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=== レット症候群 === | === レット症候群 === | ||
主に女児にみられる進行性の重篤な神経発達症である。レット症候群はX連鎖優性遺伝病で10,000〜15,000人に一人の頻度で発症する。患者は生後6〜18ヶ月程度までは正常に発達するが、その後それまでに獲得された言語能力や運動機能の退行がみられるようになる。患者は自閉傾向やてんかん、手もみ動作に代表される常同行動や精神遅滞、小頭症などの種々の神経学的症状を示す。神経系以外の症状としては、全身の成長遅延や骨形成不全などの特徴がみられる<ref name= | 主に女児にみられる進行性の重篤な神経発達症である。レット症候群はX連鎖優性遺伝病で10,000〜15,000人に一人の頻度で発症する。患者は生後6〜18ヶ月程度までは正常に発達するが、その後それまでに獲得された言語能力や運動機能の退行がみられるようになる。患者は自閉傾向やてんかん、手もみ動作に代表される常同行動や精神遅滞、小頭症などの種々の神経学的症状を示す。神経系以外の症状としては、全身の成長遅延や骨形成不全などの特徴がみられる<ref name=Rett1966>'''Rett A., (1966)'''<br>Wien Med Wochenschr 116(37), 723-726,</ref><ref name=Hagberg1983><pubmed>6638958</pubmed></ref> (Rett A Wien Med Wochenschr 116, 723-726, 1966; Hagberg B et al., Ann Neurol 14, 471-479, 1983)。 | ||
95%以上の古典的レット症候群症例にMECP2遺伝子の変異が認められる。変異のタイプはミスセンスやナンセンス、フレームシフト型など、300以上のヌクレオチド置換が報告されているが、特にT158M、R306C、R168X、R255X、R270Xの8つの変異が〜70%を占めることが示されている<ref name=Christodoulou2003><pubmed>12673788</pubmed></ref><ref name=Chahrour2007><pubmed>17988628</pubmed></ref> (Christodoulou J et al., Hum Mutat 21, 466-472, 2003; Chahrour M & Zoghbi HY Neuron, 56, 422-437, 2007)。 | 95%以上の古典的レット症候群症例にMECP2遺伝子の変異が認められる。変異のタイプはミスセンスやナンセンス、フレームシフト型など、300以上のヌクレオチド置換が報告されているが、特にT158M、R306C、R168X、R255X、R270Xの8つの変異が〜70%を占めることが示されている<ref name=Christodoulou2003><pubmed>12673788</pubmed></ref><ref name=Chahrour2007><pubmed>17988628</pubmed></ref> (Christodoulou J et al., Hum Mutat 21, 466-472, 2003; Chahrour M & Zoghbi HY Neuron, 56, 422-437, 2007)。 | ||
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患者の神経生理学的研究から、レット症候群脳の皮質において異常な体性感覚誘発電位や脳波などの興奮性の変質が報告されている(<ref name=Moser2007><pubmed>17275660</pubmed></ref>Moser SJ, Weber P, & Lutschg J Pediatr Neurol 36, 95-100, 2007)。MeCP2-/yマウスやMeCP2308/yマウスの皮質スライスでは、長期増強(Long-term potentiation: LTP)の減少がみられること(<ref name=Asaka2006><pubmed>16087343</pubmed></ref>Asaka Y et al., Neurobiol Dis 21, 217-227, 2006)、MeCP2-/yマウスの皮質においては興奮性シナプス伝達の減少と抑制性シナプス伝達の上昇が示されている(<ref name=Dani2005><pubmed>16116096</pubmed></ref>Dani VS et al., PNAS 102, 12560-12565, 2005)。また、MeCP2-/yマウス由来の培養海馬ニューロンは自発的な興奮性シナプス伝達の頻度の減少と興奮性シナプス密度の減少を示すことが報告されている(<ref name=Nelson2006><pubmed>16581518</pubmed></ref><ref name=Chao2007><pubmed>17920015</pubmed></ref>Nelson ED et al., Curr Biol 16, 710-716, 2006; Chao HT et al., Neuron 56(1), 58-65, 2007)。これらの報告から、MeCP2は主に興奮性シナプス伝達と抑制性シナプス伝達のバランス制御に重要な役割を果たしていることが示唆される。 | 患者の神経生理学的研究から、レット症候群脳の皮質において異常な体性感覚誘発電位や脳波などの興奮性の変質が報告されている(<ref name=Moser2007><pubmed>17275660</pubmed></ref>Moser SJ, Weber P, & Lutschg J Pediatr Neurol 36, 95-100, 2007)。MeCP2-/yマウスやMeCP2308/yマウスの皮質スライスでは、長期増強(Long-term potentiation: LTP)の減少がみられること(<ref name=Asaka2006><pubmed>16087343</pubmed></ref>Asaka Y et al., Neurobiol Dis 21, 217-227, 2006)、MeCP2-/yマウスの皮質においては興奮性シナプス伝達の減少と抑制性シナプス伝達の上昇が示されている(<ref name=Dani2005><pubmed>16116096</pubmed></ref>Dani VS et al., PNAS 102, 12560-12565, 2005)。また、MeCP2-/yマウス由来の培養海馬ニューロンは自発的な興奮性シナプス伝達の頻度の減少と興奮性シナプス密度の減少を示すことが報告されている(<ref name=Nelson2006><pubmed>16581518</pubmed></ref><ref name=Chao2007><pubmed>17920015</pubmed></ref>Nelson ED et al., Curr Biol 16, 710-716, 2006; Chao HT et al., Neuron 56(1), 58-65, 2007)。これらの報告から、MeCP2は主に興奮性シナプス伝達と抑制性シナプス伝達のバランス制御に重要な役割を果たしていることが示唆される。 | ||
様々な脳領域や細胞種特異的にMecp2を欠損させたコンディショナルノックアウト(CKO)マウスが作製され、種々の脳部位および神経サブタイプ機能におけるMeCP2の機能が個体レベルで明らかにされてきている。扁桃体特異的コンディショナルノックアウトマウスは、不安様行動の増加と恐怖学習の低下がみられる(<ref name=Adachi2009><pubmed>19339616</pubmed></ref>Adachi M et al., J Neurosci 29(13), 4218-4227, 2009)。視床下部特異的コンディショナルノックアウトマウスは、不安様行動の増加や、攻撃性の上昇、食欲過剰、肥満を示す(<ref name=Fyffe2008><pubmed>18817733</pubmed></ref>Fyffe SL et al., 59(6), 947-958,2008)。チロシン水酸化酵素 (tyrosine hydroxylase, TH)発現ドーパミンおよびノルアドレナリンニューロン特異コンディショナルノックアウトマウスにおいては、ドーパミンおよびノルアドレナリン量の減少と運動機能障害がみられる(<ref name=Samaco2009><pubmed>20007372</pubmed></ref>Samaco RC et al., PNAS 106, 21966-21971, 2009)。PC12 ETS factor 1 (PET1)発現セロトニンニューロン特異的にMecp2を欠損したマウスは、セロトニン量の減少と攻撃性の上昇を示す(<ref name=Samaco2009><pubmed>20007372</pubmed></ref>Samaco RC et al., PNAS 106, 21966-21971, 2009)。広範な抑制性ニューロンにおけるMecp2の欠損は、短命や呼吸障害、運動機能障害、反復行動、低活動、異常な社会性の上昇、感覚運動遮断の異常、学習障害などレット症候群様の多くの表現型を示す(<ref name=Chao2010><pubmed>21068835</pubmed></ref>Chao HT et al., Nature 468(7321), 263-9,2010)。 | |||
一方で、前脳の抑制性ニューロンにおけるMecp2の欠損は、運動機能障害、反復行動、低活動、異常な社会性の上昇、感覚運動遮断の異常、学習障害などいくつかのレット症候群様表現型を示すことが明らかにされている(<ref name=Chao2010><pubmed>21068835</pubmed></ref>Chao HT et al., Nature 468(7321), 263-9,2010)。抑制性ニューロンサブタイプにおけるMeCP2の機能についても研究が行われており、パルアルブミン発現抑制性ニューロンニューロン特異的にMecp2を欠損したマウスでは運動機能や感覚情報処理、学習、社会性の異常がみられ、ソマトスタチン発現抑制性ニューロン特異的にMecp2を欠損したマウスにおいてはてんかんや常同運動がみられることが示されている(<ref name=ItoIshida2015><pubmed>26590342</pubmed></ref>Ito-Ishida A et al., Neuron 88(4), 651-8, 2015)。 | |||
実際のレット症候群患者にみられるMeCP2変異を模倣するモデルマウスが作製されている。レット症候群患者で高頻度にみられるC末端欠失型ナンセンス変異体を模倣したMeCP2R168X/yマウス、MeCP2R255X/yマウス、MeCP2308/yマウスは、運動機能低下、低活動、社会行動低下、不安様行動などのレット症候群患者でみられる多くの表現型を示す(<ref name=Wegener2014><pubmed>25541993</pubmed></ref><ref name=Pitcher2015><pubmed>25634563</pubmed></ref><ref name=Shahbazian2002><pubmed>12160743</pubmed></ref>Wegener E et al., PLoS One 9(12), e115444, 2014; Pitcher MR et al., Hum Mol Genet 24(9), 2662-72, 2015; Shahbazian M et al., Neuron 35(2), 243-54, 2002)。点変異型ミスセンス変異を模倣したモデルマウスも作製されており部分的なレット症候群表現型を示すことが報告されている(<ref name=Goffin2011><pubmed>22119903</pubmed></ref>Goffin D et al., Nat Neurosci 15, 274-283, 2011)。興味深いことに、Mecp2のN末端とC末端を欠失したMBDとNIDを含む短いMeCP2(正常タンパク質のおよそ半分の長さ)を発現するマウスはほぼ正常に近い表現型を示し、Mecp2欠損マウスにこの短いMecp2を導入することにより表現型の改善がみられることも報告されている(<ref name=Tillotson2017><pubmed>29019980</pubmed></ref>Tillotson R et al., Nature 550(7676), 398-401, 2017)。 | |||
またレット症候群やMECP2重複症候群の霊長類モデルが作製されており(<ref name=Chen2017><pubmed>28525759</pubmed></ref><ref name=Cai2020><pubmed>32269107</pubmed></ref>Chen Y et al., Cell 169(5), 945-955, e10, 2017; Cai DC et al., J Neurosci 40(19), 3799-3814, 2020)、今後は霊長類モデルを用いた研究によりMECP2機能異常に起因するヒト疾患病態のさらなる理解や治療法開発が期待される。 | |||
=== MECP2重複症候群 === | === MECP2重複症候群 === | ||