「前補足運動野」の版間の差分

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英 presupplementary motor area 英略 pre-SMA, preSMA  
英 presupplementary motor area 英略 pre-SMA, preSMA  


 前補足運動野とは大脳皮質前頭葉のうちBrodmann分類の6野内側部かつ[[補足運動野]]の前方を占める皮質運動領野である。かつては[[補足運動野]]の一部と看做されていたが、その後の研究によって解剖・生理学的性質や機能の違いが明らかになり、現在では6野内側部後方を(狭義の)補足運動野、前方を前補足運動野として区別する。前補足運動野は[[前頭前野]]と密接な線維連絡を持ち、[[補足運動野]]に比べて高次の運動制御に関わっている事が示唆されている。  
 前補足運動野とは大脳皮質前頭葉のうちBrodmann分類の6野内側部かつ[[補足運動野]]の前方を占める皮質運動領野である。かつては[[補足運動野]]の一部と看做されていたが、その後の研究によって解剖・生理学的性質や機能の違いが明らかになり、現在では6野内側部後方を(狭義の)補足運動野、前方を前補足運動野として区別する。前補足運動野は[[前頭前野]]と密接な線維連絡を持ち、[[補足運動野]]に比べて高次の運動制御に関わっている事が示唆されている。[[Image:Pre-SMA SMA.JPG|thumb|right|250px|図1.サル一次運動野(M1)、補足運動野(SMA)、前補足運動野(pre-SMA)の位置関係。]]


= 歴史的背景  =
= 歴史的背景  =


 古典的な定義による[[補足運動野]]はBrodmann分類の6野内側部全体を占めると考えられてきた。しかし6野内側部は皮質の層構造の違いから前後二つの領域(それぞれ6aβ及び6aα<ref name="Vogt1919">'''C Vogt. O Vogt'''<br>Allgemeinere Ergebnisse unserer Hirnforschung<br>Journal für Psychologie und Neurologie: 1919, 25:277-462</ref>、又はF3及びF6<ref name="Matelli1991"><pubmed>1757597</pubmed></ref>)に分けられることが知られており、又90年代に入って6aαに加えて6aβからも電気刺激によって上肢の運動を惹起できること<ref><pubmed>1757598</pubmed></ref>、及び6aβ野には動物が手を伸ばして物を取ろうとするときに特徴的な活動を示すニューロン群が見られること<ref><pubmed>2286236</pubmed></ref>などから6野内側部全体を一つの皮質運動野と看做す考え方に疑義が呈されるようになった。こうした経緯を踏まえて、同じ個体(サル)で系統的に6野内側部前方・後方の性質を比較した研究<ref name="Matsuzaka1992"><pubmed>1432040</pubmed></ref>の結果、1).従来補足運動野と呼ばれていた6野内側部には、前後各一つずつの上肢の運動に関連した領域が存在すること、2).6野前方部の領域は後方部とは解剖・生理学的な性質が異なること、3).従来から知られていた補足運動野の性質([[体部位再現]]の存在、電気刺激による運動の誘発、脊髄への投射経路の存在など)は6野内側部後方に当てはまる事、が明らかにされるに及んで6野前方部は前補足運動野と命名され、[[補足運動野]]とは異なる領域として確立されるに至った。なお、前補足運動野の概念は最初に動物実験で確立されたが、現在ではヒトでも6野内側部は前補足運動野と補足運動野に分けられることが明らかにされている<ref><pubmed>8586553</pubmed></ref><ref><pubmed>8670662</pubmed></ref><ref><pubmed>9189916</pubmed></ref>。  
 古典的な定義による[[補足運動野]]はBrodmann分類の6野内側部全体を占めると考えられてきた。しかし6野内側部は皮質の層構造の違いから前後二つの領域(それぞれ6aβ及び6aα<ref name="Vogt1919">'''C Vogt. O Vogt'''<br>Allgemeinere Ergebnisse unserer Hirnforschung<br>Journal für Psychologie und Neurologie: 1919, 25:277-462</ref>、又はF3及びF6<ref name="Matelli1991"><pubmed>1757597</pubmed></ref>)に分けられることが知られており、又90年代に入って6aαに加えて6aβからも電気刺激によって上肢の運動を惹起できること<ref><pubmed>1757598</pubmed></ref>、及び6aβ野には動物が手を伸ばして物を取ろうとするときに特徴的な活動を示すニューロン群が見られること<ref><pubmed>2286236</pubmed></ref>などから6野内側部全体を一つの皮質運動野と看做す考え方に疑義が呈されるようになった。こうした経緯を踏まえて、同じ個体(サル)で系統的に6野内側部前方・後方の性質を比較した研究<ref name="Matsuzaka1992"><pubmed>1432040</pubmed></ref>の結果、1).従来補足運動野と呼ばれていた6野内側部には、前後各一つずつの上肢の運動に関連した領域が存在すること、2).6野前方部の領域は後方部とは解剖・生理学的な性質が異なること、3).従来から知られていた補足運動野の性質([[体部位再現]]の存在、電気刺激による運動の誘発、脊髄への投射経路の存在など)は6野内側部後方に当てはまる事、が明らかにされるに及んで6野前方部は前補足運動野と命名され、[[補足運動野]]とは異なる領域として確立されるに至った(図1)。なお、前補足運動野の概念は最初に動物実験で確立されたが、現在ではヒトでも6野内側部は前補足運動野と補足運動野に分けられることが明らかにされている<ref><pubmed>8586553</pubmed></ref><ref><pubmed>8670662</pubmed></ref><ref><pubmed>9189916</pubmed></ref>。  


= 解剖・生理学的所見<br>  =
= 解剖・生理学的所見<br>  =
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 前補足運動野のニューロンは視覚刺激に対して反応する一方、体性感覚刺激には殆ど反応しない。対照的に[[補足運動野]]においては体性感覚刺激に対する応答が顕著であり、しかもその受容野は前方から後方にかけて顔、上肢、体幹、下肢の順に配置されている([[体部位再現]])。反面視覚刺激に対する応答性は乏しい。<br>  
 前補足運動野のニューロンは視覚刺激に対して反応する一方、体性感覚刺激には殆ど反応しない。対照的に[[補足運動野]]においては体性感覚刺激に対する応答が顕著であり、しかもその受容野は前方から後方にかけて顔、上肢、体幹、下肢の順に配置されている([[体部位再現]])。反面視覚刺激に対する応答性は乏しい。<br>  


== 皮質-皮質間投射及び皮質下との線維連絡 ==
== 皮質-皮質間投射及び皮質下との線維連絡 ==


 前補足運動野と[[補足運動野]]は皮質-皮質間投射のパターンが大きく異なる<ref name="Luppino1993"><pubmed>7507940</pubmed></ref>。前補足運動野には[[前頭前野]]背外側部(Brodmannの46野)から密な直接入力があり、その他にも8b野、及び[[前頭眼窩野]]の11,12野からも入力を受け取っている。対照的に補足運動野と前頭前野との線維連絡は乏しい。他の皮質運動野との線維連絡も前補足運動野と補足運動野は異なる。先ずどちらの領野にも背側及び腹側[[運動前野]](PMd及びPMv)からの入力があるが、前補足運動野への入力はPMd, PMvの吻側部(PMdr及びPMvr)からの入力が主であるのに対して、補足運動野へはPMd, PMvの尾側部(PMdc及びPMvc)からの入力が優勢である。[[帯状皮質運動野]]からの入力も両領野は異なり、前補足運動野は吻側帯状皮質運動野(CMAr)から、補足運動野は尾側帯状皮質運動野(CMAc)からそれぞれ双方向性に結合している   <ref name="Luppino1993"/><ref><pubmed>12761828</pubmed></ref>。[[一次運動野]]との関係では、補足運動野は一次運動野と密な双方向性の線維連絡を持つ一方、前補足運動野は一次運動野とは線維連絡を持たない。頭頂葉との関係についてみると、前補足運動野、補足運動野はそれぞれ下、上頭頂皮質(それぞれBrodmann分類の7a, 5野)からの入力を受ける。<br> 皮質下との線維連絡にも両領野間に違いが見られる。前補足運動野、補足運動野への[[視床]]からの入力はそれぞれVApc, VLo核が主な入力源である<ref><pubmed>8856718</pubmed></ref>。[[線条体]]に対しては補足運動野が被殻に投射するのに対して、前補足運動野は被殻と尾状核の中間部に投射する他、[[視床下核]]に対しても両領域は空間的に異なる部位に投射する<ref><pubmed>10375694</pubmed></ref>。又、[[脊髄]]に対しては補足運動野からは脊髄への直接投射があるのに対して前補足運動野からは皮質脊髄路への投射はない。<br> 上記の入出力パターンの違いは多くの場合絶対的なものではない。即ち前補足運動野・補足運動野と入出力関係を持つ領域は完全には分離しておらず、ある程度の重なりが見られる。しかしその中で最も顕著な違いは前頭前野、一次運動野・脊髄との関係で、前頭前野は前補足運動野に投射するのに対して、補足運動野には投射しない<ref name="Luppino1993" />。また補足運動野は一次運動野・脊髄に直接投射しているのに対して、前補足運動野からは電気刺激による運動の誘発のしにくさから予想されるように、一次運動野・脊髄への投射はない<ref name="Matsuzaka1992" /><ref name="Luppino1993" />。  
 前補足運動野と[[補足運動野]]は皮質-皮質間投射のパターンが大きく異なる<ref name="Luppino1993"><pubmed>7507940</pubmed></ref>。前補足運動野には[[前頭前野]]背外側部(Brodmannの46野)から密な直接入力があり、その他にも8b野、及び[[前頭眼窩野]]の11,12野からも入力を受け取っている。対照的に補足運動野と前頭前野との線維連絡は乏しい。他の皮質運動野との線維連絡も前補足運動野と補足運動野は異なる。先ずどちらの領野にも背側及び腹側[[運動前野]](PMd及びPMv)からの入力があるが、前補足運動野への入力はPMd, PMvの吻側部(PMdr及びPMvr)からの入力が主であるのに対して、補足運動野へはPMd, PMvの尾側部(PMdc及びPMvc)からの入力が優勢である。[[帯状皮質運動野]]からの入力も両領野は異なり、前補足運動野は吻側帯状皮質運動野(CMAr)から、補足運動野は尾側帯状皮質運動野(CMAc)からそれぞれ双方向性に結合している <ref name="Luppino1993" /><ref><pubmed>12761828</pubmed></ref>。[[一次運動野]]との関係では、補足運動野は一次運動野と密な双方向性の線維連絡を持つ一方、前補足運動野は一次運動野とは線維連絡を持たない。頭頂葉との関係についてみると、前補足運動野、補足運動野はそれぞれ下、上頭頂皮質(それぞれBrodmann分類の7a, 5野)からの入力を受ける。<br> 皮質下との線維連絡にも両領野間に違いが見られる。前補足運動野、補足運動野への[[視床]]からの入力はそれぞれVApc, VLo核が主な入力源である<ref><pubmed>8856718</pubmed></ref>。[[線条体]]に対しては補足運動野が被殻に投射するのに対して、前補足運動野は被殻と尾状核の中間部に投射する他、[[視床下核]]に対しても両領域は空間的に異なる部位に投射する<ref><pubmed>10375694</pubmed></ref>。又、[[脊髄]]に対しては補足運動野からは脊髄への直接投射があるのに対して前補足運動野からは皮質脊髄路への投射はない。<br> 上記の入出力パターンの違いは多くの場合絶対的なものではない。即ち前補足運動野・補足運動野と入出力関係を持つ領域は完全には分離しておらず、ある程度の重なりが見られる。しかしその中で最も顕著な違いは前頭前野、一次運動野・脊髄との関係で、前頭前野は前補足運動野に投射するのに対して、補足運動野には投射しない<ref name="Luppino1993" />。また補足運動野は一次運動野・脊髄に直接投射しているのに対して、前補足運動野からは電気刺激による運動の誘発のしにくさから予想されるように、一次運動野・脊髄への投射はない<ref name="Matsuzaka1992" /><ref name="Luppino1993" />。  


= 機能  =
= 機能  =
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== ルーチン化した行動の切り替え<br>  ==
== ルーチン化した行動の切り替え<br>  ==


 日常生活において習慣化・ルーチン化した動作は半ば無意識のうちに自動的に実行される。例えば年が明けて間もない頃、日付を書こうとして何気なく去年の年を書いてしまうといった経験は誰にでもあろう。それに対して、状況の変化に応じて適切な動作を選択・実行するためには、状況がどのように変化したかという[[認知]]、変化した状況においてどのような行動が適切かという判断、その結果選んだ行動の実行というより意識的な一連のプロセスを必要とする。こうした柔軟な[[行動の切り替え]]には[[高次運動関連領野]]の中でも特に前補足運動野や吻側帯状皮質運動野の関与が示唆されており、これらの領域からは動物がルーチン化した運動を行っているときには活動せず、運動を切り替える時に限って活動するニューロンが発見されている<ref><pubmed>8899607</pubmed></ref><ref><pubmed>8710933</pubmed></ref><ref name=Nakamura1998><pubmed>9819272</pubmed></ref><ref><pubmed>17237780</pubmed></ref>。一方こうしたニューロンは[[補足運動野]]、尾側帯状皮質運動野では乏しく[[一次運動野]]では見つかっていない。前述のように前補足運動野は[[前頭前野]]から豊富な入力を受け取っているが、前頭前野はその破壊症状から個体が状況の変化に柔軟に応じた行動を取るのに重要な役割を果たしている事が示唆されており、適応行動にこれらの領域からなるネットワークが関与していると見られる<ref><pubmed>11976394</pubmed></ref>。  
 日常生活において習慣化・ルーチン化した動作は半ば無意識のうちに自動的に実行される。例えば年が明けて間もない頃、日付を書こうとして何気なく去年の年を書いてしまうといった経験は誰にでもあろう。それに対して、状況の変化に応じて適切な動作を選択・実行するためには、状況がどのように変化したかという[[認知]]、変化した状況においてどのような行動が適切かという判断、その結果選んだ行動の実行というより意識的な一連のプロセスを必要とする。こうした柔軟な[[行動の切り替え]]には[[高次運動関連領野]]の中でも特に前補足運動野や吻側帯状皮質運動野の関与が示唆されており、これらの領域からは動物がルーチン化した運動を行っているときには活動せず、運動を切り替える時に限って活動するニューロンが発見されている<ref><pubmed>8899607</pubmed></ref><ref><pubmed>8710933</pubmed></ref><ref name="Nakamura1998"><pubmed>9819272</pubmed></ref><ref><pubmed>17237780</pubmed></ref>。一方こうしたニューロンは[[補足運動野]]、尾側帯状皮質運動野では乏しく[[一次運動野]]では見つかっていない。前述のように前補足運動野は[[前頭前野]]から豊富な入力を受け取っているが、前頭前野はその破壊症状から個体が状況の変化に柔軟に応じた行動を取るのに重要な役割を果たしている事が示唆されており、適応行動にこれらの領域からなるネットワークが関与していると見られる<ref><pubmed>11976394</pubmed></ref>。  


== 手続き学習procedural learning<br>  ==
== 手続き学習procedural learning<br>  ==


 複数の要素的動作を複雑な順序で組み合わせて実行することは我々の日常生活の中で重要な位置を占める(例、書字、タイピング、演奏等)。多くの場合これらの複雑な連続動作は生得的に備わっているものではなく、繰り返し実行する事によって獲得したスキル、つまり[[手続き記憶]]の一種である。前補足運動野は手続き学習のうち、連続動作の新規学習に関わっていると考えられている。こうした見方を裏付ける根拠として連続動作の学習初期に前補足運動野の血流量が増大すること<ref><pubmed>8836248</pubmed></ref><ref><pubmed>9465007</pubmed></ref><ref><pubmed>10234047</pubmed></ref><ref><pubmed>15852385</pubmed></ref>、前補足運動野のニューロンは新しい運動シークエンスを与えられた時に活動が増強する一方、動物が動作の実行に習熟するに従って活動が減弱すること<ref name=Nakamura1998 />、および連続動作学習初期に前補足運動野へのムシモール注入によって動作の順序を間違え易くなる一方で既に習熟した動作の実行には影響を及ぼさないこと<ref><pubmed>10444698</pubmed></ref>等が挙げられる。これらの所見は[[補足運動野]]には当てはまらず、両領野の機能差が示唆される。<br>  
 複数の要素的動作を複雑な順序で組み合わせて実行することは我々の日常生活の中で重要な位置を占める(例、書字、タイピング、演奏等)。多くの場合これらの複雑な連続動作は生得的に備わっているものではなく、繰り返し実行する事によって獲得したスキル、つまり[[手続き記憶]]の一種である。前補足運動野は手続き学習のうち、連続動作の新規学習に関わっていると考えられている。こうした見方を裏付ける根拠として連続動作の学習初期に前補足運動野の血流量が増大すること<ref><pubmed>8836248</pubmed></ref><ref><pubmed>9465007</pubmed></ref><ref><pubmed>10234047</pubmed></ref><ref><pubmed>15852385</pubmed></ref>、前補足運動野のニューロンは新しい運動シークエンスを与えられた時に活動が増強する一方、動物が動作の実行に習熟するに従って活動が減弱すること<ref name="Nakamura1998" />、および連続動作学習初期に前補足運動野へのムシモール注入によって動作の順序を間違え易くなる一方で既に習熟した動作の実行には影響を及ぼさないこと<ref><pubmed>10444698</pubmed></ref>等が挙げられる。これらの所見は[[補足運動野]]には当てはまらず、両領野の機能差が示唆される。<br>  


== 動作の時間的順序のコントロール<br>  ==
== 動作の時間的順序のコントロール<br>  ==
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= 関連文献<br>  =
= 関連文献<br>  =


<references />
<references />
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