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英:spatial attention 独:räumliche Aufmerksamkeit 仏:attention spatiale  
英:spatial attention 独:räumliche Aufmerksamkeit 仏:attention spatiale 関連語:選択的注意、半側空間無視、頭頂連合野、前頭連合野  
関連語:選択的注意、半側空間無視、頭頂連合野、前頭連合野


 脳はすべての感覚入力を等しく処理しているわけではなく、その一部だけを優先的に処理して外界の認知や行動の制御に用いている。このように感覚入力を選択し、処理を促進させる神経機構を注意(attention)という。注意は特定の感覚種(modality)や属性(attribute)に受動的、能動的に向けられる。例えば、オーケストラの特定の楽器の音色にだけ注意を向けることができるし、文字列の中から数字だけを選び出すことができる。また、視野内に不意に現れたボールに反射的に注意が向けられることもある。こうした属性のうち、特定の位置に向けられるものを空間的注意とよび、その神経機構と脳損傷による障害が主に視覚系を中心に詳しく調べられている。
 脳はすべての感覚入力を等しく処理しているわけではなく、その一部だけを優先的に処理して外界の認知や行動の制御に用いている。このように感覚入力を選択し、処理を促進させる神経機構を注意(attention)という。注意は特定の感覚種(modality)や属性(attribute)に受動的、能動的に向けられる。例えば、オーケストラの特定の楽器の音色にだけ注意を向けることができるし、文字列の中から数字だけを選び出すことができる。また、視野内に不意に現れたボールに反射的に注意が向けられることもある。こうした属性のうち、特定の位置に向けられるものを空間的注意とよび、その神経機構と脳損傷による障害が主に視覚系を中心に詳しく調べられている。  空間的注意は、空間上のある位置からくる感覚入力に対して、検出力・弁別力が高まる現象として知られている。また逆に、この機能が失われると特定の位置にある物体に気づくことができなくなる(半側空間無視の項を参照)。注意一般と同様に、顕著な刺激に対して受動的(外発的・ボトムアップ)に誘導される場合と、目的指向性に能動的(内発的・トップダウン)に誘導される場合がある。いずれの場合も、ある位置に注意を向けることで、そこに呈示された視覚刺激に対する神経応答が増強することが知られている。最近、眼球運動関連領域が注意のトップダウン信号を生成していることが示唆され、注目されている。  
 空間的注意は、空間上のある位置からくる感覚入力に対して、検出力・弁別力が高まる現象として知られている。また逆に、この機能が失われると特定の位置にある物体に気づくことができなくなる(半側空間無視の項を参照)。注意一般と同様に、顕著な刺激に対して受動的(外発的・ボトムアップ)に誘導される場合と、目的指向性に能動的(内発的・トップダウン)に誘導される場合がある。いずれの場合も、ある位置に注意を向けることで、そこに呈示された視覚刺激に対する神経応答が増強することが知られている。最近、眼球運動関連領域が注意のトップダウン信号を生成していることが示唆され、注目されている。


== 空間的注意の測定方法  ==
== 空間的注意の測定方法  ==
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 注意をある位置や色などに向けると、その属性をもつ対象の検出や弁別が素早く、正確になる。19世紀、[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|Helmholtz]]は電気スパークによる一瞬の光で、暗い部屋の壁に掲げた文字列の一部を読ませる実験を行い、前もって注意を向けていた位置に書かれた文字は読めるが、他の文字はまったく判読できないことを示した<ref>von Helmholtz, H.<br>Helmholtz's treatise on physiological optics<br>Dover(New York):1962</ref>。こうした注意の効果を定量化する方法として、現在もっとも有名で広く利用されているのがPosner課題(<ref>Posner, M.I.<br>Orienting of attention.<br>Q J Exp Psychol 32, 3-25:1980</ref>、図1)である。試行中、被験者はスクリーン中央の固視点を見続けるように指示され、左右に提示されたボックスのいずれかの中心にターゲットが現れると、できるだけ素早く手元のボタンを押すことになっている(単純反応時間課題)。ターゲットに先立って、その位置を知らせる手がかりが固視点に呈示される。左または右向きの矢印が現れた場合、80%の試行ではそれと同じ側にターゲットを提示し(一致条件)、20%の試行では反対側に提示する(不一致条件)。矢印の代わりにプラス記号が現れた試行では、50%の確率で右または左にターゲットを提示し、対照条件(注意を向けない)とする。このとき、一致条件では対照条件に比べて[[反応時間]]が短縮し、不一致条件では対照条件に比べて反応時間が延長する。一般に、注意を向けたことによる反応時間の短縮をbenefit、注意を他に向けたことによる反応時間の延長をcostと呼び、costの方がbenefitよりも大きいことが多い。画面中央の矢印に従って注意を配分するように、被験者が意図的に制御する注意誘導を、[[内発的注意|内発的(endogenous)注意]]と呼ぶ。内発的注意は、[[目的指向性注意|目的指向性]](goal-directed,goal-oriented)、または[[トップダウン注意|トップダウン(top-down)注意]]とよばれることもある。  
 注意をある位置や色などに向けると、その属性をもつ対象の検出や弁別が素早く、正確になる。19世紀、[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|Helmholtz]]は電気スパークによる一瞬の光で、暗い部屋の壁に掲げた文字列の一部を読ませる実験を行い、前もって注意を向けていた位置に書かれた文字は読めるが、他の文字はまったく判読できないことを示した<ref>von Helmholtz, H.<br>Helmholtz's treatise on physiological optics<br>Dover(New York):1962</ref>。こうした注意の効果を定量化する方法として、現在もっとも有名で広く利用されているのがPosner課題(<ref>Posner, M.I.<br>Orienting of attention.<br>Q J Exp Psychol 32, 3-25:1980</ref>、図1)である。試行中、被験者はスクリーン中央の固視点を見続けるように指示され、左右に提示されたボックスのいずれかの中心にターゲットが現れると、できるだけ素早く手元のボタンを押すことになっている(単純反応時間課題)。ターゲットに先立って、その位置を知らせる手がかりが固視点に呈示される。左または右向きの矢印が現れた場合、80%の試行ではそれと同じ側にターゲットを提示し(一致条件)、20%の試行では反対側に提示する(不一致条件)。矢印の代わりにプラス記号が現れた試行では、50%の確率で右または左にターゲットを提示し、対照条件(注意を向けない)とする。このとき、一致条件では対照条件に比べて[[反応時間]]が短縮し、不一致条件では対照条件に比べて反応時間が延長する。一般に、注意を向けたことによる反応時間の短縮をbenefit、注意を他に向けたことによる反応時間の延長をcostと呼び、costの方がbenefitよりも大きいことが多い。画面中央の矢印に従って注意を配分するように、被験者が意図的に制御する注意誘導を、[[内発的注意|内発的(endogenous)注意]]と呼ぶ。内発的注意は、[[目的指向性注意|目的指向性]](goal-directed,goal-oriented)、または[[トップダウン注意|トップダウン(top-down)注意]]とよばれることもある。  


 また、同様の結果は、ターゲットの位置を前もって知らせる手がかりとして左右のボックスのいずれかをフラッシュさせても得ることができる。フラッシュのように顕著な刺激に対し強制的に注意が向けられることを、[[外発的注意|外発的(exogenous)注意]]と呼び、[[刺激駆動性注意|刺激駆動性]](stimulus-driven)または[[ボトムアップ注意|ボトムアップ(bottom-up)注意]]とよばれることもある。しかし、ターゲットがフラッシュ直後に呈示されず、数百ミリ秒後が経過した後に呈示された場合は結果が異なってくる。つまり、手がかりが出た位置に現れたターゲットへの反応時間は、その他の位置に出た場合比べて却って遅くなる。これは[[復帰抑制]](inhibition of return; IOR)とよばれる現象で、視野内のまだ注意していない位置に注意を向けやすくする働きがあると考えられている<ref>Posner, M.I., and Cohen, Y. <br>Components of visual orienting. In Attention and performance X. pp. 531-556<br>Erlbaum(London):1984</ref><ref name="ref2"><pubmed> 3405288</pubmed></ref>。  
 また、同様の結果は、ターゲットの位置を前もって知らせる手がかりとして左右のボックスのいずれかをフラッシュさせても得ることができる。フラッシュのように顕著な刺激に対し強制的に注意が向けられることを、[[外発的注意|外発的(exogenous)注意]]と呼び、[[刺激駆動性注意|刺激駆動性]](stimulus-driven)または[[ボトムアップ注意|ボトムアップ(bottom-up)注意]]とよばれることもある。しかし、ターゲットがフラッシュ直後に呈示されず、数百ミリ秒後が経過した後に呈示された場合は結果が異なってくる。すなわち、手がかりが出た位置に現れたターゲットへの反応時間は、その他の位置に出た場合比べて却って遅くなる。これは[[復帰抑制]](inhibition of return; IOR)とよばれる現象で、視野内のまだ注意していない位置に注意を向けやすくする働きがあると考えられている<ref>Posner, M.I., and Cohen, Y. <br>Components of visual orienting. In Attention and performance X. pp. 531-556<br>Erlbaum(London):1984</ref><ref name="ref2"><pubmed> 3405288</pubmed></ref>。  


== 空間的注意に伴う諸現象  ==
== 空間的注意に伴う諸現象  ==
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[[Image:Carassco.jpg|thumb|right|250px|'''図2 図のタイトルを御願い致します。'''必要に応じ、説明も御願い致します。]]  
[[Image:Carassco.jpg|thumb|right|250px|'''図2 図のタイトルを御願い致します。'''必要に応じ、説明も御願い致します。]]  


 注意をある位置に向けると、その位置における[[知覚]]が向上する。例えば、注意による空間解像度の上昇<ref><pubmed> 9817201</pubmed></ref>が知られている。Carrascoらが行なった実験では、図2のような視覚刺激がごく短時間(40ミリ秒)示され、被験者は、他の線分と異なる傾きを持った線分(ターゲット)の有無を答えなければならない。このとき、ターゲットが固視点から3度ほど離れたときに最も検出率が良く、それより近くても遠くても検出率は低下した。空間解像度は、[[網膜中心窩]]でもっとも高く、そこから離れるにつれて低下するため、ターゲットを検出するには、適度な空間解像度が必要であることが示唆される。そこで、視覚刺激呈示の直前に、ターゲットの現れる位置に手がかり刺激を呈示すると、ターゲットが固視点から近い場合(&lt;1度)に検出率が低下し、遠い場合(&gt;5度)では検出率が向上した。このことは、注意を向けることで、その位置の空間解像度が上昇したため、もともと空間解像度が高すぎるために検出率が低かった場所ではさらに検出率が低下し、もともと空間解像度が低すぎるために検出率が低かった場所では検出率が向上したことを示している。
 注意をある位置に向けると、その位置における[[知覚]]が向上する。例えば、注意による空間解像度の上昇<ref><pubmed> 9817201</pubmed></ref>が知られている。Carrascoらが行なった実験では、図2のような視覚刺激がごく短時間(40ミリ秒)示され、被験者は、他の線分と異なる傾きを持った線分(ターゲット)の有無を答えなければならない。このとき、ターゲットが固視点から3度ほど離れたときに最も検出率が良く、それより近くても遠くても検出率は低下する。空間解像度は、[[網膜中心窩]]でもっとも高く、そこから離れるにつれて低下するため、ターゲットを検出するには、適度な空間解像度が必要であることが示唆される。そこで、視覚刺激呈示の直前に、ターゲットの現れる位置に手がかり刺激を呈示すると、ターゲットが固視点から近い場合(視角にして1度以下)には検出率が低下し、遠い場合(5度以上)では検出率が向上した。このことは、注意を向けることで、その位置の空間解像度が上昇したため、もともと空間解像度が高すぎるために検出率が低かった場所ではさらに検出率が低下し、もともと空間解像度が低すぎるために検出率が低かった場所では検出率が向上したことを示している。


 しかし、空間的注意は常に知覚を向上させるわけではない。例えば、前述の復帰抑制は、注意を向けたことによってその位置における検出力が一定時間後に低下した例である。他にも、重ねて提示した[[Wkipedia:ja:ガボールフィルター|ガボール]]パッチの運動方向弁別力が時間周波数選択的に低下することが報告されているし<ref><pubmed> 15793010</pubmed></ref>、複数の視覚刺激を高速逐次呈示(rapid serial visual presentation, RSVP)したときに、その中に含まれる2つのターゲットの出現間隔が500ミリ秒より短いと2つめが見落とされやすいといった、[[注意の瞬き]](attentional blink)とよばれる現象が知られている<ref><pubmed> 21223931</pubmed></ref>。興味深いことに、Oliversらは、音楽を聴くなどの別の課題同時に課すことで被験者の注意を視覚刺激からそらせると、注意の瞬きが無くなることを報告している<ref><pubmed> 15828972</pubmed></ref>。  
 しかし、空間的注意は常に知覚を向上させるわけではない。例えば、前述の復帰抑制は、注意を向けたことによってその位置における検出力が一定時間後に低下した例である。他にも、重ねて提示した[[Wkipedia:ja:ガボールフィルター|ガボール]]パッチの運動方向弁別力が時間周波数選択的に低下することが報告されているし<ref><pubmed> 15793010</pubmed></ref>、複数の視覚刺激を高速逐次呈示(rapid serial visual presentation, RSVP)したときに、その中に含まれる2つのターゲットの出現間隔が500ミリ秒より短いと2つめが見落とされやすいといった、[[注意の瞬き]](attentional blink)とよばれる現象が知られている<ref><pubmed> 21223931</pubmed></ref>。これらの結果から、注意を向けて一つ一つの情報をより深く解析するために、連続的に変化する外界の情報は、一定のサンプリング周波数以上の時間解像度で処理することができない仕組みがあることを示唆している。興味深いことに、Oliversらは、音楽を聴くなどの別の課題同時に課すことで被験者の注意を視覚刺激からそらせると、注意の瞬きが無くなることを報告している<ref><pubmed> 15828972</pubmed></ref>。  


== 神経機構 ==
== 空間的注意の神経機構 ==


[[Image:Visual search.jpg|thumb|right|300px|'''図3. 視覚探索(visual search)課題'''<br />赤い丸を検出する。]]  
[[Image:Visual search.jpg|thumb|right|300px|'''図3. 視覚探索(visual search)課題'''<br />赤い丸を検出する。]]  
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 空間的注意が障害される病態として、[[半側空間無視]](hemineglect)が有名である。一般に、右の[[側頭―頭頂―後頭葉接合部]](図4のTPJ)の損傷で起こるとされるが、他に前頭葉、[[視床]](特に[[視床枕]])、[[大脳基底核]](特に[[被核]]・[[尾状核]])、[[内包後脚]]の損傷などでも生じることがある。  
 空間的注意が障害される病態として、[[半側空間無視]](hemineglect)が有名である。一般に、右の[[側頭―頭頂―後頭葉接合部]](図4のTPJ)の損傷で起こるとされるが、他に前頭葉、[[視床]](特に[[視床枕]])、[[大脳基底核]](特に[[被核]]・[[尾状核]])、[[内包後脚]]の損傷などでも生じることがある。  


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==


*[[選択的注意]]  
*[[選択的注意]]  
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