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英略語:DSM | 英略語:DSM | ||
{{box|text= 精神疾患の診断・統計マニュアル (DSM)は、アメリカ精神医学会が作成している、精神障害に関する国際的な診断基準の1つである。1952年に第1版が出版され、その後改訂を重ねている。DSM- | {{box|text= 精神疾患の診断・統計マニュアル (DSM)は、アメリカ精神医学会が作成している、精神障害に関する国際的な診断基準の1つである。1952年に第1版が出版され、その後改訂を重ねている。DSM-III以降、操作的診断基準を採用してからは、その分類の科学的な信頼性を高められるよう努めるとともに、実践への配慮、とりわけ臨床での有用性を非常に重視してきた。その実用性の高さ、わかりやすさなどのため、臨床、研究、教育の幅広い分野で用いられている。}} | ||
==DSM以前== | ==DSM以前== | ||
第二次世界大戦中、精神科医の使命は、戦場でのストレスを機に精神的不調を来した数多くの兵士たちを治療し、できるだけ早く回復させて再び戦場に戻すことだった<ref name=Grob1991><pubmed>2006685</pubmed></ref>1)。この経験から精神科医たちは、[[ストレス]]と[[精神的不適応現象]]とが関連していること、そのような現象を早期に同定して入院させずに治療することが予後や転帰にとって良いことを学んだ。しかし、入院治療を主としていた当時の疾患分類は(入院患者の大部分は「[[精神病]]」に分類された)、戦争中に生じたいわゆる「[[戦争神経症]]」の病態に対応していなかった。このため、当時アメリカ陸軍において精神科コンサルタント部門長であった[[w:William C. Menninger|Menninger, C.]]が中心となり、軍独自の精神疾患分類として[[Medical 203]]が作成された。Medical 203は、生活環境やストレスが精神疾患につながりうるという概念を包含した初めての分類だった<ref name=Houts2000><pubmed>10902952</pubmed></ref>2)。 | 第二次世界大戦中、精神科医の使命は、戦場でのストレスを機に精神的不調を来した数多くの兵士たちを治療し、できるだけ早く回復させて再び戦場に戻すことだった<ref name=Grob1991><pubmed>2006685</pubmed></ref>1)。この経験から精神科医たちは、[[ストレス]]と[[精神的不適応現象]]とが関連していること、そのような現象を早期に同定して入院させずに治療することが予後や転帰にとって良いことを学んだ。しかし、入院治療を主としていた当時の疾患分類は(入院患者の大部分は「[[精神病]]」に分類された)、戦争中に生じたいわゆる「[[戦争神経症]]」の病態に対応していなかった。このため、当時アメリカ陸軍において精神科コンサルタント部門長であった[[w:William C. Menninger|Menninger, C.]]が中心となり、軍独自の精神疾患分類として[[Medical 203]]が作成された。Medical 203は、生活環境やストレスが精神疾患につながりうるという概念を包含した初めての分類だった<ref name=Houts2000><pubmed>10902952</pubmed></ref>2)。 | ||
==DSM- | ==DSM-I== | ||
第二次世界大戦後、多数の従軍精神科医がアメリカに戻ったのち、[[アメリカ精神医学]]の中心となった。従軍した精神科医によって主導された心理社会モデル、そしてそれを柱とした[[力動精神医学]]と[[精神分析学]]が盛んとなっていった。そのような時代背景において、1948年にはアメリカ精神医学会(APA)に病名と統計に関する専門委員会が設置され、1952年に[[DSM-I]]が作成された。DSM- | 第二次世界大戦後、多数の従軍精神科医がアメリカに戻ったのち、[[アメリカ精神医学]]の中心となった。従軍した精神科医によって主導された心理社会モデル、そしてそれを柱とした[[力動精神医学]]と[[精神分析学]]が盛んとなっていった。そのような時代背景において、1948年にはアメリカ精神医学会(APA)に病名と統計に関する専門委員会が設置され、1952年に[[DSM-I]]が作成された。DSM-Iは力動精神医学や[[精神分析学]]に依拠しており、Medical 203からの直接的な引用も多くみられた。また、その特徴として、マニュアル全体を通じて「反応」という用語が用いられた。つまり、生活環境が精神疾患につながるというMedical 203で明示された概念が完全に組み込まれていた。 | ||
==DSM- | ==DSM-II== | ||
DSM- | DSM-I成立後、アメリカ精神医学会において、力動精神医学と精神分析学がさらに中核となった。1968年、[[ICD-8]]の作成に合わせてDSM-Iの改訂が企図され、[[DSM-II]]が成立した。その際、精神分析学派の精神科医が権限をもったという背景があり、[[w:ジークムント・フロイト|Freud]]の思想が取り上げられ、精神分析学の中心である[[神経症]]概念が復活した。一方で、もう一つの精神分析学的用語である「反応」は、成人に関する全ての分類名から削除された。その理由について[[wj:ロバート・スピッツァー (精神科医)|Spitzer]]は、DSM-IIの巻末において、「障害を名付けるにあたって、特定の理論に固執することを避けるためだった」と明記している<ref name=Association>'''American Psychiatric Association (1968).'''<br>Diagnostic and statistical manual of mental disorders (2nd ed.).</ref>3)。この頃から、DSMから[[病因論]]を除く動きが徐々に見られていたといえる。 | ||
==DSM- | ==DSM-IIからDSM-IIIへ== | ||
DSM- | DSM-IIが作成された頃から1970年代にかけて、精神科診断の信頼性の低さが批判されるようになった<ref name=Cooper>'''Cooper, J.E. (1972).'''<br>Psychiatric Diagnosis in New York and London. Maudsley Monograph No. 20. Oxford University Press</ref>4)。同時に、精神医学がはたして医学といえるのかという批判が高まっていった。 | ||
信頼性を妨げる要因としては、被験者分散(例えば、[[メランコリア]]の特徴を伴う[[うつ病]]患者では朝に症状が悪化する)、情況分散(例えば、多数の医師によるベッドサイドでの回診時と、主治医による個室での診察時とでは得られる情報が異なる)、情報分散(異なる質問をするために異なる情報が提供される)、観察分散(情報の集め方は同じでも、重症度や閾値の判定が異なる)、基準分散(情報は同じでも、診断として統合する方法が異なる)が挙げられる<ref name=北村俊則2013>'''北村俊則 (2013).'''<br>精神科診断学概論. 北村メンタルヘルス研究所</ref> | 信頼性を妨げる要因としては、被験者分散(例えば、[[メランコリア]]の特徴を伴う[[うつ病]]患者では朝に症状が悪化する)、情況分散(例えば、多数の医師によるベッドサイドでの回診時と、主治医による個室での診察時とでは得られる情報が異なる)、情報分散(異なる質問をするために異なる情報が提供される)、観察分散(情報の集め方は同じでも、重症度や閾値の判定が異なる)、基準分散(情報は同じでも、診断として統合する方法が異なる)が挙げられる<ref name=北村俊則2013>'''北村俊則 (2013).'''<br>精神科診断学概論. 北村メンタルヘルス研究所</ref> | ||
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さらに1974年にはコロンビア大学で研究診断基準 (Research Diagnostic Criteria: RDC)が作成され<ref name=Spitzer1978><pubmed>655775</pubmed></ref>8)、統一された診断基準作成の機運が高まっていった。 | さらに1974年にはコロンビア大学で研究診断基準 (Research Diagnostic Criteria: RDC)が作成され<ref name=Spitzer1978><pubmed>655775</pubmed></ref>8)、統一された診断基準作成の機運が高まっていった。 | ||
==DSM- | ==DSM-III== | ||
そのような背景の中、[[操作的診断基準]]を採用した診断分類[[DSM-III]]が1980年に公表された。1988年には初めて[[DSM-III-R]]日本語版も発表され<ref name=髙橋三郎1988>'''髙橋三郎(訳)(1988).'''<br>DSM-III-R 精神障害の診断・統計マニュアル. 医学書院</ref>9)、DSM-IIIの発表が精神科診断における転機となった。DSM-IIIでは、精神疾患の原因が明らかとされていない中で病因論を排除し、主として症候・徴候・経過にもとづく操作的診断基準によって疾患カテゴリーを定めることで、精神科診断の信頼性を確保しようとした。それとともに、精神医学を医学の中に残すために精神医学もまた身体医学と同じく[[診断推論]]や[[薬物療法]]を利用できるという医学的モデルを適用した。 | そのような背景の中、[[操作的診断基準]]を採用した診断分類[[DSM-III]]が1980年に公表された。1988年には初めて[[DSM-III-R]]日本語版も発表され<ref name=髙橋三郎1988>'''髙橋三郎(訳)(1988).'''<br>DSM-III-R 精神障害の診断・統計マニュアル. 医学書院</ref>9)、DSM-IIIの発表が精神科診断における転機となった。DSM-IIIでは、精神疾患の原因が明らかとされていない中で病因論を排除し、主として症候・徴候・経過にもとづく操作的診断基準によって疾患カテゴリーを定めることで、精神科診断の信頼性を確保しようとした。それとともに、精神医学を医学の中に残すために精神医学もまた身体医学と同じく[[診断推論]]や[[薬物療法]]を利用できるという医学的モデルを適用した。 | ||
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研究における貢献度も高かった。疫学研究にとどまらず、DSMの明確な疾患カテゴリーにより規定される膨大なサンプルと、分子遺伝学的手法や画像技術の進歩とが、精神疾患の生物学的研究を加速させたともいえる。 | 研究における貢献度も高かった。疫学研究にとどまらず、DSMの明確な疾患カテゴリーにより規定される膨大なサンプルと、分子遺伝学的手法や画像技術の進歩とが、精神疾患の生物学的研究を加速させたともいえる。 | ||
==DSM- | ==DSM-IV== | ||
[[DSM- | [[DSM-IV]]は、DSM-IIIのシステムを基本的に踏襲した。保守的な改訂に留まった理由は、大きな改訂により、研究や臨床の実践の継続性に支障を来すことを考慮したためだった<ref name=First2010><pubmed>21070696</pubmed></ref>12)。改定にあたり、3段階からなる実証的根拠の包括的レビューがなされた。すなわち、1) 出版された文献の系統的レビュー、2) それまでに収集されたデータの再分析、3) 問題点を絞った広範な実地試行である<ref name=Association1994>'''American Psychiatric Association (1994).'''<br>Diagnostic and statistical manual of mental disorders (4th ed.). American Psychiatric Association</ref>13)。この厳密な過程を経て、診断名数がDSM-IIIの265から374へと増加した。これはDSM-IIIの診断名がさらに細分化されたためである。より精緻な分類が可能となったが、一方で、重複診断の多さ(カテゴリー間の重複)などを理由に、カテゴリカルな疾患分類の限界を指摘する意見も見られ始めた。カテゴリカルな分類の限界については次章で述べる。 | ||
2000年には、DSM- | 2000年には、DSM-IVのテキスト改訂版であるDSM-IV-TRが出版され、DSM-IVにおける誤りの修正、新たな研究結果に基づく情報の刷新、テキストの追加による教育的価値のさらなる向上などがなされた。 | ||
==DSM-III以降に表出した課題== | ==DSM-III以降に表出した課題== |