「ソマティック・マーカー仮説」の版間の差分

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同義語:身体信号仮説
同義語:身体信号仮説


{{box|text= ソマティック・マーカー仮説とは、意思決定において情動的な身体反応が重要な信号を提供するという仮説である。}}
{{box|text=ソマティック・マーカー(somatic marker;身体信号)仮説とは、Damasioら(1991)により提案され、Damasio (1994)などで精緻化された、[[意思決定]]において[[情動]]的な身体反応が重要な信号を提供するという仮説である。その処理において[[腹内側前頭前野]]が重要な役割を果たすとされる。}}
 
==ソマティック・マーカー仮説とは==
 ソマティック・マーカー(somatic marker;身体信号)仮説とは、Damasioら (1991)<ref name=ref1>'''Antonio R. Damasio, Daniel Tranel, Hanna C. Damasio'''<br>Somatic markers and the guidance of behavior: Theory and preliminary testing.
Frontal lobe function and dysfunction<br>In H. S. Levin, H. M. Eisenberg, A. L. Benton (Ed.)<br>New York, NY: ''Oxford University Press''. 1991 (pp 217-229).</ref>により提案され、Damasio (1994)<ref name=ref2>'''Antonio R. Damasio'''<br>Descartes' error: Emotion, reason, and the human brain<br>New York, NY: ''Quill Publishing'', 1994<br>日本語訳 田中三彦「生存する脳」<br>講談社,2000</ref>などで精緻化された、[[意思決定]]において[[情動]]的な身体反応が重要な信号を提供するという仮説である。その処理において[[腹内側前頭前野]]が重要な役割を果たすとされる。


==仮説の提案と修正の経緯==
==仮説の提案と修正の経緯==
 ソマティック・マーカー仮説は、腹内側前頭前野([[ブロードマン10野|ブロードマン10]]・[[ブロードマン11野|11]]・[[ブロードマン12野|12]]・[[ブロードマン25野|25]]・[[ブロードマン32野|32野]]など)損傷患者での意思決定の障害を説明するためにDamasioら<ref name=ref1 />により提案された。こうした患者では、知能には問題がないにもかかわらず、日常生活で適切に意思決定できない。患者では、情動喚起刺激に対する末梢の[[皮膚電気反応]]に障害が示された。こうした知見に基づき研究者は、一見情動とは関係のない意思決定においても、情動的な身体反応の信号が不可欠な役割を果たしていると提案した。
 ソマティック・マーカー仮説は、腹内側前頭前野([[ブロードマン10野|ブロードマン10]]・[[ブロードマン11野|11]]・[[ブロードマン12野|12]]・[[ブロードマン25野|25]]・[[ブロードマン32野|32野]]など)損傷患者での意思決定の障害を説明するためにDamasioら<ref name=ref1>'''Antonio R. Damasio, Daniel Tranel, Hanna C. Damasio'''<br>Somatic markers and the guidance of behavior: Theory and preliminary testing. Frontal lobe function and dysfunction<br>In H. S. Levin, H. M. Eisenberg, A. L. Benton (Ed.)<br>New York, NY: ''Oxford University Press''. 1991 (pp 217-229).</ref>により提案された。こうした患者では、知能には問題がないにもかかわらず、日常生活で適切に意思決定できない。患者では、情動喚起刺激に対する末梢の[[皮膚電気反応]]に障害が示された。こうした知見に基づき研究者は、一見情動とは関係のない意思決定においても、情動的な身体反応の信号が不可欠な役割を果たしていると提案した。


 Damasio (1994)<ref name=ref2 />では、仮説の拡張・精緻化が行われた。上述の身体反応が実際に喚起され脳に信号が送られる経路(身体ループ)に加え、脳内で身体反応をシミュレーションする経路(あたかも身体ループ)があると提案された。また神経基盤として、生得的あるいは条件づけで学習した情動刺激による身体反応の喚起には[[扁桃体]]が関与し、[[思考]]や[[記憶]]を介する情動的身体反応の喚起には腹内側前頭前野が関与し、身体反応の脳での処理およびあたかもループでの脳内シミュレーションには[[体性感覚野]]が関与すると提案した。
 Damasio <ref name=ref2>'''Antonio R. Damasio'''<br>Descartes' error: Emotion, reason, and the human brain<br>New York, NY: ''Quill Publishing'', 1994<br>日本語訳 田中三彦「生存する脳」<br>講談社,2000</ref>では、仮説の拡張・精緻化が行われた。上述の身体反応が実際に喚起され脳に信号が送られる経路(身体ループ)に加え、脳内で身体反応をシミュレーションする経路(あたかも身体ループ)があると提案された。また神経基盤として、生得的あるいは条件づけで学習した情動刺激による身体反応の喚起には[[扁桃体]]が関与し、[[思考]]や[[記憶]]を介する情動的身体反応の喚起には腹内側前頭前野が関与し、身体反応の脳での処理およびあたかもループでの脳内シミュレーションには[[体性感覚野]]が関与すると提案した。


 Becharaら<ref name=ref3><pubmed>9036851</pubmed></ref>では、仮説を実証する知見として、[[前頭葉]]腹内側部損傷患者および健常者を対象とした[[アイオワ・ギャンブリング課題]]の実験データが報告された<ref name=ref3 />。この課題では、テーブルの上に4組のカード束が置かれた。このうち2組は、利益が高いがときに出る損失も高く長期的には損失をもたらす悪い組として設定された。他の2組は、利益と損失が共に低く長期的には利益をもたらす良い組として設定された。被験者は、最初に一定額の貸付金を渡され、何度もカードをめくって最終的に多くの利益を得るように求められた。課題中は皮膚電気反応が計測され、自覚している方略の報告も求められた。その結果、健常者は時間と共に良い組を選択するようになり課題成績が向上したが、前頭葉腹内側部損傷患者では悪い組を選択し続け課題成績が向上しなかった。皮膚電気反応において、健常者では悪い組の選択前に良い組の場合よりも高い反応が獲得されたが、前頭葉腹内側部損傷患者ではこうした反応が示されなかった。方略の報告と課題成績との間には関係が示されず、健常者は方略に気づくより前に課題成績が向上し、前頭葉腹内側部損傷患者では適切な方略に気づいても成績は変わらなかった。こうした結果に基づいて研究者は、適切な意思決定には腹内側前頭前野が引き起こす[[無意識]]の情動的身体反応が不可欠であると提案した。
 Becharaら<ref name=ref3><pubmed>9036851</pubmed></ref>では、仮説を実証する知見として、[[前頭葉]]腹内側部損傷患者および健常者を対象とした[[アイオワ・ギャンブリング課題]]の実験データが報告された<ref name=ref3 />。この課題では、テーブルの上に4組のカード束が置かれた。このうち2組は、利益が高いがときに出る損失も高く長期的には損失をもたらす悪い組として設定された。他の2組は、利益と損失が共に低く長期的には利益をもたらす良い組として設定された。被験者は、最初に一定額の貸付金を渡され、何度もカードをめくって最終的に多くの利益を得るように求められた。課題中は皮膚電気反応が計測され、自覚している方略の報告も求められた。その結果、健常者は時間と共に良い組を選択するようになり課題成績が向上したが、前頭葉腹内側部損傷患者では悪い組を選択し続け課題成績が向上しなかった。皮膚電気反応において、健常者では悪い組の選択前に良い組の場合よりも高い反応が獲得されたが、前頭葉腹内側部損傷患者ではこうした反応が示されなかった。方略の報告と課題成績との間には関係が示されず、健常者は方略に気づくより前に課題成績が向上し、前頭葉腹内側部損傷患者では適切な方略に気づいても成績は変わらなかった。こうした結果に基づいて研究者は、適切な意思決定には腹内側前頭前野が引き起こす[[無意識]]の情動的身体反応が不可欠であると提案した。

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