「脳死」の版間の差分

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 米国神経学会のSummary statement(ガイドライン)は2010年に改訂された<ref name=Wijdicks2010><pubmed>20530327</pubmed></ref>[10]。脳死は臨床診断であること、無呼吸テストは安全であること、種々の新しい補助検査が全脳の機能停止を真に確認できるかについては十分なエビデンスがまだないこと、この改訂ではevidence-basedを目指し38件の文献をレビューされたが、結果的にopinion-basedとなったこと、などが明記された。
 米国神経学会のSummary statement(ガイドライン)は2010年に改訂された<ref name=Wijdicks2010><pubmed>20530327</pubmed></ref>[10]。脳死は臨床診断であること、無呼吸テストは安全であること、種々の新しい補助検査が全脳の機能停止を真に確認できるかについては十分なエビデンスがまだないこと、この改訂ではevidence-basedを目指し38件の文献をレビューされたが、結果的にopinion-basedとなったこと、などが明記された。


== わが国における脳死をめぐる概念の成立と変遷 ==
== 日本における脳死をめぐる概念の成立と変遷 ==
• 日本においては、1968年8月にいわゆる「和田心臓移植事件」が発生した。
 日本においては、1968年8月にいわゆる「和田心臓移植事件」が発生した。
• 1968年10月に日本脳波学会に脳波と脳死に関する委員会が設置され、1974年に「脳の急性一次性粗大病変における脳死の判定基準」が公表された。判定基準として、(1)深昏睡、(2)両側瞳孔散大、対光反射および角膜反射の消失、(3)自発呼吸の停止、(4)急激な血圧降下とそれにひき続く低血圧、(5)平坦脳波、(6)以上の(1)〜(5)の条件が揃った時点より六時間後まで継続的にこれらの条件が満たされている、という6点が挙げられた。
• 「和田心臓移植事件」を契機に国民的議論が喚起され、脳死、臓器移植そのものへの否定的論調も根強かった。とくに脳死は人の死かという点が欧米との宗教的背景の違いもあって大きな論点となった。和田教授は世の指弾を受け、以後、わが国では脳死、移植に関する議論は低調あるいはタブーとなったが、この間に海外では臓器移植が技術的に大きく進歩、発展した
1985年、旧厚生省研究班は日本脳波学会基準による全国調査を行った718例中、蘇生例は無かったことを報告し<ref name=竹内一夫1985>竹内一夫. 厚生省厚生科学研究費特別研究事業「脳死に関する研究班」、昭和59年度報告書. 日本医事新報 3188: 112-4. </ref>[11]、全脳死を採用した脳死判定基準(いわゆる竹内基準)を公表した<ref name=厚生科学研究費特別研究事業1985>厚生科学研究費特別研究事業 脳死に関する研究班 昭和60年度研究報告書. 脳死の判定指針および判定基準. 日医雑誌 1985; 94: 1949-72. </ref>[12]。その骨子は、1.深昏睡、2.瞳孔散大固定、3. 自発呼吸の消失(無呼吸テストにて)、4. 脳幹反射の消失、5. 平坦脳波であった。
• 1992年、「臨時脳死および臓器移植調査会」(通称、脳死臨調)は、脳死を人の死と認め、脳死体からの臓器移植の意義を是認し、さらに臓器の提供は本人の意思を最大限に尊重するという答申をまとめた。
• 1997年、脳死臨調での議論を経て「臓器の移植に関する法律」(「臓器移植法」)が成立し、法的脳死判定においては竹内基準に従うこととされた。この最初の臓器移植法の諸外国と比較した特徴は次の点であった;
1: 前提条件、除外例などが厳密に定義され、脳波も必須とされるなど諸外国と比べても最も厳しいレベルの基準である。器質的脳障害の確認のためにCTなどの画像診断が必須とされているのも諸外国にない点。
2: 意思表示カードなどによる本人の事前の意思確認が必須とされた。
3: 臓器移植を前提とする時のみ、脳死をもって人の死と定義し、臓器移植を前提としない時には、たとえ脳死判定がなされて脳死状態であると診断されても、従来通り心臓死をもって死と定義されるという、2通りの死の定義が存在した。
• 1998年、わが国で最初の法に基づく脳死判定が行われた。
• 本人の事前の意思確認が必須とされたが、意思表示カード所持者はきわめて少ないために、脳死下臓器提供数はなかなか増えない状態が続いた。また本人の意思表明が有効でない15歳以下の小児は臓器提供者になり得ず、小児の臓器移植は不可能で、海外渡航による移植にたよる状態が続いた。2008年イスタンブール宣言によって、このような自国外での臓器移植自粛が求められ、とくに小児の臓器移植の問題の解決が急務となった。
• この状況を受けて、2009年、改正臓器移植法案が成立した。その改訂の骨子と影響は以下の通りであった;
1: 生前の本人の意思が明確でない場合は、家族の承諾により臓器提供ができるとされた。これによって臓器提供件数は急増し、また、幼小児をドナーとする道が開かれ、小児臓器移植も開始された。
2: 「脳死は人の死である」という考えは概ね社会的に受容されているということが明記された。一方、家族が脳死を人の死であると受容できない場合には、法的脳死判定を拒むことができる権利も明記され、脳死に関する考えの多様性の許容が残された。
3: 臓器移植以外も含むすべての場において「脳死は人の死である」という考えが適用されるのか注目されたが、「臓器移植法は臓器移植の手続きについての法律であって、臓器移植につながらない脳死判定による死亡宣言はあり得ない」との法的解釈が示され、この点は従来と変わらない状況となっている。


 1968年10月に日本脳波学会に脳波と脳死に関する委員会が設置され、1974年に「脳の急性一次性粗大病変における脳死の判定基準」が公表された。判定基準として、(1)深昏睡、(2)両側瞳孔散大、対光反射および角膜反射の消失、(3)自発呼吸の停止、(4)急激な血圧降下とそれにひき続く低血圧、(5)平坦脳波、(6)以上の(1)〜(5)の条件が揃った時点より六時間後まで継続的にこれらの条件が満たされている、という6点が挙げられた。
「和田心臓移植事件」を契機に国民的議論が喚起され、脳死、臓器移植そのものへの否定的論調も根強かった。とくに脳死は人の死かという点が欧米との宗教的背景の違いもあって大きな論点となった。和田教授は世の指弾を受け、以後、わが国では脳死、移植に関する議論は低調あるいはタブーとなったが、この間に海外では臓器移植が技術的に大きく進歩、発展した。
 1985年、旧厚生省研究班は日本脳波学会基準による全国調査を行った718例中、蘇生例は無かったことを報告し<ref name=竹内一夫1985>竹内一夫. 厚生省厚生科学研究費特別研究事業「脳死に関する研究班」、昭和59年度報告書. 日本医事新報 3188: 112-4. </ref>[11]、全脳死を採用した脳死判定基準(いわゆる竹内基準)を公表した<ref name=厚生科学研究費特別研究事業1985>厚生科学研究費特別研究事業 脳死に関する研究班 昭和60年度研究報告書. 脳死の判定指針および判定基準. 日医雑誌 1985; 94: 1949-72. </ref>[12]。その骨子は、1.深昏睡、2.瞳孔散大固定、3. 自発呼吸の消失(無呼吸テストにて)、4. 脳幹反射の消失、5. 平坦脳波であった。
 1992年、「臨時脳死および臓器移植調査会」(通称、脳死臨調)は、脳死を人の死と認め、脳死体からの臓器移植の意義を是認し、さらに臓器の提供は本人の意思を最大限に尊重するという答申をまとめた。
 1997年、脳死臨調での議論を経て「臓器の移植に関する法律」(「臓器移植法」)が成立し、法的脳死判定においては竹内基準に従うこととされた。この最初の臓器移植法の諸外国と比較した特徴は次の点であった。
#前提条件、除外例などが厳密に定義され、脳波も必須とされるなど諸外国と比べても最も厳しいレベルの基準である。器質的脳障害の確認のためにCTなどの画像診断が必須とされているのも諸外国にない点。
#意思表示カードなどによる本人の事前の意思確認が必須とされた。
#臓器移植を前提とする時のみ、脳死をもって人の死と定義し、臓器移植を前提としない時には、たとえ脳死判定がなされて脳死状態であると診断されても、従来通り心臓死をもって死と定義されるという、2通りの死の定義が存在した。
 1998年、わが国で最初の法に基づく脳死判定が行われたが、その後も本人の事前の意思確認が必須とされたが、意思表示カード所持者はきわめて少ないために、脳死下臓器提供数はなかなか増えない状態が続いた。また本人の意思表明が有効でない15歳以下の小児は臓器提供者になり得ず、小児の臓器移植は不可能で、海外渡航による移植にたよる状態が続いた。2008年イスタンブール宣言によって、このような自国外での臓器移植自粛が求められ、とくに小児の臓器移植の問題の解決が急務となった。
 この状況を受けて、2009年、改正臓器移植法案が成立した。その改訂の骨子と影響は以下の通りであった。
#生前の本人の意思が明確でない場合は、家族の承諾により臓器提供ができるとされた。これによって臓器提供件数は急増し、また、幼小児をドナーとする道が開かれ、小児臓器移植も開始された。
#「脳死は人の死である」という考えは概ね社会的に受容されているということが明記された。一方、家族が脳死を人の死であると受容できない場合には、法的脳死判定を拒むことができる権利も明記され、脳死に関する考えの多様性の許容が残された。
#臓器移植以外も含むすべての場において「脳死は人の死である」という考えが適用されるのか注目されたが、「臓器移植法は臓器移植の手続きについての法律であって、臓器移植につながらない脳死判定による死亡宣言はあり得ない」との法的解釈が示され、この点は従来と変わらない状況となっている。


== わが国の脳死判定基準 ==
== わが国の脳死判定基準 ==

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