「妄想」の版間の差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
613 バイト追加 、 2014年6月23日 (月)
編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
 
(2人の利用者による、間の13版が非表示)
2行目: 2行目:
<font size="+1">福島 貴子、針間 博彦</font><br>
<font size="+1">福島 貴子、針間 博彦</font><br>
''東京都立松沢病院精神科''<br>
''東京都立松沢病院精神科''<br>
DOI [[XXXX]]/XXXX 原稿受付日:2013年12月10日 原稿完成日:2013年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年12月10日 原稿完成日:2014年6月10日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
</div>
</div>


英語名: delusion 独:Wahn 仏:délire、trouble délirant
英語名: delusion 独:Wahn 仏:délire


{{box|text= 妄想とは明らかな反証があっても確信が保持される、誤った揺るぎない信念である。妄想は、形式面では[[一次妄想]]と[[二次妄想]]に、内容(主題)面では[[被害妄想]]、[[誇大妄想]]、[[微小妄想]]などに大別される。診断上は内容よりも形式が重要である。妄想の形式は[[精神疾患]]の種類に規定される一方、その内容は患者の気分、パーソナリティ、生活史、状況などに左右される。[[DSM-5]]では、[[統合失調症性]]の[[自我障害]]も妄想に含められている。}}
{{box|text= 妄想とは明らかな反証があっても確信が保持される、誤った揺るぎない信念である。妄想は、形式面では[[一次妄想]]と[[二次妄想]]に、内容(主題)面では[[被害妄想]]、[[誇大妄想]]、[[微小妄想]]などに大別される。診断上は内容よりも形式が重要である。妄想の形式は[[精神障害]]の種類に規定される一方、その内容は患者の気分、パーソナリティ、生活史、状況などに左右される。[[DSM-5]]では、[[統合失調症性]]の[[自我障害]]も妄想に含められている。}}


==妄想とは==
==妄想とは==
   
   
 一般に、妄想とは患者の教育的、文化的、社会的背景に一致しない誤った揺るぎない観念 (idea) ないし信念 (belief) と定義される。妄想と真の信念との相違は、妄想では明らかな反証があっても確信が保持されることによる。ただし、妄想と真の信念の区別は患者が主観的に行いうるものではなく、ある確信が妄想的か否かという判断は外部の観察者によって行われる。すなわち、その内容が非蓋然的(ありそうにない)であることに対する患者の判断が誤っているとされる場合、その確信は妄想とされる<ref name=ref5>'''針間博彦'''<br>妄想. 樋口輝彦編:今日の精神疾患治療指針<br>''医学書院''、東京、2012</ref>。
 一般に、妄想とは患者の教育的、文化的、社会的背景に一致しない誤った揺るぎない観念 (idea) ないし信念 (belief) と定義される。妄想と真の信念との相違は、妄想では明らかな反証があっても確信が保持されることによる。ただし、妄想と真の信念の区別は患者が主観的に行いうるものではなく、ある確信が妄想的か否かという判断は外部の観察者によって行われる。すなわち、その内容が非蓋然的(ありそうにない)であることに対する患者の判断が誤っているとされる場合、その確信は妄想とされる<ref name=ref5>'''針間博彦'''<br>妄想. 樋口輝彦編:今日の精神疾患治療指針<br>''医学書院''、東京、2012</ref>。
===DSM-5による定義===
 [[DSM-5]]<ref name=ref4>'''American Psychiatric Association'''<br>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 5th ed. <br>''Washington DC, APA'', 2013</ref>では、妄想は次のように説明される(A-Cの番号は筆者による)。


 [[DSM-5]]<ref name=ref4>'''American Psychiatric Association'''<br>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 5th ed. <br>''Washington DC, APA'', 2013</ref>では、妄想は次のように説明される(1-3の番号は筆者による)。
:'''A.'''「妄想とは、外部の現実に関する不正確な推論に基づく誤った信念 (belief) であり、他のほとんどの人が信じていることに反しているにもかかわらず、また議論の余地のない明白な証拠や反証にもかかわらず、強固に維持される。その信念はその人の文化や下位文化の他の成員が通常受け入れているものではない(すなわち、宗教的信条ではない)」<br>
:'''B.'''「誤った信念が価値判断を含む場合、その判断が信用できないほど極端な場合にのみ妄想とみなされる」<br>
:'''C.'''「妄想的確信はときに[[優格観念]]から推論されうる(後者の場合、不合理な信念や観念を有しているが、妄想の場合ほど強固に信じていない)」<br>


#「妄想とは、外部の現実に関する不正確な推論に基づく誤った信念 (belief) であり、他のほとんどの人が信じていることに反しているにもかかわらず、また議論の余地のない明白な証拠や反証にもかかわらず、強固に維持される。その信念はその人の文化や下位文化の他の成員が通常受け入れているものではない(すなわち、宗教的信条ではない)」<br>
 '''A.''' は妄想の定義であり、[[DSM-III]]<ref name=ref1>'''American Psychiatric Association'''<br>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 3rd ed. <br>''Washington DC, APA'', 1980</ref>からほぼ不変である。これを要約すれば、妄想は、
#「誤った信念が価値判断を含む場合、その判断が信用できないほど極端な場合にのみ妄想とみなされる」<br>
#「妄想的確信はときに[[優格観念]]から推論されうる(後者の場合、不合理な信念や観念を有しているが、妄想の場合ほど強固に信じていない)」<br>


 1. は妄想の定義であり、[[DSM-III]]<ref name=ref1>'''American Psychiatric Association'''<br>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 3rd ed. <br>''Washington DC, APA'', 1980</ref>からほぼ不変である。これを要約すれば、妄想は、
:'''A1.''' 強固に維持される誤った信念である<br>
 
:'''A2.''' 不正確な推論に基づく<br>
##強固に維持される誤った信念である
:'''A3.''' 証拠や反証にかかわらず維持される<br>
##不正確な推論に基づく
:'''A4.''' その人の文化的背景に反している<br>
##証拠や反証にかかわらず維持される
##その人の文化的背景に反している


 ということによって特徴付けられる。
 ということによって特徴付けられる。
35行目: 35行目:
#内容が不可能である
#内容が不可能である


 と極めて類似している。すなわちDSMの1.1.はJaspersの言う1.に、1.3.は2.に、1.4.は部分的に3.に対応していて、1.2.のみが新たに加えられた指標である。しかし、Jaspersがこの妄想の外的メルクマールを示した後に、発生的了解が不能な真正妄想と、それが可能な妄想様観念の区別を強調しているのに対し、DSMではそうした区別は行なわれていない。(編集コメント:箇条書きの番号の対応が合っているかご確認ください ⇒複雑で申し訳ありませんが、DSM-5の1,2,3をA, B, C, などと表記することは可能でしょうか?)
 と極めて類似している。すなわちDSMの'''A1.'''はJaspersの言う'''1.'''に、'''A3.'''は'''2.'''に、'''A4.'''は部分的に'''3.'''に対応していて、'''A2.'''のみが新たに加えられた指標である。しかし、Jaspersがこの妄想の外的メルクマールを示した後に、発生的了解が不能な真正妄想と、それが可能な妄想様観念の区別を強調しているのに対し、DSMではそうした区別は行なわれていない。


 DSM-5の2.は妄想と誤判断との区別であり、3.は妄想と優格観念との区別である。DSM-III、III-R<ref name=ref2>'''American Psychiatric Association'''<BR>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 3rd Ed, Revised. <BR>''Washington DC, APA'', 1987</ref>では「妄想は優格観念からも区別することができる」と説明され、妄想の「あるかないか」という性質が強調された。だが[[DSM-IV]]<ref name=ref3>'''American Psychiatric Association'''<BR>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 4th Ed, Text Revision, <BR>''Washington DC, APA'', 2000.</ref>では一転して、優格観念との区別は困難であるとされ、その根拠として、2.と3.の間に「妄想的確信は連続体上に生じる」という文言が追加された。DSM-5では、こうした考え方がさらに推し進められ、「妄想は優格観念から推論される」という表現に至っている。
 DSM-5の'''B.'''は妄想と誤判断との区別であり、'''C.'''は妄想と優格観念との区別である。DSM-III、III-R<ref name=ref2>'''American Psychiatric Association'''<BR>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 3rd Ed, Revised. <BR>''Washington DC, APA'', 1987</ref>では「妄想は優格観念からも区別することができる」と説明され、妄想の「あるかないか」という性質が強調された。だが[[DSM-IV]]<ref name=ref3>'''American Psychiatric Association'''<BR>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 4th Ed, Text Revision, <BR>''Washington DC, APA'', 2000.</ref>では一転して、優格観念との区別は困難であるとされ、その根拠として「妄想的確信は連続体上に生じる」という文言が追加された。DSM-5では、こうした考え方がさらに推し進められ、「妄想は優格観念から推論される」という表現に至っている。


 まとめると、DSM-5ではJaspersによる妄想の外的メルクマールが採用され、妄想は正常な観念や信念とは質的に異なるという視点に立っている一方、妄想性の思考と非妄想性の思考の相違は確信の強度にあり、両者の間に明確な区別がないことも示唆しており、妄想の定義に矛盾が生じている。
 まとめると、DSM-5ではJaspersによる妄想の外的メルクマールが採用され、妄想は正常な観念や信念とは質的に異なるという視点に立っている一方、妄想性の思考と非妄想性の思考の相違は確信の強度にあり、両者の間に明確な区別がないことも示唆しており、妄想の定義に矛盾が生じている。


 一方、[[ICD-10]]<ref name=ref14>'''World Health Organization'''<BR>The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders; Clinical descriptions and diagnostic guidelines. <BR>''WHO, Geneva'', 1992<BR>(融道男,中根允文,小見山実ら訳<BR>ICD-10 精神および行動の障害—臨床記述と診断ガイドライン、新訂版<BR>医学書院、東京、2005.)</ref>では妄想は定義されていない。だがWHOが別に用意した用語集<ref name=ref13>'''World Health Organization'''<BR>Lexicon of psychiatric and mental health terms. 2nd ed,<BR>''Geneva, WHO'', 1994</ref>の中では、「現実とも、また患者の背景や文化が有する社会的に共有された信念とも一致しない、誤った訂正不能な確信ないし判断」と定義される。この定義は、「不正確な推論に基づく」という指標がないことを除けば、DSM-5のものと基本的に同一である。用語集では、続けて「一次妄想は、患者の生活史・パーソナリティから本質的に了解不能である。二次妄想は心理学的に了解可能であり、病的および他の精神状態、たとえば感情障害や猜疑心から生じる。1908年にBimbaumに、また1913年にJaspersによって真正妄想と妄想様観念との区別が行われた。後者は過度に保持される誤判断にすぎない」と記載され、DSMとは異なり、了解可能性による一次妄想([[真正妄想]])と二次妄想([[妄想様観念]])との区別に触れている。ICD-10のテキストの中では、この区別は直接に触れられていないが、統合失調症の診断基準の中に、真正妄想の一形態である[[妄想知覚]]が挙げられている。
===ICD-10での取り扱い===
 
 [[ICD-10]]<ref name=ref14>'''World Health Organization'''<BR>The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders; Clinical descriptions and diagnostic guidelines. <BR>''WHO, Geneva'', 1992<BR>(融道男,中根允文,小見山実ら訳<BR>ICD-10 精神および行動の障害—臨床記述と診断ガイドライン、新訂版<BR>医学書院、東京、2005.)</ref>では妄想は定義されていない。しかし、WHOが別に用意した用語集<ref name=ref13>'''World Health Organization'''<BR>Lexicon of psychiatric and mental health terms. 2nd ed,<BR>''Geneva, WHO'', 1994</ref>の中では「現実とも、また患者の背景や文化が有する社会的に共有された信念とも一致しない、誤った訂正不能な確信ないし判断」と定義される。この定義は、「不正確な推論に基づく」という指標がないことを除けば、DSM-5のものと基本的に同一である。用語集では、続けて「一次妄想は、患者の生活史・パーソナリティから本質的に了解不能である。二次妄想は心理学的に了解可能であり、病的および他の精神状態、たとえば感情障害や猜疑心から生じる。1908年にBimbaumに、また1913年にJaspersによって真正妄想と妄想様観念との区別が行われた。後者は過度に保持される誤判断にすぎない」と記載され、DSMとは異なり、了解可能性による一次妄想([[真正妄想]])と二次妄想([[妄想様観念]])との区別に触れている。ICD-10のテキストの中では、この区別は直接に触れられていないが、統合失調症の診断基準の中に、真正妄想の一形態である[[妄想知覚]]が挙げられている。
 なお、作話confabulationとは、実際に体験されなかったことが誤って追想され、体験したかのように語られることである。出任せの空想的な内容を真実であるかのように話すため、内容も変化しやすい。記憶減退を埋め合わせる当惑作話Embarrassment confabulation(E), Verlegenheitskonfabulation(D)と、空想・想像傾向の強い生産的な空想作話phantastische Konfabulation(D)に分けられる。前者は主として老年期認知症に、後者は空想虚言、空想妄想病、コルサコフ症候群などにみられる。妄想が思考の障害である一方、作話は追想の質的な障害であり、偽記憶pseudomnesia或いは仮性記憶(過去に全く体験していないのに実際にあったかのように追想すること)を語ると作話となり、空想的に際限なく発展すると空想妄想になる。物忘れのある老人の妄想は多少とも作話傾向を帯びる可能性がある。
===作話との関係===
 なお、[[作話]] (confabulation)とは、実際に体験されなかったことが誤って追想され、体験したかのように語られることである。出任せの空想的な内容を真実であるかのように話すため、内容も変化しやすい。記憶減退を埋め合わせる[[当惑作話]] (英:embarrassment confabulation, 独:Verlegenheitskonfabulation)と、空想・想像傾向の強い生産的な[[空想作話]] (英:fantastic confabulation、独:phantastische Konfabulation)に分けられる。前者は主として[[老年期認知症]]に、後者は[[空想虚言]]、[[コルサコフ症候群]]などにみられる。妄想が思考の障害である一方、作話は追想の質的な障害であり、[[偽記憶]] (pseudomnesia)或いは[[仮性記憶]](過去に全く体験していないのに実際にあったかのように追想すること)を語ると作話となる。


== 分類 ==
==妄想の形式による分類==
 妄想の形式は、一次妄想と二次妄想に分けられる<ref name=ref5 />
 妄想の形式は、一次妄想と二次妄想に分けられる<ref name=ref5 />。妄想の形式は精神障害の種類に規定され、診断上重要とされている。


===一次妄想===
===一次妄想===
61行目: 62行目:
delusion percept(ion)
delusion percept(ion)


 合理的にも感情的にも了解可能な動機なしに、真の知覚に異常な意味が付与されるものである。たとえば、患者は自宅の前に自動車が止まっているのを見ると、「自分を狙っている組織があり、見張られている」と確信する。付与される意味はほとんどが被害的自己関係付けであるが、あらゆる了解可能な意味の背後に、無人称的な他者(たとえば上の例では「組織」)が出現することが特徴である。妄想の形式の中では、この妄想知覚のみが[[wj:クルト・シュナイダー|Schneider]]の一級統合失調症状(表1)(以下、一級症状と記す)である。一級症状は統合失調症に特徴的な症状であるが、統合失調症に必ず認められる徴候ではなく、また他の多くの統合失調症状と同様に、[[器質性精神障害|器質性]]・[[器質性精神障害|中毒性]]の病態でも出現しうる。
 合理的にも感情的にも了解可能な動機なしに、真の知覚に異常な意味が付与されるものである。たとえば、患者は自宅の前に自動車が止まっているのを見ると、「自分を狙っている組織があり、見張られている」と確信する。付与される意味はほとんどが被害的自己関係付けであるが、あらゆる了解可能な意味の背後に、無人称的な他者(たとえば上の例では「組織」)が出現することが特徴である。妄想の形式の中では、この妄想知覚のみが[[wj:クルト・シュナイダー|Schneider]]の1級統合失調症状(表1)(以下、1級症状と記す)である。1級症状は統合失調症に特徴的な症状であるが、統合失調症に必ず認められる徴候ではなく、また他の多くの統合失調症状と同様に、[[器質性精神障害|器質性]]・[[器質性精神障害|中毒性]]の病態でも出現しうる。


 妄想知覚の体験構造は二分節性と呼ばれる。すなわち、患者から知覚された対象に関する了解可能な意味解釈までからなるに至る第1分節(上の例では「家の前に自動車が止まっている」)と、了解可能なあらゆる意味解釈の背後で始まる、合理的にも[[情動]]的にも了解不能な意味付けである第2分節(上の例では「自分を狙っている組織がある」)からなる。
 妄想知覚の体験構造は二分節性と呼ばれる。すなわち、患者から知覚された対象に関する了解可能な意味解釈までからなるに至る第1分節(上の例では「家の前に自動車が止まっている」)と、了解可能なあらゆる意味解釈の背後で始まる、合理的にも[[情動]]的にも了解不能な意味付けである第2分節(上の例では「自分を狙っている組織がある」)からなる。
80行目: 81行目:
delusional intuition
delusional intuition


 着想が突然に生じて直ちに確信される。その内容は自己に関するもの(心気、血統、召命など)、他者に関するもの(被害、嫉妬など)、物に関するもの(発明など)など様々である。着想はきっかけなく生じることもあれば、何かを見た際などにそれが刺激となって生じることもある。後者の例として、警官を見かけた時、その警官に対する自己関係付けが生じることなく、自分は指名手配されていると着想する。こうした知覚結合性の妄想着想は、知覚に異常な意味付けがされないことから、妄想知覚と区別される。すなわち妄想着想は一分節からなる。妄想着想は非精神病性の着想(「ひらめき」)や優格観念からの区別が困難なことがあり、診断上の重要性は妄想知覚に劣る。なお、統合失調症の前駆期にみられる自生思考は、内容が不特定・多岐にわたり妄想的確信を伴わないことから点において、妄想着想と区別される。
 着想が突然に生じて直ちに確信される。その内容は自己に関するもの(心気、血統、召命など)、他者に関するもの(被害、嫉妬など)、物に関するもの(発明など)など様々である。着想はきっかけなく生じることもあれば、何かを見た際などにそれが刺激となって生じることもある。後者の例として、警官を見かけた時、その警官に対する自己関係付けが生じることなく、自分は指名手配されていると着想する。こうした知覚結合性の妄想着想は、知覚に異常な意味付けがされないことから、妄想知覚と区別される。すなわち妄想着想は一分節からなる。妄想着想は非精神病性の着想(「ひらめき」)や優格観念からの区別が困難なことがあり、診断上の重要性は妄想知覚に劣る。
 
 なお、統合失調症の前駆期にみられる自生思考は、内容が不特定・多岐にわたり妄想的確信を伴わない点において、妄想着想と区別される。


===二次妄想===
===二次妄想===
 二次妄想secondary delusion(妄想様観念delusion-like ideaも同義)とは、患者の現在の状況(他の精神病症状、気分状態、生活史、帰属する集団、パーソナリティなど)に由来するものとして発生的了解が可能な妄想である。  
 二次妄想secondary delusion(妄想様観念delusion-like ideaも同義)とは、患者の現在の状況(他の精神病症状、気分状態、生活史、帰属する集団、パーソナリティなど)に由来するものとして発生的了解が可能な妄想である。  


 患者の状況から発生的了解が可能な妄想であり、これは統合失調症を含むあらゆる[[精神病性障害]]、重症[[うつ病]]、[[躁病]]にみられる。不安や不信といった特定の気分基調に基づく解釈が妄想化するものは、とくに妄想反応 (paranoid reaction)と呼ばれる。たとえば、職場での些細な失敗を思い悩む人が、「同僚から避けられている」との被害関係妄想を持つに至る。妄想反応はその内容が基本的に了解可能であることから、妄想知覚と区別される。だが妄想反応は統合失調症にも不安などに基づく妄想的誤解釈として生じることがあり、その場合、妄想知覚との区別が困難になりうる。短期の妄想反応が単独で見られる場合、DSM-5では「[[短期精神病性障害]]」、ICD-10では「F23.3妄想を主とする他の急性精神病性障害」と診断される。
 これは統合失調症を含むあらゆる[[精神病性障害]]、重症[[うつ病]]、[[躁病]]にみられる。不安や不信といった特定の気分基調に基づく解釈が妄想化するものは、とくに妄想反応 (paranoid reaction)と呼ばれる。たとえば、職場での些細な失敗を思い悩む人が、「同僚から避けられている」との被害関係妄想を持つに至る。妄想反応はその内容が基本的に了解可能であることから、妄想知覚と区別される。だが妄想反応は統合失調症にも不安などに基づく妄想的誤解釈として生じることがあり、その場合、妄想知覚との区別が困難になりうる。短期の妄想反応が単独で見られる場合、DSM-5では「[[短期精神病性障害]]」、ICD-10では「F23.3妄想を主とする他の急性精神病性障害」と診断される。
 
 一次妄想(妄想気分、妄想知覚、妄想着想)から二次妄想(妄想反応など)が発展し、[[妄想体系]]ないし[[妄想構築]]を生じた場合、一次妄想はしばしば妄想体系に覆われているため、その妄想体系がいかなる一次妄想を核として構築されたものかを判断することは難しい。そのため、妄想体系が構築されている場合、それが統合失調症によるいかなる一次妄想に基づくものかを判断して診断に用いることはしばしば困難である。


 一次妄想(妄想知覚、妄想着想)と二次妄想(妄想反応など)が相互に関連付けられ、[[妄想体系]]ないし[[妄想構築]]を生じた場合、その妄想体系が一次妄想を核として構築されたものであるかどうかを判断することは難しい。そのため、妄想体系が構築されている場合、それが統合失調症による一次妄想に基づくかどうかを判断して診断に用いることはしばしば困難である。
==妄想の内容による分類==
 診断上は内容よりも形式が重要であるが、内容の分類は症状記述に役立つ。妄想の主題は患者の気分、パーソナリティ、生活史などに左右され、その具体的内容は妄想形成時の患者の社会的・文化的背景に影響を受ける。


==妄想の内容==
===被害妄想===
===被害妄想===
persecutory delusion
persecutory delusion
118行目: 123行目:
delusional misidentification
delusional misidentification


 人物誤認は妄想的確信を伴うことが多い。良く知っている人が瓜二つの別人に取って代わられているという[[カプグラ症候群]]、身の回り周りにいる種々の人は実は同一人物が変装して姿を変えたものであるという[[フレゴリ症候群]]のほか、周囲の身近な人々が相互に入れ替わるという[[相互変身妄想]]、自分とそっくりの分身がいるという[[自己分身症候群]]がある。
 人物誤認は妄想的確信を伴うことが多い。良く知っている人が瓜二つの別人に取って代わられているという[[カプグラ症候群]]、身の周りにいる種々の人は実は同一人物が変装して姿を変えたものであるという[[フレゴリ症候群]]のほか、周囲の身近な人々が相互に入れ替わるという[[相互変身妄想]]、自分とそっくりの分身がいるという[[自己分身症候群]]がある。


==自我障害==
==自我障害==
133行目: 138行目:
:自己の思考内容が媒介手段によらずに他者に感知されるという体験であり、「自分の頭の中が皆に知られている」などと訴えられる。媒介手段によらないとは、幻声(たとえば考想化声)、妄想知覚(たとえば他者の言動にそうした意味が付与される)、関係妄想(たとえば「テレビで自分のことが放送されている」)など他の症状に基づくものではないことである。なお、考想察知 thoughts being readは広く「人に考えを読まれている」という体験をさす用語であり、考想伝播のほか上記の媒介手段によるものも含まれる。
:自己の思考内容が媒介手段によらずに他者に感知されるという体験であり、「自分の頭の中が皆に知られている」などと訴えられる。媒介手段によらないとは、幻声(たとえば考想化声)、妄想知覚(たとえば他者の言動にそうした意味が付与される)、関係妄想(たとえば「テレビで自分のことが放送されている」)など他の症状に基づくものではないことである。なお、考想察知 thoughts being readは広く「人に考えを読まれている」という体験をさす用語であり、考想伝播のほか上記の媒介手段によるものも含まれる。
:;[[考想転移]] (thought transference)
:;[[考想転移]] (thought transference)
:他者の思考内容が媒介手段によらずに自己に感知されるものであり、「人が考えていることが分かる」などと訴えられる。考想伝播と逆方向の体験である。本症状についてシュナイダーは一級症状に含めていないが、一級症状と同様の機序で生じると考えられ、同様の診断的意義がある。
:他者の思考内容が媒介手段によらずに自己に感知されるものであり、「人が考えていることが分かる」などと訴えられる。考想伝播と逆方向の体験である。本症状についてシュナイダーは直接には言及していないが、彼が「その他の考想被影響体験」も1級症状に含めていることから、考想被影響体験の一種である考想転移には1級症状と同様の診断的意義があると考えられる。


===身体的被影響体験===
===身体的被影響体験===
144行目: 149行目:


==DSM-5における妄想の分類==
==DSM-5における妄想の分類==
 DSM-5では、妄想は内容によって表2のように下位分類されるが、形式による下位分類は行なわれていない<ref name=ref6>'''針間博彦'''<BR>今日の操作的診断基準における妄想.妄想の臨床<BR>''新興医学出版社''、東京、p45-56,2013</ref>。すなわち、一次妄想(真正妄想)と二次妄想(妄想様観念)は区別されず、したがって一次妄想である妄想気分、妄想着想、妄想知覚という区別は言及されていない。以下、関係妄想、気分に一致する/しない妄想、奇異な妄想に若干の注釈を加える。
 DSM-5では、妄想は内容によって表2のように下位分類されるが、形式による下位分類は行なわれていない<ref name=ref6>'''針間博彦'''<BR>今日の操作的診断基準における妄想.妄想の臨床<BR>''新興医学出版社''、東京、p45-56,2013</ref>。すなわち、一次妄想(真正妄想)と二次妄想(妄想様観念)は区別されず、したがって一次妄想である妄想気分、妄想着想、妄想知覚という区別は言及されていない。以下、関係妄想、気分に一致する/しない妄想、奇異な妄想に若干の注釈を加える。


{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
157行目: 162行目:


===気分に一致する/しない妄想===
===気分に一致する/しない妄想===
 DSM-IIIから-5までとICD-10(DCR)<ref name=ref15>'''World Health Organization'''<BR>The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders; Diagnostic criteria for research. <BR>''WHO'', Geneva, 1993<BR> (中根允文,岡崎祐士,藤原妙子ら訳<BR>ICD-10 精神および行動の障害—DCR研究用診断基準、新訂版<BR>''医学書院''、東京、2008.)</ref>では、気分障害に伴う精神病症状は、気分に一致するか否かが特定される。[[躁病]]エピソードに伴う幻覚や妄想は、その内容(主題)が誇大的なものであれば気分に一致し、うつ病エピソードに伴う幻覚や妄想は、その内容が微小的、自己非難であれば気分に一致するとされる。DSM-III、III-Rでは気分に一致しない[[幻声]]は、統合失調症の特徴的症状であるA項目のうち、一つあれば統合失調症と診断するのに十分である項目に含まれていたが、[[DSM-IV-TR]]以降はこの要件が削除され、いかなる幻覚や妄想が存在しても、気分エピソード中であれば[[気分障害]]と診断されることになった。一方、ICD-10(DCR)では、幻覚妄想が統合失調症状(統合失調症の全般基準G1(1))であれば、気分に一致する/しないにかかわらず、気分障害は除外される。
 DSM-IIIから-5までとICD-10(DCR)<ref name=ref15>'''World Health Organization'''<BR>The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders; Diagnostic criteria for research. <BR>''WHO'', Geneva, 1993<BR> (中根允文,岡崎祐士,藤原妙子ら訳<BR>ICD-10 精神および行動の障害—DCR研究用診断基準、新訂版<BR>''医学書院''、東京、2008.)</ref>では、気分障害に伴う精神病症状は、気分に一致するか否かが特定される。[[躁病]]エピソードに伴う幻覚や妄想は、その内容(主題)が誇大的なものであれば気分に一致し、うつ病エピソードに伴う幻覚や妄想は、その内容が微小的、自己非難であれば気分に一致するとされる。DSM-III、III-Rでは、気分に一致しない[[幻声]]は、統合失調症の特徴的症状であるA項目のうち、一つあれば統合失調症と診断するのに十分である項目に含まれていたが、[[DSM-IV-TR]]以降はこの要件が削除され、いかなる幻覚や妄想が存在しても、それが気分エピソード中であれば、[[気分障害]]と診断されることになった。一方、ICD-10(DCR)では、幻覚妄想が統合失調症状(統合失調症の全般基準G1(1))であれば、それが気分に一致する/しないにかかわらず、気分障害は除外される。
  
  
===奇異な妄想===
===奇異な妄想===
 [[操作的診断基準]]における「奇異な妄想」は、Research Diagnostic Criteria(RDC)<ref name=ref11>'''Spitzer R, Endicott J, Robins E.'''<BR>Research Diagnostic Criteria (RDC) for a Selected Group of Functional Disorders.<BR>''New York: New York State Psychiatric Institute, Biometrics Research''; 1975.</ref>に端を発する。妄想が奇異であるとは、DSM-5では「その人の文化が物理的にありえないと見なす現象に関するもの」と定義される。   
 [[操作的診断基準]]における「奇異な妄想」は、Research Diagnostic Criteria(RDC)<ref name=ref11>'''Spitzer R, Endicott J, Robins E.'''<BR>Research Diagnostic Criteria (RDC) for a Selected Group of Functional Disorders.<BR>''New York: New York State Psychiatric Institute, Biometrics Research''; 1975.</ref>に端を発する。妄想が奇異であるとは、DSM-5では「その人の文化が物理的にありえないと見なす現象に関するもの」と定義される。   


 DSM-IIIの作成に中心的役割を果たしたSpitzer, R, L.<ref name=ref12><PUBMED>8494062</PUBMED></ref>によれば、奇異な妄想という概念は、[[wj:エミール・クレペリン|Kraepelin]]が[[早発性痴呆]](統合失調症)における妄想を「無意味性」という概念で規定し、またJaspersがそれを「了解不能」とみなしたことに由来するという。DSM-III以降、考想伝播、考想吹入、考想奪取、および感情・衝動・行動の領域における他者によるさせられ体験・被影響体験(被支配妄想delusion of controlと呼ばれる)は、すべて奇異な妄想に含まれる。
 DSM-IIIの作成に中心的役割を果たしたSpitzer, R, L.<ref name=ref12><PUBMED>8494062</PUBMED></ref>によれば、奇異な妄想という概念は、[[wj:エミール・クレペリン|Kraepelin]]が[[早発性痴呆]](統合失調症)における妄想を「無意味性」という概念で規定し、またJaspersがそれを「了解不能」とみなしたことに由来するという。DSM-III以降、考想伝播、考想吹入、考想奪取、および感情・衝動・行動の領域における他者によるさせられ体験・被影響体験(被支配妄想delusion of controlと呼ばれる)など多くの自我障害は、すべて奇異な妄想に含まれる。


 ICD-10では「奇異な妄想」という語は用いられていないが、統合失調症の全般基準(1)(d)「文化的に不適切でまったくありえない持続的妄想」は、DSMによる奇異な妄想の定義に一致する。ただし、考想伝播、考想吹入、考想奪取など考想被影響体験は(1)(a)に、また被支配妄想、被影響妄想は(1)(b)に含められおり、DSMとは異なり、これらを奇異な妄想に含めていない。
 DSM-IIIからDSM-IV-TRまで、奇異な妄想は、統合失調症の特徴的症状Aのうち1つあれば十分なものに含まれていた。だがDSM-5では、これらの症状が他の症状に比べて診断特異性が高いことは確認されていないという理由を挙げ、「1つあれば統合失調症と診断してよい」という扱いが廃止されている。これによって、「奇異な妄想」(およびSchneiderの1級症状)は、DSMの診断基準から姿を消した。


 DSM-IIIからDSM-IV-TRまで、奇異な妄想は、統合失調症の特徴的症状Aのうち1つあれば十分なものに含まれていた。だがDSM-5では、これらの症状が他の症状に比べて診断特異性が高いことは確認されていないという理由を挙げ、「1つあればよい」という扱いが廃止されている。これによって、「奇異な妄想」(およびSchneiderの1級症状)は、DSMの診断基準から姿を消した。
 ICD-10では「奇異な妄想」という語は用いられていないが、統合失調症の全般基準(1)(d)「文化的に不適切でまったくありえない持続的妄想」は、DSMによる奇異な妄想の定義に一致する。ただし、考想伝播、考想吹入、考想奪取など考想被影響体験は(1)(a)に、またこれ以外の被影響体験(被支配妄想、被影響妄想など)は(1)(b)に含められており、DSMとは異なり、自我障害を「奇異な妄想」として一括りにせず、1項目以上あれば統合失調症と診断し得るものとしている。


==関連項目==
==関連項目==

案内メニュー