「語用論」の版間の差分

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英:pragmatics
<div align="right"> 
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0104691 中村 太戯留]</font><br>
''東京工科大学''<br>
<font size="+1">松井 智子</font><br>
''東京学芸大学''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年5月11日 原稿完成日:2015年xx月xx日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
</div>


語用論とは、話し手と聞き手(ないし書き手と読み手)を想定した場合、聞き手が「話し手が伝えたいと思っている意味」を理解できるのはどうしてか、を研究する学問である。代表的なものとしては、オースティンとサールの発話行為論、グライスの協調の原理、そしてスペルベルとウィルソンの関連性理論を挙げることができる。
英語名:pragmatics
 
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 語用論とは、話し手と聞き手(ないし書き手と読み手)を想定した場合、聞き手が「話し手が伝えたいと思っている意味」を理解できるのはどうしてか、を研究する学問である。代表的なものとしては、オースティンとサールの発話行為論、グライスの協調の原理、そしてスペルベルとウィルソンの関連性理論を挙げることができる。
}}


==語用論の主な理論==
==語用論の主な理論==


オースティン(1962)<ref name=Austin1962>'''Austin, J'''<br>How to do things with words. <br>''In J. O. Urmson (Ed.), Cambridge, Mass. : Harvard University Press'':1962 (『言語行為』, 坂本百大訳, 大修館書店)</ref>は、われわれが何かを話すとき、何かを言うだけでなく、何かを行う、と主張し、発話行為論を展開した。例えば、「マットに猫がいる」という文は事実確認であると同時に、暗黙に「猫をマットからどけてほしい」という発話意図を読み取ることができる。グライス(1975)<ref name=Grice1975>'''Grice, P'''<br>Logic and conversation.<br>''In P. Cole and J. Morgan (Eds.), Syntax and semantics: Speech Acts, Vol. 3. New York: Academic Press'':1975</ref>は、会話の参加者は4つの原則(量に関する原則、質に関する原則、関連性に関する原則、様式に関する原則)を守ると仮定し、聴者は「話者のこれらの原則の違反」に気づくことで、話者の発話意図を推測するという論を展開した。スペルベルとウィルソン(1986/95)<ref name=Sperber1986>'''Sperber, D. and Wilson, D'''<br>Relevance: Communication and cognition.<br>''Oxford: Blackwell'':1986 (『関連性理論:伝達と認知』, 内田聖二他訳, 研究社出版; 第二版は1995年)</ref>は、関連性という認知効果と処理労力の[[バランス]]で定まる情報の属性を手掛かりとして、聞き手は「話し手が伝えたいと思っている意味」を推論しているという論を展開した。いずれも、言外の意味(文字通りの意味ではない何らかの意味)を、入手可能な手掛かり情報をもとに推論する、という認知機制のモデル化を試みている。
 オースティン(1962)<ref name=Austin1962>'''Austin, J'''<br>How to do things with words. <br>''In J. O. Urmson (Ed.), Cambridge, Mass. : Harvard University Press'':1962 (『言語行為』, 坂本百大訳, 大修館書店)</ref>は、われわれが何かを話すとき、何かを言うだけでなく、何かを行う、と主張し、発話行為論を展開した。例えば、「マットに猫がいる」という文は事実確認であると同時に、暗黙に「猫をマットからどけてほしい」という発話意図を読み取ることができる。グライス(1975)<ref name=Grice1975>'''Grice, P'''<br>Logic and conversation.<br>''In P. Cole and J. Morgan (Eds.), Syntax and semantics: Speech Acts, Vol. 3. New York: Academic Press'':1975</ref>は、会話の参加者は4つの原則(量に関する原則、質に関する原則、関連性に関する原則、様式に関する原則)を守ると仮定し、聴者は「話者のこれらの原則の違反」に気づくことで、話者の発話意図を推測するという論を展開した。スペルベルとウィルソン(1986/95)<ref name=Sperber1986>'''Sperber, D. and Wilson, D'''<br>Relevance: Communication and cognition.<br>''Oxford: Blackwell'':1986 (『関連性理論:伝達と認知』, 内田聖二他訳, 研究社出版; 第二版は1995年)</ref>は、関連性という認知効果と処理労力の[[バランス]]で定まる情報の属性を手掛かりとして、聞き手は「話し手が伝えたいと思っている意味」を推論しているという論を展開した。いずれも、言外の意味(文字通りの意味ではない何らかの意味)を、入手可能な手掛かり情報をもとに推論する、という認知機制のモデル化を試みている。


==語用論の主な対象:皮肉と比喩==
==語用論の主な対象:皮肉と比喩==


皮肉表現や比喩表現といった非字義的な表現の解釈は、この[[ヒト]]に特有な語用論の能力が機能することによってはじめて可能となる。安立他(2006)<ref name=Adachi2006><pubmed>16715930</pubmed></ref>は、Asperger障害の特徴として、比喩文理解が良好であるにもかかわらず、皮肉文理解が注意欠陥/多動性障害や高機能自閉症と比較して特異的に低いことを報告している。一方、内山他(2012)<ref name=Uchiyama2012><pubmed>21333979</pubmed></ref>は、成人を対象としたfMRI実験にて、皮肉理解では[[扁桃体]]、比喩理解では尾状核が特別な役割を果たし、また両者に共通して内側[[前頭前野]]が関与することを報告している。
 皮肉表現や比喩表現といった非字義的な表現の解釈は、この[[ヒト]]に特有な語用論の能力が機能することによってはじめて可能となる。安立他(2006)<ref name=Adachi2006><pubmed>16715930</pubmed></ref>は、Asperger障害の特徴として、比喩文理解が良好であるにもかかわらず、皮肉文理解が注意欠陥/多動性障害や高機能自閉症と比較して特異的に低いことを報告している。一方、内山他(2012)<ref name=Uchiyama2012><pubmed>21333979</pubmed></ref>は、成人を対象としたfMRI実験にて、皮肉理解では[[扁桃体]]、比喩理解では尾状核が特別な役割を果たし、また両者に共通して内側[[前頭前野]]が関与することを報告している。


皮肉(ironyまたはsarcasm)は、一見するとポジティブな発話内容と裏腹に、発話者のネガティブな態度や批判的な態度を聴者に伝えることを意図している。例えば、テニスの試合で惨敗したAさんが「もう少しで勝てたのに」と発話した際、それに対してBさんが「もう少しで勝てた」と復唱したならば、その復唱は皮肉であり、「実際にはその反対のことを伝えることをBさんは意図している」とAさんやそれを聞いた周りの人々は推測することができる。この場合には、明らかに事実(文脈情報)と異なる発話をしているということを手掛かりとしている。このような皮肉理解において、内側前頭前野と左下前頭回が重要な役割を果たすことが報告されている<ref name=Uchiyama2006><pubmed>17092490</pubmed></ref><ref name=Wang2006><pubmed>PMC3713234</pubmed></ref><ref name=Spotorno2012><pubmed>22766167 </pubmed></ref>。内側前頭前野は、メンタライジング(mentalizing)、すなわち他者の意図を推測する際の重要な神経基盤と考えられているのに対して<ref name=Spotorno2012 />、左下前頭回は複数の[[言語]]情報や手掛かり情報の統合に貢献している可能性が示唆されている<ref name=Uchiyama2006 />。なお、一般に、左下前頭回は、意味的な処理や評価において、極めて重要な役割を果たしていると考えられている<ref name=Dapretto1999><pubmed>10571235</pubmed></ref><ref name=Gabrieli1996>'''Gabrieli, J. D., Desmond, J. E., Demb, J. B., Wagner, A. D., Stone, M. V., Vaidya, C. J., & Glover, G. H.'''<br>Functional magnetic resonance imaging of semantic memory processes in the frontal lobes. <br>''Psychological Science, 7(5), 278-283.'':1996</ref><ref name=Kapur1994><pubmed>7865775</pubmed></ref><ref name=Rapp2004><pubmed>15268917</pubmed></ref><ref name=Uchiyama2006 /><ref name=Wagner1997><pubmed>23964594</pubmed></ref>。なお、一般的な言語処理に関与する神経基盤に関しては、「言語」の項を参照のこと。
 皮肉(ironyまたはsarcasm)は、一見するとポジティブな発話内容と裏腹に、発話者のネガティブな態度や批判的な態度を聴者に伝えることを意図している。例えば、テニスの試合で惨敗したAさんが「もう少しで勝てたのに」と発話した際、それに対してBさんが「もう少しで勝てた」と復唱したならば、その復唱は皮肉であり、「実際にはその反対のことを伝えることをBさんは意図している」とAさんやそれを聞いた周りの人々は推測することができる。この場合には、明らかに事実(文脈情報)と異なる発話をしているということを手掛かりとしている。このような皮肉理解において、内側前頭前野と左下前頭回が重要な役割を果たすことが報告されている<ref name=Uchiyama2006><pubmed>17092490</pubmed></ref><ref name=Wang2006><pubmed>PMC3713234</pubmed></ref><ref name=Spotorno2012><pubmed>22766167 </pubmed></ref>。内側前頭前野は、メンタライジング(mentalizing)、すなわち他者の意図を推測する際の重要な神経基盤と考えられているのに対して<ref name=Spotorno2012 />、左下前頭回は複数の[[言語]]情報や手掛かり情報の統合に貢献している可能性が示唆されている<ref name=Uchiyama2006 />。なお、一般に、左下前頭回は、意味的な処理や評価において、極めて重要な役割を果たしていると考えられている<ref name=Dapretto1999><pubmed>10571235</pubmed></ref><ref name=Gabrieli1996>'''Gabrieli, J. D., Desmond, J. E., Demb, J. B., Wagner, A. D., Stone, M. V., Vaidya, C. J., & Glover, G. H.'''<br>Functional magnetic resonance imaging of semantic memory processes in the frontal lobes. <br>''Psychological Science, 7(5), 278-283.'':1996</ref><ref name=Kapur1994><pubmed>7865775</pubmed></ref><ref name=Rapp2004><pubmed>15268917</pubmed></ref><ref name=Uchiyama2006 /><ref name=Wagner1997><pubmed>23964594</pubmed></ref>。なお、一般的な言語処理に関与する神経基盤に関しては、「言語」の項を参照のこと。


比喩(metaphor)は、ヒトの想像力をかきたてる方法の一つで、文字通りの意味ではない意味を[[想起]]させて、ヒトに何かを感じさせることを意図している。詳しくは、「連想・比喩」の項を参照のこと。
 比喩(metaphor)は、ヒトの想像力をかきたてる方法の一つで、文字通りの意味ではない意味を[[想起]]させて、ヒトに何かを感じさせることを意図している。詳しくは、「連想・比喩」の項を参照のこと。


このように、言外の意味の理解においては、一般的な言語処理に関与する神経基盤に加え、内側前頭前野や、右半球、皮質下領域が関与している可能性が示唆されている。
 このように、言外の意味の理解においては、一般的な言語処理に関与する神経基盤に加え、内側前頭前野や、右半球、皮質下領域が関与している可能性が示唆されている。


==参考文献==
==参考文献==


<references/>
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(執筆者:中村太戯留・松井智子、担当編集委員:定藤規弘)

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