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''Monash University''<br> | ''Monash University''<br> | ||
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年月日 原稿完成日:2016年月日<br> | DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年月日 原稿完成日:2016年月日<br> | ||
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 | 担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 [[大脳皮質]]機能研究系)<br> | ||
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最も狭い意味でのクオリアとは、一瞬の意識経験のうちのある一つの感覚的な側面を指す。例えば、図1のように、画面の真ん中に十字があり、その左、もしくは、右に赤い丸が提示されているような状況で、読者が十字を見つめているとしよう。このとき、赤丸の赤さだけを取り出せば、二つの画面で、読者は、狭い意味では、同じ赤いクオリアを経験している、と言う。 | 最も狭い意味でのクオリアとは、一瞬の意識経験のうちのある一つの感覚的な側面を指す。例えば、図1のように、画面の真ん中に十字があり、その左、もしくは、右に赤い丸が提示されているような状況で、読者が十字を見つめているとしよう。このとき、赤丸の赤さだけを取り出せば、二つの画面で、読者は、狭い意味では、同じ赤いクオリアを経験している、と言う。 | ||
[[image | [[image:Tuchiya Qualia1.png|thumb|300px| '''図1. クオリアの例'''<br>一方で、広い意味でのクオリアとは、一瞬に経験される意識経験の中身、すべてを指す。例えば、図1の二つの図では、赤い丸の位置が違うため、広い意味では、異なるクオリアを経験していることになる<ref group=註>狭義・広義のクオリアの区別は、「何を同じとみなすか」という問題が背後に隠れている。「同じ」の規準が明示されない時に、クオリアという語の定義に混乱が生じやすい。一瞬一瞬の経験は全て違うものとみなすか、それでもその中に共通のものがあるとみなすかが、狭義・広義のクオリアの本質であり、それを明確にすることで、クオリア研究の手法・態度も変わってくる。</ref> 。]] | ||
狭い意味でのクオリアは、脳科学的に最も研究しやすい。古典的な[[心理物理学]]は、わずかに異なる二つの感覚刺激を被検者に呈示し、どのような刺激の特性は、意識的に同じとみなせるか、違いを区別できるかが詳しく研究されている{{refn|text=二つの刺激は、時間・空間における異なる二点において呈示されることが多い。また、「同じ・違う」以外にも、AとBどちらがよりXであるか、という質の違いも問うことが可能である(より赤いか、より丸いか、など)。このような強制選択が、どれだけ「意識にのぼるクオリア」そのものを反映しているのか、それとも無意識の脳処理の影響はないのか、 どのような手法が最も狭義のクオリアを研究するのに適しているのか、という問題については議論が続いている (Seth, Dienes, Cleeremans, Overgaard, & Pessoa, 2008)。また、このような被験者の報告が刺激の特性自体以外の状況、たとえば、被験者がどのように刺激に対して注意を向けるかが、どのように狭義のクオリアに影響を与えるのかも研究されている(Carrasco, 2011; Prinzmetal, Amiri, Allen, & Edwards, 1998)。 |group=註}} 。 | 狭い意味でのクオリアは、脳科学的に最も研究しやすい。古典的な[[心理物理学]]は、わずかに異なる二つの感覚刺激を被検者に呈示し、どのような刺激の特性は、意識的に同じとみなせるか、違いを区別できるかが詳しく研究されている{{refn|text=二つの刺激は、時間・空間における異なる二点において呈示されることが多い。また、「同じ・違う」以外にも、AとBどちらがよりXであるか、という質の違いも問うことが可能である(より赤いか、より丸いか、など)。このような強制選択が、どれだけ「意識にのぼるクオリア」そのものを反映しているのか、それとも無意識の脳処理の影響はないのか、 どのような手法が最も狭義のクオリアを研究するのに適しているのか、という問題については議論が続いている (Seth, Dienes, Cleeremans, Overgaard, & Pessoa, 2008)。また、このような被験者の報告が刺激の特性自体以外の状況、たとえば、被験者がどのように刺激に対して注意を向けるかが、どのように狭義のクオリアに影響を与えるのかも研究されている(Carrasco, 2011; Prinzmetal, Amiri, Allen, & Edwards, 1998)。 |group=註}} 。 | ||
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Freeman & Simoncelli (Freeman & Simoncelli, 2011)は、[[周辺視野]]の解像度と混みあい効果の影響を考えて、ある自然画像(図2、左)とほぼ同じ広義の視覚クオリアを生み出すような人工画像(図2、右)をつくりだすのに成功した。 | Freeman & Simoncelli (Freeman & Simoncelli, 2011)は、[[周辺視野]]の解像度と混みあい効果の影響を考えて、ある自然画像(図2、左)とほぼ同じ広義の視覚クオリアを生み出すような人工画像(図2、右)をつくりだすのに成功した。 | ||
[[image | [[image:tuchiya qualia2.png|thumb|right '''図2. 広い意味で同じ視覚クオリアを生み出す2枚の画像(Freeman & Simoncelli, 2011) '''<br>左のオリジナルの写真も、右の人工的な画像も、中心の点を見つめる限り、ほぼ同じような視覚経験を生み出す。人間の視覚システムの周辺視野における解像度などの特徴を考慮に入れたコンピューターモデルには、左右の写真は区別がつかない。]] | ||
[[ヒト]]の視覚システムは見つめている焦点が最も解像度が高く、周辺視野に行けばいくほど解像度が悪くなる。また、周辺視野では[[混みあい効果]] (crowding(Pelli & Tillman, 2008))という現象が生じる。これらの影響のため、特に複雑な内容の自然画像では、直接に焦点を当てて見ている部位以外では、異なる画像も同じクオリアを起こす。 | [[ヒト]]の視覚システムは見つめている焦点が最も解像度が高く、周辺視野に行けばいくほど解像度が悪くなる。また、周辺視野では[[混みあい効果]] (crowding(Pelli & Tillman, 2008))という現象が生じる。これらの影響のため、特に複雑な内容の自然画像では、直接に焦点を当てて見ている部位以外では、異なる画像も同じクオリアを起こす。 | ||
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伝統的な心理学研究の手法の中でも、[[錯覚]] {{refn|text=「錯視」や「錯覚」というと、外界に正確な「答え」があり、それを脳が「間違えて」プロセスしてしまうために起こる、「おかしな」主観的な感覚という響きがある。しかし、このような考え方の根底には、暗示的に我々の主観の外に世界の実体があり、その実体をできるかぎり正確に再構成するのが、意識・クオリアに期待されている機能である、ということが仮定されている。一方で、幻覚・夢などを含め、意識にのぼるクオリアそれだけが我々が経験できる実体であり、世界の姿こそが、過去何百年もの科学実験を通して「間接的に」推測されるものであり、どこまでいってもより確からしい推測しかできない、と考えることもできる。後者の考えでは、錯視・錯覚・幻覚・夢の方がむしろ本質で、通常の意識経験もそれの一部と考えることができる(Llinas & Pare 1991)。|group=註}}を使った研究は、クオリア問題に最も直接的にアプローチしていると言って良い<ref name=下條信輔>下條信輔<br>「意識」とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤<br>講談社現代新書, 1999</ref>。錯覚を生み出す刺激は、ほぼ全ての感覚モダリティで見つかっているが、最も劇的なのは、視覚におけるもので、特に[[錯視]]と呼ばれる。たとえば、色の波長としては全く同じ黄色い四角形が、茶色やオレンジ見える錯視や、円筒の影になっている部分とそうでない部分のタイルが全く違う濃さの灰色のタイルに見えるが、光の波長としては二つの四角形は全く同じである、という錯視がある(図3)。このような錯視を元に、心理物理学者は、クオリアの性質を様々な観点から特徴づけてきた。 | 伝統的な心理学研究の手法の中でも、[[錯覚]] {{refn|text=「錯視」や「錯覚」というと、外界に正確な「答え」があり、それを脳が「間違えて」プロセスしてしまうために起こる、「おかしな」主観的な感覚という響きがある。しかし、このような考え方の根底には、暗示的に我々の主観の外に世界の実体があり、その実体をできるかぎり正確に再構成するのが、意識・クオリアに期待されている機能である、ということが仮定されている。一方で、幻覚・夢などを含め、意識にのぼるクオリアそれだけが我々が経験できる実体であり、世界の姿こそが、過去何百年もの科学実験を通して「間接的に」推測されるものであり、どこまでいってもより確からしい推測しかできない、と考えることもできる。後者の考えでは、錯視・錯覚・幻覚・夢の方がむしろ本質で、通常の意識経験もそれの一部と考えることができる(Llinas & Pare 1991)。|group=註}}を使った研究は、クオリア問題に最も直接的にアプローチしていると言って良い<ref name=下條信輔>下條信輔<br>「意識」とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤<br>講談社現代新書, 1999</ref>。錯覚を生み出す刺激は、ほぼ全ての感覚モダリティで見つかっているが、最も劇的なのは、視覚におけるもので、特に[[錯視]]と呼ばれる。たとえば、色の波長としては全く同じ黄色い四角形が、茶色やオレンジ見える錯視や、円筒の影になっている部分とそうでない部分のタイルが全く違う濃さの灰色のタイルに見えるが、光の波長としては二つの四角形は全く同じである、という錯視がある(図3)。このような錯視を元に、心理物理学者は、クオリアの性質を様々な観点から特徴づけてきた。 | ||
[[image= | [[image=tuchiya qualia2.png|thumb|right '''図2. 視覚クオリアの特徴を捉える錯視'''<ref name=Lamme2015> Lamme, V. A. F. <br>The Crack of Dawn. Perceptual Functions and Neural Mechanisms that Mark the Transition from Unconscious Processing to Conscious Vision<br>Barbara Wengeler Stiftung, 2015</ref><br>左:矢印で示された左のオレンジのタイルと上の茶色のタイルは同じ波長の光だが、周囲の色との関係性で違う色として経験される。周りのタイルを全て隠すとそれが確認できる。右:同じく、上の暗い灰色と下の明るい灰色も、同じ波長の同じ強さの光であるが、異なる強さの灰色として感じられる。]] | ||
たとえば、このような錯視から、感覚的なクオリアは、一般に、時間・空間的な文脈(コンテクスト){{refn|text=狭い意味でのクオリアの性質も、常に時間・空間的な文脈の中で決定される。|group=註}} の中で決定されること、自分の意志の持ち方や、注意の向け方を変えることで変更することはできないこと(irrevocability, (Ramachandran and Hubbard 2001))、などが提案されてきた{{refn|text=ルビンの壺やネッカーの立方体の様に、曖昧さが増幅された図形の中には、意志・注意の力でクオリアを変更できるものある。ただし、そのような図形は限られており、そのような状況であっても、赤を青と感たり、音を色と感じるなどのようにあ、思いのままにクオリアを変更することはできない。意志・注意の力がどれだけ感覚経験に影響を与えうるかにはまだ議論がある(Firestone & Scholl 2016)。|group=註}}。 | たとえば、このような錯視から、感覚的なクオリアは、一般に、時間・空間的な文脈(コンテクスト){{refn|text=狭い意味でのクオリアの性質も、常に時間・空間的な文脈の中で決定される。|group=註}} の中で決定されること、自分の意志の持ち方や、注意の向け方を変えることで変更することはできないこと(irrevocability, (Ramachandran and Hubbard 2001))、などが提案されてきた{{refn|text=ルビンの壺やネッカーの立方体の様に、曖昧さが増幅された図形の中には、意志・注意の力でクオリアを変更できるものある。ただし、そのような図形は限られており、そのような状況であっても、赤を青と感たり、音を色と感じるなどのようにあ、思いのままにクオリアを変更することはできない。意志・注意の力がどれだけ感覚経験に影響を与えうるかにはまだ議論がある(Firestone & Scholl 2016)。|group=註}}。 | ||
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実際につなぎ変えを行われたフェレットになったらどのような感じがするのかはわからない。しかし、似たような状況は、ヒトで[[感覚代行]](sensory substitution)と呼ばれる現象として報告されている(Bach-y-Rita & S, 2003)。感覚代行の例としては、眼球から視覚野への経路の損傷のせいで、視覚を失った患者に対して、視覚入力を聴覚・触覚を通して伝えるという手法がある。感覚が代行された患者の中には、音を通して、もしくは腹や背中に与えられる振動を通して、視覚が経験されると報告するヒトもいる。 | 実際につなぎ変えを行われたフェレットになったらどのような感じがするのかはわからない。しかし、似たような状況は、ヒトで[[感覚代行]](sensory substitution)と呼ばれる現象として報告されている(Bach-y-Rita & S, 2003)。感覚代行の例としては、眼球から視覚野への経路の損傷のせいで、視覚を失った患者に対して、視覚入力を聴覚・触覚を通して伝えるという手法がある。感覚が代行された患者の中には、音を通して、もしくは腹や背中に与えられる振動を通して、視覚が経験されると報告するヒトもいる。 | ||
神経細胞同士のつながり方とクオリアの関係を研究する上で、[[共感覚]](synesthesia)も強力な研究対象の一つとなりうる(Ramachandran & Hubbard, 2001) | 神経細胞同士のつながり方とクオリアの関係を研究する上で、[[共感覚]](synesthesia)も強力な研究対象の一つとなりうる(Ramachandran & Hubbard, 2001)。[[共感]]覚を持っている人々は、ある種の感覚(たとえば、色の視覚)を感じた時に同時に他の感覚(たとえば、味や音)を感じる。共感覚保持者の脳部位は、共感覚をもたない人々にくらべ、共感覚を引き起こす部位同士のつながりが解剖的に強いことが示されている(Rouw & Scholte, 2007)。しかし、今のところ神経細胞の詳細なつながりはわかっておらず、なぜある特定の視覚刺激(たとえば、数字の「1」)が、特定の共感覚(たとえば、「赤い色」)を引き起こすかについてはわかっていない。今後の脳イメージングの発展によっては、特定のつながり方と特定のタイプの共感覚の関係性が明らかになる可能性がある。 | ||
===理論的なクオリア研究=== | ===理論的なクオリア研究=== |