「外国語学習」の版間の差分

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=== 言語産出 ===
=== 言語産出 ===
 言語産出は,スピーキングおよびライティングに相当する言語スキルである。
言語産出は,スピーキングおよびライティングに相当する言語スキルである。
 
==== 言語産出のプロセス ====
==== 言語産出のプロセス ====
 音声を中心としたコミュニケーションの心理言語学的モデルの一つに,Levelt(1989)<ref name=ref2 />の言語の理解と生成における語彙仮説モデルがある。このモデルでは,まず,スピーキングのプロセスとして,概念化装置(CONCEPTUALIZER)でプラニングされた発話すべきメッセージは,形式化装置(FORMULARTOR)で文法コード化(grammatical encoding)および音韻コード化(phonological encoding)の操作が施される。ことのとき,メンタルレキシコン(mental lexicon)に格納されているレマ(lemma)情報によって統語的表象を構築し,レキシーム(lexeme)情報によって音韻表象が構築される。最終的に調音(ARTICULATION)がなされて,発話(アウトプット)に至るプロセスが示されている。
音声を中心としたコミュニケーションの心理言語学的モデルの一つに,Levelt(1989)<ref name=ref2 />の言語の理解と生成における'''語彙仮説モデル'''がある。このモデルでは,まず,スピーキングのプロセスとして,'''概念化装置'''(CONCEPTUALIZER)でプラニングされた発話すべきメッセージは,'''形式化装置'''(FORMULARTOR)で文法コード化(grammatical encoding)および音韻コード化(phonological encoding)の操作が施される。ことのとき,メンタルレキシコン(mental lexicon)に格納されているレマ(lemma)情報によって統語的表象を構築し,レキシーム(lexeme)情報によって音韻表象が構築される。最終的に'''調音'''(ARTICULATION)がなされて,発話(アウトプット)に至るプロセスが示されている。
 
外国語のスピーキングにおける困難点は,①発音を知らない,発音の仕方が分からない,②言いたいことを伝える語や表現がすぐに[[想起]]できない,③文法知識の欠如,文をすぐに構築できない,④正確さを気にしすぎて,間違いを犯すことを[[恐れ]]る,⑤母語で考えて,それを外国語に置き換えようとする,などが挙げられる。


 外国語のスピーキングにおける困難点は,①発音を知らない,発音の仕方が分からない,②言いたいことを伝える語や表現がすぐに[[想起]]できない,③文法知識の欠如,文をすぐに構築できない,④正確さを気にしすぎて,間違いを犯すことを[[恐れ]]る,⑤母語で考えて,それを外国語に置き換えようとする,などが挙げられる。
==== 脳内の統語表象 ====
==== 脳内の統語表象 ====
 言語運用の基盤となる言語知識,とりわけ統語知識は脳内にどう表象されているのであろうか。Bockら(1990)は,(1)のような文(プライム文)を音読した後,(2)の断片に続けて自由に文を完成してもらう実験を行った<ref>’’’Bock, K. & Loebell, H.’’’<br>Framing sentences<br>’’Cognition, 35. 1–39’’:1990</ref>。
言語運用の基盤となる言語知識,とりわけ統語知識は脳内にどう表象されているのであろうか。Bockら(1990)は,(1)のような文(プライム文)を音読した後,(2)の断片に続けて自由に文を完成してもらう実験を行った<ref>’’’Bock, K. & Loebell, H.’’’<br>Framing sentences<br>’’Cognition, 35. 1–39’’:1990</ref>。


(1) a. Susan brought Stella a book.
(1) a. Susan brought Stella a book.
 
    b. Susan brought a book to Stella.
b. Susan brought a book to Stella.
 
(2) The children showed …
(2) The children showed …
(3) a. The children showed a man a picture.
(3) a. The children showed a man a picture.
    b. The children showed a picture to a man.


b. The children showed a picture to a man.
その結果,(1a)の後では([[3a]]), (1b)の後では(3b)のような文を多く産出した。このようにプライム文と同じ文構造を使用して文を産出する現象を'''「統語的[[プライミング]]」(syntactic priming)'''と呼ぶ。ここで興味深いのは,(2)に含まれている動詞が(1)のプライム文の動詞とは異なっている点で,動詞は異なるのに同じ構造を使って文を産出する傾向が見られ。また,時制や相、数がプライム文と異なっていても統語的プライミング現象が見られる。このような実験は,私たちが脳内にどのような形で統語情報をもっているかを探ろうとしたものである。Pickering & Branigan (1998)は,図1のようなネットワーク構造であると仮定している<ref>’’’Pickering, M. J., & Branigan, H. P.’’’<br>The representation of verbs: Evidence from syntactic priming in language production<br>’’Journal of Memory and Language, 39, 633–651’’:1998</ref>。
 
この図は,GIVEとSENDの語彙範疇は動詞(verb)であり,[名詞句(NP)+名詞句(NP)]および[名詞句(NP)+前置詞句(PP)]という構造をとるという情報をもつと同時に,それらの情報が2つの動詞間で共有されていることを示している。したがって,“He gave a ring to her.”というプライムに出会うと,[名詞句+前置詞句]という結びつきのノードが活性化されて,“The woman sent a letter to her mother.”という発話が引き出されやすくなるということである。


その結果,(1a)の後では([[3a]]), (1b)の後では(3b)のような文を多く産出した。このようにプライム文と同じ文構造を使用して文を産出する現象を「統語的[[プライミング]]」(syntactic priming)と呼ぶ。ここで興味深いのは,(2)に含まれている動詞が(1)のプライム文の動詞とは異なっている点で,動詞は異なるのに同じ構造を使って文を産出する傾向が見られ。また,時制や相、数がプライム文と異なっていても統語的プライミング現象が見られる。このような実験は,私たちが脳内にどのような形で統語情報をもっているかを探ろうとしたものである。Pickering & Branigan (1998)は,図1のようなネットワーク構造であると仮定している<ref>’’’Pickering, M. J., & Branigan, H. P.’’’<br>The representation of verbs: Evidence from syntactic priming in language production<br>’’Journal of Memory and Language, 39, 633–651’’:1998</ref>。
 
 この図は,GIVEとSENDの語彙範疇は動詞(verb)であり,[名詞句(NP)+名詞句(NP)]および[名詞句(NP)+前置詞句(PP)]という構造をとるという情報をもつと同時に,それらの情報が2つの動詞間で共有されていることを示している。したがって,“He gave a ring to her.”というプライムに出会うと,[名詞句+前置詞句]という結びつきのノードが活性化されて,“The woman sent a letter to her mother.”という発話が引き出されやすくなるということである。
外国語学習者の場合にも、熟達度が高い学習者には同じような現象が見られるが、熟達度が低い学習者の場合にはプライミング率は高くないことがMorishita et al.(2010)などで示されている<ref>’’’Morishita, M., Satoi, H., & Yokokawa, H.’’’<br>Verb lexical representation of Japanese EFL learners: Syntactic priming during language production<br>’’Journal of the Japan Society for Speech Sciences, 11, 29–43’’:2010</ref>。このことは,動詞間で情報が共有されていないことを示唆しており,メンタルレキシコンに文構造ネットワークが十分に形成されていない,もしくはリンクが弱い状態であることと考えられる。また,熟達度の低い学習者は,“The woman gave a book.”とか“The man gave the girl to a book.”のような誤った文も多く産出するが,これは,二重目的語をとる動詞であることや意味構造が理解されていないものと考えられ,構造と意味を結び付けて記憶に定着させることが重要である。
外国語学習者の場合にも、熟達度が高い学習者には同じような現象が見られるが、熟達度が低い学習者の場合にはプライミング率は高くないことがMorishita et al.(2010)などで示されている<ref>’’’Morishita, M., Satoi, H., & Yokokawa, H.’’’<br>Verb lexical representation of Japanese EFL learners: Syntactic priming during language production<br>’’Journal of the Japan Society for Speech Sciences, 11, 29–43’’:2010</ref>。このことは,動詞間で情報が共有されていないことを示唆しており,メンタルレキシコンに文構造ネットワークが十分に形成されていない,もしくはリンクが弱い状態であることと考えられる。また,熟達度の低い学習者は,“The woman gave a book.”とか“The man gave the girl to a book.”のような誤った文も多く産出するが,これは,二重目的語をとる動詞であることや意味構造が理解されていないものと考えられ,構造と意味を結び付けて記憶に定着させることが重要である。
==== 繰り返し接触による潜在学習 ====
==== 繰り返し接触による潜在学習 ====
 外国語学習においては,繰り返し(repetition)が言語習得に重要であるということは昔から言われていることである。反復接触が,上で述べた統語的プライミングに及ぼす影響について調査した実験がある。Kaschak, Loney, and Borreggine (2006) は,Pickering and Branigan (1998) の文完成課題を用いて,刺激文への接触回数が[[プライミング効果]]に与える影響を調査した<ref>’’’Pickering, M. J., & Branigan, H. P.’’’<br>The representation of verbs: Evidence from syntactic priming in language production<br>’’Journal of Memory and Language, 39, 633–651’’:1998 </ref>。その結果,英語母語話者の場合,刺激への接触回数が増えにつれてプライミング率が高くなった。また,Morishita and Yokokawa (2012) <ref>’’’Morishita, M., & Yokokawa, H.’’’<br>The cumulative effects of syntactic priming in written sentence production by Japanese EFL learners<br>’’Poster session presented at the annual conference of the American Association for Applied Linguistics (AAAL), Boston, MA’’:2012</ref>も日本人英語学習者を対象に同様の実験を行ったところ,全体として,母語話者と同様の結果得られ,自動的 (automatic) で無意識的 (implicit) なプロセスであるというPickering and Branigan (1999) の主張を支持する結果となった<ref>’’’Pickering, M. J., & Branigan, H. P.’’’<br>Syntactic priming in language production<br>’’Trends in Cognitive Sciences, 3(4), 136–141’’:1999 </ref>。しかし,20回程度の接触では,低熟達度群には大きな影響は見られなかったと報告しており,学習者の熟達度が統語表象の内在化に影響することが示唆される。
外国語学習においては,'''繰り返し(repetition)'''が言語習得に重要であるということは昔から言われていることである。反復接触が,上で述べた統語的プライミングに及ぼす影響について調査した実験がある。Kaschak, Loney, and Borreggine (2006) は,Pickering and Branigan (1998) の文完成課題を用いて,刺激文への接触回数が[[プライミング効果]]に与える影響を調査した<ref>’’’Pickering, M. J., & Branigan, H. P.’’’<br>The representation of verbs: Evidence from syntactic priming in language production<br>’’Journal of Memory and Language, 39, 633–651’’:1998 </ref>。その結果,英語母語話者の場合,刺激への接触回数が増えにつれてプライミング率が高くなった。また,Morishita and Yokokawa (2012) <ref>’’’Morishita, M., & Yokokawa, H.’’’<br>The cumulative effects of syntactic priming in written sentence production by Japanese EFL learners<br>’’Poster session presented at the annual conference of the American Association for Applied Linguistics (AAAL), Boston, MA’’:2012</ref>も日本人英語学習者を対象に同様の実験を行ったところ,全体として,母語話者と同様の結果得られ,自動的 (automatic) で無意識的 (implicit) なプロセスであるというPickering and Branigan (1999) の主張を支持する結果となった<ref>’’’Pickering, M. J., & Branigan, H. P.’’’<br>Syntactic priming in language production<br>’’Trends in Cognitive Sciences, 3(4), 136–141’’:1999 </ref>。しかし,20回程度の接触では,低熟達度群には大きな影響は見られなかったと報告しており,学習者の熟達度が統語表象の内在化に影響することが示唆される。


 先行する文の処理が同じ構造を持つ後の文の処理に影響する統語的プライミング現象は,言語産出のみならず,言語理解においても見られる<ref>’’’Tooley, K. M., Swaab, T. Y., Boudewyn, M. A., Zirnstein, M., & Traxler, M. J.’’’<br>Evidence for priming across intervening sentences during on-line sentence comprehension. Language<br>’’Cognition and Neuroscience, 29(3), 289-311’’:2014</ref>。繰り返し同じ構造に接触することで、その構造への潜在学習(implicit learning)が進み、オンラインでの処理促進が起こると言われている<ref>’’’Wells, J. B., Christiansen, M. H., Race, D. S., Acheson, D. J., & MacDonald, M. C.’’’<br>’’Experience and sentence processing: Statistical learning and relative clause comprehension<br>’’Cognitive Psychology, 58, 250-271’’:2009</ref>。外国語学習においては,明示的指導(明示的に言語知識を説明し,教えること)の有効性も主張されていると同時に,言語項目によっては非明示的な反復接触によって言語知識の内在化と運用スキルの強化を図ったり,宣言的知識を手続き知識に変容させることも可能であるように思われるが,今後の研究が望まれる。
先行する文の処理が同じ構造を持つ後の文の処理に影響する統語的プライミング現象は,言語産出のみならず,言語理解においても見られる<ref>’’’Tooley, K. M., Swaab, T. Y., Boudewyn, M. A., Zirnstein, M., & Traxler, M. J.’’’<br>Evidence for priming across intervening sentences during on-line sentence comprehension. Language<br>’’Cognition and Neuroscience, 29(3), 289-311’’:2014</ref>。繰り返し同じ構造に接触することで、その構造への潜在学習(implicit learning)が進み、オンラインでの処理促進が起こると言われている<ref>’’’Wells, J. B., Christiansen, M. H., Race, D. S., Acheson, D. J., & MacDonald, M. C.’’’<br>’’Experience and sentence processing: Statistical learning and relative clause comprehension<br>’’Cognitive Psychology, 58, 250-271’’:2009</ref>。外国語学習においては,'''明示的指導'''(明示的に言語知識を説明し,教えること)の有効性も主張されていると同時に,言語項目によっては非明示的な反復接触によって言語知識の内在化と運用スキルの強化を図ったり,'''宣言的知識'''を'''手続き知識'''に変容させることも可能であるように思われるが,今後の研究が望まれる。


== 関連項目 ==
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