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 視覚的な認知過程における単語優位効果([[Wikipedia:Word_superiority_effect|word superiority effect]])も広い意味での文脈効果であるといえる。この効果は以下のようなものである――ある文字列を被験者に瞬間提示したのち、そこに含まれていた文字を2択で判断させる課題を考えてもらいたい。2択の文字が“K”と“D”だとすると、文字列が単語(例。WORDやWORK)の場合にランダム文字列(例。ORWD)の場合よりも正答率が上がる。これは単語という文脈に埋め込まれることで文字の検出率が上昇することを意味する。これが単語優位効果である。
 視覚的な認知過程における単語優位効果([[Wikipedia:Word_superiority_effect|word superiority effect]])も広い意味での文脈効果であるといえる。この効果は以下のようなものである――ある文字列を被験者に瞬間提示したのち、そこに含まれていた文字を2択で判断させる課題を考えてもらいたい。2択の文字が“K”と“D”だとすると、文字列が単語(例。WORDやWORK)の場合にランダム文字列(例。ORWD)の場合よりも正答率が上がる。これは単語という文脈に埋め込まれることで文字の検出率が上昇することを意味する。これが単語優位効果である。


 そのほか、ある単語(ターゲットもしくはプローブ)の理解が直前に別の単語(プライム)などを提示することによって促進されたり抑制されたりする現象も知られている。これは語彙的[[プライミング]]効果(lexical priming effect)と呼ばれるもので、ターゲットに対して語彙判断課題などを行うことで測定する。たとえばプローブとターゲットのあいだに意味的関連がある場合、ターゲットの理解は促進されることが知られている。
そのほか、ある単語(ターゲットもしくはプローブ)の理解が直前に別の単語(プライム)などを提示することによって促進されたり抑制されたりする現象も知られている。これは語彙的[[プライミング]]効果(lexical priming effect)と呼ばれるもので、ターゲットに対して語彙判断課題などを行うことで測定する。たとえばプローブとターゲットのあいだに意味的関連がある場合、ターゲットの理解は促進されることが知られている。


==語彙アクセスのモデル==
==語彙アクセスのモデル==
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===音読・発話に関するモデル===
===音読・発話に関するモデル===
 上で見てきた単語の視覚認知モデルは、文字列の視覚的形状をもとに語彙情報へ直接アクセスすることを通常のやり方として仮定していた。しかし非単語であっても、「ワクホメ」や「trisk」のような文字列は発音の仕方が容易に分かる。つまり語彙に含まれない文字列であっても、視覚情報を規則的に音韻情報へと変換する経路は脳内に存在しているのだと考えられる。こうした背景に基づき、Coltheartらは音読過程の二重経路カスケード・モデル(dual-route cascaded model)を提案した。このモデルでは非単語を読むときには語彙情報を介さず、書記素‐音素対応規則(Grapheme-Phoneme correspondence rule)にしたがって文字列を音素に変換するという過程を経る。この過程は音声読み(phonetic reading)ともいわれる。一方で語彙情報へのアクセスを介して音素に変換するプロセスもあり、規則に従わない例外的な発音をする単語(例。家来、yacht)はこの経路のみで処理される。こちらの過程は全語読み(whole-word reading)という。
 上で見てきた単語の視覚認知モデルは、文字列の視覚的形状をもとに語彙情報へ直接アクセスすることを通常のやり方として仮定していた。しかし非単語であっても、「ワクホメ」や「trisk」のような文字列は発音の仕方が容易に分かる。つまり語彙に含まれない文字列であっても、視覚情報を規則的に音韻情報へと変換する経路は脳内に存在しているのだと考えられる。こうした背景に基づき、Coltheartらは音読過程の二重経路カスケード・モデル(dual-route cascaded model)を提案した。このモデルでは非単語を読むときには語彙情報を介さず、書記素‐音素対応規則(grapheme-phoneme correspondence rule)に従って文字列を音素に変換するという過程を経る。この過程は音声読み(phonetic reading)ともいわれる。一方で語彙情報へのアクセスを介して音素に変換するプロセスもあり、規則に従わない例外的な発音をする単語(例。家来、yacht)はこの経路のみで処理される。こちらの過程は全語読み(whole-word reading)という。


 SeidenbergとMcClellandの並列分散処理モデル(parallel distributed processing model)も、非単語や例外的発音の音読を説明することができる。このモデルの最も際立った特徴は、そもそもメンタル・レキシコンの存在を仮定しないという点にある。これまで言及した他のモデルでは語彙項目を単一のユニットで表象していたが、並列分散処理モデルでは語の意味情報・音韻情報・書字情報が3つのユニット群に分散され、これら3つのユニット群は中間層を介して互いに異なるユニット群と結合している。このモデルは三角形の構造を持つことからトライアングル・モデルと呼ばれることもある。このモデルは綴りと発音などの正しい組み合わせを学習することができるが、その場合も特定の文字や音を表象するような単一ユニットは存在せず、特定の入力に対してユニット群が特定の活性化パターンを示すようになるだけである。二重経路カスケード・モデルとトライアングル・モデルは共に音読過程をある程度うまく説明することができるが、どちらが実際の脳内機構とより合致しているかについては今なお議論が続いている。
 SeidenbergとMcClellandの並列分散処理モデル(parallel distributed processing model)も、非単語や例外的発音の音読を説明することができる。このモデルの最も際立った特徴は、そもそもメンタル・レキシコンの存在を仮定しないという点にある。これまで言及した他のモデルでは語彙項目を単一のユニットで表象していたが、並列分散処理モデルでは語の意味情報・音韻情報・書字情報が3つのユニット群に分散され、これら3つのユニット群は中間層を介して互いに異なるユニット群と結合している。このモデルは三角形の構造を持つことからトライアングル・モデルと呼ばれることもある。このモデルは綴りと発音などの正しい組み合わせを学習することができるが、その場合も特定の文字や音を表象するような単一ユニットは存在せず、特定の入力に対してユニット群が特定の活性化パターンを示すようになるだけである。二重経路カスケード・モデルとトライアングル・モデルは共に音読過程をある程度うまく説明することができるが、どちらが実際の脳内機構とより合致しているかについては今なお議論が続いている。


 最後にLeveltの言語産出モデルを紹介する。言語産出過程の具体的な例として、絵画中に描かれた対象が何であるかを呼称する課題を考えてみよう。まず提示された絵をもとに、前言語的な[[概念]]表象が産出すべきメッセージとして活性化される。このステージを概念準備(conceptual preparation)という。続いて、メッセージに含まれる語彙概念が対応するレンマ(lemma)を活性化する。「レンマ」とは辞書でいうところの「見出し語」に相当するものである。ただし、ここで言うレンマは形態情報や音韻情報を含まず、基本的には語彙項目の統語的特性を表す情報である点に注意されたい。たとえば英語のHORSEに対応するレンマが活性化されると、それが可算名詞であること、単数形ないし複数形であること、といった情報が利用可能となる。ドイツ語やフランス語であれば、それに加えて単語の性も特定される。ここまでが言語産出における語彙選択(lexical selection)の過程である。それから形式符号化システム(form encoding system)が駆動され、選択されたレンマが形態的・音韻的に符号化される。たとえばHORSEの複数形は2つの形態素から構成されるものである。これらのそれぞれについて音韻的コード(例。<horse> と<iz>)が検索される。検索された音韻的コードは音素の系列であり、[[wikipedia:ja:音節|音節]]([[wikipedia:syllable|syllable]])へ統合されたり、[[wikipedia:ja:強勢|強勢]]([[wikipedia:stress_linguistics|stress]])パターンが付与されたりといった処理を受ける。これらのプロセスを音韻的符号化(phonological encoding)という。このプロセスの出力は抽象的な音韻表象であり、音韻語(phonological word)と呼ばれる。音韻語は音声的符号化(phonetic encoding)の過程を経て[[wikipedia:ja:調音|調音]]スコア(articulatory score)として出力される。最後にこの調音スコアの指示により、実際に調音器官が動かされ音声が発せられる。
 最後にLeveltの言語産出モデルを紹介する。言語産出過程の具体的な例として、絵画中に描かれた対象が何であるかを呼称する課題を考えてみよう。まず提示された絵をもとに、前言語的な[[概念]]表象が産出すべきメッセージとして活性化される。このステージを概念準備(conceptual preparation)という。続いて、メッセージに含まれる語彙概念が対応するレンマ(lemma)を活性化する。「レンマ」という用語は辞書でいうところの「見出し語」に相当する意味である。ただし、このモデルでいうレンマは具体的な綴りや音といった形態・音韻情報を含まず、基本的には語彙項目の統語的特性を表す情報である点に注意されたい。たとえば英語のHORSEに対応するレンマが活性化されると、それが可算名詞であること、単数形ないし複数形であること、といった情報が利用可能となる。ドイツ語やフランス語であれば、それに加えて単語の性も特定される。ここまでが言語産出における語彙選択(lexical selection)の過程である。それから形式符号化システム(form encoding system)が駆動され、選択されたレンマが形態的・音韻的に符号化される。たとえばHORSEの複数形は2つの形態素から構成されるものである。これらのそれぞれについて音韻的コード(例。<horse> と<iz>)が検索される。検索された音韻的コードは音素の系列であり、[[wikipedia:ja:音節|音節]]([[wikipedia:syllable|syllable]])へ統合されたり、[[wikipedia:ja:強勢|強勢]]([[wikipedia:stress_linguistics|stress]])パターンが付与されたりといった処理を受ける。これらのプロセスを音韻的符号化(phonological encoding)という。このプロセスの出力は抽象的な音韻表象であり、音韻語(phonological word)と呼ばれる。音韻語は音声的符号化(phonetic encoding)の過程を経て[[wikipedia:ja:調音|調音]]スコア(articulatory score)として出力される。最後にこの調音スコアの指示により、実際に調音器官が動かされ音声が発せられる。


=語彙の神経基盤=
=語彙の神経基盤=
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==音声的な語彙の処理==
==音声的な語彙の処理==
 筆談によるコミュニケーションや発話には問題がないにも関わらず、単語が音声で示されると全く分からない、という障害がある。これは純粋語聾(pure word deafness)と呼ばれる。純粋語聾は音声による単語認識ができなくなるが、文字や口の動きをもとに意味を理解することはできる。つまり、これはメンタル・レキシコンにおける聴覚的な見出し語の障害であるといえる。純粋語聾は[[ウェルニッケ野]]、もしくは[[一次聴覚野]]からウェルニッケ野への入力が損傷されることで引き起こされる。ウェルニッケ野周辺の損傷患者は超皮質性感覚失語(transcortical sensory aphasia)を示すこともある。超皮質性感覚失語では、絵に描かれた対象を呼称したり、書かれた単語を音読したり、聴覚提示された単語を復唱したりすることはできるが、耳で聞いた単語の意味を理解することができない。従って超皮質性感覚失語では聴覚的見出し語そのものは損なわれておらず、音声に基づく語彙アクセスの能力が障害されるのだと考えられる。
 筆談によるコミュニケーションや発話には問題がないにも関わらず、単語が音声で示されると全く分からない、という障害がある。これは純粋語聾(pure word deafness)と呼ばれる。純粋語聾は音声による単語認識ができなくなるが、文字や口の動きをもとに意味を理解することはできる。つまり純粋語聾はメンタル・レキシコンにおける聴覚的な見出し語の障害であり、そうした見出し語はウェルニッケ野に保持されているのだと考えられる。純粋語聾は[[ウェルニッケ野]]、もしくは[[一次聴覚野]]からウェルニッケ野への入力が損傷されることで引き起こされる。ウェルニッケ野周辺の損傷患者は超皮質性感覚失語(transcortical sensory aphasia)を示すこともある。超皮質性感覚失語では、絵に描かれた対象を呼称したり、書かれた単語を音読したり、聴覚提示された単語を復唱したりすることはできるが、耳で聞いた単語の意味を理解することができない。従って超皮質性感覚失語では聴覚的見出し語そのものは損なわれておらず、音声に基づく語彙アクセスの能力が障害されるのだといえる。


 一方、左[[側頭葉]]の損傷では物体や人名の呼称ができなくなるケースもあるが、この場合には損傷される部位によって障害される[[カテゴリー]]が異なるということが知られている。絵画中に描かれた対象を患者に呼称させる実験から、人名は左[[側頭極]]の、動物名は左下側頭回の、道具名は左後部下側頭回および[[後頭頭頂側頭接合部]]の障害により、最も成績が低下していることが明らかとなった。ただし、これらの患者では単語の持つ意味や概念自体は保持されていたと考えられる。というのも、彼らはスカンクの絵を見て「近づくとひどい臭いを出す動物で、白黒で、ときどき車にひかれる…」といった内容を答えることはできたからである。つまりこれらの障害においては、単語の意味を適切な音韻表現に変換する機能が損なわれていたのではないかと考えられる。
 一方、左[[側頭葉]]の損傷では物体や人名の呼称ができなくなるケースもあるが、この場合には損傷される部位によって障害される[[カテゴリー]]が異なるということが知られている。絵画中に描かれた対象を患者に呼称させる実験から、人名は左[[側頭極]]の、動物名は左下側頭回の、道具名は左後部下側頭回および[[後頭頭頂側頭接合部]]の障害により、最も成績が低下していることが明らかとなった。ただし、これらの患者では単語の持つ意味や概念自体は保持されていたと考えられる。というのも、彼らはスカンクの絵を見て「近づくとひどい臭いを出す動物で、白黒で、ときどき車にひかれる…」といった内容を答えることはできたからである。つまりこれらの障害においては、単語の意味を適切な音韻表現に変換する機能が損なわれていたのではないかと考えられる。


==視覚的な語彙の処理==
==視覚的な語彙の処理==
 単語の読みには全語読みと音声読みの2種類があることは先に述べた。[[失読症]]の研究から、これらの読みは特異的に障害され得ることが知られている。全語読みの障害は表層性失読(surface dyslexia)といい、音声読みの障害は音韻性失読(phonological dyslexia)という。全語読みと音韻読みは異なる神経機構によって支えられている。脳損傷研究および脳機能イメージング研究によって、全語読みには左[[紡錘状回]]が関連していることが明らかとなっている。左紡錘状回は非単語の文字列によっても賦活されるが、前部に行くほど単語に対する選択性が強くなる。左紡錘状回において単語文字列に選択的に応答する領域は視覚性単語形状領域(visual word form area)と呼ばれており、単語の視覚的な見出し語は同領域に表象されているのだと考えられる。これに対し、音声読みでは左縁上回、左上側頭回、および左下前頭回([[ブローカ野]])といった領域が活動する。これは先述した二重経路カスケード・モデルにおける書記素‐音素の変換がこれらの神経機構によって実現されていることを示唆している。
 単語の読みには全語読みと音声読みの2種類があることは先に述べた。[[失読症]]の研究から、これらの読みは特異的に障害され得ることが知られている。全語読みの障害は表層性失読(surface dyslexia)といい、音声読みの障害は音韻性失読(phonological dyslexia)という。全語読みと音韻読みは異なる神経機構によって支えられている。脳損傷研究および脳機能イメージング研究によって、全語読みには左[[紡錘状回]]が関連していることが明らかとなっている。左紡錘状回は非単語の文字列によっても賦活されるが、前部に行くほど単語に対する選択性が強くなる。左紡錘状回において単語文字列に選択的に応答する領域は視覚性単語形状領域(visual word form area)と呼ばれる。視覚的な見出し語はこの領域に表象されているのだと考えられる。これに対し、音声読みでは左縁上回、左上側頭回、および左下前頭回([[ブローカ野]])といった領域が活動する。これは先述した二重経路カスケード・モデルにおいて、書記素‐音素の変換に当たる機能がこれらの神経機構によって実現されていることを示唆している。
 
==意味の脳内ネットワーク==
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