「外国語学習」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
9行目: 9行目:


== 主な理論 ==
== 主な理論 ==
 外国語の学習を考える上で,外国語習得をどのようなものであると捉え,どのような指導法が提案・実践されてきたか(外国語教授法),外国語習得のプロセスはどう捉えられているか(第二言語習得理論),学習者要因について概観する。
 外国語の学習を考える上で,外国語習得をどのようなものであると捉え,どのような指導法が提案・実践されてきたか(外国語教授法),外国語習得のプロセスはどう捉えられているか(第二言語習得理論),そして,年齢や動機付けなどの学習者要因について概観する。


=== 外国語教授法 ===
=== 外国語教授法 ===
 外国語学習や授業実践は,言語や言語習得に関する考え方の影響を受けて,常に揺り動かされてきたという歴史を持つ。アメリカ構造主義言語学,生成言語理論などの言語理論,行動主義心理学,認知心理学などの心理学理論が外国語教授法に影響を与えた。これまでに提唱されてきた主な教授法(指導法とも言う)には次のようなものがある。なお,外国語教授法の詳細は,伊藤(1984)<ref>'''伊藤嘉一'''<br>英語教授法のすべて<br>''大修館書店'': 1984</ref>, Larsen-Freeman(1986)<ref>'''Larsen-Freeman, D.'''<br>Techniques and Principles in Language Teaching, 3rd ed.<br>''Oxford University Press'': 2011</ref>,Richards & Rogers (2001)<ref>'''Rchards, J. C. and Rogers, T. S.'''<br>Approaches and Methods in Language Teaching, 2nd ed.<br>''Cambridge University Press'': 2001</ref>などを参照されたい。
 外国語学習や授業実践は,言語や言語習得に関する考え方の影響を受けて,常に揺り動かされてきたという歴史を持つ。アメリカ構造主義言語学,生成言語理論などの言語理論,行動主義心理学,認知心理学などの心理学理論が外国語教授法に影響を与えてきた。これまでに提唱されてきた主な教授法(指導法とも言う)には次のようなものがある。なお,外国語教授法の詳細は,伊藤(1984)<ref>'''伊藤嘉一'''<br>英語教授法のすべて<br>''大修館書店'': 1984</ref>, Larsen-Freeman(1986)<ref>'''Larsen-Freeman, D.'''<br>Techniques and Principles in Language Teaching, 3rd ed.<br>''Oxford University Press'': 2011</ref>,Richards & Rogers (2001)<ref>'''Rchards, J. C. and Rogers, T. S.'''<br>Approaches and Methods in Language Teaching, 2nd ed.<br>''Cambridge University Press'': 2001</ref>などを参照されたい。


* 19世紀後半から20世紀前半まで,ヨーロッパにおける主流の教授法は'''文法[[翻訳]]教授法'''(the grammar-translation method)であった。ギリシャ語,ラテン語などの古典語を教える際に,単語リストと文法規則を暗記し,その知識を活用して母語に正確に翻訳する指導法で,教養涵養,知的訓練の性質が強い。文学作品を理解することが目的であったため,読み書きが中心で,理論的基盤を持たない。日本では,漢文の訓読に用いられ,その後も現在に至るまで広く英語教育現場で用いられている。
* 19世紀後半から20世紀前半まで,ヨーロッパにおける主流の教授法は'''文法[[翻訳]]教授法'''(the grammar-translation method)であった。ギリシャ語,ラテン語などの古典語を教える際に,単語リストと文法規則を暗記し,その知識を活用して母語に正確に翻訳する指導法で,教養涵養,知的訓練の性質が強い。文学作品を理解することが目的であったため,読み書きが中心で,理論的基盤を持たない。日本では,漢文の訓読に用いられ,その後も現在に至るまで広く英語教育現場で用いられている。


* 19世紀後半になると異文化間の交易や交流が盛んになり,コミュニケーション能力の育成に対する関心が高まった。文法翻訳教授法に対する反動として,幼児の言語習得と同じくできるだけ自然な方法で身につけるのがよいと考えられ,母語の使用を禁じた'''ナチュラル・メソッド'''(the natural method)が台頭する。この時期には,音声学の知見を基盤する「'''フォネティック・メソッド'''」(the phonetic method)や外国語の音声・文字と意味の直接連合を目指す'''ダイレクト・メソッド'''(the direct method)なども提唱された。
* 19世紀後半になると異文化間の交易や交流が盛んになり,コミュニケーション能力の育成に対する関心が高まった。文法翻訳教授法に対する反動として,幼児の言語習得と同じくできるだけ自然な方法で外国語を身につけるのがよいと考えられ,母語の使用を禁じた'''ナチュラル・メソッド'''(the natural method)が台頭する。この時期には,音声学の知見を基盤とする「'''フォネティック・メソッド'''」(the phonetic method)や外国語の音声・文字と意味の直接連合を目指す'''ダイレクト・メソッド'''(the direct method)なども提唱された。


* 教える際の効率性などの観点から母語の使用も認め,折衷的な方法論として,ハロルド・パーマー(H. E. Palmer, 1877-1949) によって提唱され,日本で発展した教授法が'''オーラル・メソッド'''(the natural method)である。言語習得についても生得的,習慣形成的側面のいずれも認めており,初級の段階では口頭での練習を重視し,コミュニケーションを通して外国語学習を行うことが基本的な考え方である。オーラル・メソッドと同じ時期に,アメリカ構造主義言語学および行動主義心理学を背景として,チャールズ・フリーズ (C.C. Fries, 1887-1969)によって'''オーラル・アプローチ'''(the oral approach)('''オーディオ・リンガル・アプローチ'''(the audio-lingual approach)とも呼ばれる)が提唱された。耳と口による訓練が重視され,文型・文法のパターン・プラクティスに特徴がある。
* 教える際の効率性などの観点から母語の使用も認め,折衷的な方法論としてハロルド・パーマー(H. E. Palmer, 1877-1949) によって提唱され,日本で発展した教授法が'''オーラル・メソッド'''(the natural method)である。言語習得についても生得的,習慣形成的側面のいずれも認めており,初級の段階では口頭での練習を重視し,コミュニケーションを通して外国語学習を行うことが基本的な考え方である。オーラル・メソッドと同じ時期に,アメリカ構造主義言語学および行動主義心理学を背景として,チャールズ・フリーズ (C.C. Fries, 1887-1969)によって'''オーラル・アプローチ'''(the oral approach)('''オーディオ・リンガル・アプローチ'''(the audio-lingual approach)とも呼ばれる)が提唱された。耳と口による音声重視の訓練が重視され,文型・文法のパターン・プラクティスに特徴がある。


* 20世紀後半に入って,言語能力は生得的なものであるとした生成文法(generative grammar)がChomsky(1928-)によって提唱されたのを境に,オーラル・アプローチやオーラル・メソッドは勢いを失った。1960~70年代には,ヒューマニスティック・アプローチ(humanistic approach)を理論的基盤として,学習者の認知能力に最大限に働きかけ,情意面への配慮も重視する,'''TPR'''(the total physical response method),'''サイレント・ウェイ'''(the silent way),'''CLL'''(community language learning),'''サジェストペディア'''(suggestopedia)といった教授法が提唱された。
* 20世紀後半に入って,言語能力は生得的なものであるとした生成文法(generative grammar)がChomsky(1928-)によって提唱されたのを境に,オーラル・アプローチやオーラル・メソッドは勢いを失った。1960~70年代には,ヒューマニスティック・アプローチ(humanistic approach)を理論的基盤として,学習者の認知能力に最大限に働きかけ,情意面への配慮も重視する,'''TPR'''(the total physical response method),'''サイレント・ウェイ'''(the silent way),'''CLL'''(community language learning),'''サジェストペディア'''(suggestopedia)といった教授法が提唱された。
25行目: 25行目:


=== 第二言語習得理論 ===
=== 第二言語習得理論 ===
外国語運用能力の育成には、運用能力の基盤となる知識の形成と運用スキルの習熟を図ることが必要であり、言語処理の'''自動化'''(automatization)が外国運用能力の熟達化にとって重要な役割を果たすことは広く認識されてきている。しかし、その認知メカニズムは十分に明らかにされているとは言い難く、言語情報のインプットを、効率的に処理できる形式に変換し、インプットからアウトプットに到るプロセスにおいて、音韻、形態、統語、意味などの脳内処理がどの程度自動的・[[無意識]]的に行われているのか、そのプロセスを解明することが、外国語運用能力育成の鍵ともなる。なお,脳科学的視点からの第二言語習得研究についいては大石(2006)<ref>'''大石晴美'''<br>脳科学からの第二言語習得論:英語学習と教授法開発<br>''昭和堂'': 2006</ref>,外国語学習者の言語情報処理の自動化については横川・定藤・吉田編(2014)<ref>'''横川博一・定藤規弘・吉田晴世編'''<br>外国語運用能力はいかに熟達化するか:言語情報処理の自動化プロセスを探る<br>''松柏社'': 2014</ref>を参照されたい。
外国語運用能力の育成には、運用能力の基盤となる知識の形成と運用スキルの習熟を図ることが必要であり、言語処理の'''自動化'''(automatization)が外国運用能力の熟達化にとって重要な役割を果たすことは広く認識されてきている。しかし、その認知メカニズムは十分に明らかにされているとは言い難く、言語情報のインプットを効率的に処理できる形式に変換して理解したり,概念化や発話計画からアウトプットに到るプロセスにおいて、音韻、形態、統語、意味などの脳内処理がどの程度自動的・[[無意識]]的に行われているのか、そのプロセスを解明することが、外国語運用能力育成の鍵ともなる。なお,脳科学的視点からの第二言語習得研究については大石(2006)<ref>'''大石晴美'''<br>脳科学からの第二言語習得論:英語学習と教授法開発<br>''昭和堂'': 2006</ref>,外国語学習者の言語情報処理の自動化については横川・定藤・吉田編(2014)<ref>'''横川博一・定藤規弘・吉田晴世編'''<br>外国語運用能力はいかに熟達化するか:言語情報処理の自動化プロセスを探る<br>''松柏社'': 2014</ref>を参照されたい。


こうした外国語の教育や学習に関する科学的な研究は,Coder, P. (1967) “The significance of learners’ errors”(学習者の誤用の意義)を端緒に<ref>'''Coder, S. P.'''<br>The significance of learners' errors<br>''IRAL: International Review of Applied Linguistics in Language Teaching, 5, 161-170'': 1967</ref>,外国語学習者の心理的プロセスに焦点をあてる第二言語習得研究が始まったとされる。その後,学習者が目標言語を学習するにつれて変容していく'''中間言語'''(interlanguage; Selinker, 1972)<ref>'''Selinker, L.'''<br>Interlanguage<br>''IRAL: International Review of Applied Linguistics in Language Teaching, 10, 209-231'': 1972</ref>のシステムを解明することが中心的課題である。主な第二言語習得の理論には次のようなものがある。
こうした外国語学習者の心理的プロセスに焦点をあてる第二言語習得研究は,Coder, P. (1967) “The significance of learners’ errors”(学習者の誤用の意義)によって始まったとされる<ref>'''Coder, S. P.'''<br>The significance of learners' errors<br>''IRAL: International Review of Applied Linguistics in Language Teaching, 5, 161-170'': 1967</ref>。その後,学習者が目標言語を学習するにつれて変容していく'''中間言語'''(interlanguage; Selinker, 1972)<ref>'''Selinker, L.'''<br>Interlanguage<br>''IRAL: International Review of Applied Linguistics in Language Teaching, 10, 209-231'': 1972</ref>のシステムを解明することが中心的課題となっている。主な第二言語習得の理論には次のようなものがある。


* '''インプット仮説'''(the input hypothesis):Krashen<ref>'''Krashen, S. D.'''<br>Principles and practice in second language acquisition<br>''Oxford: Pergamon'': 1982</ref>によって提唱された理論で,言語習得は「理解可能なインプット」(comprehensible input)を理解することによって起こり,学習者の熟達度(i)よりも少し上のレベルのもの(i+1)が適切であるとされる。また,情意フィルター(affective filter),つまり不安度(anxiety)は低いほうがよく,文法知識の役割は小さいと考えている。この考え方では目標言語でインプットを与えることを重視しており,後に「ナチュラル・アプローチ」(the natural approach, Krashen (1983))へと発展した<ref>'''Krashen, S. D. & Terrell, T. D.'''<br>The natural approach: Language acquisition in the classroom.<br>''Oxford: Pergamon'': 1983</ref>,<ref>'''Krashen, S. D.'''<br>The input hypothesis: Issues and implications <br>''Oxford: Pergamon'': 1985</ref>。
* '''インプット仮説'''(the input hypothesis):Krashen<ref>'''Krashen, S. D.'''<br>Principles and practice in second language acquisition<br>''Oxford: Pergamon'': 1982</ref>によって提唱された理論で,言語習得は「理解可能なインプット」(comprehensible input)を理解することによって起こり,学習者の熟達度(i)よりも少し上のレベルのもの(i+1)が適切であるとされる。また,情意フィルター(affective filter),つまり不安度(anxiety)は低いほうがよく,文法知識の役割は小さいと考えている。この考え方では目標言語で教授することを重視しており,後に「ナチュラル・アプローチ」(the natural approach, Krashen (1983))へと発展した<ref>'''Krashen, S. D. & Terrell, T. D.'''<br>The natural approach: Language acquisition in the classroom.<br>''Oxford: Pergamon'': 1983</ref>,<ref>'''Krashen, S. D.'''<br>The input hypothesis: Issues and implications <br>''Oxford: Pergamon'': 1985</ref>。


* '''自動化理論''':McLaughlinらによって提唱された理論で<ref>'''McLaughlin, B.'''<br>The Monitor Model: Some methodological considerations<br>''Language Learning, 28, 309-332'': 1978</ref>,学習された知識は,最初はさまざまな点に注意を向けることができずに誤りを犯したり,うまく使えなかったりするが,繰り返しによって自動化が進むと,習得につながると考えている。
* '''自動化理論''':McLaughlinらによって提唱された理論で<ref>'''McLaughlin, B.'''<br>The Monitor Model: Some methodological considerations<br>''Language Learning, 28, 309-332'': 1978</ref>,学習された知識は,最初はさまざまな点に注意を向けることができずに誤りを犯したり,うまく使えなかったりするが,繰り返しによって自動化が進むと,習得につながると考えている。
35行目: 35行目:
* '''インターラクション仮説'''(the interaction hypothesis):Krashenのインプット仮説ではアウトプットの役割は軽視されていたが,Longらによって提唱された理論では<ref>'''Long, M. H.'''<br>Input, interaction and second language acquisition. In H. Winitz (ed). Native language and foreign language acquisition and the negotiation of comprehensible input.<br>''Annuals of the New York Academy of Science, 379, 259-279'': 1981</ref>,学習者は他者と意味のあるやりとり(interaction)をすることによって,そのプロセスにおいて繰り返しや問い返し,言いかえなどが行われ,言語習得が促進されるとした。
* '''インターラクション仮説'''(the interaction hypothesis):Krashenのインプット仮説ではアウトプットの役割は軽視されていたが,Longらによって提唱された理論では<ref>'''Long, M. H.'''<br>Input, interaction and second language acquisition. In H. Winitz (ed). Native language and foreign language acquisition and the negotiation of comprehensible input.<br>''Annuals of the New York Academy of Science, 379, 259-279'': 1981</ref>,学習者は他者と意味のあるやりとり(interaction)をすることによって,そのプロセスにおいて繰り返しや問い返し,言いかえなどが行われ,言語習得が促進されるとした。


* '''アウトプット仮説'''(the output hypothesis):アウトプットの果たす役割を明確に打ち出したのが,Swainである<ref>'''Swain, M.'''<br>Communicative competence: Some roles of comprehensible input and comprehensible output in its development<br>''In S. M. Gass & C. G. Madden (eds.). Input in second language acquisition, (pp.235-253) Rowley, MA: Newbury House'': 1985</ref>。話したり書いたりするためには文法的正確さや社会言語学的能力が必要であり。アウトプットによって自身の現在の能力と目標言語とのギャップに'''[[気づき]]'''(noticing a gap),それが正確な言語習得につながると考えている。意味のやり取りを重視した伝達中心の言語学習の方法論は,外国語教授法のひとつである'''コミュニカティブ・アプローチ'''と共通する。
* '''アウトプット仮説'''(the output hypothesis):アウトプットの果たす役割を明確に打ち出したのが,Swainである<ref>'''Swain, M.'''<br>Communicative competence: Some roles of comprehensible input and comprehensible output in its development<br>''In S. M. Gass & C. G. Madden (eds.). Input in second language acquisition, (pp.235-253) Rowley, MA: Newbury House'': 1985</ref>。話したり書いたりするためには文法的正確さや社会言語学的能力が必要であり,アウトプットによって自身の現在の能力と目標言語とのギャップに'''[[気づき]]'''(noticing a gap),それが正確な言語習得につながると考えている。意味のやり取りを重視した伝達中心の言語学習の方法論は,外国語教授法のひとつである'''コミュニカティブ・アプローチ'''と共通する。


=== 学習者要因 ===
=== 学習者要因 ===
50行目: 50行目:
 外国語学習にとって[[語彙]]習得は不可欠である。語彙学習は,どのくらいの語を知っている必要があるか(語彙サイズ,語彙の広さ),どの程度その語を知っている必要があるか(語彙知識の深さ)という観点から論じられる。学校教育においては,語彙の選定,新出語の導入の方法,定着を図るための指導法,辞書指導などについて,注意が払われている。
 外国語学習にとって[[語彙]]習得は不可欠である。語彙学習は,どのくらいの語を知っている必要があるか(語彙サイズ,語彙の広さ),どの程度その語を知っている必要があるか(語彙知識の深さ)という観点から論じられる。学校教育においては,語彙の選定,新出語の導入の方法,定着を図るための指導法,辞書指導などについて,注意が払われている。


==== 語彙の広さと深さ ====
==== レキシコンの構造と語彙の「広さ」・「深さ」 ====
 英語の母語話者は,生後1年前後から就学時までにおよそ3,000~10,000語を獲得し,教養ある大人はおよそ20,000ワードファミリー(基本語とその屈折形および派生形を同じ語として数える方式)を知っていると言われる<ref>'''Goulden, R., Nation, I. S. P., and Read, J.'''<br>How large can a receptive vocabulary be?<br>''Applied Linguistics, 11, 341-363'': 1990</ref>。外国語学習では,少なくとも学校教育の中で母語話者並みの語彙数を習得することは困難であると同時に,学校教育では授業時間数は限られているため,優先度の高い語彙選択が行われており,テクストにおける占有率(coverage)や使用範囲(range)など使用頻度(frequency)をはじめとして,有用性を考慮する必要がある。しかし,教授・学習すべき語彙は,頻度のみで決まるものではなく,題材性とも密接に関係しており,テーマに関係する語は低頻度であっても扱う必要がある。日本の中学校学習指導要領(2008年文部科学省告示,2012年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>中学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2008</ref>では1,200語程度,高等学校学習指導要領(2009年告示,2013年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>高等学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2009</ref>では,1,800語程度,あわせて3,000語程度を学習することとなっているが,語彙の選択は教科書によって異なる。
 英語の母語話者は,生後1年前後から就学時までにおよそ3,000~10,000語を獲得し,教養ある大人はおよそ20,000ワードファミリー(基本語とその屈折形および派生形を同じ語として数える方式)を知っていると言われる<ref>'''Goulden, R., Nation, I. S. P., and Read, J.'''<br>How large can a receptive vocabulary be?<br>''Applied Linguistics, 11, 341-363'': 1990</ref>。外国語学習では,少なくとも学校教育の中で母語話者並みの語彙数を習得することは困難であると同時に,学校教育では授業時間数は限られているため,優先度の高い語彙選択が行われており,テクストにおける占有率(coverage)や使用範囲(range)など使用頻度(frequency)をはじめとして,有用性を考慮する必要がある。しかし,教授・学習すべき語彙は,頻度のみで決まるものではなく,題材性とも密接に関係しており,テーマに関係する語は低頻度であっても扱う必要がある。日本の中学校学習指導要領(2008年文部科学省告示,2012年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>中学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2008</ref>では1,200語程度,高等学校学習指導要領(2009年告示,2013年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>高等学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2009</ref>では,1,800語程度,あわせて3,000語程度を学習することとなっているが,語彙の選択は教科書によって異なる。


 言語運用を可能にする語彙知識は,人間の脳内に存在すると仮定されているメンタルレキシコン(mental lexicon; [[心内辞書]])に格納されている。Levelt(1989)によれば,語の形態(morphology)および音韻(phonology)に関する情報が保存されているレキシーム(lexeme)と語の統語(syntax)および意味(semantics)に関する情報が保存されているレマ(lemma)という二層構造をもつと仮定されている<ref>'''Levelt, W.J. M.'''<br>Speaking: from intention to articulation<br>''Cambridge, MA: MIT Press'': 1989</ref>。母語も外国語の場合も同様に,ある語彙項目(lexical item)についてさまざまな語彙情報が符号化され(encoding),獲得される。これらの語彙情報は,一度に獲得されるものではなく,言語経験によって少しずつ情報が付加され,ときには修正・更新されていく性質のものである。このようにして,脳内に貯蔵(storage)された語彙情報は,言語理解や言語産出のプロセスにおいて,[[検索]]され(retrieval),利用される点は,外国語の場合も同じである<ref>'''門田修平編著'''<br>英語のメンタルレキシコン:語彙の獲得・処理・学習(第3版)<br>''松柏社'': 2014</ref>。
 言語運用を可能にする語彙知識は,人間の脳内に存在すると仮定されているメンタルレキシコン(mental lexicon; [[心内辞書]])に格納されている。Levelt(1989)によれば,語の形態(morphology)および音韻(phonology)に関する情報が保存されているレキシーム(lexeme)と語の統語(syntax)および意味(semantics)に関する情報が保存されているレマ(lemma)という二層構造をもつと仮定されている<ref>'''Levelt, W.J. M.'''<br>Speaking: from intention to articulation<br>''Cambridge, MA: MIT Press'': 1989</ref>。母語も外国語の場合も同様に,ある語彙項目(lexical item)についてさまざまな語彙情報が符号化され(encoding),獲得される。これらの語彙情報は,一度に獲得されるものではなく,言語経験によって少しずつ情報が付加され,ときには修正・更新されていく性質のものである。このようにして,脳内に貯蔵(storage)された語彙情報は,言語理解や言語産出のプロセスにおいて,[[検索]]され(retrieval),利用される。こうしたプロセスは,外国語の場合も同じである<ref>'''門田修平編著'''<br>英語のメンタルレキシコン:語彙の獲得・処理・学習(第3版)<br>''松柏社'': 2014</ref>。


 言語刺激は,音韻的,視覚的,意味的に符号化され,貯蔵されることが知られているが,外国語学習の環境においては,音韻・形態・統語・意味などの語彙情報が必ずしもバランスよく獲得される保証はない。たとえば,よく言われることであるが,語彙項目の中には,文字として見れば理解できるが,音声として聞いたときには理解できないものがある。このようなことが生じる一つの可能性としては,メンタルレキシコンに形態と意味の表象は登録(entry)されたが,音韻の表象は登録されなかったか,または 音韻表象が不正確に登録されたと考えることができる。もう一つの可能性は,音韻・形態・意味の表象は正しく登録されており,文字としてはよく見る語であるので検索が容易であったが,音声としては聞き慣れていないために検索に時間がかかり,リスニングという時間的制約が強い言語処理プロセスにおいては検索に時間がかかり,結果として聞いて理解することに失敗したという可能性が考えられる。他にも,いくつかの可能性が考えられるだろう。
 言語刺激は,音韻的,視覚的,意味的に符号化され,貯蔵されることが知られているが,外国語学習の環境においては,音韻・形態・統語・意味などの語彙情報が必ずしもバランスよく獲得される保証はない。たとえば,よく言われることであるが,語彙項目の中には,文字として見れば理解できるが,音声として聞いたときには理解できないものがある。このようなことが生じる一つの可能性としては,メンタルレキシコンに形態と意味の表象は登録(entry)されたが,音韻の表象は登録されなかったか,または 音韻表象が不正確に登録されたと考えることができる。もう一つの可能性は,音韻・形態・意味の表象は正しく登録されており,文字としてはよく見る語であるので検索が容易であったが,音声としては聞き慣れていないために検索に時間がかかり,リスニングという時間的制約が強い言語処理プロセスにおいては検索に時間がかかり,結果として聞いて理解することに失敗したという可能性が考えられる。他にも,いくつかの可能性が考えられるだろう。
60行目: 60行目:


==== 新規の音韻の学習 ====
==== 新規の音韻の学習 ====
 ワーキングメモリの[[音韻ループ]]で操作される音韻情報はすぐに衰退してしまうが,'''構音リハーサル'''で反復することによって[[長期記憶]]への移行を可能にする。新規の音韻パターンをもつ外国語の学習にも貢献しており,音韻ループが言語習得装置(language learning device)と言われる所以である<ref>'''Baddeley, A. D., Gathercole, S. & Papagno, C.'''<br>The phonological loop as a language learning device<br>''Psychological Review, 105, 168-173'': 1998</ref>。音韻ループにおける音韻情報の保持には,'''左下前頭回'''<ref>'''Fiez, J. A., Raife, E. A., Petersen, S. E., Balota, D. A., & Raichle, E.'''<br>A [[Positron Emission Tomography|positron emission tomography]] study of the short-term maintenance of verbal information<br>''The Journal of Neuroscience, 76(2), 808–822'': 1996</ref> <ref>'''Gruber, O.'''<br>Effects of domain-specific interference on brain activation associated with verbal working memory task performance<br>''Cerebral Cortex, 11(11), 1047-1055'': 2001</ref>,'''小脳'''が関与していると報告されている<ref>'''Chiricozzi, F. R., Clausi, S., Molinari, M., & Leggio, M. G.'''<br>Phonological short-term store impairment after cerebellar lesion: a single case study<br>''Neuropsychologia, 46(7), 1940–1053'': 2008 </ref> <ref>'''Chen, S. H. A., & Desmond, J. E.'''<br>Cerebrocerebellar networks during articulatory rehearsal and verbal working memory tasks<br>''NeuroImage, 24(2), 332-338'': 2005</ref>。口頭での繰り返しによって外国語のような新規の音韻情報が強固な手続き記憶として脳内に形成されることが示されている<ref>'''Makita, K., Yamazaki, M., Tanabe, C. H., Koike, T., Kochiyama, T., Yokokawa, H., Yoshida, H., & Sadato, N.'''<br>A Functional Magnetic Resonance Imaging Study of Foreign-Language Vocabulary Learning Enhanced by Phonological Rehearsal: The Role of the Right Cerebellum and Left Fusiform Gyrus<br>''Mind, Brain and Education, 7(4), 213-224'': 2013</ref>。
 ワーキングメモリの[[音韻ループ]]で操作される音韻情報はすぐに衰退してしまうが,'''構音リハーサル'''で反復することによって[[長期記憶]]への移行を可能にする。新規の音韻パターンをもつ外国語の学習にも貢献しており,音韻ループが言語習得装置(language learning device)と言われる所以である<ref>'''Baddeley, A. D., Gathercole, S. & Papagno, C.'''<br>The phonological loop as a language learning device<br>''Psychological Review, 105, 168-173'': 1998</ref>。音韻ループにおける音韻情報の保持には,'''左下前頭回'''<ref>'''Fiez, J. A., Raife, E. A., Petersen, S. E., Balota, D. A., & Raichle, E.'''<br>A [[Positron Emission Tomography|positron emission tomography]] study of the short-term maintenance of verbal information<br>''The Journal of Neuroscience, 76(2), 808-822'': 1996</ref> <ref>'''Gruber, O.'''<br>Effects of domain-specific interference on brain activation associated with verbal working memory task performance<br>''Cerebral Cortex, 11(11), 1047-1055'': 2001</ref>,'''小脳'''が関与していると報告されている<ref>'''Chiricozzi, F. R., Clausi, S., Molinari, M., & Leggio, M. G.'''<br>Phonological short-term store impairment after cerebellar lesion: a single case study<br>''Neuropsychologia, 46(7), 1940–1053'': 2008 </ref> <ref>'''Chen, S. H. A., & Desmond, J. E.'''<br>Cerebrocerebellar networks during articulatory rehearsal and verbal working memory tasks<br>''NeuroImage, 24(2), 332-338'': 2005</ref>。また,口頭での繰り返しによって外国語のような新規の音韻情報が強固な手続き記憶として脳内に形成されることも示されている<ref>'''Makita, K., Yamazaki, M., Tanabe, C. H., Koike, T., Kochiyama, T., Yokokawa, H., Yoshida, H., & Sadato, N.'''<br>A Functional Magnetic Resonance Imaging Study of Foreign-Language Vocabulary Learning Enhanced by Phonological Rehearsal: The Role of the Right Cerebellum and Left Fusiform Gyrus<br>''Mind, Brain and Education, 7(4), 213-224'': 2013</ref>。


==== 語彙の長期記憶への保存:語彙化 ====
==== 語彙の長期記憶への保存:語彙化 ====
79

回編集

案内メニュー