、[[非コード領域]]における遺伝子変異が、どのようにFoxp2の発現領域を変えたかについても、まだ未知となっている<ref name=Enard_2002 /> <ref name=Zhang_2002 />。 | ||
==関連項目== | |||
*[[転写制御因子]] | |||
*[[音声学習]] | |||
==参考文献== | ==参考文献== | ||
<references/> | <references/> |