「セルアセンブリ」の版間の差分

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 脳で行われる情報処理の機能を単一細胞のレベルで検討するか、複数の細胞の集団(セルアセンブリ)のレベルで検討するかは、20世紀初頭の神経細胞の発見以来継続する議論である。歴史的には、脳科学の黎明期における脳の全体論と局在論の議論と共通する論理構造を持っていると思われる。記述レベルの変遷はあるが、全体論と局在論は常に交互に時代のパラダイムとして登場している。脳の構成要素([[領野]]、[[ニューロン]]、[[イオンチャンネル]]、[[伝達物質]]、[[wikipedia:ja:遺伝子|遺伝子]]など)の詳細が不明な状態では、想像力が必要となるため全体論的な枠組みが必然となる。一方、脳の構成要素の詳細が実験的に明らかとなると、その物理的実体を中心として機能を議論するために局在論が主流となる。そして、この構成要素のレベルだけでは解明できない新たな現象が明らかとなり、新たな記述レベルでの全体論が再登場する。50年代後半から60年代の[[wikipedia:Vernon Benjamin Mountcastle|Mountcastle]]<ref name=ref1>'''Mountcastle V.B., Berman A.L., Davies P.W.'''<br>Topographic Organization and Modality Representation in First Somatic Area of Cat’s Cerebral Cortex by Methods of Single Unit Analysis.<br>''Am. J. Physiol''., 183, 646, (1955).</ref>や[[wikipedia:David H. Hubel|Hubel]] & [[wikipedia:Torsten Wiesel|Wiesel]]<ref name=ref2><pubmed>14403679</pubmed></ref>の機能的に特殊化した単一細胞の発見により局在論が主流となり、Hebbのセルアセンブリの概念は忘れられていたが、近年の神経ネットワークを対象とする研究への移行に伴って再登場している。
 脳で行われる情報処理の機能を単一細胞のレベルで検討するか、複数の細胞の集団(セルアセンブリ)のレベルで検討するかは、20世紀初頭の神経細胞の発見以来継続する議論である。歴史的には、脳科学の黎明期における脳の全体論と局在論の議論と共通する論理構造を持っていると思われる。記述レベルの変遷はあるが、全体論と局在論は常に交互に時代のパラダイムとして登場している。脳の構成要素([[領野]]、[[ニューロン]]、[[イオンチャンネル]]、[[伝達物質]]、[[wikipedia:ja:遺伝子|遺伝子]]など)の詳細が不明な状態では、想像力が必要となるため全体論的な枠組みが必然となる。一方、脳の構成要素の詳細が実験的に明らかとなると、その物理的実体を中心として機能を議論するために局在論が主流となる。そして、この構成要素のレベルだけでは解明できない新たな現象が明らかとなり、新たな記述レベルでの全体論が再登場する。50年代後半から60年代の[[wikipedia:Vernon Benjamin Mountcastle|Mountcastle]]<ref name=ref1>'''Mountcastle V.B., Berman A.L., Davies P.W.'''<br>Topographic Organization and Modality Representation in First Somatic Area of Cat’s Cerebral Cortex by Methods of Single Unit Analysis.<br>''Am. J. Physiol''., 183, 646, (1955).</ref>や[[wikipedia:David H. Hubel|Hubel]] & [[wikipedia:Torsten Wiesel|Wiesel]]<ref name=ref2><pubmed>14403679</pubmed></ref>の機能的に特殊化した単一細胞の発見により局在論が主流となり、Hebbのセルアセンブリの概念は忘れられていたが、近年の神経ネットワークを対象とする研究への移行に伴って再登場している。


 複数の神経細胞が何らかの特性に関して共通性を持つ場合には、これらの細胞集団をセルアセンブリと定義することが可能である<ref name=ref3>'''Braitenberg V.'''
 複数の神経細胞が何らかの特性に関して共通性を持つ場合には、これらの細胞集団をセルアセンブリと定義することが可能である<ref name=ref3>'''Braitenberg V.'''<br>Cell Assemblies in the Cerebral Cortex: in Theoretical Approaches to Complex Systems<br>Lecture notes in Biomathematics, Vol. 21, Heim R. and Palm G., Eds.<br>New York, ''Springer'' 1978, pp.171-188. </ref>。共通性を定義する特性は、解剖学的な結合様式(例えば、特定の領野からの投射を受けている細胞全体など)である場合も考えられる。解剖学的な特性から定義されたセルアセンブリに関しては、シナプス結合の[[可塑性]]の時間スケールは心理学的な時間スケール(数百ミリ秒)より十分に長いという前提の下では、集団を構成する細胞メンバーは固定化された静的なものであると考える。しかし、現在の神経科学において、セルアセンブリは単に解剖学的な結合特性からではなく、機能的な特性に共通性を持つ細胞集団の概念として使用されることが一般的である。この意味でのセルアセンブリの概念を最初に提案したのはD.O.Hebb <ref name=ref4>'''Donald O. Hebb'''<br>The organization of behavior – a neuropsychological theory.<br>John Wiley & Sons Inc. 1949. </ref>であると考えられる。
    Cell Assemblies in the Cerebral Cortex: in Theoretical Approaches to Complex Systems
    Lecture notes in Biomathematics, Vol. 21, Heim R. and Palm G., Eds.
    New York, Springer 1978, pp.171-188. </ref>。共通性を定義する特性は、解剖学的な結合様式(例えば、特定の領野からの投射を受けている細胞全体など)である場合も考えられる。解剖学的な特性から定義されたセルアセンブリに関しては、シナプス結合の[[可塑性]]の時間スケールは心理学的な時間スケール(数百ミリ秒)より十分に長いという前提の下では、集団を構成する細胞メンバーは固定化された静的なものであると考える。しかし、現在の神経科学において、セルアセンブリは単に解剖学的な結合特性からではなく、機能的な特性に共通性を持つ細胞集団の概念として使用されることが一般的である。この意味でのセルアセンブリの概念を最初に提案したのはD.O.Hebb <ref name=ref4>'''Donald O. Hebb'''<br>The organization of behavior – a neuropsychological theory.<br>John Wiley & Sons Inc. 1949. </ref>であると考えられる。


== Hebbのセルアセンブリ ==
== Hebbのセルアセンブリ ==


 Hebbが1949年に発表した著作”Organization of Behavior”<ref name=ref4 />は「引用されはするが読まれることのない幻の名著」(行動の機構、鹿取他訳、下巻 p.265)<ref name=ref5>'''D.O.ヘッブ'''<br>行動の機構 脳メカニズムから心理学へ<br>鹿取廣人、金城辰夫、鈴木光太郎、鳥居修晃、渡邊正孝共訳<br>''岩波文庫'' 2011<br>(有名なヘッブシナプス、ヘッブのセルアセンブリの概念は4章と5章に展開されている。)</ref>として知られる。サイバネティクスが黎明し、機械・コンピュータと生物をシステムとして統一的に研究対象とする機運の高まり、McCulloch & Pittsによる神経細胞ネットワークによる論理回路実現の理論的可能性の提唱などの時代背景において書かれたこの著作には、[[wikipedia:ja:神秘主義|神秘主義]]に陥りがちであった心理学的議論をいかに論理的・合理的に構成するかに対して熟考された内容が展開されている。現在の脳科学の知識を持った我々が読み返すと、「ヘッブシナプス」や「ヘッブのセルアセンブリ」といったHebbの名を冠して引用されることのある、古典として知られる概念だけではなく、活動が時間的相関で関係付けられる細胞集団の動的振る舞いを基本として情報表現、情報処理を議論する最近の研究概念がすでに記述されているように読み取れる。これは、決して読者の欲目だけではないように思われる。Hebbの著作からキー概念と思われる文章を抜き出して、再検討を試みることは、セルアセンブリの基本概念の理解に役立つと考えるため、少々長くなるがここにまとめる。尚、以下の文中で[ ]で囲まれた部分は本概説の執筆者の補足である。
 Hebbが1949年に発表した著作”Organization of Behavior”<ref name=ref4 />は「引用されはするが読まれることのない幻の名著」(行動の機構、鹿取他訳、下巻 p.265)<ref name=ref5>'''D.O.ヘッブ'''<br>行動の機構 脳メカニズムから心理学へ<br>鹿取廣人、金城辰夫、鈴木光太郎、鳥居修晃、渡邊正孝共訳<br>''岩波文庫'' 2011<br>(有名なヘッブシナプス、ヘッブのセルアセンブリの概念は4章と5章に展開されている。)</ref>として知られる。サイバネティクス<ref name=ref><pubmed></pubmed></ref>が黎明し、機械・コンピュータと生物をシステムとして統一的に研究対象とする機運の高まり、McCulloch & Pitts<ref name=ref><pubmed></pubmed></ref>による神経細胞ネットワークによる論理回路実現の理論的可能性の提唱などの時代背景において書かれたこの著作には、[[wikipedia:ja:神秘主義|神秘主義]]に陥りがちであった心理学的議論をいかに論理的・合理的に構成するかに対して熟考された内容が展開されている。現在の脳科学の知識を持った我々が読み返すと、「ヘッブシナプス」や「ヘッブのセルアセンブリ」といったHebbの名を冠して引用されることのある、古典として知られる概念だけではなく、活動が時間的相関で関係付けられる細胞集団の動的振る舞いを基本として情報表現、情報処理を議論する最近の研究概念がすでに記述されているように読み取れる。これは、決して読者の欲目だけではないように思われる。Hebbの著作からキー概念と思われる文章を抜き出して、再検討を試みることは、セルアセンブリの基本概念の理解に役立つと考えるため、少々長くなるがここにまとめる。尚、以下の文中で[ ]で囲まれた部分は本概説の執筆者の補足である。