「前庭動眼反射」の版間の差分

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3.VOR のゲインの適応   
3.VOR のゲインの適応   


 VORは、頭が動いた時に生じる網膜上の像のブレをなくすように、頭の動きを補正するように働く反射である。前庭器官には頭の動いた結果の情報は入ってこないので、フェードフォーワード(前向き制御)の反射ということになる。これに対して、前庭小脳の片葉が、前庭器官から前庭核に送る信号を傍受するとともに、眼球運動の結果生じたものの見え方の変化をもとに、VORを中継する前庭核への抑制を変えることで、ゲインを短期間の間に調節することができる(1,4,9)。 VORの視覚を組み合わせたトレーニングを数時間行なうと、ゲインに適応(adaptation)が生じる。VORのゲインは、VORが誘発された時にエラーが十分生じるような状況、つまり外界がぶれて見える(retinal slipが生じる)ことが持続すると変化する。ヒト、サル、ネコでは、拡大レンズを装着させて回転台を正弦波状に回転させる訓練を数時間程度行うと、水平性VORのゲインが20~50%程度増加する。一方、縮小レンズや左右逆転プリズムで同様のトレーニングをするとゲインは減少する。また、メガネやプリズムのかわりに、回転台の周りにドラム様のスクリーンを張り、回転台と同期して振動させてトレーニングする方法も有効である。台とスクリーンが反対方向に同じ振幅で動く場合はゲインが増加し、台とスクリーンが同方向に動く場合はゲインが減少する。ウサギのVORゲインの適応を図3Aに示す。このようなVORゲインの変化は、24時間以内に回復するので、短期の適応である(5)。さらに数日間持続的にレンズやプリズムを装着させて訓練を行うと、長期の適応が生じ、ゲインは長期間にわたり大きく変化する(6)。一般的に、逆転プリズムや拡大レンズを用いたトレーニングでゲインが変化しても、位相差はあまり変化しない。例えば、逆転プリズムを長期間装着したときに、ゲインは数日で変化するが、位相差は1~3週にわたり持続的に装着しないと変化しない。 VORの適応は、脳によるゲインの運動学習の実験モデルとして広く研究されてきている。VORのゲインの適応に前庭小脳の片葉が不可欠であることが、1970年台から様々な実験結果により示されている(図3B)。片葉のH-ゾーンと呼ばれる領域のプルキンエ細胞には、前庭神経節もしくは前庭神経核由来の信号が平行線維を介して伝えられる。また適応が起きるのに必要なretinal slipの情報は、下オリーブ内側副核から登上線維によってH-ゾーンのプルキンエ細胞に伝えられる。一方、H-ゾーンのプルキンエ細胞は、水平性のVORを中継する内側前庭核の神経細胞を直接抑制する。実際に適応が生じたときにH-ゾーンのプルキンエ細胞を観察すると、適応と同方向の神経活動が見られる。さらに、平行線維―プルキンエ細胞のシナプスの伝達効率は、同じプルキンエ細胞に入力する登上線維の信号によって長期間にわたり抑制される(長期抑圧)ことが証明されている。これらをもとに、長期抑圧がVORのゲインの適応の原因であるという考え方(片葉仮説)が、伊藤正男(東京大学名誉教授、理化学研究所特別顧問)により提案されている(図3C)。この仮説は30年前に提案され、これまで薬理学や遺伝子ノックアウトマウスなど様々な実験から検証されてきたが、長期抑圧が1~数時間のトレーニングで生じるゲインの適応の原因の1つであることは確かであり、現在、他のメカニズムも関与するかどうかが議論されているところである(1,7,8, 9)。適応に関する記憶が脳のどの部位に保持されていることが、神経組織の活動を薬物(局所麻酔剤)により遮断する方法で調べられている(5,6)。もし神経活動が遮断された脳部位に記憶の痕跡が存在するならば、遮断により記憶が消され、適応によって生じたゲインの変化は直ちに消去されるはずである。VORの適応の記憶の場については、ネコとアカゲザルで調べられており、1~2時間のトレーニングにより生じた適応の記憶は片葉に保持されているが、それ以前のトレーニングによって生じた長期の適応の記憶は前庭核に保持されていることが示唆されている(図3C)。この現象は適応の記憶痕跡のシナプス間移動と呼ばれるが、前庭神経核に長期記憶痕跡ができるメカニズムは現在のところよく知られていない。  
 VORは、頭が動いた時に生じる網膜上の像のブレをなくすように、頭の動きを補正するように働く反射である。前庭器官には頭の動いた結果の情報は入ってこないので、フェードフォーワード(前向き制御)の反射ということになる。これに対して、前庭小脳の片葉が、前庭器官から前庭核に送る信号を傍受するとともに、眼球運動の結果生じたものの見え方の変化をもとに、VORを中継する前庭核への抑制を変えることで、ゲインを短期間の間に調節することができる(1,4,9)。 VORの視覚を組み合わせたトレーニングを数時間行なうと、ゲインに適応(adaptation)が生じる。VORのゲインは、VORが誘発された時にエラーが十分生じるような状況、つまり外界がぶれて見える(retinal slipが生じる)ことが持続すると変化する。ヒト、サル、ネコでは、拡大レンズを装着させて回転台を正弦波状に回転させる訓練を数時間程度行うと、水平性VORのゲインが20~50%程度増加する。一方、縮小レンズや左右逆転プリズムで同様のトレーニングをするとゲインは減少する。また、メガネやプリズムのかわりに、回転台の周りにドラム様のスクリーンを張り、回転台と同期して振動させてトレーニングする方法も有効である。台とスクリーンが反対方向に同じ振幅で動く場合はゲインが増加し、台とスクリーンが同方向に動く場合はゲインが減少する。ウサギのVORゲインの適応を図3Aに示す。このようなVORゲインの変化は、24時間以内に回復するので、短期の適応である(5)。さらに数日間持続的にレンズやプリズムを装着させて訓練を行うと、長期の適応が生じ、ゲインは長期間にわたり大きく変化する(6)。一般的に、逆転プリズムや拡大レンズを用いたトレーニングでゲインが変化しても、位相差はあまり変化しない。例えば、逆転プリズムを長期間装着したときに、ゲインは数日で変化するが、位相差は1~3週にわたり持続的に装着しないと変化しない。 VORの適応は、脳によるゲインの運動学習の実験モデルとして広く研究されてきている。VORのゲインの適応に前庭小脳の片葉が不可欠であることが、1970年台から様々な実験結果により示されている(図3B)。片葉のH-ゾーンと呼ばれる領域のプルキンエ細胞には、前庭神経節もしくは前庭神経核由来の信号が平行線維を介して伝えられる。また適応が起きるのに必要なretinal slipの情報は、下オリーブ内側副核から登上線維によってH-ゾーンのプルキンエ細胞に伝えられる。一方、H-ゾーンのプルキンエ細胞は、水平性のVORを中継する内側前庭核の神経細胞を直接抑制する。実際に適応が生じたときにH-ゾーンのプルキンエ細胞を観察すると、適応と同方向の神経活動が見られる。さらに、平行線維―プルキンエ細胞のシナプスの伝達効率は、同じプルキンエ細胞に入力する登上線維の信号によって長期間にわたり抑制される(長期抑圧)ことが証明されている。これらをもとに、長期抑圧がVORのゲインの適応の原因であるという考え方(片葉仮説)が、伊藤正男(東京大学名誉教授、理化学研究所特別顧問)により提案されている(図3C)。この仮説は30年前に提案され、これまで薬理学や遺伝子ノックアウトマウスなど様々な実験から検証されてきたが、長期抑圧が1~数時間のトレーニングで生じるゲインの適応の原因の1つであることは確かであり、現在、他のメカニズムも関与するかどうかが議論されているところである(1,7,8, 9)
 
 適応に関する記憶が脳のどの部位に保持されていることが、神経組織の活動を薬物(局所麻酔剤)により遮断する方法で調べられている(5,6)。もし神経活動が遮断された脳部位に記憶の痕跡が存在するならば、遮断により記憶が消され、適応によって生じたゲインの変化は直ちに消去されるはずである。VORの適応の記憶の場については、ネコとアカゲザルで調べられており、1~2時間のトレーニングにより生じた適応の記憶は片葉に保持されているが、それ以前のトレーニングによって生じた長期の適応の記憶は前庭核に保持されていることが示唆されている(図3C)。この現象は適応の記憶痕跡のシナプス間移動と呼ばれるが、前庭神経核に長期記憶痕跡ができるメカニズムは現在のところよく知られていない。  


[[Image:図3VOR.jpg|350px|図3.VORの適応と片葉仮説。(A)黒眼ウサギのVORゲイン適応。●は縞模様のスクリーンと台を0.1Hz-10度で逆の方向に正弦波状に回転させトレーニングした時、▲は0.1Hz-10度で逆の方向に正弦波状に回転させトレーニングした時のゲインの変化。□は対照として4時間暗闇の中で台の回転によるVORのトレーニングした時のゲインの変化を示す。(B)両側の小脳片葉をカイニン酸で破壊後、Aと同様のトレーニングをしたもの。AとBは(3)を改変。(C)VORのゲイン適応における片葉の役割と適応の記憶の場。1~数時間のトレーニングによる適応の記憶は片葉に保持されているが、数日のトレーニングの記憶は前庭核に保持される。]]<br>
[[Image:図3VOR.jpg|350px|図3.VORの適応と片葉仮説。(A)黒眼ウサギのVORゲイン適応。●は縞模様のスクリーンと台を0.1Hz-10度で逆の方向に正弦波状に回転させトレーニングした時、▲は0.1Hz-10度で逆の方向に正弦波状に回転させトレーニングした時のゲインの変化。□は対照として4時間暗闇の中で台の回転によるVORのトレーニングした時のゲインの変化を示す。(B)両側の小脳片葉をカイニン酸で破壊後、Aと同様のトレーニングをしたもの。AとBは(3)を改変。(C)VORのゲイン適応における片葉の役割と適応の記憶の場。1~数時間のトレーニングによる適応の記憶は片葉に保持されているが、数日のトレーニングの記憶は前庭核に保持される。]]<br>


4. 臨床におけるVOR
4. VORと 臨床


 ヒトでは、VORの検査にゲインの測定よりも、カロリックテストと呼ばれる方法がひろく用いられる(図4)。頭を60度後方に傾けた状態にして水平半規管がほぼ垂直になるようにして、一側の外耳道に温水を注入すると、中耳腔と側頭骨の温度差で生じる外リンパ液の対流によって注入側の水平半規管の有毛細胞が脱分極し、対側に向かう水平性VORが誘発される。眼球がある程度対側に偏位すると、リセットの急速な眼球運動が生じ、眼球はもとの位置にもどり、再び対側に向かう水平性VORが誘発される。このようにslowのVOR(緩徐相)とquickの眼球運動(急速相)が繰り返し生じる現象を前庭性眼振(vestibular nystagmus)と呼ぶ。冷水を注入すると、緩徐相と急速相の方向はそれぞれ逆転する。この温度眼振は1914年にNobel医学賞を受賞したバラニー(Robert Bàràny, 1876-1936)によって発見され、末梢性前庭機能の検査方法として臨床的に広く用いられている。1983年にNASAのスペースシャトルで、無重力状態でも、地上と同様な温度眼振が誘発されることが実験的に示された。重力のないところでは対流は生じにくいので、それ以外のメカニズムにも関与するようであるが、それについてはよくわかってはいない。前庭性眼振には、カロリックテストで誘発されるような生理的眼振と、メニエル病のような一側性前庭機能障害によって生じるような病的な自発性の眼振がある。カロリックテストを含む眼振の検査はめまいの診断に用いられる。  
 ヒトでは、VORの検査にゲインの測定よりも、カロリックテストと呼ばれる方法がひろく用いられる(図4)。頭を60度後方に傾けた状態にして水平半規管がほぼ垂直になるようにして、一側の外耳道に温水を注入すると、中耳腔と側頭骨の温度差で生じる外リンパ液の対流によって注入側の水平半規管の有毛細胞が脱分極し、対側に向かう水平性VORが誘発される。眼球がある程度対側に偏位すると、リセットの急速な眼球運動が生じ、眼球はもとの位置にもどり、再び対側に向かう水平性VORが誘発される。このようにslowのVOR(緩徐相)とquickの眼球運動(急速相)が繰り返し生じる現象を前庭性眼振(vestibular nystagmus)と呼ぶ。冷水を注入すると、緩徐相と急速相の方向はそれぞれ逆転する。この温度眼振は1914年にNobel医学賞を受賞したバラニー(Robert Bàràny, 1876-1936)によって発見され、末梢性前庭機能の検査方法として臨床的に広く用いられている。1983年にNASAのスペースシャトルで、無重力状態でも、地上と同様な温度眼振が誘発されることが実験的に示された。重力のないところでは対流は生じにくいので、それ以外のメカニズムにも関与するようであるが、それについてはよくわかってはいない。前庭性眼振には、カロリックテストで誘発されるような生理的眼振と、メニエル病のような一側性前庭機能障害によって生じるような病的な自発性の眼振がある。カロリックテストを含む眼振の検査はめまいの診断に用いられる。  
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