「神経誘導」の版間の差分

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 1924年、ドイツの生物学者Hans SpemannとHilde Mangoldはイモリの原口背唇部(背側中胚葉を含む部分)を別の個体に移植する実験を行い、移植された胚に2次軸(体軸)が形成され、さらにその周辺部に神経組織が誘導されることを発見した<ref name=ref3><pubmed>11291840</pubmed></ref>。これは、移植した原口背唇部(dorsal lip)が移植先の組織に影響を及ぼし、結果として胚の形態形成を制御したことを意味する。そこで、Spemannらはこの領域を「形態形成を支配する領域」という意味で「形成体(organizer)」と命名した<ref name=ref3 /> <ref name=ref4><pubmed>16482093</pubmed></ref>。その後、この現象を制御する分泌性の因子(神経誘導因子(neural inducer))を特定する試みが長く行われてきたが、背側中胚葉はサイズ的に小さいために、そこに存在するタンパク質を生化学的に特定することは困難であった。しかし、分子生物学的手法が発達するにつれて遺伝子解析が可能となり、1990年代にはその分子実体が次々と明らかになった。Richard M HarlandとWilliam C Smithは、発現スクリーニング(背側中胚葉に発現する遺伝子のmRNAの中で神経誘導活性を持つ分画を細分化する方法)によりnogginを<ref name=ref5><pubmed>1339313</pubmed></ref>、Edward M De Robertisと笹井芳樹は、ディファレンシャルスクリーニング(発現が背側中胚葉に限局する遺伝子を単離する方法)によってchordinを<ref name=ref6><pubmed>8001117</pubmed></ref>それぞれ単離し、それらが神経誘導因子であることを証明した。また、Douglas A Meltonと Ali Hemmati-Brivanlou は、上野直人らがすでに単離していた卵胞刺激ホルモンの阻害因子follistatinに神経誘導活性があることを見いだした<ref name=ref7><pubmed>3120188 </pubmed></ref> <ref name=ref8><pubmed> 8168135</pubmed></ref>。
 1924年、ドイツの生物学者Hans SpemannとHilde Mangoldはイモリの原口背唇部(背側中胚葉を含む部分)を別の個体に移植する実験を行い、移植された胚に2次軸(体軸)が形成され、さらにその周辺部に神経組織が誘導されることを発見した<ref name=ref3><pubmed>11291840</pubmed></ref>。これは、移植した原口背唇部(dorsal lip)が移植先の組織に影響を及ぼし、結果として胚の形態形成を制御したことを意味する。そこで、Spemannらはこの領域を「形態形成を支配する領域」という意味で「形成体(organizer)」と命名した<ref name=ref3 /> <ref name=ref4><pubmed>16482093</pubmed></ref>。その後、この現象を制御する分泌性の因子(神経誘導因子(neural inducer))を特定する試みが長く行われてきたが、背側中胚葉はサイズ的に小さいために、そこに存在するタンパク質を生化学的に特定することは困難であった。しかし、分子生物学的手法が発達するにつれて遺伝子解析が可能となり、1990年代にはその分子実体が次々と明らかになった。Richard M HarlandとWilliam C Smithは、発現スクリーニング(背側中胚葉に発現する遺伝子のmRNAの中で神経誘導活性を持つ分画を細分化する方法)によりnogginを<ref name=ref5><pubmed>1339313</pubmed></ref>、Edward M De Robertisと笹井芳樹は、ディファレンシャルスクリーニング(発現が背側中胚葉に限局する遺伝子を単離する方法)によってchordinを<ref name=ref6><pubmed>8001117</pubmed></ref>それぞれ単離し、それらが神経誘導因子であることを証明した。また、Douglas A Meltonと Ali Hemmati-Brivanlou は、上野直人らがすでに単離していた卵胞刺激ホルモンの阻害因子follistatinに神経誘導活性があることを見いだした<ref name=ref7><pubmed>3120188 </pubmed></ref> <ref name=ref8><pubmed> 8168135</pubmed></ref>。


 さらなる研究の結果、これらの神経誘導因子はいずれもTGFスーパーファミリーの一種BMP4と結合し、BMP4とBMP受容体の相互作用を阻害することによって細胞を神経化することが明らかとなった(図1)<ref name=ref9><pubmed>7630399</pubmed></ref> <ref name=ref10><pubmed>8752214</pubmed></ref> <ref name=ref11 />。実際にBMPの強制発現により細胞は神経化が抑制されて表皮に分化し<ref name=ref12><pubmed></pubmed></ref>、逆にドミナントネガティブBMP受容体を用いてBMPシグナルを遮断すると細胞が神経化する<ref name=ref13><pubmed></pubmed></ref>。したがって、BMPシグナルの存在・非存在が未分化外胚葉の運命(表皮か神経か)の二者択一(binary decision)を行うと言える<ref name=ref9 />。
 さらなる研究の結果、これらの神経誘導因子はいずれもTGFスーパーファミリーの一種BMP4と結合し、BMP4とBMP受容体の相互作用を阻害することによって細胞を神経化することが明らかとなった(図1)<ref name=ref9><pubmed>7630399</pubmed></ref> <ref name=ref10><pubmed>8752214</pubmed></ref> <ref name=ref11 />。実際にBMPの強制発現により細胞は神経化が抑制されて表皮に分化し<ref name=ref12><pubmed>7630398</pubmed></ref>、逆にドミナントネガティブBMP受容体を用いてBMPシグナルを遮断すると細胞が神経化する<ref name=ref13><pubmed>7937936 </pubmed></ref>。したがって、BMPシグナルの存在・非存在が未分化外胚葉の運命(表皮か神経か)の二者択一(binary decision)を行うと言える<ref name=ref9 />。


 なお、follistatinはBMP4のほかにactivin(TGFの一種で中胚葉誘導因子)とも結合してその活性を抑制する。このことはFollistatinが中胚葉分化抑制と神経誘導の活性を併せ持つことを意味する<ref name=ref8 /> <ref name=ref14><pubmed></pubmed></ref>。
 なお、follistatinはBMP4のほかにactivin(TGFの一種で中胚葉誘導因子)とも結合してその活性を抑制する。このことはFollistatinが中胚葉分化抑制と神経誘導の活性を併せ持つことを意味する<ref name=ref8 /> <ref name=ref14><pubmed>9178255</pubmed></ref>。


 その後アフリカツメガエルにおいて、noggin、chordin、follistatinは互いにリダンダント(いずれかの機能を阻害しても、残りの因子が神経誘導活性を補償する)であり、3つの遺伝子の機能を同時に阻害して初めて神経誘導が抑制されることが示された<ref name=ref15><pubmed></pubmed></ref>。
 その後アフリカツメガエルにおいて、noggin、chordin、follistatinは互いにリダンダント(いずれかの機能を阻害しても、残りの因子が神経誘導活性を補償する)であり、3つの遺伝子の機能を同時に阻害して初めて神経誘導が抑制されることが示された<ref name=ref15><pubmed>15737935</pubmed></ref>。


==Instructiveとpermissiveな誘導様式==
==Instructiveとpermissiveな誘導様式==
[[image:神経誘導2.png|thumb|350px|'''図2.Instructiveな分化誘導様式と、permissiveな誘導様式''']]
[[image:神経誘導2.png|thumb|350px|'''図2.Instructiveな分化誘導様式と、permissiveな誘導様式''']]


 Howard Holtzer<ref name=ref16><pubmed></pubmed></ref>は、細胞の分化誘導には2つの様式が存在することを提唱した<ref name=ref17><pubmed></pubmed></ref>。1つは、誘導因子が分化方向を決定しながら、分化そのものも進行させるというものである。この誘導様式はinstructive(細胞を「教育する」意味)と呼ばれ、レチノイン酸によるホメオボックス遺伝子の発現誘導はその一例である<ref name=ref18><pubmed></pubmed></ref>。一方、分化そのものは誘導因子の存在と独立して進行し、誘導因子は分化方向のみを決定するような誘導様式のことをpermissive(一定方向に向かうことを「許容する」意味)という。
 Howard Holtzer<ref name=ref16><pubmed>26146752</pubmed></ref>は、細胞の分化誘導には2つの様式が存在することを提唱した<ref name=ref17>'''Holtzer, H.'''<br>A concept in terms of mechanisms. Epithelial-Mesenchymal Interactions.<br>in R. Gleischmajer and R. E. Billingham (eds.), 152-164 (1968).</ref>。1つは、誘導因子が分化方向を決定しながら、分化そのものも進行させるというものである。この誘導様式はinstructive(細胞を「教育する」意味)と呼ばれ、レチノイン酸によるホメオボックス遺伝子の発現誘導はその一例である<ref name=ref18><pubmed>18805086 </pubmed></ref>。一方、分化そのものは誘導因子の存在と独立して進行し、誘導因子は分化方向のみを決定するような誘導様式のことをpermissive(一定方向に向かうことを「許容する」意味)という。


 ここで議論する神経誘導因子は、未分化外胚葉を神経化する役割を持つが、神経誘導因子を受けない細胞は表皮に分化するため、分化の進行自体は誘導因子の有無に依存しない。したがって、noggin, chordin, follistatinは神経誘導においてpermissiveな役割を果たすものと言える。
 ここで議論する神経誘導因子は、未分化外胚葉を神経化する役割を持つが、神経誘導因子を受けない細胞は表皮に分化するため、分化の進行自体は誘導因子の有無に依存しない。したがって、noggin, chordin, follistatinは神経誘導においてpermissiveな役割を果たすものと言える。


==神経デフォルト説と細胞のコンピテンス==
==神経デフォルト説と細胞のコンピテンス==
 アフリカツメガエルのアニマルキャップ(初期胚の未分化細胞からなる細胞集団)をバラバラにして細胞同士の相互作用を失くすと細胞は神経化する<ref name=ref1 /> <ref name=ref19><pubmed></pubmed></ref>。これはBMPシグナルが薄まったからだと推測される。この実験事実から、未分化外胚葉細胞は外部から何もシグナルを受け取らなければ神経化するという仮説「神経デフォルト説」が提唱されるようになった<ref name=ref1 /> <ref name=ref20><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref21><pubmed></pubmed></ref>。
 アフリカツメガエルのアニマルキャップ(初期胚の未分化細胞からなる細胞集団)をバラバラにして細胞同士の相互作用を失くすと細胞は神経化する<ref name=ref1 /> <ref name=ref19><pubmed>15879552</pubmed></ref>。これはBMPシグナルが薄まったからだと推測される。この実験事実から、未分化外胚葉細胞は外部から何もシグナルを受け取らなければ神経化するという仮説「神経デフォルト説」が提唱されるようになった<ref name=ref1 /> <ref name=ref20><pubmed>9019398</pubmed></ref> <ref name=ref21><pubmed>11687825</pubmed></ref>。


 しかしその後の研究から、原腸形成期の外胚葉細胞では神経誘導因子の作用を受ける時期に細胞内でERK(MAPキナーゼ)があらかじめ活性化されており、このことが神経化に必須であることが明らかとなった<ref name=ref19 /><ref name=ref22><pubmed></pubmed></ref>。実際にFGF8が原腸形成期に発現している<ref name=ref22 /> <ref name=ref23><pubmed></pubmed></ref>。FGF/ERKシグナルが活性化している細胞は神経以外にも分化するため、FGF/ERKシグナルは直接細胞を神経化する因子というわけではないが、細胞に神経化する能力(反応場)を持たせるという意味では重要である<ref name=ref22 /> <ref name=ref24><pubmed></pubmed></ref>。また、原腸形成期の細胞があらかじめ発現している遺伝子の組み合わせも神経化に重要である<ref name=ref25><pubmed></pubmed></ref>。このように、神経誘導因子を受けて神経化するためには細胞に一定の条件、つまり「誘導因子に対する反応能」が必要であり、この細胞の特質のことを「コンピテンス(competence)」と呼ぶ<ref name=ref26><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref27><pubmed></pubmed></ref>。したがって、「神経デフォルト説」はこのコンピテンスの成立が前提となっている。
 しかしその後の研究から、原腸形成期の外胚葉細胞では神経誘導因子の作用を受ける時期に細胞内でERK(MAPキナーゼ)があらかじめ活性化されており、このことが神経化に必須であることが明らかとなった<ref name=ref19 /> <ref name=ref22><pubmed>15590738</pubmed></ref>。実際にFGF8が原腸形成期に発現している<ref name=ref22 /> <ref name=ref23><pubmed>14701872</pubmed></ref>。FGF/ERKシグナルが活性化している細胞は神経以外にも分化するため、FGF/ERKシグナルは直接細胞を神経化する因子というわけではないが、細胞に神経化する能力(反応場)を持たせるという意味では重要である<ref name=ref22 /> <ref name=ref24><pubmed>20978071</pubmed></ref>。また、原腸形成期の細胞があらかじめ発現している遺伝子の組み合わせも神経化に重要である<ref name=ref25><pubmed>17045790</pubmed></ref>。このように、神経誘導因子を受けて神経化するためには細胞に一定の条件、つまり「誘導因子に対する反応能」が必要であり、この細胞の特質のことを「コンピテンス(competence)」と呼ぶ<ref name=ref26><pubmed>15138497</pubmed></ref> <ref name=ref27>'''Waddington, C. H.'''<br>Organisers and Genes.<br>''Cambridge University Press'', 1940, 41-55.</ref>。したがって、「神経デフォルト説」はこのコンピテンスの成立が前提となっている。


 一般に特定の細胞運命決定には、周辺組織からの「誘導(induction:誘導因子による細胞外部からの制御)」と、受け手細胞の「コンピテンス(competence:細胞の内部状態)」が一致しなければならない。神経誘導の場合、両条件が一致するのは発生期では原腸形成期前後のみであり、これが、神経誘導が胚発生の一時期にしか起こらないことの理由である<ref name=ref26 />。
 一般に特定の細胞運命決定には、周辺組織からの「誘導(induction:誘導因子による細胞外部からの制御)」と、受け手細胞の「コンピテンス(competence:細胞の内部状態)」が一致しなければならない。神経誘導の場合、両条件が一致するのは発生期では原腸形成期前後のみであり、これが、神経誘導が胚発生の一時期にしか起こらないことの理由である<ref name=ref26 />。
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[[image:神経誘導3.png|thumb|350px|'''図3.ショウジョウバエとアフリカツメガエルの胚の背腹軸断面と、神経誘導のメカニズム''']]
[[image:神経誘導3.png|thumb|350px|'''図3.ショウジョウバエとアフリカツメガエルの胚の背腹軸断面と、神経誘導のメカニズム''']]


 ショウジョウバエにおいては、神経芽細胞(neuroblast)は胚の腹側で生じる<ref name=ref28><pubmed></pubmed></ref>。この神経分化に必須の役割を果たすのは、short gastrulation(sog)である。Sogは胚の腹側から背側にかけて濃度勾配を形成し<ref name=ref29><pubmed></pubmed></ref>、そのタンパク質はchordin同様にシステインに富むモチーフを4つ持ち、機能的にはchordinと類似する(つまり、sogをアフリカツメガエルで強制発現すると2次軸が形成され、外胚葉は神経化する)<ref name=ref30><pubmed></pubmed></ref>。また、sogの変異を脊椎動物のnogginで補償できることからも、sogが脊椎動物の神経誘導因子と同じ機能を持つことが推察できる<ref name=ref31><pubmed></pubmed></ref>。一方、decapentaplegic(dpp)は胚の背側に発現して脊椎動物のBMP4と同等の機能を持ち<ref name=ref32><pubmed></pubmed></ref>、sogと直接結合して互いの機能を阻害し合う(図3)。この点で、sogとdppの関係は、脊椎動物のchordin/noggin とBMPの関係に対応している<ref name=ref31 /> <ref name=ref33><pubmed></pubmed></ref>。このことから、脊椎動物と無脊椎動物では神経誘導の分子メカニズムが類似していることが示されただけでなく、進化の過程で胚の背腹軸が反転し、そこに発現する因子も同様に反転していることも示唆された<ref name=ref28 />。
 ショウジョウバエにおいては、神経芽細胞(neuroblast)は胚の腹側で生じる<ref name=ref28><pubmed>8598900</pubmed></ref>。この神経分化に必須の役割を果たすのは、short gastrulation(sog)である。Sogは胚の腹側から背側にかけて濃度勾配を形成し<ref name=ref29><pubmed>11782317</pubmed></ref>、そのタンパク質はchordin同様にシステインに富むモチーフを4つ持ち、機能的にはchordinと類似する(つまり、sogをアフリカツメガエルで強制発現すると2次軸が形成され、外胚葉は神経化する)<ref name=ref30><pubmed>7617035</pubmed></ref>。また、sogの変異を脊椎動物のnogginで補償できることからも、sogが脊椎動物の神経誘導因子と同じ機能を持つことが推察できる<ref name=ref31><pubmed>8752215</pubmed></ref>。一方、decapentaplegic(dpp)は胚の背側に発現して脊椎動物のBMP4と同等の機能を持ち<ref name=ref32><pubmed>16368928</pubmed></ref>、sogと直接結合して互いの機能を阻害し合う(図3)。この点で、sogとdppの関係は、脊椎動物のchordin/noggin とBMPの関係に対応している<ref name=ref31 /> <ref name=ref33><pubmed> 9363950</pubmed></ref>。このことから、脊椎動物と無脊椎動物では神経誘導の分子メカニズムが類似していることが示されただけでなく、進化の過程で胚の背腹軸が反転し、そこに発現する因子も同様に反転していることも示唆された<ref name=ref28 />。


==羊膜動物における神経誘導==
==羊膜動物における神経誘導==
 羊膜動物(ニワトリやマウスなど)の胚において、両生類の形成体に相当する部分は「結節(node)」である。イギリスの生物学者Conrad H Waddingtonは、ニワトリ胚のヘンゼン結節(Hensen’s node)をほかの鳥類胚に移植すると2次軸を形成することを発見し、この領域が両生類の原口背唇部の相同領域であることを証明した<ref name=ref34><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed></pubmed></ref>。両生類で単離された神経誘導因子はニワトリやマウスにおいてもこの領域(結節)に発現している<ref name=ref36><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref37><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref38><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref39><pubmed></pubmed></ref>。しかし、ニワトリにおける実験では、BMPシグナルを阻害するだけでは未分化細胞(エピブラスト)を神経化することはできない<ref name=ref37 />。このことから、noggin, chordin, follistatin以外に誘導因子(または神経化する条件)が存在することが示唆され、その候補因子としてWntやFGFに関連するものが想定されている<ref name=ref40><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref41><pubmed></pubmed></ref>。
 羊膜動物(ニワトリやマウスなど)の胚において、両生類の形成体に相当する部分は「結節(node)」である。イギリスの生物学者Conrad H Waddingtonは、ニワトリ胚のヘンゼン結節(Hensen’s node)をほかの鳥類胚に移植すると2次軸を形成することを発見し、この領域が両生類の原口背唇部の相同領域であることを証明した<ref name=ref34><pubmed>11291858</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>10761841</pubmed></ref>。両生類で単離された神経誘導因子はニワトリやマウスにおいてもこの領域(結節)に発現している<ref name=ref36><pubmed>9184349</pubmed></ref> <ref name=ref37><pubmed>9425145</pubmed></ref> <ref name=ref38><pubmed>10525336</pubmed></ref> <ref name=ref39><pubmed>10688202</pubmed></ref>。しかし、ニワトリにおける実験では、BMPシグナルを阻害するだけでは未分化細胞(エピブラスト)を神経化することはできない<ref name=ref37 />。このことから、noggin, chordin, follistatin以外に誘導因子(または神経化する条件)が存在することが示唆され、その候補因子としてWntやFGFに関連するものが想定されている<ref name=ref40><pubmed>11357137</pubmed></ref> <ref name=ref41><pubmed>15509767</pubmed></ref>。


 マウスでは、神経誘導因子の胚発生における役割が主に遺伝子破壊法(ノックアウト)を用いて解析されてきた。その結果、いずれも(少なくとも単独の遺伝子破壊では)神経誘導自体に対する影響は大きくないが、いったん細胞が神経化した後の分化の過程で必要であることや、中胚葉(体節など)の分化に必須であることが示されている<ref name=ref39 /> <ref name=ref42><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref43><pubmed></pubmed></ref>。
 マウスでは、神経誘導因子の胚発生における役割が主に遺伝子破壊法(ノックアウト)を用いて解析されてきた。その結果、いずれも(少なくとも単独の遺伝子破壊では)神経誘導自体に対する影響は大きくないが、いったん細胞が神経化した後の分化の過程で必要であることや、中胚葉(体節など)の分化に必須であることが示されている<ref name=ref39 /> <ref name=ref42><pubmed>7885475</pubmed></ref> <ref name=ref43><pubmed>9585504</pubmed></ref>。


 一方、chordinとnogginのダブルノックアウトマウスでは、体幹部神経の分化異常は比較的弱いものの、前脳が形成されないことが明らかになった<ref name=ref39 /> <ref name=ref44><pubmed></pubmed></ref>。この結果はマウスの神経誘導に関して重要な知見である。マウスでは、結節(chordinとnogginが発現する領域)は体幹部(脊髄領域など)の神経分化を誘導し、前脳はそれとは独立に前方臓側内胚葉(anterior visceral endoderm; AVE)から誘導される可能性が示唆されてきた45。しかしこのノックアウトマウスでは、AVEは正常に形成されるものの前脳分化が著しく抑制されていた。このことは、結節が前脳の形成にも関与することを意味している。つまり、結節は全身の神経誘導に対して直接的または間接的に関与している。(なお現在、AVEは前脳のパターン形成や細胞移動を制御するなど、多くの機能を持っていることが明らかになっている<ref name=ref45><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref46><pubmed></pubmed></ref>)。
 一方、chordinとnogginのダブルノックアウトマウスでは、体幹部神経の分化異常は比較的弱いものの、前脳が形成されないことが明らかになった<ref name=ref39 /> <ref name=ref44><pubmed>12397106</pubmed></ref>。この結果はマウスの神経誘導に関して重要な知見である。マウスでは、結節(chordinとnogginが発現する領域)は体幹部(脊髄領域など)の神経分化を誘導し、前脳はそれとは独立に前方臓側内胚葉(anterior visceral endoderm; AVE)から誘導される可能性が示唆されてきた45。しかしこのノックアウトマウスでは、AVEは正常に形成されるものの前脳分化が著しく抑制されていた。このことは、結節が前脳の形成にも関与することを意味している。つまり、結節は全身の神経誘導に対して直接的または間接的に関与している。(なお現在、AVEは前脳のパターン形成や細胞移動を制御するなど、多くの機能を持っていることが明らかになっている<ref name=ref45><pubmed>9988215</pubmed></ref> <ref name=ref46><pubmed>25349454</pubmed></ref>)。


 このように、noggin, chordin, follistatinが主要な神経誘導因子として羊膜動物でも神経分化に役割を持つが、その働き方のメカニズムや発生における必要性は種ごとに少しずつ異なると考えられている。ただしこの違いは、動物による実験方法の違いによる(たとえば両生類でよく使われる遺伝子の顕微注入法(効率的な強制発現)はマウス胚では実行が難しく、マウスで多用される遺伝学的方法は両生類では難しい)という議論もある<ref name=ref25 />。
 このように、noggin, chordin, follistatinが主要な神経誘導因子として羊膜動物でも神経分化に役割を持つが、その働き方のメカニズムや発生における必要性は種ごとに少しずつ異なると考えられている。ただしこの違いは、動物による実験方法の違いによる(たとえば両生類でよく使われる遺伝子の顕微注入法(効率的な強制発現)はマウス胚では実行が難しく、マウスで多用される遺伝学的方法は両生類では難しい)という議論もある<ref name=ref25 />。


==神経前駆細胞を個性づける遺伝子の発現機構==
==神経前駆細胞を個性づける遺伝子の発現機構==
 Sox2は、脊椎動物の神経化した細胞で最初に発現する転写因子の1つであり、神経化した細胞のマーカーとして多用されるだけでなくSox2自体も細胞の前駆性を維持する働きを持つ<ref name=ref47><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref48><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref49><pubmed></pubmed></ref>。したがって、Sox2のエンハンサー解析を行うことにより、未分化細胞が神経化する細胞内のメカニズムが明らかになると思われる。Sox2は神経前駆細胞以外にも発現するため、その制御領域はSox2のコーディング領域の前後50kbにわたって散在するが、このうち神経前駆細胞での発現に関与する制御領域が2つ見つかっている<ref name=ref48 />。これらの領域はFGFとWntに反応するシーケンスを含んでおり、BMPシグナルによって不活化される(つまりBMPシグナルが遮断されることにより活性化される)。さらに、この領域は中胚葉分化を促進する転写因子Tbx6によっても負に制御される<ref name=ref50><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref51><pubmed></pubmed></ref>。このことは、未分化細胞が神経外胚葉細胞に分化する過程において、一時的に神経中胚葉(neuromesoderm)と呼ばれる分化段階が存在することを意味する<ref name=ref52><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref53><pubmed></pubmed></ref>。
 Sox2は、脊椎動物の神経化した細胞で最初に発現する転写因子の1つであり、神経化した細胞のマーカーとして多用されるだけでなくSox2自体も細胞の前駆性を維持する働きを持つ<ref name=ref47><pubmed>9435279</pubmed></ref> <ref name=ref48><pubmed>12689590</pubmed></ref> <ref name=ref49><pubmed>12948443</pubmed></ref>。したがって、Sox2のエンハンサー解析を行うことにより、未分化細胞が神経化する細胞内のメカニズムが明らかになると思われる。Sox2は神経前駆細胞以外にも発現するため、その制御領域はSox2のコーディング領域の前後50kbにわたって散在するが、このうち神経前駆細胞での発現に関与する制御領域が2つ見つかっている<ref name=ref48 />。これらの領域はFGFとWntに反応するシーケンスを含んでおり、BMPシグナルによって不活化される(つまりBMPシグナルが遮断されることにより活性化される)。さらに、この領域は中胚葉分化を促進する転写因子Tbx6によっても負に制御される<ref name=ref50><pubmed>16354715</pubmed></ref> <ref name=ref51><pubmed>21331042</pubmed></ref>。このことは、未分化細胞が神経外胚葉細胞に分化する過程において、一時的に神経中胚葉(neuromesoderm)と呼ばれる分化段階が存在することを意味する<ref name=ref52><pubmed>26329597</pubmed></ref> <ref name=ref53><pubmed>25823696</pubmed></ref>。


 また、その発現のタイミングはエピゲノム的な制御によることも明らかになっている<ref name=ref54><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref55><pubmed></pubmed></ref>。したがって、Sox2の当該エンハンサー領域のクロマチン状態が転写因子を受け付ける状態になり、さらにFGFやWntシグナルを仲介する転写因子が結合したときにSox2の発現が始まるものと考えられる。
 また、その発現のタイミングはエピゲノム的な制御によることも明らかになっている<ref name=ref54><pubmed>18184035</pubmed></ref> <ref name=ref55><pubmed>27099369</pubmed></ref>。したがって、Sox2の当該エンハンサー領域のクロマチン状態が転写因子を受け付ける状態になり、さらにFGFやWntシグナルを仲介する転写因子が結合したときにSox2の発現が始まるものと考えられる。


==幹細胞からの神経分化==
==幹細胞からの神経分化==

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