「攻撃性」の版間の差分

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== 行動神経科学における「攻撃性」の定義と分類 ==
== 行動神経科学における「攻撃性」の定義と分類 ==
 攻撃行動Aggressive behaviorとは一般に、相手に対し身体的もしくは精神的な危害を与える行動、もしくは危害を与える意図を伝える威嚇行為を指す。その結果として、相手個体をある領域から排除したり、所有物を放棄させたりするなど、相手の行動を自分が意図する方向に変容させることを指向する(Miczek and Meyer-Lindenberg, 2014)<ref>’’’ Miczek, K.A., and Meyer-Lindenberg, A.’’’<br> Neuroscience of aggression <br> ‘’Springer’’; 2014 </ref>。攻撃行動は種特異的な行動であり、その行動表出(肉体的、言語的)や原因([[恐怖]]、怒り、快楽)は複雑であるため、「攻撃」を厳密に定義・分類することは難しいと指摘されている。攻撃性とは、動物に攻撃行動を行わせる内的状態であり、個体差が存在する。遺伝、環境、発達段階など様々な要因が、攻撃性の個体差に影響を与える。
 攻撃行動Aggressive behaviorとは一般に、相手に対し身体的もしくは精神的な危害を与える行動、もしくは危害を与える意図を伝える威嚇行為を指す。その結果として、相手個体をある領域から排除したり、所有物を放棄させたりするなど、相手の行動を自分が意図する方向に変容させることを指向する(Miczek and Meyer-Lindenberg, 2014)<ref>'''Miczek, K.A., and Meyer-Lindenberg, A.'''<br> Neuroscience of aggression <br> ''Springer''; 2014 </ref>。攻撃行動は種特異的な行動であり、その行動表出(肉体的、言語的)や原因([[恐怖]]、怒り、快楽)は複雑であるため、「攻撃」を厳密に定義・分類することは難しいと指摘されている。攻撃性とは、動物に攻撃行動を行わせる内的状態であり、個体差が存在する。遺伝、環境、発達段階など様々な要因が、攻撃性の個体差に影響を与える。


=== 攻撃の対象 ===
=== 攻撃の対象 ===
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==== ③攻撃の手法による分類 ====
==== ③攻撃の手法による分類 ====
 肉体的な暴力などによる直接的な攻撃行動Overt aggressionと、無視や陰口、言語や対人操作などの間接的・心理的な攻撃をRelational aggression(Social / latent / indirect aggressionとも)と分類することがある。後者は職場や学校におけるいじめ問題や、デマや風評被害といった社会的問題の視点から、2000年以降注目されるようになった(Putallaz and Bierman, 2004) <ref>’’’Putallaz, M., and Bierman, K.L.’’’<br> Aggression, antisocial behavior, and violence among girls : a developmental perspective <br>’’ Guilford Press‘’; 2004</ref>。
 肉体的な暴力などによる直接的な攻撃行動Overt aggressionと、無視や陰口、言語や対人操作などの間接的・心理的な攻撃をRelational aggression(Social / latent / indirect aggressionとも)と分類することがある。後者は職場や学校におけるいじめ問題や、デマや風評被害といった社会的問題の視点から、2000年以降注目されるようになった(Putallaz and Bierman, 2004) <ref>'''Putallaz, M., and Bierman, K.L.'''<br> Aggression, antisocial behavior, and violence among girls : a developmental perspective <br>''Guilford Press''; 2004</ref>。


==== ④具体的な社会的状況による分類 ====
==== ④具体的な社会的状況による分類 ====
例えばウィルソンは、動物に攻撃性が見られる社会的な状況として、1縄張りを巡る攻撃、2順位に関する攻撃、3性的な攻撃(マントヒヒのオスがハレムからメスが出ないように脅す、[[オランウータン]]など[[霊長類]]が交尾のためにメスを攻撃したり交尾中に噛みつくことなど)、4親のしつけとしての攻撃、5離乳を巡る攻撃(子別れ)、6道徳的な攻撃(規律に従わせるための違反者への罰則など)、7補食的な攻撃、8捕食者に対する攻撃(モビングなど)、をあげている(ウィルソン, 1975 (原著), 1982(日本語版)) <ref name=Wilson1975/>。他にも、様々な状況下で子殺し行動も多くの動物種に見られる(黒田公美 et al., 2016)。<ref>’’’ 黒田公美, 白石優子, 篠塚一貴, 時田賢一、加藤忠史, ed.’’’<br>子ども虐待はなぜ起こるのか―親子関係の脳科学. In ここまでわかった!脳とこころ<br>’’ 日本評論社’’, pp. 16-24; 2016</ref>
例えばウィルソンは、動物に攻撃性が見られる社会的な状況として、1縄張りを巡る攻撃、2順位に関する攻撃、3性的な攻撃(マントヒヒのオスがハレムからメスが出ないように脅す、[[オランウータン]]など[[霊長類]]が交尾のためにメスを攻撃したり交尾中に噛みつくことなど)、4親のしつけとしての攻撃、5離乳を巡る攻撃(子別れ)、6道徳的な攻撃(規律に従わせるための違反者への罰則など)、7補食的な攻撃、8捕食者に対する攻撃(モビングなど)、をあげている(ウィルソン, 1975 (原著), 1982(日本語版)) <ref name=Wilson1975/>。他にも、様々な状況下で子殺し行動も多くの動物種に見られる(黒田公美 et al., 2016)。<ref>'''黒田公美, 白石優子, 篠塚一貴, 時田賢一、加藤忠史, ed.'''<br>子ども虐待はなぜ起こるのか―親子関係の脳科学. In ここまでわかった!脳とこころ<br>''日本評論社'', pp. 16-24; 2016</ref>


==== ⑤病的な攻撃性 ====
==== ⑤病的な攻撃性 ====
 ④のように、攻撃行動はその種において適応的な意義がある一方で、それが適度な程度を超えて過剰になってしまうと、それは病的な攻撃性と考えられる。人間社会においても、暴力のように過剰な攻撃性が大きな問題となっている。このような過剰な攻撃性の[[動物モデル]]([[げっ歯類]])として、社会的[[隔離]]による幼少期の[[ストレス]]経験や、思春期における[[筋肉]]増強剤などの[[ステロイド]]処置により、過剰な攻撃行動が生ずることが知られている。また、[[アルコール]]の摂取によって、一部の個体で過剰な攻撃行動が観察される。これらは、人間社会で実際に問題となっている現象であり、その生物学的なメカニズムの理解が求められる。(Haller and Kruk, 2006; Takahashi and Miczek, 2014) (高橋阿貴, 2017)<ref name=Haller2006><pubmed> 16483889</pubmed></ref><ref name=Takahashi2014><pubmed>24318936</pubmed></ref><ref>’’’高橋阿貴’’’<br>過剰な攻撃行動の神経生物学<br>’’臨床精神医学 46’’, pp. 1077-1082; 2017</ref>。また、動物を低[[グルココルチコイド]]状態にすることで、[[HPA系]]の活性が低下して低覚醒状態であるのに高い攻撃行動を示すことが分かっており、これが[[ヒト]]の[[反社会性パーソナリティー障害]]のモデルとなる可能性がある(Haller and Kruk, 2006; Takahashi and Miczek, 2014) <ref name=Haller2006/><ref name=Takahashi2014/>。これらの過剰な攻撃行動を示す動物は、メスは攻撃しない、オス同士であっても咽喉など致命傷になりうる危険な体の部位は攻撃しない、といった通常の種内攻撃行動では守られるべきルールが守られなくなるという(下記1-3参照)。
 ④のように、攻撃行動はその種において適応的な意義がある一方で、それが適度な程度を超えて過剰になってしまうと、それは病的な攻撃性と考えられる。人間社会においても、暴力のように過剰な攻撃性が大きな問題となっている。このような過剰な攻撃性の[[動物モデル]]([[げっ歯類]])として、社会的[[隔離]]による幼少期の[[ストレス]]経験や、思春期における[[筋肉]]増強剤などの[[ステロイド]]処置により、過剰な攻撃行動が生ずることが知られている。また、[[アルコール]]の摂取によって、一部の個体で過剰な攻撃行動が観察される。これらは、人間社会で実際に問題となっている現象であり、その生物学的なメカニズムの理解が求められる。(Haller and Kruk, 2006; Takahashi and Miczek, 2014) (高橋阿貴, 2017)<ref name=Haller2006><pubmed> 16483889</pubmed></ref><ref name=Takahashi2014><pubmed>24318936</pubmed></ref><ref>'''高橋阿貴'''<br>過剰な攻撃行動の神経生物学<br>''臨床精神医学 46'', pp. 1077-1082; 2017</ref>。また、動物を低[[グルココルチコイド]]状態にすることで、[[HPA系]]の活性が低下して低覚醒状態であるのに高い攻撃行動を示すことが分かっており、これが[[ヒト]]の[[反社会性パーソナリティー障害]]のモデルとなる可能性がある(Haller and Kruk, 2006; Takahashi and Miczek, 2014) <ref name=Haller2006/><ref name=Takahashi2014/>。これらの過剰な攻撃行動を示す動物は、メスは攻撃しない、オス同士であっても咽喉など致命傷になりうる危険な体の部位は攻撃しない、といった通常の種内攻撃行動では守られるべきルールが守られなくなるという(下記1-3参照)。


=== 攻撃の抑制、威嚇や儀式化による攻撃の危険性の低減 ===
=== 攻撃の抑制、威嚇や儀式化による攻撃の危険性の低減 ===
 攻撃力の高い食肉類などの動物では、オス同士の闘争には攻撃側にも相応の危険性が伴う。またもしその攻撃性が子どもやメスなどに対して無秩序に発動すると、自らの繁殖を阻害する場合もある。そのため、攻撃性が社会的文脈に応じて適切に制御される必要がある。
 攻撃力の高い食肉類などの動物では、オス同士の闘争には攻撃側にも相応の危険性が伴う。またもしその攻撃性が子どもやメスなどに対して無秩序に発動すると、自らの繁殖を阻害する場合もある。そのため、攻撃性が社会的文脈に応じて適切に制御される必要がある。
 攻撃行動による損害を低減する工夫には様々なものがあるが、その中でも威嚇Threatは実戦を避ける上で重要である。これによって、強さのわからない相手にまず自分の意向を知らせ、相手がどう出るのかを見定めることができる。例えば[[チンパンジー]]では、地位の高い個体が「睨む、顔をぐいと動かす、腕をふりあげる、肩をいからせる、いばって歩く、足を踏み鳴らす、木の枝を振り回す、毛を逆立てる、石を投げる、発声する」などの多様な行動によって相手を威嚇する(ハインド, 1974(原著), 1977(日本語版)) <ref name=Hinde1974>’’’ ハインド, R.A.’’’<br>行動生物学<br>’’ 講談社’’; 1977 (原著1974)</ref>。ネコや[[ラット]]では、背を丸め、毛を逆立て、身体の横側を相手に向けることで、自分を大きく見せる側面威嚇Lateral threatを行う。
 攻撃行動による損害を低減する工夫には様々なものがあるが、その中でも威嚇Threatは実戦を避ける上で重要である。これによって、強さのわからない相手にまず自分の意向を知らせ、相手がどう出るのかを見定めることができる。例えば[[チンパンジー]]では、地位の高い個体が「睨む、顔をぐいと動かす、腕をふりあげる、肩をいからせる、いばって歩く、足を踏み鳴らす、木の枝を振り回す、毛を逆立てる、石を投げる、発声する」などの多様な行動によって相手を威嚇する(ハインド, 1974(原著), 1977(日本語版)) <ref name=Hinde1974>'''ハインド, R.A.'''<br>行動生物学<br>''講談社''; 1977 (原著1974)</ref>。ネコや[[ラット]]では、背を丸め、毛を逆立て、身体の横側を相手に向けることで、自分を大きく見せる側面威嚇Lateral threatを行う。
 また、いったん実戦によって群れの中の順位階層dominance hierarchyが決定すると、下位の個体が譲歩し服従姿勢Submissive postureをとることで、相手の攻撃行動を消滅させ、さらなる衝突が避けられる。チンパンジーでは、「臀部を見せる、泣き叫ぶ、身を屈める、お辞儀をする、うずくまる、歩み寄る、キスをする」などの行動で服従を示すという。これによって、お互いを良く知っている個体同士では暴力行為が見知らぬ同士よりもはるかに低く抑えられる。若年の個体(コドモ)も、匂いや声などのシグナルによって、群れの中の成体からの攻撃を押さえていると考えられる。
 また、いったん実戦によって群れの中の順位階層dominance hierarchyが決定すると、下位の個体が譲歩し服従姿勢Submissive postureをとることで、相手の攻撃行動を消滅させ、さらなる衝突が避けられる。チンパンジーでは、「臀部を見せる、泣き叫ぶ、身を屈める、お辞儀をする、うずくまる、歩み寄る、キスをする」などの行動で服従を示すという。これによって、お互いを良く知っている個体同士では暴力行為が見知らぬ同士よりもはるかに低く抑えられる。若年の個体(コドモ)も、匂いや声などのシグナルによって、群れの中の成体からの攻撃を押さえていると考えられる。
 さらに実戦となった場合でも、その中には様々な「ルール」が存在する。例えばオスラット同士の攻撃行動(インターネットで(Koolhaas et al., 2013) <ref><pubmed> 23852258</pubmed></ref>の詳細な実験の紹介動画を視聴できる)では、毛を逆立てて一見激しく興奮した攻撃側の居住オスの攻撃対象は、90%が相手の背中・尻に絞られ、傷つきやすい部位である咽喉や腹部などにはあまり向かわない。侵入者が仰向けになった服従姿勢をとると、攻撃側は腹部や顔面を攻撃できるにも関わらず攻撃せず、かわりに威圧姿勢をとる。[[マウス]]や[[ハムスター]]でも、主に背中が攻撃のターゲットとなる(Blanchard et al., 2003) <ref name=Blanchard2003/>。すなわち攻撃行動には儀式的な組織化Ritual organizationがあり、秩序だって制御されていると言える。
 さらに実戦となった場合でも、その中には様々な「ルール」が存在する。例えばオスラット同士の攻撃行動(インターネットで(Koolhaas et al., 2013) <ref><pubmed> 23852258</pubmed></ref>の詳細な実験の紹介動画を視聴できる)では、毛を逆立てて一見激しく興奮した攻撃側の居住オスの攻撃対象は、90%が相手の背中・尻に絞られ、傷つきやすい部位である咽喉や腹部などにはあまり向かわない。侵入者が仰向けになった服従姿勢をとると、攻撃側は腹部や顔面を攻撃できるにも関わらず攻撃せず、かわりに威圧姿勢をとる。[[マウス]]や[[ハムスター]]でも、主に背中が攻撃のターゲットとなる(Blanchard et al., 2003) <ref name=Blanchard2003/>。すなわち攻撃行動には儀式的な組織化Ritual organizationがあり、秩序だって制御されていると言える。


 このような観察を強調したローレンツの古典的著書『攻撃』<ref name=Lorenz1963/>(ローレンツ, 1970 (原著1963))の影響もあり、過去には、動物は同種間の闘いで実際に致命傷を受けることはほとんどない、そのような残酷なことをするのは人間だけ、あるいは人間とチンパンジーだけだ、と主張されたこともある。しかしその後の観察では、同種の動物の間で致命傷に至る攻撃行動は決してまれではない。異種間においても、ライオンは必ずしも空腹だから獲物を殺すのではなく、気まぐれに狩猟しているように見える(Schaller, 1972)。<ref>’’’ George B. Schaller ‘’’<br> The Serengeti lion: a study of predator-prey relations <br>’’ University Chicago Press ‘’; 1972</ref>子殺しも、当初考えられていたよりもはるかに広範な種に認められている(Opie et al., 2013)。従って「実際の暴力を減弱する方法が自然の中にこうして存在するにしても、攻撃性が珍事であるわけではなく、やはり生起するのである。」(ハインド, 1974(原著), 1977(日本語版)) <ref name=Hinde1974/>
 このような観察を強調したローレンツの古典的著書『攻撃』<ref name=Lorenz1963/>(ローレンツ, 1970 (原著1963))の影響もあり、過去には、動物は同種間の闘いで実際に致命傷を受けることはほとんどない、そのような残酷なことをするのは人間だけ、あるいは人間とチンパンジーだけだ、と主張されたこともある。しかしその後の観察では、同種の動物の間で致命傷に至る攻撃行動は決してまれではない。異種間においても、ライオンは必ずしも空腹だから獲物を殺すのではなく、気まぐれに狩猟しているように見える(Schaller, 1972)。<ref>'''George B. Schaller'''<br> The Serengeti lion: a study of predator-prey relations <br>''University Chicago Press''; 1972</ref>子殺しも、当初考えられていたよりもはるかに広範な種に認められている(Opie et al., 2013)<ref><pubmed>23898180</pubmed></ref>。従って「実際の暴力を減弱する方法が自然の中にこうして存在するにしても、攻撃性が珍事であるわけではなく、やはり生起するのである。」(ハインド, 1974(原著), 1977(日本語版)) <ref name=Hinde1974/>


== 攻撃性の脳内基盤研究 ==
== 攻撃性の脳内基盤研究 ==


=== 除脳実験による“怒りRage”反応に必要な脳部位の同定 ===
=== 除脳実験による“怒りRage”反応に必要な脳部位の同定 ===
 ”ホメオスタシス”研究で著名なキャノンの弟子バードは、視床下部の直前の離断(大脳半球と視床のかなりの部分の除脳)を行うと、手術前には大人しかったネコが、わずかな刺激によって強い怒りの反応、すなわち毛を逆立て、爪をむき出し、唸り声をあげ、前足で叩く、という一連の防御的攻撃行動を示すことを見出した(Bard, 1928)<ref>’’’ Bard, P.’’’<br> A diencephalic mechanism for the expression of rage with special reference to the sympathetic nervous system.<br>’’ American Journal of Physiology ‘’84, 490-515; 1928</ref>。一方、視床下部直後の離断(視床下部・視床および前部大脳半球の除脳)では、唸る、爪をむき出す、耳を寝かせる、噛むなどの反応はそれぞれ認められても、これらが協調的に一斉に現れなくなる。このことから、怒りという情動のまとまった行動発現には視床下部が必要であることが明らかになった。また大脳皮質は怒り反応には不要で、むしろ視床下部を抑制して怒り反応の閾値を上昇させていると考えられた。
 ”ホメオスタシス”研究で著名なキャノンの弟子バードは、視床下部の直前の離断(大脳半球と視床のかなりの部分の除脳)を行うと、手術前には大人しかったネコが、わずかな刺激によって強い怒りの反応、すなわち毛を逆立て、爪をむき出し、唸り声をあげ、前足で叩く、という一連の防御的攻撃行動を示すことを見出した(Bard, 1928)<ref>'''Bard, P.'''<br> A diencephalic mechanism for the expression of rage with special reference to the sympathetic nervous system.<br>''American Journal of Physiology'' 84, 490-515; 1928</ref>。一方、視床下部直後の離断(視床下部・視床および前部大脳半球の除脳)では、唸る、爪をむき出す、耳を寝かせる、噛むなどの反応はそれぞれ認められても、これらが協調的に一斉に現れなくなる。このことから、怒りという情動のまとまった行動発現には視床下部が必要であることが明らかになった。また大脳皮質は怒り反応には不要で、むしろ視床下部を抑制して怒り反応の閾値を上昇させていると考えられた。
 この実験以前は、あらゆる知覚は視床を介して大脳皮質に伝えられると考えられていたが、皮質がなくても触覚刺激に反応して怒り情動が起こることから、皮質を介さずに直接視床下部に行く知覚入力経路があることも明らかになった。
 この実験以前は、あらゆる知覚は視床を介して大脳皮質に伝えられると考えられていたが、皮質がなくても触覚刺激に反応して怒り情動が起こることから、皮質を介さずに直接視床下部に行く知覚入力経路があることも明らかになった。
 
 
=== 視床下部電気刺激による行動賦活・抑制 ===
=== 視床下部電気刺激による行動賦活・抑制 ===
 ヘスは、ネコの視床下部の電気刺激Electric Brain Stimulationによって攻撃と逃走を誘発できることを発見した(Hess, 1928)<ref> Hess, W.R.<br> Stammganglien-Reizversuche.<br>’’Berichte der gesamten Physiologie’’ 42, 554-555.; 1928</ref>。当時、視床下部は自律神経の中枢と考えられていたが、上述のバードの実験とあわせ、生得的な行動の中枢も視床下部にあると考えられるようになった。
 ヘスは、ネコの視床下部の電気刺激Electric Brain Stimulationによって攻撃と逃走を誘発できることを発見した(Hess, 1928)<ref> '''Hess, W.R.'''<br>Stammganglien-Reizversuche.<br>''Berichte der gesamten Physiologie'' 42, 554-555.; 1928</ref>。当時、視床下部は自律神経の中枢と考えられていたが、上述のバードの実験とあわせ、生得的な行動の中枢も視床下部にあると考えられるようになった。
 ヘス自身は視床下部内で「攻撃」特異的な解剖学的領域の存在には否定的であった。しかし九州大学の安河内五郎(Yasukochi, 1960)<ref><pubmed> 13787257</pubmed></ref>は反応の強い刺激脳部位、すなわち低い閾値で明確な反応が出た場所だけをマップすると、特定の行動に対応する部位が存在すること、特に激怒+攻撃は視床下部腹内側核Ventromedial hypothalamic nucleus (VMH)への刺激で起こりやすいことを示した。ネコ、ラット、有袋類オポッサム、霊長類マーモセットにおいても、VMHに重なる視床下部腹内側の刺激で防御的威嚇行動が、その背外側で逃走行動が生じることから、これらの視床下部における行動誘発マップは哺乳類内でよく保存されていると考えられる(Lipp and Hunsperger, 1978)<ref><pubmed>100172</pubmed></ref>。
 ヘス自身は視床下部内で「攻撃」特異的な解剖学的領域の存在には否定的であった。しかし九州大学の安河内五郎(Yasukochi, 1960)<ref><pubmed> 13787257</pubmed></ref>は反応の強い刺激脳部位、すなわち低い閾値で明確な反応が出た場所だけをマップすると、特定の行動に対応する部位が存在すること、特に激怒+攻撃は視床下部腹内側核Ventromedial hypothalamic nucleus (VMH)への刺激で起こりやすいことを示した。ネコ、ラット、有袋類オポッサム、霊長類マーモセットにおいても、VMHに重なる視床下部腹内側の刺激で防御的威嚇行動が、その背外側で逃走行動が生じることから、これらの視床下部における行動誘発マップは哺乳類内でよく保存されていると考えられる(Lipp and Hunsperger, 1978)<ref><pubmed>100172</pubmed></ref>。
 クルックらはラットを用い、攻撃やそのほかの行動を誘発する視床下部内領域をより詳細にマッピングし、「攻撃」誘発領域をHypothalamic attack area, HAAと命名した。
 クルックらはラットを用い、攻撃やそのほかの行動を誘発する視床下部内領域をより詳細にマッピングし、「攻撃」誘発領域をHypothalamic attack area, HAAと命名した。
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=== 視床下部VMH以外の脳部位 ===
=== 視床下部VMH以外の脳部位 ===
 攻撃性に関与する脳部位はVMHvl以外にもある。前頭前野、中隔、扁桃体、側坐核、分界条庄核、視索前野、視床下部前核、前乳頭体核、室傍核、手綱核、中脳水道周囲灰白質、背側縫線核、青斑核などが攻撃行動に関与することが明らかになってきている(Newman et al., 1997) (Veening et al., 2005)<ref><pubmed> 9071355</pubmed></ref><ref><pubmed> 16263109 </pubmed></ref>。これらの領域は視床下部などの各領域と投射(結合)関係を持ち、情報をやりとりしながら、行動を解発する刺激(感覚)の情報処理や、実際の行動の際の計画・運動などに関与し、全体としてネットワークを形成していると考えられる(de Boer et al., 2015) (篠塚一貴 et al., 2017)<ref><pubmed> 26066717</pubmed></ref><ref>’’’篠塚一貴, 矢野沙織, Menno, R.K., 黒田公美’’’<br>攻撃性の脳内基盤II.<br>’’臨床精神医学’’ 46, 1067-1076.; 2017</ref>。
 攻撃性に関与する脳部位はVMHvl以外にもある。前頭前野、中隔、扁桃体、側坐核、分界条庄核、視索前野、視床下部前核、前乳頭体核、室傍核、手綱核、中脳水道周囲灰白質、背側縫線核、青斑核などが攻撃行動に関与することが明らかになってきている(Newman et al., 1997) (Veening et al., 2005)<ref><pubmed> 9071355</pubmed></ref><ref><pubmed> 16263109 </pubmed></ref>。これらの領域は視床下部などの各領域と投射(結合)関係を持ち、情報をやりとりしながら、行動を解発する刺激(感覚)の情報処理や、実際の行動の際の計画・運動などに関与し、全体としてネットワークを形成していると考えられる(de Boer et al., 2015) (篠塚一貴 et al., 2017)<ref><pubmed> 26066717</pubmed></ref><ref>'''篠塚一貴, 矢野沙織, Menno, R.K., 黒田公美'''<br>攻撃性の脳内基盤II.<br>''臨床精神医学'' 46, 1067-1076.; 2017</ref>。


== 攻撃性に関わるホルモン・神経伝達物質 ==
== 攻撃性に関わるホルモン・神経伝達物質 ==
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=== 性ステロイドホルモンと攻撃性 ===
=== 性ステロイドホルモンと攻撃性 ===
多くの動物において、雄の方が雌よりも攻撃性が高く、特に精巣からテストステロンの分泌が増加する思春期から攻撃行動が増加する。また、成体雄の精巣を除去すると攻撃行動が低下し、そこにテストステロンを投与することで攻撃行動が回復することから、テストステロンが攻撃行動の出現に必須であることが示されている(近藤ら、2010)<ref>’’’近藤保彦, 菊水健史, 山田一夫, 小川園子, 富原 一哉’’’<br>脳とホルモンの行動学<br>’’西村書店’’; 2010</ref>。テストステロンは、直接アンドロゲン受容体に作用するのに加えて、アロマターゼにより芳香化されエストラジオールに代謝されることで、エストロゲン受容体にも作用する。攻撃行動には実はこのエストロゲン受容体を介した作用が重要な働きを持つことが明らかとなってきており、去勢した雄にエストラジオールを投与しても攻撃行動がある程度回復することや、アロマターゼを抑制するとテストステロンの効果が阻害されることが分かっている(Bowden and Brain, 1978)<ref><pubmed> 567355</pubmed></ref>。遺伝子ノックアウトマウスの仕事から、アンドロゲン受容体とエストロゲン受容体α(ERα)の両方が、攻撃行動の出現に関与することが明らかとなっており(Sato et al 2004, Ogawa et al 1997)<ref name=Sato2004><pubmed> 14747651 </pubmed></ref>、先に述べた視床下部VMHvlについても、ERα受容体の発現が攻撃行動の発動に関わることが示されている(Sano et al 2004)<ref name=Sato2004/>。
多くの動物において、雄の方が雌よりも攻撃性が高く、特に精巣からテストステロンの分泌が増加する思春期から攻撃行動が増加する。また、成体雄の精巣を除去すると攻撃行動が低下し、そこにテストステロンを投与することで攻撃行動が回復することから、テストステロンが攻撃行動の出現に必須であることが示されている(近藤ら、2010)<ref>'''近藤保彦, 菊水健史, 山田一夫, 小川園子, 富原 一哉'''<br>脳とホルモンの行動学<br>''西村書店''; 2010</ref>。テストステロンは、直接アンドロゲン受容体に作用するのに加えて、アロマターゼにより芳香化されエストラジオールに代謝されることで、エストロゲン受容体にも作用する。攻撃行動には実はこのエストロゲン受容体を介した作用が重要な働きを持つことが明らかとなってきており、去勢した雄にエストラジオールを投与しても攻撃行動がある程度回復することや、アロマターゼを抑制するとテストステロンの効果が阻害されることが分かっている(Bowden and Brain, 1978)<ref><pubmed> 567355</pubmed></ref>。遺伝子ノックアウトマウスの仕事から、アンドロゲン受容体とエストロゲン受容体α(ERα)の両方が、攻撃行動の出現に関与することが明らかとなっており(Sato et al 2004, Ogawa et al 1997)<ref name=Sato2004><pubmed> 14747651 </pubmed></ref>、先に述べた視床下部VMHvlについても、ERα受容体の発現が攻撃行動の発動に関わることが示されている(Sano et al 2004)<ref name=Sato2004/>。


=== セロトニンと攻撃性 ===
=== セロトニンと攻撃性 ===