「注意欠如・多動性障害」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
5行目: 5行目:
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
</div>
</div>
英語名:attention-deficit/hyperactivity disorder 独:Aufmerksamkeitsdefizit-/Hyperaktivitätsstörung 仏:trouble du déficit de l'attention avec ou sans hyperactivité


略語:ADHD
略語:ADHD
{{box|text= 注意欠如・多動性障害(ADHD)は、不注意、多動性、衝動性という症状で定義され、12歳以前から症状を認める発達障害である。様々な精神疾患を併発することも特徴の一つである。成人後も機能障害が残存する場合が少なくないことが明らかになり、成人での診断・治療にも関心が高まっている。歴史的に早い時期から脳機能障害と認識されており、それを踏まえた病態モデルが検討されてきた。実行機能及び報酬系の障害に加えて、最近では時間的処理や情動制御の障害も想定されている。治療は、本人及び親をはじめとする周囲の人々がADHDの特性を適切に理解して対応できるようにする心理社会的治療と薬物療法が中心である。}}


==歴史と概念の変遷==
==歴史と概念の変遷==
 注意欠如・多動性障害(ADHD)につながる疾患概念が医学的論文の中に初めて現れたのは、1902年にStillが攻撃的で反抗的になりやすい43名の子どもを記載したことであるとされている。1917~1918年のエコノモ脳炎の大流行の後に、不注意、多動性、衝動性を示す子どもたちが認められ、脳炎後行動障害として検討されるようになった。
 注意欠如・多動性障害につながる疾患概念が医学的論文の中に初めて現れたのは、1902年にStillが攻撃的で反抗的になりやすい43名の子どもを記載したことであるとされている。1917~1918年のエコノモ脳炎の大流行の後に、不注意、多動性、衝動性を示す子どもたちが認められ、脳炎後行動障害として検討されるようになった。


 この延長線上で、1947年にStraussとLehtinenは「brain-injured child(脳損傷児)」概念を提唱した。その後、脳損傷が証明できないとして「minimal brain damage: MBD(微細脳損傷)」、さらには「minimal brain dysfunction: MBD(微細脳機能障害)」という名称が提唱された。
 この延長線上で、1947年にStraussとLehtinenは「brain-injured child(脳損傷児)」概念を提唱した。その後、脳損傷が証明できないとして「minimal brain damage: MBD(微細脳損傷)」、さらには「minimal brain dysfunction: MBD(微細脳機能障害)」という名称が提唱された。

案内メニュー