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Junko kurahashi (トーク | 投稿記録) |
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== 行動神経科学における「攻撃性」の定義と分類 == | == 行動神経科学における「攻撃性」の定義と分類 == | ||
攻撃行動Aggressive | 攻撃行動Aggressive behaviorとは一般に、相手に対し身体的もしくは精神的な危害を与える行動、もしくは危害を与える意図を伝える[[威嚇行為]]を指す。その結果として、相手個体をある領域から排除したり、所有物を放棄させたりするなど、相手の行動を自分が意図する方向に変容させることを指向する(Miczek and Meyer-Lindenberg, 2014)<ref>'''Miczek, K.A., and Meyer-Lindenberg, A.'''<br> Neuroscience of aggression <br> ''Springer''; 2014 </ref>。攻撃行動は種特異的な行動であり、その行動表出(肉体的、言語的)や原因([[恐怖]]、怒り、快楽)は複雑であるため、「攻撃」を厳密に定義・分類することは難しいと指摘されている。攻撃性とは、動物に攻撃行動を行わせる内的状態であり、個体差が存在する。遺伝、環境、発達段階など様々な要因が、攻撃性の個体差に影響を与える。 | ||
=== 攻撃の対象 === | === 攻撃の対象 === | ||
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=== 攻撃行動の分類 === | === 攻撃行動の分類 === | ||
==== ①目的からみた分類 ==== | ==== ①目的からみた分類 ==== | ||
攻撃行動を、主たる目的が相手に危害を加えるための攻撃Offensive aggressionと、自己を守るための攻撃Defensive aggressionに分けることがある(Blanchard et al., 2003)<ref name=Blanchard2003><pubmed> 14609538</pubmed></ref>。オス同士の縄張りを巡る攻撃では、元来居住者側の攻撃をOffense, 侵入者の行動をDefenseと呼ぶことがあるが、一方で捕食行動をOffense、居住者側の行動をDefenseと呼ぶ研究者もいるなど、用語の混乱も見られる点に注意が必要である。 | 攻撃行動を、主たる目的が相手に危害を加えるための攻撃Offensive aggressionと、自己を守るための攻撃Defensive aggressionに分けることがある(Blanchard et al., 2003)<ref name=Blanchard2003><pubmed> 14609538</pubmed></ref>。オス同士の縄張りを巡る攻撃では、元来居住者側の攻撃をOffense, 侵入者の行動をDefenseと呼ぶことがあるが、一方で捕食行動をOffense、居住者側の行動をDefenseと呼ぶ研究者もいるなど、用語の混乱も見られる点に注意が必要である。 | ||
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==== ②発生機序から見た分類 ==== | ==== ②発生機序から見た分類 ==== | ||
攻撃行動を、[[反応的攻撃]]Reactive aggression(自らが危険にさらされたり、思い通りにいかない欲求不満をきっかけに攻撃する)と、[[道具的攻撃]]Instrumental aggression(自ら利益を得るために、先制的に攻撃する。Proactive aggressionとも)に分類することがある。前者は、①のDefensive aggressionに、後者は捕食行動にオーバーラップする。 | |||
この分類の利点はいくつかある。まず、両者では、見た目の行動や関与する[[自律神経系]]が異なる。反応的攻撃の場合には[[交感神経系]]が興奮し、心拍数上昇、立毛や発汗、発声などがみられる一方、道具的攻撃の場合は必ずしも交感神経系の興奮の特徴を伴わないとされる。[[ネコ]]同士の闘争では、ネコは毛を逆立て、背を丸め、身体の側面を相手に向けて自分をできるだけ大きく見せながら、威嚇の唸り声をあげるが、[[ネズミ]]を捕える際にはそのようなことはせず、静かに伏せて獲物を狙い噛みついて攻撃する。それぞれの攻撃行動を関与する脳部位も異なる。 | |||
==== ③攻撃の手法による分類 ==== | ==== ③攻撃の手法による分類 ==== | ||
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==== ⑤病的な攻撃性 ==== | ==== ⑤病的な攻撃性 ==== | ||
④のように、攻撃行動はその種において適応的な意義がある一方で、それが適度な程度を超えて過剰になってしまうと、それは病的な攻撃性と考えられる。人間社会においても、暴力のように過剰な攻撃性が大きな問題となっている。このような過剰な攻撃性の[[動物モデル]]([[げっ歯類]])として、社会的[[隔離]]による幼少期の[[ストレス]]経験や、思春期における[[筋肉]]増強剤などの[[ステロイド]] | ④のように、攻撃行動はその種において適応的な意義がある一方で、それが適度な程度を超えて過剰になってしまうと、それは病的な攻撃性と考えられる。人間社会においても、暴力のように過剰な攻撃性が大きな問題となっている。このような過剰な攻撃性の[[動物モデル]]([[げっ歯類]])として、社会的[[隔離]]による幼少期の[[ストレス]]経験や、思春期における[[筋肉]]増強剤などの[[ステロイド]]処置により、過剰な攻撃行動が生ずることが知られている。 | ||
また、[[アルコール]]の摂取によって、一部の個体で過剰な攻撃行動が観察される。これらは、人間社会で実際に問題となっている現象であり、その生物学的なメカニズムの理解が求められる。(Haller and Kruk, 2006; Takahashi and Miczek, 2014) (高橋阿貴, 2017)<ref name=Haller2006><pubmed> 16483889</pubmed></ref><ref name=Takahashi2014><pubmed>24318936</pubmed></ref><ref>'''高橋阿貴'''<br>過剰な攻撃行動の神経生物学<br>''臨床精神医学 46'', pp. 1077-1082; 2017</ref>。 | |||
また、動物を低[[グルココルチコイド]]状態にすることで、[[HPA系]]の活性が低下して低覚醒状態であるのに高い攻撃行動を示すことが分かっており、これが[[ヒト]]の[[反社会性パーソナリティー障害]]のモデルとなる可能性がある(Haller and Kruk, 2006; Takahashi and Miczek, 2014) <ref name=Haller2006/><ref name=Takahashi2014/>。 | |||
これらの過剰な攻撃行動を示す動物は、メスは攻撃しない、オス同士であっても咽喉など致命傷になりうる危険な体の部位は攻撃しない、といった通常の種内攻撃行動では守られるべきルールが守られなくなるという(下記1-3参照)。 | |||
=== 攻撃の抑制、威嚇や儀式化による攻撃の危険性の低減 === | === 攻撃の抑制、威嚇や儀式化による攻撃の危険性の低減 === | ||
攻撃力の高い食肉類などの動物では、オス同士の闘争には攻撃側にも相応の危険性が伴う。またもしその攻撃性が子どもやメスなどに対して無秩序に発動すると、自らの繁殖を阻害する場合もある。そのため、攻撃性が社会的文脈に応じて適切に制御される必要がある。 | 攻撃力の高い食肉類などの動物では、オス同士の闘争には攻撃側にも相応の危険性が伴う。またもしその攻撃性が子どもやメスなどに対して無秩序に発動すると、自らの繁殖を阻害する場合もある。そのため、攻撃性が社会的文脈に応じて適切に制御される必要がある。 | ||
攻撃行動による損害を低減する工夫には様々なものがあるが、その中でも威嚇Threatは実戦を避ける上で重要である。これによって、強さのわからない相手にまず自分の意向を知らせ、相手がどう出るのかを見定めることができる。例えば[[チンパンジー]]では、地位の高い個体が「睨む、顔をぐいと動かす、腕をふりあげる、肩をいからせる、いばって歩く、足を踏み鳴らす、木の枝を振り回す、毛を逆立てる、石を投げる、発声する」などの多様な行動によって相手を威嚇する(ハインド, 1974(原著), 1977(日本語版)) <ref name=Hinde1974>'''ハインド, R.A.'''<br>行動生物学<br>''講談社''; 1977 (原著1974)</ref>。ネコや[[ラット]] | |||
攻撃行動による損害を低減する工夫には様々なものがあるが、その中でも威嚇Threatは実戦を避ける上で重要である。これによって、強さのわからない相手にまず自分の意向を知らせ、相手がどう出るのかを見定めることができる。例えば[[チンパンジー]]では、地位の高い個体が「睨む、顔をぐいと動かす、腕をふりあげる、肩をいからせる、いばって歩く、足を踏み鳴らす、木の枝を振り回す、毛を逆立てる、石を投げる、発声する」などの多様な行動によって相手を威嚇する(ハインド, 1974(原著), 1977(日本語版)) <ref name=Hinde1974>'''ハインド, R.A.'''<br>行動生物学<br>''講談社''; 1977 (原著1974)</ref>。ネコや[[ラット]]では、背を丸め、毛を逆立て、身体の横側を相手に向けることで、自分を大きく見せる[[側面威嚇]]Lateral threatを行う。 | |||
また、いったん実戦によって群れの中の順位階層dominance hierarchyが決定すると、下位の個体が譲歩し服従姿勢Submissive postureをとることで、相手の攻撃行動を消滅させ、さらなる衝突が避けられる。チンパンジーでは、「臀部を見せる、泣き叫ぶ、身を屈める、お辞儀をする、うずくまる、歩み寄る、キスをする」などの行動で服従を示すという。これによって、お互いを良く知っている個体同士では暴力行為が見知らぬ同士よりもはるかに低く抑えられる。若年の個体(コドモ)も、匂いや声などのシグナルによって、群れの中の成体からの攻撃を押さえていると考えられる。 | また、いったん実戦によって群れの中の順位階層dominance hierarchyが決定すると、下位の個体が譲歩し服従姿勢Submissive postureをとることで、相手の攻撃行動を消滅させ、さらなる衝突が避けられる。チンパンジーでは、「臀部を見せる、泣き叫ぶ、身を屈める、お辞儀をする、うずくまる、歩み寄る、キスをする」などの行動で服従を示すという。これによって、お互いを良く知っている個体同士では暴力行為が見知らぬ同士よりもはるかに低く抑えられる。若年の個体(コドモ)も、匂いや声などのシグナルによって、群れの中の成体からの攻撃を押さえていると考えられる。 | ||
さらに実戦となった場合でも、その中には様々な「ルール」が存在する。例えばオスラット同士の攻撃行動(インターネットで(Koolhaas et al., 2013) <ref><pubmed> 23852258</pubmed></ref>の詳細な実験の紹介動画を視聴できる)では、毛を逆立てて一見激しく興奮した攻撃側の居住オスの攻撃対象は、90%が相手の背中・尻に絞られ、傷つきやすい部位である咽喉や腹部などにはあまり向かわない。侵入者が仰向けになった服従姿勢をとると、攻撃側は腹部や顔面を攻撃できるにも関わらず攻撃せず、かわりに威圧姿勢をとる。[[マウス]]や[[ハムスター]]でも、主に背中が攻撃のターゲットとなる(Blanchard et al., 2003) <ref name=Blanchard2003/>。すなわち攻撃行動には儀式的な組織化Ritual organizationがあり、秩序だって制御されていると言える。 | さらに実戦となった場合でも、その中には様々な「ルール」が存在する。例えばオスラット同士の攻撃行動(インターネットで(Koolhaas et al., 2013) <ref><pubmed> 23852258</pubmed></ref>の詳細な実験の紹介動画を視聴できる)では、毛を逆立てて一見激しく興奮した攻撃側の居住オスの攻撃対象は、90%が相手の背中・尻に絞られ、傷つきやすい部位である咽喉や腹部などにはあまり向かわない。侵入者が仰向けになった服従姿勢をとると、攻撃側は腹部や顔面を攻撃できるにも関わらず攻撃せず、かわりに威圧姿勢をとる。[[マウス]]や[[ハムスター]]でも、主に背中が攻撃のターゲットとなる(Blanchard et al., 2003) <ref name=Blanchard2003/>。すなわち攻撃行動には儀式的な組織化Ritual organizationがあり、秩序だって制御されていると言える。 | ||
このような観察を強調したローレンツの古典的著書『攻撃』<ref name=Lorenz1963/>(ローレンツ, 1970 (原著1963)) | このような観察を強調したローレンツの古典的著書『攻撃』<ref name=Lorenz1963/>(ローレンツ, 1970 (原著1963))の影響もあり、過去には、動物は同種間の闘いで実際に致命傷を受けることはほとんどない、そのような残酷なことをするのは人間だけ、あるいは人間とチンパンジーだけだ、と主張されたこともある。しかしその後の観察では、同種の動物の間で致命傷に至る攻撃行動は決してまれではない。 | ||
異種間においても、ライオンは必ずしも空腹だから獲物を殺すのではなく、気まぐれに狩猟しているように見える(Schaller, 1972)。<ref>'''George B. Schaller'''<br> The Serengeti lion: a study of predator-prey relations <br>''University Chicago Press''; 1972</ref>子殺しも、当初考えられていたよりもはるかに広範な種に認められている(Opie et al., 2013)<ref><pubmed>23898180</pubmed></ref>。従って「実際の暴力を減弱する方法が自然の中にこうして存在するにしても、攻撃性が珍事であるわけではなく、やはり生起するのである。」(ハインド, 1974(原著), 1977(日本語版)) <ref name=Hinde1974/> | |||
== 攻撃性の脳内基盤研究 == | == 攻撃性の脳内基盤研究 == |