「パニック症」の版間の差分

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=== 疫学 ===  
=== 疫学 ===  
====発症率====
====有病率====
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 有名な[[wikipedia:National Comorbidity Survey|National Comorbidity Survey]](NCS)による疫学調査では、3.5%という結果であったが<ref name="ref2"><pubmed>8109651</pubmed></ref>、これは若干高い数値で、その後の世界各国で行われた調査では1.5~2.5%の間にあるようだが、決して珍しい病気ではない。年間罹患率は一般的に0.5~1%であると報告されている<ref><pubmed>3050062</pubmed></ref>。しかし、心疾患外来患者の16% 、あるいは[[wikipedia:ja:過呼吸発作|過呼吸発作]]を訴えた患者の35%でPDの診断基準を満たすとの報告があり<ref><pubmed>8215805</pubmed></ref>、一般臨床現場での有病率は、思ったよりも高い。また、PDの診断基準は満たさないものの、PAの繰り返しを持つ者は全人口の3.5%、生涯に1度でもPAを経験したことのある者は9~10%程度と見積もられており、潜在的な患者数も、かなり多いものと考えられている<ref><pubmed>2185501</pubmed></ref>。性比については、女性は男性よりも一貫して高く、2倍以上であると報告されている<ref name="ref2"><pubmed>8109651</pubmed></ref>。好発年齢は、15歳~45歳の若年層で、年齢分布としては、青年期後期の15~24歳と45~54歳に二峰性のピークを認め、高齢者の発症は稀である<ref name="ref6"><pubmed>8166303</pubmed></ref>。ただし、このピークには性差があり、男性では25歳~30歳頃、女性では35歳前後と若干男性の方が若年発症の傾向があるとされている<ref name="ref6"><pubmed>8166303</pubmed></ref>。  
 有名な[[wikipedia:National Comorbidity Survey|National Comorbidity Survey]](NCS)による疫学調査では、3.5%という結果であったが<ref name="ref2"><pubmed>8109651</pubmed></ref>、これは若干高い数値で、その後の世界各国で行われた調査では1.5~2.5%の間にあるようだが、決して珍しい病気ではない。年間罹患率は一般的に0.5~1%であると報告されている<ref><pubmed>3050062</pubmed></ref>。しかし、心疾患外来患者の16% 、あるいは[[wikipedia:ja:過呼吸発作|過呼吸発作]]を訴えた患者の35%でPDの診断基準を満たすとの報告があり<ref><pubmed>8215805</pubmed></ref>、一般臨床現場での有病率は、思ったよりも高い。また、PDの診断基準は満たさないものの、PAの繰り返しを持つ者は全人口の3.5%、生涯に1度でもPAを経験したことのある者は9~10%程度と見積もられており、潜在的な患者数も、かなり多いものと考えられている<ref><pubmed>2185501</pubmed></ref>。性比については、女性は男性よりも一貫して高く、2倍以上であると報告されている<ref name="ref2"><pubmed>8109651</pubmed></ref>。好発年齢は、15歳~45歳の若年層で、年齢分布としては、青年期後期の15~24歳と45~54歳に二峰性のピークを認め、高齢者の発症は稀である<ref name="ref6"><pubmed>8166303</pubmed></ref>。ただし、このピークには性差があり、男性では25歳~30歳頃、女性では35歳前後と若干男性の方が若年発症の傾向があるとされている<ref name="ref6"><pubmed>8166303</pubmed></ref>。  


====遺伝子要因====
====遺伝要因====
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 次に、PDの[[wikipedia:JA:家系学#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E7.9A.84.E8.AA.BF.E6.9F.BB|家系研究]]や[[wikipedia:JA:双生児|双生児]]研究についてである。Croweらは1983年にPD患者の第一度親族における発症率が24.7%であるのに比べ、一般対照群では2.2%で、患者家族では発症のリスクが有意に高いことを指摘した<ref><pubmed>6625855</pubmed></ref>。また、米国やベルギー、オーストラリア等で行われた大規模調査において、患者群の第一親等では正常対照群と比較し8倍の危険率との報告がなされている<ref name="ref8">'''Knowles JA, Weisseman MM'''<br>Panic disorder and agoraphobia.<br>''In Review of Psychiatry:'' vol.14.pp383-404, American Psychiatric Press, Washington,DC,1995.</ref>。Goldsteinらによる発症年齢における研究では、20歳以前の発症では家族性が強く17倍のリスクがあるのに対し、20歳以後の発症では6倍のリスクであったという<ref><pubmed>9075468</pubmed></ref>。さらに双生児研究では、一卵性双生児の一致率24%に対して二卵性双生児では11%<ref><pubmed>8332656</pubmed></ref>、双生児研究による遺伝率は、[[全般性不安障害]](generalized anxiety disorder:GAD)では32%であったのに対し、PDでは43%と高かったとの報告もあり<ref><pubmed>15699295</pubmed></ref>、PDの発症には何らかの遺伝子要因が関与していることが示唆されている。
 次に、PDの[[wikipedia:JA:家系学#.E9.81.BA.E4.BC.9D.E7.9A.84.E8.AA.BF.E6.9F.BB|家系研究]]や[[wikipedia:JA:双生児|双生児]]研究についてである。Croweらは1983年にPD患者の第一度親族における発症率が24.7%であるのに比べ、一般対照群では2.2%で、患者家族では発症のリスクが有意に高いことを指摘した<ref><pubmed>6625855</pubmed></ref>。また、米国やベルギー、オーストラリア等で行われた大規模調査において、患者群の第一度親族では正常対照群と比較し8倍の危険率との報告がなされている<ref name="ref8">'''Knowles JA, Weisseman MM'''<br>Panic disorder and agoraphobia.<br>''In Review of Psychiatry:'' vol.14.pp383-404, American Psychiatric Press, Washington,DC,1995.</ref>。Goldsteinらによる発症年齢における研究では、20歳以前の発症では家族性が強く17倍のリスクがあるのに対し、20歳以後の発症では6倍のリスクであったという<ref><pubmed>9075468</pubmed></ref>。さらに双生児研究では、一卵性双生児の一致率24%に対して二卵性双生児では11%<ref><pubmed>8332656</pubmed></ref>、双生児研究による遺伝率は、[[全般性不安障害]](generalized anxiety disorder:GAD)では32%であったのに対し、PDでは43%と高かったとの報告もあり<ref><pubmed>15699295</pubmed></ref>、PDの発症には何らかの遺伝子要因が関与していることが示唆されている。


=== 病名の変遷 ===  
=== 病名の変遷 ===  


 表2に示したように、「パニック障害」という病名そのものは新しいものであるが、実は、同様の症状を呈する疾患の記述は19世紀まで遡る。当初は内科医の報告ばかりであるが、その後[[精神疾患]]との解釈がなされ、様々な病名がつけられた。有名なところでは、[[wikipedia:JA:ジークムント・フロイト|フロイト]]の「[[不安神経症]]」もPDを含む概念である。図をみるとわかるように、特に、戦時中にPAを呈する兵士が続発したことから、戦時中に数々の病名が生まれた経緯がある。そして、1980年になり、PDが本格的に世に出たわけであるが<ref name="ref1">American Psychiatric Association: Quick Reference to the Diagnostic Criteria form DSM-Ⅲ<br>''American Psychiatric Association, Washington D.C.,''1980<br>(高橋三郎,花田耕一,藤縄昭訳.DSM-Ⅲ精神障害の分類と診断の手引.医学書院,東京,1982)</ref>、それは、1960年代に出された2つの論文によるところが大きい。つまり、まず1964年にKleinは[[三還系抗うつ薬]](Tricyclic antidepressant:TCA)である[[wikipedia:JA:イミプラミン|イミプラミン]]がPAを抑制したと報告した<ref><pubmed>14194683</pubmed></ref>。そしてその3年後の1967年には、PittsとMcClureによって、PD患者(当時は、“不安神経症“)では[[wikipedia:JA:乳酸|乳酸]]静注によってPAが生じるが、正常者ではそのようなことは起こらないことがわかったのである<ref><pubmed>6081131</pubmed></ref>。したがって、PDは、フロイドが言うように内的不安が蓄積・爆発して生じるのではなく、生物学的な異常を基礎として生じているものであり、不安神経症とは独立した疾患概念であるとの見解に至った。
 表2に示したように、「パニック障害」という病名そのものは新しいものであるが、実は、同様の症状を呈する疾患の記述は19世紀まで遡る。当初は内科医の報告ばかりであるが、その後[[精神疾患]]との解釈がなされ、様々な病名がつけられた。有名なところでは、[[wikipedia:JA:ジークムント・フロイト|フロイト]]の「[[不安神経症]]」もPDを含む概念である。図をみるとわかるように、特に、戦時中にPAを呈する兵士が続発したことから、戦時中に数々の病名が生まれた経緯がある。そして、1980年になり、PDが本格的に世に出たわけであるが<ref name="ref1">American Psychiatric Association: Quick Reference to the Diagnostic Criteria form DSM-Ⅲ<br>''American Psychiatric Association, Washington D.C.,''1980<br>(高橋三郎,花田耕一,藤縄昭訳.DSM-Ⅲ精神障害の分類と診断の手引.医学書院,東京,1982)</ref>、それは、1960年代に出された2つの論文によるところが大きい。つまり、まず1964年にKleinは[[三還系抗うつ薬]](Tricyclic antidepressant:TCA)である[[wikipedia:JA:イミプラミン|イミプラミン]]がPAを抑制したと報告した<ref><pubmed>14194683</pubmed></ref>。そしてその3年後の1967年には、PittsとMcClureによって、PD患者(当時は、“不安神経症“)では[[wikipedia:JA:乳酸|乳酸]]静注によってPAが生じるが、正常者ではそのようなことは起こらないことがわかったのである<ref><pubmed>6081131</pubmed></ref>。したがって、PDは、フロイトが言うように内的不安が蓄積・爆発して生じるのではなく、生物学的な異常を基礎として生じているものであり、不安神経症とは独立した疾患概念であるとの見解に至った。


== 病態仮説<ref name="ref15">'''塩入俊樹'''<br>パニック障害の生物学的病態:Stress-induced fear circuitry disordersの概念から.<br>''Bulletin of Depression and Anxiety disorders'' 8:6-8, 2011.</ref> ==
== 病態仮説<ref name="ref15">'''塩入俊樹'''<br>パニック障害の生物学的病態:Stress-induced fear circuitry disordersの概念から.<br>''Bulletin of Depression and Anxiety disorders'' 8:6-8, 2011.</ref> ==
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 推定される病態メカニズムから不安障害を分類してみると、3つに分類することが可能かもしれない。具体的には、①PDやSAD、PTSD等の“stress-induced fear circuitry disorders(SIFCD)”と言われる一群で、さらに②OCD等の強迫や衝動等に関連した“[[強迫スペクトラム障害]](OC spectrum disorders)”、最後に③[[うつ病]]と関連がより深いGAD、の3つである。  
 推定される病態メカニズムから不安障害を分類してみると、3つに分類することが可能かもしれない。具体的には、①PDやSAD、PTSD等の“stress-induced fear circuitry disorders(SIFCD)”と言われる一群で、さらに②OCD等の強迫や衝動等に関連した“[[強迫スペクトラム障害]](OC spectrum disorders)”、最後に③[[うつ病]]と関連がより深いGAD、の3つである。  


 SIFCDの病態は、多少違いはあるにせよ「[[恐怖条件づけ|恐怖の条件づけ]](fear conditioning)」に関連した神経回路の機能不全(fear-circuitry dysfunction)と考えられている。ちなみに、急に大きい音を立てると、ヒトは驚いて恐怖反応を呈し、発汗等の条件反応を起こす。それを[[wikipedia:JA:ガルバニック皮膚反応|皮膚電気反応]](skin conductance response; SCR)で測定すると、大きい音を立てた時にSCRが上昇する。しかし、小さい音ではSCRは不変である。一方、小さい音とほぼ同時に大きい音を立てるとSCRは当然上昇するが、この行為を繰り返すことによって、小さい音だけでSCRが上昇するようになる。この状態を「恐怖条件づけ」という。これは[[古典的条件付け]](つまり、[[wikipedia:JA:パブロフの犬|パブロフの犬]]と同じもの)であるが、恐怖に関連したものなので、「恐怖の条件づけ」と呼んでいる。
 SIFCDの病態は、多少違いはあるにせよ「[[恐怖条件づけ|恐怖の条件づけ]](fear conditioning)」に関連した神経回路の機能不全(fear-circuitry dysfunction)と考えられている。ちなみに、急に大きい音を立てると、ヒトは驚いて恐怖反応を呈し、発汗等の条件反応を起こす。それを[[wikipedia:JA:ガルバニック皮膚反応|皮膚電気反応]](skin conductance response; SCR)で測定すると、大きい音を立てた時にSCRが上昇する。しかし、小さい音ではSCRは不変である。一方、小さい音とほぼ同時に大きい音を立てるとSCRは当然上昇するが、この行為を繰り返すことによって、小さい音だけでSCRが上昇するようになる。この状態を「恐怖条件づけ」という。これは[[古典的条件付け]](つまり、[[wikipedia:JA:パブロフの犬|パブロフの犬]]と同じもの)であるが、恐怖に関連したものなので、「恐怖条件づけ」と呼んでいる。


 そして、不安障害患者は脅威に関する手がかりを選択的に注意するが、必ずしも意識的ではない。つまり、「恐怖条件づけ」の神経回路の過活性化がそのベースに存在するものと思われる<ref name="ref19">'''塩入俊樹'''<br>社交不安障害(SAD)の神経生物学的検討:Fear-circuitry dysfunctionの観点から.<br>''臨床精神薬理'' 13; 711-721, 2010.</ref>。この回路の基本的プロセスにおいて極めて重要な役割を演じているのは、[[扁桃体]]である。
 そして、不安障害患者は脅威に関する手がかりを選択的に注意するが、必ずしも意識的ではない。つまり、「恐怖条件づけ」の神経回路の過活性化がそのベースに存在するものと思われる<ref name="ref19">'''塩入俊樹'''<br>社交不安障害(SAD)の神経生物学的検討:Fear-circuitry dysfunctionの観点から.<br>''臨床精神薬理'' 13; 711-721, 2010.</ref>。この回路の基本的プロセスにおいて極めて重要な役割を演じているのは、[[扁桃体]]である。
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[[Image:図3:扁桃体によるストレス反応の制御.png|thumb|300px|<b>図1 扁桃体によるストレス反応の制御</b>]]  
[[Image:図3:扁桃体によるストレス反応の制御.png|thumb|300px|<b>図1 扁桃体によるストレス反応の制御</b>]]  


 では、扁桃体というのは具体的にどんな機能を司っているのだろうか。非常に大雑把にいうと、[[視覚]]や[[聴覚]]等の様々な感覚刺激(つまり、ストレス)によるストレス反応を制御しているということになる。例えば、様々な感覚情報は全て[[視床]]に入力され、そこから扁桃体の[[基底外側核]]という部分に入る(図1参照)。この入り方には大きく分けて2つのパターンがあり、1つは視床⇒扁桃体基底外側核というように、直接入ってくるもの、そしてもう一方は、視床から[[高次感覚皮質]]や[[連合皮質]]等の大脳皮質、あるいは[[海馬]]等を経由してから入ってくるものである。そして扁桃体基底外側核から[[扁桃体中心核]]へと移行し、そこから様々な脳部位に出力系が伸びている(図3には主な投射経路のみを示している)。もし扁桃体が過活動になると、それらの部分も当然過活動となる。つまり、[[視床下部]]では[[グルココルチコイド#分泌制御|HPA系]]が亢進して[[コルチゾール]]が上昇し、さらに[[交感神経系]]の亢進がみられ、[[橋]]にある[[結合腕傍核]]の過活動により[[wikipedia:JA:過換気|過換気]]あるいは[[wikipedia:JA:過呼吸|過呼吸]]が生じ、[[青斑核]]が興奮するとノルアドレナリンの増加によって[[wikipedia:JA:血圧|血圧]]上昇や[[wikipedia:JA:心拍数|心拍数]]増加が起こり、警戒反応が増す。さらに[[中脳灰白質]]は回避行動を促進すると言われている。このように、感覚情報というストレスによって扁桃体が過活動状態となると、様々なストレス反応が生じることになる。但し、一般に正常な場合には、ストレス因子によってストレス反応を経験しても、学習によってそれらを制御することが可能である。しかしながら、不安障害ではストレス因子のない時に、あるいはストレス因子がすぐに生命の危機、あるいは恐怖に結びつかない状況においても、不適切にこの神経回路が働いてしまい、その結果このようなストレス反応が起こってしまう、というように推測される。
 では、扁桃体というのは具体的にどんな機能を司っているのだろうか。非常に大雑把にいうと、[[視覚]]や[[聴覚]]等の様々な感覚刺激(つまり、ストレス)によるストレス反応を制御しているということになる。例えば、様々な感覚情報は全て[[視床]]に入力され、そこから扁桃体の[[基底外側核]]という部分に入る(図1参照)。この入り方には大きく分けて2つのパターンがあり、1つは視床⇒扁桃体基底外側核というように、直接入ってくるもの、そしてもう一方は、視床から[[高次感覚皮質]]や[[連合皮質]]等の大脳皮質、あるいは[[海馬]]等を経由してから入ってくるものである。そして扁桃体基底外側核から[[扁桃体中心核]]へと移行し、そこから様々な脳部位に出力系が伸びている(図3には主な投射経路のみを示している)。もし扁桃体が過活動になると、それらの部分も当然過活動となる。つまり、[[視床下部]]では[[HPA系]]が亢進して[[コルチゾール]]が上昇し、さらに[[交感神経系]]の亢進がみられ、[[橋]]にある[[結合腕傍核]]の過活動により[[wikipedia:JA:過換気|過換気]]あるいは[[wikipedia:JA:過呼吸|過呼吸]]が生じ、[[青斑核]]が興奮するとノルアドレナリンの増加によって[[wikipedia:JA:血圧|血圧]]上昇や[[wikipedia:JA:心拍数|心拍数]]増加が起こり、警戒反応が増す。さらに[[中脳灰白質]]は回避行動を促進すると言われている。このように、感覚情報というストレスによって扁桃体が過活動状態となると、様々なストレス反応が生じることになる。但し、一般に正常な場合には、ストレス因子によってストレス反応を経験しても、学習によってそれらを制御することが可能である。しかしながら、不安障害ではストレス因子のない時に、あるいはストレス因子がすぐに生命の危機、あるいは恐怖に結びつかない状況においても、不適切にこの神経回路が働いてしまい、その結果このようなストレス反応が起こってしまう、というように推測される。


=== “Stress-induced fear circuit”とPD ===  
=== “Stress-induced fear circuit”とPD ===  
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[[Image:図4:”Stress-induced fear circuit”の模式図.png|thumb|300px|<b>図2 Stress-induced fear circuit”の模式図</b>]] [[Image:図5:パニック障害の生物学的病態と治療.png|thumb|300px|<b>図3 パニック障害の生物学的病態と治療</b><br />注:オレンジ色の領域が過活動状態,水色の領域が低活動状態を表す]]  
[[Image:図4:”Stress-induced fear circuit”の模式図.png|thumb|300px|<b>図2 Stress-induced fear circuit”の模式図</b>]] [[Image:図5:パニック障害の生物学的病態と治療.png|thumb|300px|<b>図3 パニック障害の生物学的病態と治療</b><br />注:オレンジ色の領域が過活動状態,水色の領域が低活動状態を表す]]  


 図2は、今まで述べてきた、“stress-induced fear circuit”の模式図である。先ほどから述べているように、感覚情報、例えばPD患者であればパニック発作時の動悸や発汗、息切れ等の身体感覚、SADであれば“人前でのスピーチ(public speaking)”の最中の緊張状態における身体感覚が、まず視床に入る。そして前述した2つのパターンで、一部はすぐに扁桃体に伝わり、他方は海馬や[[前部帯状回]]や前部帯状回を通り高次機能での分析が行われてから、扁桃体に投射する。この経路(青の点線)は抑制系なので、視床からの入力(=アクセル)によって扁桃体が過活動状態になるのにブレーキをかける。その結果、アクセルとブレーキの兼ね合いで扁桃体中心核から出力系が調整されるが、不安障害ではブレーキの効きが悪いために、前述したような視床下部、青斑核(LC)、結合腕傍核といった脳部位を病的に活性化してしまい、様々な身体症状(心拍数の増加、血圧上昇、過呼吸等)を出現させる。そしてまたこの身体症状を新たな感覚情報として取り込み、再びこの神経回路が働いてしまうという、負のスパイラルが生じる。そうなると、意識に調節(=前頭前野等の高次機能による抑性)はできなくなり、どんどん悪い方向へ向かってしまう。このように“stress-induced fear circuitry disorders”というのは、扁桃体が病的に過活動になってしまう、そして本来それを抑制しなければならない[[前頭前野]]あるいは前部帯状回等の機能が低下している病気、と言えるかもしれない(図3参照)。  
 図2は、今まで述べてきた、“stress-induced fear circuit”の模式図である。先ほどから述べているように、感覚情報、例えばPD患者であればパニック発作時の動悸や発汗、息切れ等の身体感覚、SADであれば“人前でのスピーチ(public speaking)”の最中の緊張状態における身体感覚が、まず視床に入る。そして前述した2つのパターンで、一部はすぐに扁桃体に伝わり、他方は海馬や[[前部帯状回]]や前部帯状回を通り高次機能での分析が行われてから、扁桃体に投射する。この経路(青の点線)は抑制系なので、視床からの入力(=アクセル)によって扁桃体が過活動状態になるのにブレーキをかける。その結果、アクセルとブレーキの兼ね合いで扁桃体中心核から出力系が調整されるが、不安障害ではブレーキの効きが悪いために、前述したような視床下部、青斑核(LC)、結合腕傍核といった脳部位を病的に活性化してしまい、様々な身体症状(心拍数の増加、血圧上昇、過呼吸等)を出現させると考えられる。そしてまたこの身体症状を新たな感覚情報として取り込むと、再びこの神経回路が働いてしまうという、負のスパイラルが生じるであろう。そうなると、意識に調節(=前頭前野等の高次機能による抑制)はできなくなり、どんどん悪い方向へ向かってしまうと推定される。このように“stress-induced fear circuitry disorders”というのは、扁桃体が病的に過活動になってしまう、そして本来それを抑制しなければならない[[前頭前野]]あるいは前部帯状回等の機能が低下している病気、と言えるかもしれない(図3参照)。  


 また、[[背側縫線核]]から起こる[[セロトニン神経系]]の投射は、一般に青斑核を抑制するのに対し、青斑核から起こる投射は背側縫線核のセロトニンニューロンを刺激し、[[正中縫線核]]ニューロンを抑制する。さらに、背側縫線核からの投射は、前頭前野、扁桃体、視床下部、中脳水道周囲灰白質等へ伸びている。そのため、セロトニン神経系を調節することによって、「恐怖条件づけ」の神経回路の主要な領域に影響を与えられる可能性があり、[[ノルアドレナリン]]の活性低下、[[コルチコトロピン放出因子]]の放出低下、防衛と逃避行動の修正等が可能となる<ref name="ref17">'''Stein D J'''<br>Cognitive-Affective Neuroscience of Depression and Anxiety Disorders<br>Martin Dunitz, London, 2003.<br>(田島治,荒井まゆみ訳:不安とうつの脳と心のメカニズム:感情と認知のニューロサイエンス,星和書店,東京,2007)</ref>。また、前頭前野(あるいは前部帯状回)の働きにより恐怖条件づけが消去されることがわかっている<ref><pubmed>18668096</pubmed></ref>。これは[[認知行動療法]](cognitive behavioral therapy, CBT)による治療の際に行われているものと推定されている(図5、参照)。
 また、[[背側縫線核]]から起こる[[セロトニン神経系]]の投射は、一般に青斑核を抑制するのに対し、青斑核から起こる投射は背側縫線核のセロトニンニューロンを刺激し、[[正中縫線核]]ニューロンを抑制する。さらに、背側縫線核からの投射は、前頭前野、扁桃体、視床下部、中脳水道周囲灰白質等へ伸びている。そのため、セロトニン神経系を調節することによって、「恐怖条件づけ」の神経回路の主要な領域に影響を与えられる可能性があり、[[ノルアドレナリン]]の活性低下、[[コルチコトロピン放出因子]]の放出低下、防衛と逃避行動の修正等が可能となる<ref name="ref17">'''Stein D J'''<br>Cognitive-Affective Neuroscience of Depression and Anxiety Disorders<br>Martin Dunitz, London, 2003.<br>(田島治,荒井まゆみ訳:不安とうつの脳と心のメカニズム:感情と認知のニューロサイエンス,星和書店,東京,2007)</ref>。また、前頭前野(あるいは前部帯状回)の働きにより恐怖条件づけが消去されることがわかっている<ref><pubmed>18668096</pubmed></ref>[[認知行動療法]](cognitive behavioral therapy, CBT)による治療の際にも、同様のプロセスが生じていると推定される(図5、参照)。


== 治療 ==
== 治療 ==
   
   
 2009年に改定された[[wikipedia:JA:アメリカ精神医学会|アメリカ精神医学会]](American Psychiatric Association:APA)の治療ガイドライン<ref name="ref21">American Psychiatric Association:Practice guideline for the treatment of patient with panic disorder. Second Edition, 2009. //www.psychiatryonline.com/pracGuide/pracGuideChapToc_9.aspx AmJ.Psychiatry,155[suppl.5]</ref>を始め、[[wikipedia:World Federation of Societies of Biological Psychiatry|生物学的精神医学会世界連合]](WFSBPの日本語訳がこれで良いか御確認下さい)(2002)<ref name="ref22"><pubmed>12516310</pubmed></ref>、[[wikipedia:Australian And New Zealand Association Of Psychiatry|オーストラリア・ニュージーランドの精神医学会]]ガイドライン(2003)<ref name="ref23"><pubmed>14636376</pubmed></ref>、[[wikipedia:british association of psychopharmacology|イギリス精神薬理学会]](British Association for Psychopharmacology, BAP)(2005)<ref name="ref24"><pubmed>16272179</pubmed></ref>等、PDに関する各国の主な治療ガイドラインでは、薬物療法とCBTのいずれも有効で、両者とも治療の第一選択として挙げられている。CBTのメリットとしては、薬物療法に比し再発率が低いことであるが<ref><pubmed>17253502</pubmed></ref>、そもそも我が国ではうつ病以外CBTの保険適応がないこと、そのためコスト面での問題があること、さらに現時点では習熟した治療者が不足していること等、実臨床として本格的にCBTを活用するには、残念ながら課題は山積していると言わざるを得ない。一方、薬物療法については、その概念の確立時期よりすでに有効性が示されており、現在も治療の中心的な役割を担っている。以下に、薬物療法について少し述べる。  
 2009年に改定された[[wikipedia:JA:アメリカ精神医学会|アメリカ精神医学会]](American Psychiatric Association:APA)の治療ガイドライン<ref name="ref21">American Psychiatric Association:Practice guideline for the treatment of patient with panic disorder. Second Edition, 2009. //www.psychiatryonline.com/pracGuide/pracGuideChapToc_9.aspx AmJ.Psychiatry,155[suppl.5]</ref>を始め、[[wikipedia:World Federation of Societies of Biological Psychiatry|生物学的精神医学会世界連合]](2002)<ref name="ref22"><pubmed>12516310</pubmed></ref>、[[wikipedia:Australian And New Zealand Association Of Psychiatry|オーストラリア・ニュージーランドの精神医学会]]ガイドライン(2003)<ref name="ref23"><pubmed>14636376</pubmed></ref>、[[wikipedia:british association of psychopharmacology|イギリス精神薬理学会]](British Association for Psychopharmacology, BAP)(2005)<ref name="ref24"><pubmed>16272179</pubmed></ref>等、PDに関する各国の主な治療ガイドラインでは、薬物療法とCBTのいずれも有効で、両者とも治療の第一選択として挙げられている。CBTのメリットとしては、薬物療法に比し再発率が低いことであるが<ref><pubmed>17253502</pubmed></ref>、そもそも我が国ではうつ病以外CBTの保険適応がないこと、そのためコスト面での問題があること、さらに現時点では習熟した治療者が不足していること等、実臨床として本格的にCBTを活用するには、残念ながら課題は山積していると言わざるを得ない。一方、薬物療法については、その概念の確立時期よりすでに有効性が示されており、現在も治療の中心的な役割を担っている。以下に、薬物療法について少し述べる。  


=== 選択的セロトニン再取り込み阻害薬 ===  
=== 選択的セロトニン再取り込み阻害薬 ===  
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=== ベンゾジアゼピン系抗不安薬 ===  
=== ベンゾジアゼピン系抗不安薬 ===  


 選択的セロトニン再取り込み阻害薬、三還系抗うつ薬と共に、高力価の[[ベンゾジアゼピン]]系[[抗不安薬]]もPDに有効である<ref><pubmed>1540759</pubmed></ref><ref><pubmed>    9284865</pubmed></ref>。具体的には[[wikipedia:jaアルプラゾラム|alprazolam]]、[[wikipedia:ja:ロラゼパム|lorazepam]]、[[wikipedia:ja:クロナゼパム|clonazepam]]、[[wikipedia:ja:ジアゼパム|diazepam]]等、である。前述の欧米各国のガイドラインでは、いずれもベンゾジアゼピン系抗不安薬は第2選択薬とされ、選択的セロトニン再取り込み阻害薬等の抗うつ薬の効果が発現するまでの間(通常、治療開始から1カ月間)、PA等を抑えるための補助的な投与に留めるよう、勧告されている<ref name="ref22"><pubmed>12516310</pubmed></ref><ref name="ref23"><pubmed>14636376</pubmed></ref><ref name="ref24"><pubmed>16272179</pubmed></ref> 。その理由として、眠気や脱力といった副作用や長期投与による依存形成等のためである。一方、前述の厚生労働省の研究班によるハンドブックでは、抗うつ薬の治療開始から効果発現までの期間にはベンゾジアゼピン系抗不安薬の併用によって積極的に症状改善を図るとし<ref name="ref26">'''竹内龍雄,大野裕,貝谷久宣 他'''<br>パニック障害の治療ガイドライン.パニック障害ハンドブック 治療ガイドラインと診療の実際(熊野宏昭,久保木富房 編<br>pp13-28,医学書院,東京,2008.</ref>、その後4〜12週程度の間に徐々に減量し、頓用化を試みるよう指導している。したがって、欧米と我が国ではベンゾジアゼピン系抗不安薬の使用について若干温度差があるが、これは日本では欧米に比しベンゾジアゼピン系抗不安薬の依存や耐性を示す頻度が少ないためかもしれない。
 選択的セロトニン再取り込み阻害薬、三還系抗うつ薬と共に、高力価の[[ベンゾジアゼピン]]系[[抗不安薬]]もPDに有効である<ref><pubmed>1540759</pubmed></ref><ref><pubmed>    9284865</pubmed></ref>。具体的には[[wikipedia:jaアルプラゾラム|alprazolam]]、[[wikipedia:ja:ロラゼパム|lorazepam]]、[[wikipedia:ja:クロナゼパム|clonazepam]]、[[wikipedia:ja:ジアゼパム|diazepam]]等、である。前述の欧米各国のガイドラインでは、いずれもベンゾジアゼピン系抗不安薬は第2選択薬とされ、選択的セロトニン再取り込み阻害薬等の抗うつ薬の効果が発現するまでの間(通常、治療開始から1カ月間)、PA等を抑えるための補助的な投与に留めるよう、勧告されている<ref name="ref22"><pubmed>12516310</pubmed></ref><ref name="ref23"><pubmed>14636376</pubmed></ref><ref name="ref24"><pubmed>16272179</pubmed></ref> 。その理由として、眠気や脱力といった副作用や長期投与による依存形成等のためである。一方、前述の厚生労働省の研究班によるハンドブックでは、抗うつ薬の治療開始から効果発現までの期間にはベンゾジアゼピン系抗不安薬の併用によって積極的に症状改善を図るとし<ref name="ref26">'''竹内龍雄,大野裕,貝谷久宣 他'''<br>パニック障害の治療ガイドライン.パニック障害ハンドブック 治療ガイドラインと診療の実際(熊野宏昭,久保木富房 編<br>pp13-28,医学書院,東京,2008.</ref>、その後4〜12週程度の間に徐々に減量し、頓用化を試みるよう指導している。このように、欧米と我が国ではベンゾジアゼピン系抗不安薬の使用について若干温度差があるのが現状である。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

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