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酵素は生体内の各種の化学反応を円滑に行わせるための生体触媒であり、脳内においても情報伝達や物質代謝など、あらゆる生化学反応に関わっている。そのため生体を理解する上で、個々の酵素の性質を明らかにすることは極めて重要である。1992年に[[ジーンターゲティング]]の手法を用いて、[[空間記憶]]に関わる酵素として[[CaMキナーゼⅡ]]が初めて特定された<ref><pubmed>1378648</pubmed></ref><ref><pubmed>1321493</pubmed></ref>が、この輝かしい研究成果も、それを遡ること十数年に渡る本酵素に関する地道で精力的な研究の積み重ね<ref><pubmed>12045104</pubmed></ref>があったればこそのものであろう。 | 酵素は生体内の各種の化学反応を円滑に行わせるための生体触媒であり、脳内においても情報伝達や物質代謝など、あらゆる生化学反応に関わっている。そのため生体を理解する上で、個々の酵素の性質を明らかにすることは極めて重要である。1992年に[[ジーンターゲティング]]の手法を用いて、[[空間記憶]]に関わる酵素として[[CaMキナーゼⅡ]]が初めて特定された<ref><pubmed>1378648</pubmed></ref><ref><pubmed>1321493</pubmed></ref>が、この輝かしい研究成果も、それを遡ること十数年に渡る本酵素に関する地道で精力的な研究の積み重ね<ref><pubmed>12045104</pubmed></ref>があったればこそのものであろう。 | ||
酵素の生化学的研究をおこなうにあたっては、酵素の性質を定量的に扱うことが大前提となる。その理論的基盤となるものが、1913年に[[wj:レオノール・ミカエリス|L. Michaelis]]と[[wj:モード・メンテン|M. L. Menten]]によって[[wj:インベルターゼ|インベルターゼ]]に関する研究において導かれたミカエリス・メンテンの式である。ちなみにMentenは当時としては珍しい女性研究者である<ref>''' 鈴木紘一、笠井献一、宗川吉汪 監訳<br>ホートン生化学 第4版 | 酵素の生化学的研究をおこなうにあたっては、酵素の性質を定量的に扱うことが大前提となる。その理論的基盤となるものが、1913年に[[wj:レオノール・ミカエリス|L. Michaelis]]と[[wj:モード・メンテン|M. L. Menten]]によって[[wj:インベルターゼ|インベルターゼ]]に関する研究において導かれたミカエリス・メンテンの式である。ちなみにMentenは当時としては珍しい女性研究者である<ref>'''鈴木紘一、笠井献一、宗川吉汪 監訳 (2008).'''<br>ホートン生化学 第4版 ''東京化学同人 (東京)''</ref>。これは酵素の化学的実体が未だ明確にされてはいなかった時代に、酵素基質複合体が迅速に形成され、尚且つ結合と解離の平衡状態にあることなどを仮定したものであった。さらに1925年に[[w:George Edward Briggs|G. E. Briggs]]と[[wj:J・B・S・ホールデン|J. B. S. Haldane]]が、定常状態近似と呼ばれる、より一般化された仮定を用いて同じ式を導出した。<math>K_m</math>の定義が異なっているので、両者は厳密には別の式であるが、形式が全く同じであるので、実際には混同して用いられることが多い。 | ||
==誘導法== | ==誘導法== | ||
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[[Image:Atsuhikoishida fig 1.jpg|thumb|300px|<b>図1.基質濃度と酵素活性の関係</b><br>(ミカエリス・メンテンプロット、またはS-vプロット)]] | [[Image:Atsuhikoishida fig 1.jpg|thumb|300px|<b>図1.基質濃度と酵素活性の関係</b><br>(ミカエリス・メンテンプロット、またはS-vプロット)]] | ||
(7)式も(13) | (7)式も(13)式も、酵素反応速度(すなわち酵素活性)と基質濃度の関係を定量的に表した式である。実験的には様々な基質濃度で酵素活性を測定し、横軸に基質濃度、縦軸に酵素活性をとってプロットした場合、'''図1'''に示すように、数学的には[[wj:直角双曲線|直角双曲線]]の形となる。このようなプロットをミカエリス・メンテンプロット(S-vプロット)と呼ぶ。'''図1'''から明らかなように、基質濃度が<math>K_m</math>値(<math>V_{max}</math>の1/2の速度を与える時の基質濃度)付近或いはそれ以下の場合には酵素活性は基質濃度に大きく依存し、基質濃度の少しの変化でも酵素活性は大きく影響を受けるが、<math>K_m</math>値より十分大きい基質濃度の場合、酵素活性は<math>V_{max}</math>の値に近づき、濃度が大きくなるにつれて基質濃度依存性が殆どなくなる。従って、一般に酵素活性を測定する場合は、基質初濃度の誤差や、反応の進行に伴う基質濃度減少の影響を避けるため、できるだけ高濃度の基質(<math>K_m</math>値の5〜10倍、或いはそれ以上)を用いて活性測定を行うことが望ましい。しかしながら基質阻害により、高濃度では逆に活性が低下する場合もあるので、基質濃度を予め低濃度から高濃度まで振ってみて基質阻害がないことを確認するなどの注意も必要である。 | ||
== 速度論的パラメータの求め方 == | == 速度論的パラメータの求め方 == | ||
'''図1'''のようなミカエリス・メンテンプロットより、上記<math>K_m</math>や<math>V_{max}</math>などの速度論的パラメータを求めることが出来る。(7)式または(13)式の両辺の逆数をとって | |||
<br> <math>\frac{1}{v} = \frac{K_m}{V_{max}}\frac{1}{[S]} + \frac{1}{V_{max}}</math> (14) | <br> <math>\frac{1}{v} = \frac{K_m}{V_{max}}\frac{1}{[S]} + \frac{1}{V_{max}}</math> (14) | ||
<br> とすれば、<math>1 / [S]</math>に対する<math>1 / v</math> | <br> とすれば、<math>1 / [S]</math>に対する<math>1 / v</math>のプロットが直線となる。従ってミカエリス・メンテンの式に従う酵素では、基質濃度の逆数に対して、酵素活性の逆数をプロットすれば'''図2'''に示すような直線プロット(ラインウィーバー・バークプロットまたは二重逆数プロット)となり、このプロットの<math>x</math>切片が<math>1/Km</math>,<math>y</math>切片が<math>1 / V_{max}</math>を与える。この方法はグラフ用紙さえあれば簡単にできるので以前はよく行われたが、低基質濃度のデータの誤差が大きく出るなどの欠点もあり、パソコンが普及した現在では、ミカエリス・メンテンプロットを適当なソフトウェアを用いて双曲線にフィッティングして、直接(7)式または(13)式の各パラメータを求めるdirect fitting法によることが多くなった。 | ||
[[Image:AtsuhikoIshida fig 2.jpg|thumb|300px|'''図2. ラインウィーバー・バークプロット(二重逆数プロット)''']] <br> (7)式または(13)式(ミカエリス・メンテンの式またはブリッグス・ホールデンの式)は多くの酵素にあてはまる便利な式であるが、(1)の反応スキームに従うことを前提にしているので、当然これにあてはまらない場合も存在する。そのような場合に(7)式または(13)式を無理にあてはめて解析することは、誤った結論を導く可能性があるので注意が必要である。そのような場合の扱いに関しては、例えば以下の文献を参照されたい<ref>''' 堀尾武一、山下仁平<br>蛋白質・酵素の基礎実験法 | [[Image:AtsuhikoIshida fig 2.jpg|thumb|300px|''''''図2'''. ラインウィーバー・バークプロット(二重逆数プロット)''']] <br> (7)式または(13)式(ミカエリス・メンテンの式またはブリッグス・ホールデンの式)は多くの酵素にあてはまる便利な式であるが、(1)の反応スキームに従うことを前提にしているので、当然これにあてはまらない場合も存在する。そのような場合に(7)式または(13)式を無理にあてはめて解析することは、誤った結論を導く可能性があるので注意が必要である。そのような場合の扱いに関しては、例えば以下の文献を参照されたい<ref>''' 堀尾武一、山下仁平 (1981).'''<br>蛋白質・酵素の基礎実験法, ''南江堂 (東京)''</ref>。 | ||
== 速度論的パラメータの意味 == | == 速度論的パラメータの意味 == | ||
153行目: | 153行目: | ||
<br> <math>\frac{1}{v} = \frac{K_m(1+\frac{[I]}{K_i})}{V_{max}}\frac{1}{[S]} + \frac{1}{V_{max}}</math> (25) | <br> <math>\frac{1}{v} = \frac{K_m(1+\frac{[I]}{K_i})}{V_{max}}\frac{1}{[S]} + \frac{1}{V_{max}}</math> (25) | ||
従って<math>1 / [S]</math>に対して<math>1 / v</math> | 従って<math>1 / [S]</math>に対して<math>1 / v</math>をプロット(ラインウィーバー・バークプロットまたは二重逆数プロット)すると'''図3'''のような直線プロットとなり、様々な濃度の阻害剤<math>I</math>の存在下で実験すると、y軸上の一点(<math>y</math>切片 <math>= 1 / V_{max}</math>)で交わる直線群が得られる。 | ||
[[Image:AtsuhikoIshida fig 3.jpg|thumb|300px|'''図3.競合阻害剤存在下でのラインウィーバー・バークプロット'''<br>各直線はy軸上の一点で交わる。]]これらの直線の傾きは | [[Image:AtsuhikoIshida fig 3.jpg|thumb|300px|'''図3.競合阻害剤存在下でのラインウィーバー・バークプロット'''<br>各直線はy軸上の一点で交わる。]]これらの直線の傾きは | ||
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<br> <math>\frac{K_m(1+\frac{[I]}{K_i})}{V_{max}} = \frac{K_m}{V_{max}}\frac{1}{K_i}[I] + \frac{K_m}{V_{max}}</math> (26) | <br> <math>\frac{K_m(1+\frac{[I]}{K_i})}{V_{max}} = \frac{K_m}{V_{max}}\frac{1}{K_i}[I] + \frac{K_m}{V_{max}}</math> (26) | ||
と表せるので、各阻害剤濃度<span class="texhtml">[''I'']</span> | と表せるので、各阻害剤濃度<span class="texhtml">[''I'']</span>に対して、'''図3'''のラインウィーバー・バークプロットの傾きをプロットした図4のような2次プロットを作成すると、(26)式に従った直線となり、その直線の<math>x</math>切片(<math>-K_i</math>に相当)の値から<math>K_i</math>値を求めることが出来る。<math>K_i</math>は阻害定数と呼ばれ、この場合、酵素—阻害剤複合体の解離定数に相当する。<math>K_i</math>は酵素と阻害剤の親和性の尺度であり、値が小さいほど酵素に対する親和性が強いことを示す。 | ||
[[Image:AtsuhikoIshida fig 4.jpg|thumb|300px|'''図4.Ki値を求めるための二次プロット'''<br> | [[Image:AtsuhikoIshida fig 4.jpg|thumb|300px|'''図4.Ki値を求めるための二次プロット'''<br>各阻害剤濃度に対して'''図3'''のプロットの傾きをプロットしたもの。]] | ||
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以上述べてきたような各種の速度論的パラメータは、酵素の反応特異性や反応機構に関して、しばしば重要な知見を与える。神経科学分野で重要な役割を担ういくつかの酵素においてもこのような解析がなされている。例えば[[カテコールアミン]]の生合成に重要な役割を果たす[[カテコールアミン#合成|チロシン水酸化酵素]]では、[[cAMP依存性タンパク質リン酸化酵素]] (Aキナーゼ)<ref><pubmed>6102382</pubmed></ref>や[[Ca2+/リン脂質依存性タンパク質リン酸化酵素|Ca<sup>2+</sup>/リン脂質依存性タンパク質リン酸化酵素]] (Cキナーゼ)<ref><pubmed>6151178</pubmed></ref>によってリン酸化されると、[[wj:補酵素|補酵素]]アナログである6-メチルテトラヒドロビオプテリンに対する<math>K_m</math>が著明に減少し、補酵素との親和性が高まって活性化されることが示されている。 | 以上述べてきたような各種の速度論的パラメータは、酵素の反応特異性や反応機構に関して、しばしば重要な知見を与える。神経科学分野で重要な役割を担ういくつかの酵素においてもこのような解析がなされている。例えば[[カテコールアミン]]の生合成に重要な役割を果たす[[カテコールアミン#合成|チロシン水酸化酵素]]では、[[cAMP依存性タンパク質リン酸化酵素]] (Aキナーゼ)<ref><pubmed>6102382</pubmed></ref>や[[Ca2+/リン脂質依存性タンパク質リン酸化酵素|Ca<sup>2+</sup>/リン脂質依存性タンパク質リン酸化酵素]] (Cキナーゼ)<ref><pubmed>6151178</pubmed></ref>によってリン酸化されると、[[wj:補酵素|補酵素]]アナログである6-メチルテトラヒドロビオプテリンに対する<math>K_m</math>が著明に減少し、補酵素との親和性が高まって活性化されることが示されている。 | ||
[[記憶学習]]に深く関係することが明らかとなっているCaMキナーゼⅡに関しても、詳細な速度論的解析がなされている。CaMキナーゼⅡはThr286が自己リン酸化されるとCa<sup>2+</sup>/CaM ([[カルモジュリン]])に非依存的な活性が出現し、この活性が記憶やその素過程と考えられる[[長期増強現象]]の成立に重要な役割を果たすと考えられているが、様々な基質を用いて速度論的解析を行った結果、このCa<sup>2+</sup>/CaM非依存性活性ではCa<sup>2+</sup>/CaM存在下の活性に比べて、<math>V_{max}</math>には変化がないものの、調べた全ての基質に関して<math>K_m</math>が増大しており、基質との親和性が低下していることが判明した<ref><pubmed>1646810</pubmed></ref> | [[記憶学習]]に深く関係することが明らかとなっているCaMキナーゼⅡに関しても、詳細な速度論的解析がなされている。CaMキナーゼⅡはThr286が自己リン酸化されるとCa<sup>2+</sup>/CaM ([[カルモジュリン]])に非依存的な活性が出現し、この活性が記憶やその素過程と考えられる[[長期増強現象]]の成立に重要な役割を果たすと考えられているが、様々な基質を用いて速度論的解析を行った結果、このCa<sup>2+</sup>/CaM非依存性活性ではCa<sup>2+</sup>/CaM存在下の活性に比べて、<math>V_{max}</math>には変化がないものの、調べた全ての基質に関して<math>K_m</math>が増大しており、基質との親和性が低下していることが判明した<ref><pubmed>1646810</pubmed></ref>。また、本酵素の活性制御に重要な役割を果たす自己阻害ドメインの合成ペプチドを用いて'''図3'''や'''図5'''のような阻害実験を行うことにより、活性制御機構に関する重要な知見が得られている<ref><pubmed>2538462</pubmed></ref>。同様に自己リン酸化部位Thr286周辺の配列を模した合成阻害ペプチドを用いて阻害実験を行うことにより、少なくとも2種類の異なる基質結合部位が存在することが初めて示唆されたが<ref><pubmed>7836445</pubmed></ref>、この結果は、後に本酵素の活性制御機構や[[NMDA型グルタミン酸受容体]]との相互作用を解明する上で不可欠となるT-site、S-siteという2種類の基質結合部位に関する概念<ref><pubmed>11459059</pubmed></ref>を確立する上で、先駆的な役割を果たしている。 | ||
== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
*[[酵素反応速度論]] | *[[酵素反応速度論]] | ||
*[[速度論的パラメータ]] | *[[速度論的パラメータ]] | ||
*[[ミカエリス定数 | *[[ミカエリス定数]] | ||
*[[V max|<math>V_{max}</math>]] | *[[V max|<math>V_{max}</math>]] | ||
*[[触媒定数 | *[[触媒定数]] | ||
*[[ | *[[酵素基質複合体]] ([[ミカエリス複合体]]) | ||
*[[酵素活性]] | *[[酵素活性]] | ||
*[[阻害剤]] | *[[阻害剤]] |