「軽度認知障害」の版間の差分

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英:mild cognitive impairment, minor neurocognitive disorder 英略語:MCI<br>
英:mild cognitive impairment, minor neurocognitive disorder 英略語:MCI 独:Mild cognitive impairment 仏:La déficience cognitive légère
独:Mild cognitive impairment 仏:La déficience cognitive légère


{{box|text= 軽度認知障害は正常ではないが認知症ともいえないほど軽度の認知機能障害を呈し、日常生活も保たれている状態を示す概念である。2013年の調査では本邦において400万人ほどの症例が存在することが明らかになっている<ref name=ref1>'''朝田 隆、 泰羅 雅、石合 純、清原 裕、池田 学、et al.'''<br>都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応.<br>''平成23年度-平成24年度総合研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業'': 2013</ref>。MCIは認知症の前駆状態であるとする考えがある一方、健常加齢の経過においてもみられる状態であるとする考え方も存在する。実際、MCIから認知症へのコンバート率は年間約10%とする一方、正常状態に戻るリバート率も14〜44%と報告されている。検査法については簡易スクリーニング法として近年、Montreal Cognitive Assessment日本語版(MoCA-J)が作成され、他にもMRI、SPECTといった画像検査や、脳脊髄液中のAβ42、リン酸化タウといったバイオマーカーが試みられている。治療法はまだ確立したものは無いがアルツハイマー病に対する治療やレビー小体型認知症に対する治療が試みられている。またライフスタイルの改善が重要とする考えもある。}}
{{box|text= 軽度認知障害は正常ではないが認知症ともいえないほど軽度の認知機能障害を呈し、日常生活も保たれている状態を示す概念である。2013年の調査では本邦において400万人ほどの症例が存在することが明らかになっている<ref name=ref1>'''朝田 隆、 泰羅 雅、石合 純、清原 裕、池田 学、et al.'''<br>都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応.<br>''平成23年度-平成24年度総合研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業'': 2013</ref>。MCIは認知症の前駆状態であるとする考えがある一方、健常加齢の経過においてもみられる状態であるとする考え方も存在する。実際、MCIから認知症へのコンバート率は年間約10%とする一方、正常状態に戻るリバート率も14〜44%と報告されている。検査法については簡易スクリーニング法として近年、Montreal Cognitive Assessment日本語版(MoCA-J)が作成され、他にもMRI、SPECTといった画像検査や、脳脊髄液中のAβ42、リン酸化タウといったバイオマーカーが試みられている。治療法はまだ確立したものは無いがアルツハイマー病に対する治療やレビー小体型認知症に対する治療が試みられている。またライフスタイルの改善が重要とする考えもある。}}
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== 軽度認知障害とは ==
== 軽度認知障害とは ==
==== 背景 ====
==== 背景 ====
 軽度認知障害は何らかの認知機能障害を呈し健常とはいえないが、[[認知症]]ともいえない正常[[加齢]]と認知症のいわば境界領域に該当する概念である。[[アルツハイマー病]]などの認知症の前駆状態としてとらえられることが多く、認知症における早期診断・治療の重要性という観点から近年注目されるようになっている。しかし他方で、認知症は未だ根治療法が無いことや診断・告知による心理社会的影響から早期診断については慎重な対応が必要とする考えも存在する。
 軽度認知障害は何らかの[[認知機能]]障害を呈し健常とはいえないが、[[認知症]]ともいえない正常[[加齢]]と認知症のいわば境界領域に該当する概念である。[[アルツハイマー病]]などの認知症の前駆状態としてとらえられることが多く、認知症における早期診断・治療の重要性という観点から近年注目されるようになっている。しかし他方で、認知症は未だ根治療法が無いことや診断・告知による心理社会的影響から早期診断については慎重な対応が必要とする考えも存在する。


==== 歴史的推移 ====
==== 歴史的推移 ====
 類似概念としては、まず1962年にKralが提唱した「進行速度が緩徐な正常老化としての『良性健忘』と急速に進行する病的な『悪性健忘』」が挙げられる。その後、1986年に米国の[[wikipedia:ja:国立精神保健研究所|国立精神保健研究所]]のCrookらにより「年齢50歳以上で日常生活上の記憶障害の訴えがあり、記憶検査で成人平均値より1SD以下の低下を認めるが認知症ではない」という定義で[[age-associated memory impairment]]([[AAMI]])という概念が提唱される。これは健常高齢者における記憶障害という位置づけでとらえられている。
 類似概念としては、まず1962年にKralが提唱した「進行速度が緩徐な正常老化としての『良性[[健忘]]』と急速に進行する病的な『悪性健忘』」が挙げられる。その後、1986年に米国の[[wikipedia:ja:国立精神保健研究所|国立精神保健研究所]]のCrookらにより「年齢50歳以上で日常生活上の記憶障害の訴えがあり、記憶検査で成人平均値より1SD以下の低下を認めるが認知症ではない」という定義で[[age-associated memory impairment]]([[AAMI]])という概念が提唱される。これは健常高齢者における記憶障害という位置づけでとらえられている。


 また1994年には[[wikipedia:ja:国際老年精神医学会|国際老年精神医学会]]のLevyによりage-associated cognitive decline(AACD)という概念が提唱される。これはAAMIとは異なり「記憶・学習以外にも[[注意]]・[[集中]]、[[思考]]、[[言語]]、[[視空間認知]]のいずれかが健常高齢者平均から1SD以上低下しているもの」とされる。ここには健常加齢と認知症前駆状態の両方が含まれうる。
 また1994年には[[wikipedia:ja:国際老年精神医学会|国際老年精神医学会]]のLevyによりage-associated cognitive decline(AACD)という概念が提唱される。これはAAMIとは異なり「[[記憶]]・[[学習]]以外にも[[注意]]・[[集中]]、[[思考]]、[[言語]]、[[視空間認知]]のいずれかが健常高齢者平均から1SD以上低下しているもの」とされる。ここには健常加齢と認知症前駆状態の両方が含まれうる。


 概してヨーロッパでは健常加齢の果てに認知機能の低下が起こるという考え方(normality model)が受け入れられており、現在でもAAMIやAACDがしばしば引用されている。
 概してヨーロッパでは健常加齢の果てに認知機能の低下が起こるという考え方(normality model)が受け入れられており、現在でもAAMIやAACDがしばしば引用されている。
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 他方、DSM-5では
 他方、DSM-5では
#[[複雑性注意]]、[[遂行機能]]、学習および記憶、言語、知覚-運動、[[社会的認知]]の6項目のうち1項目以上でわずかな低下が-①本人の訴え、よく知る介護者やかかりつけ医等からの情報、-②標準化された認知テストの成績に基づいて明らか
#[[複雑性注意]]、[[遂行機能]]、学習および記憶、[[言語]]、[[知覚]]-[[運動]]、[[社会的認知]]の6項目のうち1項目以上でわずかな低下が-①本人の訴え、よく知る介護者やかかりつけ医等からの情報、-②標準化された[[認知テスト]]の成績に基づいて明らか
#認知障害は日常生活の独立性を妨げるものではない
#認知障害は日常生活の独立性を妨げるものではない
#せん妄によるものではない
#せん妄によるものではない
#[[うつ病]]や[[統合失調症]]等の精神疾患ではうまく説明できない
#[[うつ病]]や[[統合失調症]]等の精神疾患ではうまく説明できない


ことをmild neurocognitive disorder(ND)としている。本邦老年精神医学会病名検討委員会において、mild NDは内容的にmild cognitive impairment(MCI)とみなすのが妥当であることから「軽度認知障害」とすることが決まり、[[日本精神神経学会]] 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会に提案して承認されている。
ことをmild neurocognitive disorder(ND)としている。[[wj:日本老年精神医学会|日本老年精神医学会]]病名検討委員会において、mild NDは内容的にmild cognitive impairment(MCI)とみなすのが妥当であることから「軽度認知障害」とすることが決まり、[[wj:日本精神神経学会|日本精神神経学会]] 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会に提案して承認されている。


==== 鑑別診断 ====
==== 鑑別診断 ====
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==== 検査 ====
==== 検査 ====
 MCIを鑑別する簡易スクリーニング検査のうち、国際的にも認知されているのが[[Montreal Cognitive Assessment]]([[MoCA]])<ref><pubmed> 15817019 </pubmed></ref>である。近年、その日本語版であるMoCA-J<ref><pubmed> 20141536 </pubmed></ref>も作成されている。これは[[trail making test B]]簡略版、立方体の図形模写、時計描画、命名課題、数字の順唱と逆唱、target detection課題(ひらがなのリストを読み上げ「あ」の時に手を叩くよう求める)、計算、復唱課題、語想起課題、類似課題、5単語遅延再生課題、見当識の12課題からなり最高点は30点満点で26点以上を正常、25点以下をMCIの疑いとする。
 MCIを鑑別する簡易スクリーニング検査のうち、国際的にも認知されているのが[[Montreal Cognitive Assessment]]([[MoCA]])<ref><pubmed> 15817019 </pubmed></ref>である。近年、その日本語版であるMoCA-J<ref><pubmed> 20141536 </pubmed></ref>も作成されている。これは[[trail making test B]]簡略版、立方体の図形模写、時計描画、命名課題、数字の順唱と逆唱、target detection課題(ひらがなのリストを読み上げ「あ」の時に手を叩くよう求める)、計算、復唱課題、語[[想起]]課題、類似課題、5単語遅延再生課題、見当識の12課題からなり最高点は30点満点で26点以上を正常、25点以下をMCIの疑いとする。


 画像検査としては[[MRI]]や[[脳血流SPECT]]などが挙げられるが所見が軽微のことが多く視察法では評価が難しいため画像統計解析の利用が必要になることが多い。[[voxel-based morphometry]](VBM)による画像解析では近年、[[海馬傍回]]前方の[[嗅内野皮質]]の萎縮が注目されている。保健適応外の臨床研究領域では、[[FDG-PET]]やバイオマーカーとして脳脊髄液中の[[Aβ42]][[リン酸化タウ]]の測定が注目されているが、まだ確立はしていない。
 画像検査としては[[MRI]]や[[脳血流SPECT]]などが挙げられるが所見が軽微のことが多く視察法では評価が難しいため画像統計解析の利用が必要になることが多い。[[voxel-based morphometry]](VBM)による画像解析では近年、[[海馬傍回]]前方の[[嗅内野皮質]]の萎縮が注目されている。保健適応外の臨床研究領域では、[[FDG-PET]]やバイオマーカーとして[[脳脊髄液]]中の[[Aβ42]]やリン酸化[[タウ]]の測定が注目されているが、まだ確立はしていない。


== 病態生理 ==
== 病態生理 ==
 当初は生活状況と記憶テストで判定し、アルツハイマー病に移行する前駆状態という位置づけであった。しかし、現在では[[レビー小体型認知症]]や[[前頭側頭葉変性症]]、[[血管性認知症]]などアルツハイマー病以外の認知症性疾患の前駆状態も含む概念として認識されている。MCIのサブタイプ別に考えると、記憶障害のみであったり、記憶を含む多領域障害であればアルツハイマー病に移行しやすく、記憶以外の症状が主症状の場合はレビー小体型認知症や前頭側頭葉変性症等に移行しやすいと認識されている。
 当初は生活状況と記憶[[テスト]]で判定し、アルツハイマー病に移行する前駆状態という位置づけであった。しかし、現在では[[レビー小体型認知症]]や[[前頭側頭葉変性症]]、[[血管性認知症]]などアルツハイマー病以外の認知症性疾患の前駆状態も含む概念として認識されている。MCIのサブタイプ別に考えると、記憶障害のみであったり、記憶を含む多領域障害であればアルツハイマー病に移行しやすく、記憶以外の症状が主症状の場合はレビー小体型認知症や前頭側頭葉変性症等に移行しやすいと認識されている。


== 治療 ==
== 治療 ==
 現状、MCIに対する認知症薬の保険適応は無い。上記の通りMCIにおいて認知機能低下は軽微で基本的な日常生活は保たれるため、将来的には認知症への進展(コンバート)の予防を目標とした治療法が検討される可能性はある。
 現状、MCIに対する認知症薬の保険適応は無い。上記の通りMCIにおいて認知機能低下は軽微で基本的な日常生活は保たれるため、将来的には認知症への進展(コンバート)の予防を目標とした治療法が検討される可能性はある。


 臨床研究レベルで、薬物治療として[[ドネペジル]]、[[ガランタミン]]、[[リバスチグミン]]などのアルツハイマー病治療薬([[コリンエステラーゼ]] [[cholinesterase]](ChE)[[阻害薬]])の有効性を検討した研究がいくつかあるが、MCIから認知症への転換を抑制する効果について明らかなエビデンスは無いのが現状である。しかし、[[APOE|ApoE]]遺伝子ε4多型保因者の検討においてドネペジル治療により36ヶ月後のAD発症率が有意に低下していたとする報告も存在する。レビー小体型認知症のMCIでは記憶障害や遂行機能障害は呈さずにリアルな[[幻視]]や[[REM睡眠]]行動障害等が出現することがあり、この場合はレビー小体型認知症としての[[抑肝散]]やドネペジル等による薬物療法が有効な場合があるとされる。
 臨床研究レベルで、薬物治療として[[ドネペジル]]、[[ガランタミン]]、[[リバスチグミン]]などのアルツハイマー病治療薬([[コリンエステラーゼ]] [[cholinesterase]](ChE)[[阻害薬]])の有効性を検討した研究がいくつかあるが、MCIから認知症への転換を抑制する効果について明らかなエビデンスは無いのが現状である。しかし、[[APOE|ApoE]]遺伝子ε4多型保因者の検討において[[ドネペジル]]治療により36ヶ月後のAD発症率が有意に低下していたとする報告も存在する。レビー小体型認知症のMCIでは記憶障害や遂行機能障害は呈さずにリアルな[[幻視]]や[[REM睡眠]]行動障害等が出現することがあり、この場合はレビー小体型認知症としての[[抑肝散]]やドネペジル等による薬物療法が有効な場合があるとされる。


 薬物以外のアプローチでは、認知症予防のライフスタイル、具体的には運動や食生活・[[睡眠]]の改善、血圧や血糖、脂質異常の改善、[[視覚]]・[[聴覚]]の維持などがMCIから認知症への進行を防ぐためには重要という考え方も存在する。
 薬物以外のアプローチでは、認知症予防のライフスタイル、具体的には運動や食生活・[[睡眠]]の改善、血圧や血糖、脂質異常の改善、[[視覚]]・[[聴覚]]の維持などがMCIから認知症への進行を防ぐためには重要という考え方も存在する。

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