「健忘症候群」の版間の差分

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[[Image:図2アセチルコリン神経系の分布.png|thumb|500px|<b>図2.アセチルコリン神経系の分布<br />(佐藤 2012を引用)</b><br />1:[[内側中隔核]](Ch1) 2:[[ブローカ対角帯・背側部]](Ch2) 3:[[ブローカ対角帯・腹側部]](Ch3) 4:[[マイネルト基底核]](Ch4) 5:[[海馬]] 6:[[扁桃体]] 7:[[嗅神経]] 8:[[脳梁]] 9:[[脳弓]] 10:[[帯状回]] 11:[[前頭葉]] 12:[[頭頂葉]] 13:[[後頭葉]]]]  
[[Image:図2アセチルコリン神経系の分布.png|thumb|500px|<b>図2.アセチルコリン神経系の分布<br />(佐藤 2012を引用)</b><br />1:[[内側中隔核]](Ch1) 2:[[ブローカ対角帯・背側部]](Ch2) 3:[[ブローカ対角帯・腹側部]](Ch3) 4:[[マイネルト基底核]](Ch4) 5:[[海馬]] 6:[[扁桃体]] 7:[[嗅神経]] 8:[[脳梁]] 9:[[脳弓]] 10:[[帯状回]] 11:[[前頭葉]] 12:[[頭頂葉]] 13:[[後頭葉]]]]  


 [[wikipedia:JA:Brpca|Broca]]によるタン氏の報告に代表されるように、神経心理学ではある一人の患者の存在が学問を大きく進展させることがある。記憶についても同様で、二人の患者なかでも[[HM]]の脳損傷とその結果現れた症状により、ヒトの記憶のメカニズムの研究がおおいに進んだ。  
 Brocaによるタン氏の報告に代表されるように、神経心理学ではある一人の患者の存在が学問を大きく進展させることがある。記憶についても同様で、二人の患者なかでも[[HM]]の脳損傷とその結果現れた症状により、ヒトの記憶のメカニズムの研究がおおいに進んだ。  


 HM(名はヘンリー)は、10歳のころから[[てんかん]]の[[小発作]]が頻発するようになり、16歳からは大発作へと移行した。神経学的所見は正常。脳波で両側側頭葉に2~3Hzのspike &amp; wave complexを認めた。薬物治療の効果のない難治性てんかんと診断され、1953年25歳時に両側側頭葉切除術を受けた。その結果、てんかん発作は消失したが重度の記憶障害を呈するようになった。HMは、手術を受けてからの記憶はまったくなく、主治医も担当ナースも毎朝会う時は“初対面の人”であった。新しいものごとについては、7秒間だけ覚えていることができた。手術前1~2年の記憶は曖昧で、2年以上前の記憶は正常に保たれていた。鏡像模写などの新しい技能については、毎日の訓練により上達がみられるが、練習したこと自体は覚えていなかった。HMは、自分が容易に課題をこなしてしまうので「なんでこんなに上手くできるのだ?」と驚いた。後年の脳MRI検査により、両側の側頭葉内側の先端部、扁桃体、嗅内野(海馬傍回前部)の大部分、海馬の前半分が切除されていることが明らかになった(Corkin 1997)。HMは学用患者として現在も米国の某大学内で居住しており、半世紀を経た現在でも数年に一度、彼に関する論文が発表されている。現在も症状に変化はない。HMに鏡を見せると、映った自分の顔に驚愕する。なぜならHMの記憶に貯えられている自分の顔は、25歳時の顔だからだ。鏡が見ている人の容貌を映すということは知っているので、「この老人は誰だ!いったいどうなっているのだ!」と現在の自分の姿に非常なショックを受ける。しかし、鏡を取り除いて10分もするとHMは、さっきあれほどショックを受けたこと自体を覚えていない。HMの症状の詳細は、数年間にわたって彼を観察・取材した結果であるルポルタージュ「記憶の亡霊」(白揚社)に詳しい。HMの所見から、記憶には7秒くらいしか続かない短いものと、数年以上の長期間にわたって保持される長いものの最低でも2種類あること、記憶には両側側頭葉の内側部、特に海馬が重要であること、技能はそのほかの記憶とは異なる機序で脳内に蓄えられることが明らかになった。    記憶に関係する部位は海馬だけではない。1960年22歳のNAは、フェンシングのサーベルが右鼻孔から脳まで突き刺さるという傷を負った。その後NAは、日々の出来事を記憶することができなくなった。言語性記憶の方が非言語性よりも障害が強かった。1960年以前の事柄は思いだせ、IQは124あった。頭部CTの結果、サーベルは右鼻孔から入り篩骨洞を経て中心線を超え、前頭眼窩皮質さらには脳梁吻、左側脳室前核、線条体を通り、最終的に視床背内側核に至ったと考えられた(Squire 1979)。脳弓や乳頭体も障害されている可能性があるが、著者はNAの記憶障害の主たる責任病巣を視床背内側核としている。NAの結果から、海馬以外の皮質下構造物の障害によっても記憶障害が生じること、障害の半球差により言語性/非言語性記憶障害の間に乖離が生じ得ることが明らかになった。  
 HM(名はヘンリー)は、10歳のころから[[てんかん]]の[[小発作]]が頻発するようになり、16歳からは大発作へと移行した。神経学的所見は正常。脳波で両側側頭葉に2~3Hzのspike &amp; wave complexを認めた。薬物治療の効果のない難治性てんかんと診断され、1953年25歳時に両側側頭葉切除術を受けた。その結果、てんかん発作は消失したが重度の記憶障害を呈するようになった。HMは、手術を受けてからの記憶はまったくなく、主治医も担当ナースも毎朝会う時は“初対面の人”であった。新しいものごとについては、7秒間だけ覚えていることができた。手術前1~2年の記憶は曖昧で、2年以上前の記憶は正常に保たれていた。鏡像模写などの新しい技能については、毎日の訓練により上達がみられるが、練習したこと自体は覚えていなかった。HMは、自分が容易に課題をこなしてしまうので「なんでこんなに上手くできるのだ?」と驚いた。後年の脳MRI検査により、両側の側頭葉内側の先端部、扁桃体、嗅内野(海馬傍回前部)の大部分、海馬の前半分が切除されていることが明らかになった(Corkin 1997)。HMは学用患者として現在も米国の某大学内で居住しており、半世紀を経た現在でも数年に一度、彼に関する論文が発表されている。現在も症状に変化はない。HMに鏡を見せると、映った自分の顔に驚愕する。なぜならHMの記憶に貯えられている自分の顔は、25歳時の顔だからだ。鏡が見ている人の容貌を映すということは知っているので、「この老人は誰だ!いったいどうなっているのだ!」と現在の自分の姿に非常なショックを受ける。しかし、鏡を取り除いて10分もするとHMは、さっきあれほどショックを受けたこと自体を覚えていない。HMの症状の詳細は、数年間にわたって彼を観察・取材した結果であるルポルタージュ「記憶の亡霊」(白揚社)に詳しい。HMの所見から、記憶には7秒くらいしか続かない短いものと、数年以上の長期間にわたって保持される長いものの最低でも2種類あること、記憶には両側側頭葉の内側部、特に海馬が重要であること、技能はそのほかの記憶とは異なる機序で脳内に蓄えられることが明らかになった。    記憶に関係する部位は海馬だけではない。1960年22歳のNAは、フェンシングのサーベルが右鼻孔から脳まで突き刺さるという傷を負った。その後NAは、日々の出来事を記憶することができなくなった。言語性記憶の方が非言語性よりも障害が強かった。1960年以前の事柄は思いだせ、IQは124あった。頭部CTの結果、サーベルは右鼻孔から入り篩骨洞を経て中心線を超え、前頭眼窩皮質さらには脳梁吻、左側脳室前核、線条体を通り、最終的に視床背内側核に至ったと考えられた(Squire 1979)。脳弓や乳頭体も障害されている可能性があるが、著者はNAの記憶障害の主たる責任病巣を視床背内側核としている。NAの結果から、海馬以外の皮質下構造物の障害によっても記憶障害が生じること、障害の半球差により言語性/非言語性記憶障害の間に乖離が生じ得ることが明らかになった。  

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