「電気けいれん療法」の版間の差分

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 本邦では、1939年に九州大学の安河内と向笠により統合失調症に対するECTが報告<ref name=ref4>'''安河内五郎、向笠広次'''<br>精神分離症の電撃痙攣療法について<br>''福岡医大誌'' 1939 ;32:1437-1440</ref>されると、薬物療法など精神疾患への確実な治療法がない時代だったこともあり、本邦でも急速にECTが普及していった。
 本邦では、1939年に九州大学の安河内と向笠により統合失調症に対するECTが報告<ref name=ref4>'''安河内五郎、向笠広次'''<br>精神分離症の電撃痙攣療法について<br>''福岡医大誌'' 1939 ;32:1437-1440</ref>されると、薬物療法など精神疾患への確実な治療法がない時代だったこともあり、本邦でも急速にECTが普及していった。


===従来型ECTから修正型電気けいれん療法への発展===
===従来型ECTから修正型ECTへの発展===
 [[麻酔]]や[[筋弛緩薬]]を使用せず施行する従来型ECTでは、施行前に患者に恐怖感を与えることや全身の[[強直間代けいれん]]に伴う骨折、呼吸器系・循環器系の副作用が少なからず起こることが問題であった。
 [[麻酔]]や[[筋弛緩薬]]を使用せず施行する従来型ECTでは、施行前に患者に恐怖感を与えることや全身の[[強直間代けいれん]]に伴う骨折、呼吸器系・循環器系の副作用が少なからず起こることが問題であった。


 施行前の患者の恐怖感に対しては、徐々に[[チオペンタール]]や[[アモバルビタール]]等の[[バルビツール系]]の[[静脈麻酔薬]]が用いられるようになり、またけいれん発作時の骨折事故を減らす工夫として、通電後の脳のけいれん波と同期した体の全身けいれんが起こらないようにするために筋弛緩薬が用いられるようになったことで、静脈麻酔薬と筋弛緩薬を併用する修正型ECT(modified electroconvulsive therapy; 修正型ECT)の基盤が完成した。
 施行前の患者の恐怖感に対しては、徐々に[[チオペンタール]]や[[アモバルビタール]]等の[[バルビツール系]]の[[静脈麻酔薬]]が用いられるようになり、またけいれん発作時の骨折事故を減らす工夫として、通電後の脳のけいれん波と同期した体の全身けいれんが起こらないようにするために筋弛緩薬が用いられるようになったことで、静脈麻酔薬と筋弛緩薬を併用する修正型ECT(modified electroconvulsive therapy; mECT)の基盤が完成した。


 筋弛緩薬については、1940年代には南米の原住民が狩猟に用いていた筋弛緩作用を持つ毒物[[クラーレ]]が使用されていたが<ref name=ref5>'''Bennet AE'''<br>Preventing traumatic complications in convulsive therapy by curare. <br>''JAMA'' 1940 ; 114 :322-324</ref>、作用時間が長いことが問題であったため、1952年HolmbergとThesleffzらが、より安全性の高い[[サクシニルコリン]]の使用を提唱し<ref name=ref6><pubmed>14923897</pubmed></ref>、以後サクシニルコリンが現在まで修正型ECTの代表的な筋弛緩薬として用いられている。
 筋弛緩薬については、1940年代には南米の原住民が狩猟に用いていた筋弛緩作用を持つ毒物[[クラーレ]]が使用されていたが<ref name=ref5>'''Bennet AE'''<br>Preventing traumatic complications in convulsive therapy by curare. <br>''JAMA'' 1940 ; 114 :322-324</ref>、作用時間が長いことが問題であったため、1952年HolmbergとThesleffzらが、より安全性の高い[[サクシニルコリン]]の使用を提唱し<ref name=ref6><pubmed>14923897</pubmed></ref>、以後サクシニルコリンが現在まで修正型ECTの代表的な筋弛緩薬として用いられている。


 本邦でも1958年、[[wj:島薗安雄|島薗]]らにより筋弛緩薬を使用したECTの報告がなされた<ref name=ref7>'''島薗安雄、森温理、徳田良仁'''<br>電撃療法時におけるサクシニルコリン Chlorideの使用経験<br>''脳と神経'' 1958 ; 10 : 183-193</ref>が、その後の安全面を含めた評価や一般化が不十分で、またECT自体が患者に強制的に行う負のイメージが強かったため、この時代の反精神医学の潮流や薬物療法の発展に伴い1970年代には本邦では次第に第一線の治療から後退していった。
 本邦でも1958年、[[wj:島薗安雄|島薗]]らにより筋弛緩薬を使用したECTの報告がなされた<ref name=ref7>'''島薗安雄、森温理、徳田良仁'''<br>電撃療法時におけるSuccinylcholine Chloride (S. C. C.)の使用経験<br>''脳と神経'' 1958 ; 10 : 183-193</ref>が、その後の安全面を含めた評価や一般化が不十分で、またECT自体が患者に強制的に行う負のイメージが強かったため、この時代の反精神医学の潮流や薬物療法の発展に伴い1970年代には本邦では次第に第一線の治療から後退していった。


 しかし、1980年代になると、[[リエゾン精神医学]]の進展に伴い、本邦でも精神科が総合病院の一つの科として位置づけられるようになり、麻酔科医と連携して行う修正型ECTが総合病院や大学病院を中心に普及し、同時に手術に準じた患者や家族への[[インフォームドコンセント]]を行うことが一般的になったことで、ECTの安全性が高まり、従来の負のイメージは徐々に払拭されていった。
 しかし、1980年代になると、[[リエゾン精神医学]]の進展に伴い、本邦でも精神科が総合病院の一つの科として位置づけられるようになり、麻酔科医と連携して行う修正型ECTが総合病院や大学病院を中心に普及し、同時に手術に準じた患者や家族への[[インフォームドコンセント]]を行うことが一般的になったことで、ECTの安全性が高まり、従来の負のイメージは徐々に払拭されていった。

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