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==定義== | ==定義== | ||
向精神薬とは、[[中枢神経系]]に作用し、精神機能を変容させる薬物の総称である。広義には、[[アルコール]]や[[たばこ]]などの嗜好品、[[危険ドラッグ]]などの精神異常発現薬なども含まれるが、厳密な定義や分類があるわけではなく国際的にも統一的な用語になっていない。一般的には、[[精神疾患]]の治療に用いられる薬物を指す。 | |||
治療に用いられるものには[[抗精神病薬]](antipsychotics)、[[抗うつ薬]](antidepressants)、[[気分安定薬]](mood stabilizers)、[[抗不安薬]](antianxiety drugs: anxiolytics)、[[睡眠薬]](hypnotics)、[[精神刺激薬]](psychostimulants)、[[認知症治療薬]](dementia therapeutics)などが含まれる<ref name=ref1>'''Stahl SM'''<br>Stahl's Essential Psychopharmacology: Neuroscientific Basis and Practical Applications 3rd Ed,<br>''Cambridge University Press''; 2008.</ref>。 | |||
==分類== | ==分類== | ||
分類は、化学構造式や薬理作用に基づくもの、適応疾患あるいは適応症状に基づくものなどがある。主には、適応疾患に基づく分類が用いられている(表)。近年では、[[ | 分類は、化学構造式や薬理作用に基づくもの、適応疾患あるいは適応症状に基づくものなどがある。主には、適応疾患に基づく分類が用いられている(表)。近年では、[[バルプロ酸ナトリウム]]は[[抗てんかん薬]]でもあり気分安定薬でもあるなど、複数の適応疾患を持つものがある。このため、命名法の改革が全世界的に進められている。 | ||
{| class="wikitable" | {| class="wikitable" | ||
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|rowspan="17" | 向精神薬 | |rowspan="17" | 向精神薬 | ||
|rowspan="2" | 嗜好品 | |rowspan="2" | 嗜好品 | ||
|アルコール | | colspan="3" | アルコール | ||
|- | |- | ||
|ニコチン(たばこ) | | colspan="3" | ニコチン(たばこ) | ||
|- | |- | ||
|rowspan="2" | 精神異常発現薬 | |rowspan="2" | 精神異常発現薬 | ||
|覚せい剤 | | colspan="3" | 覚せい剤 | ||
|- | |- | ||
|危険ドラッグ | | colspan="3" | 危険ドラッグ | ||
|- | |- | ||
|rowspan="13" | 治療薬 | |rowspan="13" | 治療薬 | ||
|rowspan="2" | 抗精神病薬 | |rowspan="2" | 抗精神病薬 | ||
|第一世代抗精神病薬 | | colspan="2" | 第一世代抗精神病薬 | ||
|- | |- | ||
|第二世代抗精神病薬 | | colspan="2" | 第二世代抗精神病薬 | ||
|- | |- | ||
|rowspan="5" | 抗うつ薬 | |rowspan="5" | 抗うつ薬 | ||
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|NaSSA | |NaSSA | ||
|- | |- | ||
| colspan="3" | 気分安定薬 | |||
| colspan=" | |||
|- | |- | ||
| colspan="3" | 抗不安薬 | |||
| colspan=" | |||
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|睡眠薬 | |rowspan="3" | 睡眠薬 | ||
|ベンゾジアゼピン受容体作動薬 | | colspan="2" | ベンゾジアゼピン受容体作動薬 | ||
|- | |- | ||
| | | colspan="2" | メラトニン受容体作動薬 | ||
|メラトニン受容体作動薬 | |||
|- | |- | ||
| | | colspan="2" | オレキシン受容体拮抗薬 | ||
|オレキシン受容体拮抗薬 | |||
|- | |- | ||
| colspan="3" | 認知症治療薬 | |||
| colspan=" | |||
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|rowspan="3" | | rowspan="3" colspan="3" | 主作用として精神症状を変容させないもの | ||
| colspan="3" | 麻酔薬 | |||
| colspan=" | |||
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| colspan="3" | 抗てんかん薬 | |||
| colspan=" | |||
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| colspan="3" | 抗パーキンソン病薬 | |||
| colspan=" | |||
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|} | |} | ||
===抗精神病薬=== | ===抗精神病薬=== | ||
主に[[統合失調症]]の治療薬である。[[双極性障害]]や[[うつ病]]、[[せん妄]]の治療にも用いられる。抗精神病薬は、全て[[ドーパミン]][[D2受容体]]に親和性を有し、ドーパミン神経伝達を制御する。[[第一世代抗精神病薬]]と[[第二世代抗精神病薬]]がある。第二世代抗精神病薬は、第一世代で問題となった[[錐体外路症状]]の副作用が軽減している。 | |||
===気分安定薬=== | ===気分安定薬=== | ||
主に双極性障害の治療薬である。代表的薬剤として[[炭酸リチウム]]があり、ほかに[[バルプロ酸]]、[[カルバマゼピン]]、[[ラモトリギン]]といった抗てんかん薬が気分安定薬としての作用を持つ。 | |||
===抗うつ薬=== | ===抗うつ薬=== | ||
主にうつ病と[[不安症]] | 主にうつ病と[[不安症]]の治療薬である。うつ病・[[うつ状態]]、不安症を改善させる。[[三環系抗うつ薬]]と[[四環系抗うつ薬]]といった化学構造式上の分類と、[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]](selective serotonin reuptake inhibitors, SSRI)、[[セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬]](serotonin & norepinephrine reuptake inhibitors, SNRI)、[[ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬]](noradrenergic and specific serotonergic antidepressant, NaSSA)といった薬理作用による分類が混在している。 | ||
===抗不安薬=== | ===抗不安薬=== | ||
不安症の治療薬である。[[ | 不安症の治療薬である。[[ベンゾジアゼピン受容体]][[作動薬]](ベンゾジアゼピン系薬)が中心となる。他に[[セロトニン1A受容体]][[部分作動薬]]などがある。ベンゾジアゼピン系薬は抗不安作用、鎮静催眠作用、筋弛緩作用、抗けいれん作用を有する<ref name=ref1>'''Stahl SM'''<br>Stahl's Essential Psychopharmacology: Neuroscientific Basis and Practical Applications 3rd Ed,<br>''Cambridge University Press''; 2008.</ref> <ref name=ref2>'''稲田健'''<br>本当にわかる精神科の薬はじめの一歩<br>''東京、羊土社''; 2013.</ref>。抗うつ薬に分類されるSSRIも抗不安作用を持ち、不安症の治療に用いられる。 | ||
===睡眠薬=== | ===睡眠薬=== | ||
睡眠障害の一つである[[不眠症]]の治療薬である。鎮静催眠作用を生じる。 | |||
[[バルビツール酸]]系薬、ベンゾジアゼピン系薬、非ベンゾジアゼピン系薬、メラトニン受容体作動薬、オレキシン受容体拮抗薬がある。 | |||
バルビツール酸系薬は古い薬物で、現在使用される機会はほとんどない。 | バルビツール酸系薬は古い薬物で、現在使用される機会はほとんどない。 | ||
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[[メラトニン]]受容体作動薬は、睡眠覚醒リズムと関連するメラトニンの受容体に作用する薬物である。リズム障害と関連した睡眠障害が良い適応となる<ref name=ref4><pubmed>17803013</pubmed></ref> <ref name=ref5><pubmed>19090503</pubmed></ref>。 | [[メラトニン]]受容体作動薬は、睡眠覚醒リズムと関連するメラトニンの受容体に作用する薬物である。リズム障害と関連した睡眠障害が良い適応となる<ref name=ref4><pubmed>17803013</pubmed></ref> <ref name=ref5><pubmed>19090503</pubmed></ref>。 | ||
[[オレキシン受容体]]拮抗薬は、覚醒の保持と関連すると考えられるオレキシンの作用を拮抗することで催眠作用を生じる<ref name=ref6><pubmed>23197752</pubmed></ref>。2014年11月に上市された新規の薬剤である。 | |||
===精神刺激薬=== | ===精神刺激薬=== | ||
[[注意欠如・多動性障害]] | [[注意欠如・多動性障害]]([[ADHD]])の治療薬、[[ナルコレプシー]]の治療薬である[[メチルフェニデート]]などがある。 | ||
===認知症治療薬=== | ===認知症治療薬=== | ||
認知症の原因疾患のうち、[[アルツハイマー病]] | 認知症の原因疾患のうち、[[アルツハイマー病]]、[[レビー小体型認知症]]の治療薬である。神経伝達物質である[[アセチルコリン]]の分解酵素を阻害することによりアセチルコリン性神経伝達を維持する。神経細胞の消失を阻止するものではなく、アルツハイマー病の根本治療薬ではない。 | ||
==命名法についての議論== | ==命名法についての議論== | ||
向精神薬は経験に基づいて分類され、命名されてきた。結果として、化学構造式による分類名(例:三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬)、作用機序による分類名(例:選択的セロトニン再取り込み阻害薬、セロトニン・[[ノルアドレナリン]]再取り込み阻害薬)、合成された時代による分類名(例:第一世代抗精神病薬、第二世代抗精神病薬)などが混在している。また、従来、統合失調症の治療薬とされてきた、抗精神病薬が、双極性障害にも、うつ病にも適応を取得した。この結果、従来の統合失調症治療薬との呼称は臨床現場に適合しなくなっている。すなわち、現在の命名法は、神経科学基盤を反映しておらず、研究においても、臨床現場においても、不都合を生じている。 | 向精神薬は経験に基づいて分類され、命名されてきた。結果として、化学構造式による分類名(例:三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬)、作用機序による分類名(例:選択的セロトニン再取り込み阻害薬、セロトニン・[[ノルアドレナリン]]再取り込み阻害薬)、合成された時代による分類名(例:第一世代抗精神病薬、第二世代抗精神病薬)などが混在している。また、従来、統合失調症の治療薬とされてきた、抗精神病薬が、双極性障害にも、うつ病にも適応を取得した。この結果、従来の統合失調症治療薬との呼称は臨床現場に適合しなくなっている。すなわち、現在の命名法は、神経科学基盤を反映しておらず、研究においても、臨床現場においても、不都合を生じている。 | ||
このような現状を踏まえて、世界の主要な神経精神薬理学会([[wikipedia:ja:米国神経精神薬理学会|米国神経精神薬理学会]](American College of Neuropsychopharmacology: ACNP)、[[wikipedia:ja:アジア神経精神薬理学会|アジア神経精神薬理学会]](Asian College of Neuropsychopharmacology: AsCNP)、[[wikipedia:ja:国際神経精神薬理学会|国際神経精神薬理学会]](Collegium Internationale Neuro-Psychopharmacologicum: CINP)、[[wikipedia:ja:欧州神経精神薬理学会|欧州神経精神薬理学会]](the European College of Neuropsychopharmacology: ECNP)、[[wikipedia:ja:国際薬理学連合|国際薬理学連合]](the [[International Union of Basic and Clinical Pharmacology]]: IUPHAR)は合同で、新たなる命名法を提案している。この命名法は5つの軸からなる多軸命名法となっている<ref name=ref7><pubmed>24630385</pubmed></ref>。 | |||
==歴史== | ==歴史== | ||
===近代以前=== | ===近代以前=== | ||
最初の向精神薬(広い意味で精神活動を変化させる薬物)は、アルコールであったと考えられている。他にも、[[阿片]]、[[ベラドンナ]]、[[インド蛇木]]などの草木が利用されていた。 | |||
19世紀に入ると、阿片から[[モルヒネ]]が抽出され、薬用動[[植物]]からの成分抽出や新規化合物の合成が始まった。 | 19世紀に入ると、阿片から[[モルヒネ]]が抽出され、薬用動[[植物]]からの成分抽出や新規化合物の合成が始まった。 | ||
向精神薬としては、1850年代に臭化物が[[てんかん]]や不眠症に用いられ、1903年ころにバルビツール酸誘導体が導入された。 | |||
===精神科における薬物療法の導入=== | ===精神科における薬物療法の導入=== | ||
1950年代に[[抗ヒスタミン]]薬として用いられていた[[クロルプロマジン]]を、[[麻酔]]の併用薬として投与した際に、精神症状が安定することが観察され、精神病の治療薬として用いられるようになった。当時は、[[インスリンショック療法やマラリア発熱療法]]、[[前頭葉白質切断術]]などの治療法が中心であった精神科治療を大きく変えるきっかけとなった。 | |||
===精神科における薬物療法の影響=== | ===精神科における薬物療法の影響=== | ||
精神疾患に対して、抗精神病薬が用いられるようになった影響は、1950年代の精神科病院の臨床統計に反映されている。すなわち、薬物療法を行われる患者数の増加に反比例して、入院患者数と院内拘束患者数は減少し、ショック療法が用いられる頻度は減少した<ref name=ref8>'''八木剛平'''<br>向精神薬の歴史 in 向精神薬の歴史・基礎・臨床<br>Edited by 三浦貞則<br> ''東京、星和書店''; 1996. pp. 1-23.</ref>。 | 精神疾患に対して、抗精神病薬が用いられるようになった影響は、1950年代の精神科病院の臨床統計に反映されている。すなわち、薬物療法を行われる患者数の増加に反比例して、入院患者数と院内拘束患者数は減少し、ショック療法が用いられる頻度は減少した<ref name=ref8>'''八木剛平'''<br>向精神薬の歴史 in 向精神薬の歴史・基礎・臨床<br>Edited by 三浦貞則<br> ''東京、星和書店''; 1996. pp. 1-23.</ref>。 | ||
抗精神病薬の化学構造や薬理作用の研究は、[[動物]] | 抗精神病薬の化学構造や薬理作用の研究は、[[動物]]の行動を指標とした薬効研究すなわち行動薬理学に発展した。向精神薬の臨床開発では、[[無作為化二重盲検比較試験]]が採用され、症状は評価尺度によって評価されるようになった。これらの変化は、精神科治療を経験的な医療から、科学的な医療に変換させた。 | ||
==関連項目== | ==関連項目== |