「クオリア」の版間の差分

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''Monash University''<br>
''Monash University''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年6月5日 原稿完成日:2016年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年6月5日 原稿完成日:2016年月日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 [[大脳皮質]]機能研究系)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
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===「難しい問題(Hard problem)」とクオリア===
===「難しい問題(Hard problem)」とクオリア===
 哲学者[[wj:ディビット・チャルマーズ|ディビット・チャルマーズ]]によって提唱された意識の「難しい問題」とは、クオリアと脳内で起こる物理化学現象の間にある大きなギャップのことを指す<ref> Chalmers, D. J. <br>The conscious mind <br>Oxford University Press. New York, 1996<br>林一<br>意識する心―脳と精神の根本理論を求めて<br>白楊社</ref>。「難しい問題」の議論には、色々な問題が含まれる。
 哲学者[[wj:ディビット・チャルマーズ|ディビット・チャルマーズ]]によって提唱された意識の「難しい問題」とは、クオリアと脳内で起こる物理化学現象の間にある大きなギャップのことを指す<ref> Chalmers, D. J. <br>'''The conscious mind''' <br>Oxford University Press. New York, 1996<br>林一<br>意識する心―脳と精神の根本理論を求めて<br>白楊社</ref>。「難しい問題」の議論には、色々な問題が含まれる。
 たとえば、狭い意味での赤いクオリアを引き起こすような神経活動が、なぜ、青いクオリアを引き起こさないのか、という問題がある。これは「難しい問題」の一例である。哲学者の中には、もし突然、自分が経験するすべての赤と青のクオリアが入れ替わってしまったとしてもそれには自分が全く気づけないはずだ、という「逆転クオリア」の思考実験を行い、どのように神経科学が進んだとしてもこのような問題は解き明かすことができない類の問題である、と論じているものもいる<ref name=stanford2 >http://plato.stanford.edu/entries/qualia-inverted/</ref>。はたして、脳科学が根源的にクオリアの謎を解き明かすことはできないのか、実際に研究の手立てがないのかについては、後の項を参照。
 たとえば、狭い意味での赤いクオリアを引き起こすような神経活動が、なぜ、青いクオリアを引き起こさないのか、という問題がある。これは「難しい問題」の一例である。哲学者の中には、もし突然、自分が経験するすべての赤と青のクオリアが入れ替わってしまったとしてもそれには自分が全く気づけないはずだ、という「逆転クオリア」の思考実験を行い、どのように神経科学が進んだとしてもこのような問題は解き明かすことができない類の問題である、と論じているものもいる<ref name=stanford2 >http://plato.stanford.edu/entries/qualia-inverted/</ref>。はたして、脳科学が根源的にクオリアの謎を解き明かすことはできないのか、実際に研究の手立てがないのかについては、後の項を参照。


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 伝統的な心理学研究の手法の中でも、[[錯覚]] {{refn|「錯視」や「錯覚」というと、外界に正確な「答え」があり、それを脳が「間違えて」プロセスしてしまうために起こる、「おかしな」主観的な感覚という響きがある。しかし、このような考え方の根底には、暗示的に我々の主観の外に世界の実体があり、その実体をできるかぎり正確に再構成するのが、意識・クオリアに期待されている機能である、ということが仮定されている。一方で、幻覚・夢などを含め、意識にのぼるクオリアそれだけが我々が経験できる実体であり、世界の姿こそが、過去何百年もの科学実験を通して「間接的に」推測されるものであり、どこまでいってもより確からしい推測しかできない、と考えることもできる。後者の考えでは、錯視・錯覚・幻覚・夢の方がむしろ本質で、通常の意識経験もそれの一部と考えることができる(Llinas & Pare 1991)。|group=註}}を使った研究は、クオリア問題に最も直接的にアプローチしていると言って良い<ref name=下條信輔>下條信輔<br>「意識」とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤<br>講談社現代新書, 1999</ref>。錯覚を生み出す刺激は、ほぼ全ての感覚モダリティで見つかっているが、最も劇的なのは、視覚におけるもので、特に[[錯視]]と呼ばれる。たとえば、色の波長としては全く同じ黄色い四角形が、茶色やオレンジ見える錯視や、円筒の影になっている部分とそうでない部分のタイルが全く違う濃さの灰色のタイルに見えるが、光の波長としては二つの四角形は全く同じである、という錯視がある(図3)。このような錯視を元に、心理物理学者は、クオリアの性質を様々な観点から特徴づけてきた。
 伝統的な心理学研究の手法の中でも、[[錯覚]] {{refn|「錯視」や「錯覚」というと、外界に正確な「答え」があり、それを脳が「間違えて」プロセスしてしまうために起こる、「おかしな」主観的な感覚という響きがある。しかし、このような考え方の根底には、暗示的に我々の主観の外に世界の実体があり、その実体をできるかぎり正確に再構成するのが、意識・クオリアに期待されている機能である、ということが仮定されている。一方で、幻覚・夢などを含め、意識にのぼるクオリアそれだけが我々が経験できる実体であり、世界の姿こそが、過去何百年もの科学実験を通して「間接的に」推測されるものであり、どこまでいってもより確からしい推測しかできない、と考えることもできる。後者の考えでは、錯視・錯覚・幻覚・夢の方がむしろ本質で、通常の意識経験もそれの一部と考えることができる(Llinas & Pare 1991)。|group=註}}を使った研究は、クオリア問題に最も直接的にアプローチしていると言って良い<ref name=下條信輔>下條信輔<br>「意識」とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤<br>講談社現代新書, 1999</ref>。錯覚を生み出す刺激は、ほぼ全ての感覚モダリティで見つかっているが、最も劇的なのは、視覚におけるもので、特に[[錯視]]と呼ばれる。たとえば、色の波長としては全く同じ黄色い四角形が、茶色やオレンジ見える錯視や、円筒の影になっている部分とそうでない部分のタイルが全く違う濃さの灰色のタイルに見えるが、光の波長としては二つの四角形は全く同じである、という錯視がある(図3)。このような錯視を元に、心理物理学者は、クオリアの性質を様々な観点から特徴づけてきた。
   
   
[[image:Tuchiya Qualia3.png|thumb|300px| '''図3. 視覚クオリアの特徴を捉える錯視'''<ref name=Lamme2015> Lamme, V. A. F. <br>The Crack of Dawn. Perceptual Functions and Neural Mechanisms that Mark the Transition from Unconscious Processing to Conscious Vision<br>Barbara Wengeler Stiftung, 2015</ref><br>左:矢印で示された左のオレンジのタイルと上の茶色のタイルは同じ波長の光だが、周囲の色との関係性で違う色として経験される。周りのタイルを全て隠すとそれが確認できる。右:同じく、上の暗い灰色と下の明るい灰色も、同じ波長の同じ強さの光であるが、異なる強さの灰色として感じられる。]]
[[image:Tuchiya Qualia3.png|thumb|300px| '''図3. 視覚クオリアの特徴を捉える錯視'''<ref name=Lamme2015> Lamme, V. A. F. <br>'''The Crack of Dawn. Perceptual Functions and Neural Mechanisms that Mark the Transition from Unconscious Processing to Conscious Vision'''<br>Barbara Wengeler Stiftung, 2015</ref><br>左:矢印で示された左のオレンジのタイルと上の茶色のタイルは同じ波長の光だが、周囲の色との関係性で違う色として経験される。周りのタイルを全て隠すとそれが確認できる。右:同じく、上の暗い灰色と下の明るい灰色も、同じ波長の同じ強さの光であるが、異なる強さの灰色として感じられる。]]


 たとえば、このような錯視から、感覚的なクオリアは、一般に、時間・空間的な文脈(コンテクスト){{refn|狭い意味でのクオリアの性質も、常に時間・空間的な文脈の中で決定される。|group=註}} の中で決定されること、自分の意志の持ち方や、注意の向け方を変えることで変更することはできないこと(irrevocability, (Ramachandran and Hubbard 2001))、などが提案されてきた{{refn|ルビンの壺やネッカーの立方体の様に、曖昧さが増幅された図形の中には、意志・注意の力でクオリアを変更できるものある。ただし、そのような図形は限られており、そのような状況であっても、赤を青と感たり、音を色と感じるなどのようにあ、思いのままにクオリアを変更することはできない。意志・注意の力がどれだけ感覚経験に影響を与えうるかにはまだ議論がある(Firestone & Scholl 2016)。|group=註}}。  
 たとえば、このような錯視から、感覚的なクオリアは、一般に、時間・空間的な文脈(コンテクスト){{refn|狭い意味でのクオリアの性質も、常に時間・空間的な文脈の中で決定される。|group=註}} の中で決定されること、自分の意志の持ち方や、注意の向け方を変えることで変更することはできないこと(irrevocability, (Ramachandran and Hubbard 2001))、などが提案されてきた{{refn|ルビンの壺やネッカーの立方体の様に、曖昧さが増幅された図形の中には、意志・注意の力でクオリアを変更できるものある。ただし、そのような図形は限られており、そのような状況であっても、赤を青と感たり、音を色と感じるなどのようにあ、思いのままにクオリアを変更することはできない。意志・注意の力がどれだけ感覚経験に影響を与えうるかにはまだ議論がある(Firestone & Scholl 2016)。|group=註}}。  
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 人間を対象とした実験だけでなく、トレーニングを積んだ[[サル]]の脳に直接に電極を埋め込み神経活動を記録するといった実験もある。最近では、どのような刺激が意識にのぼっているかを被験者に報告させずに、眼球運動や脳活動からクオリアを読み取ることで、報告の影響を排除し、クオリアそのものに強く相関している神経活動を同定する試みが見られている(Aru, Bachmann, Singer, & Melloni, 2012; Frässle, Sommer, Jansen, Naber, & Einhäuser, 2014; Tsuchiya, Wilke, Frässle, & Lamme, 2015)。(報告とクオリアの関係性の項を参照)
 人間を対象とした実験だけでなく、トレーニングを積んだ[[サル]]の脳に直接に電極を埋め込み神経活動を記録するといった実験もある。最近では、どのような刺激が意識にのぼっているかを被験者に報告させずに、眼球運動や脳活動からクオリアを読み取ることで、報告の影響を排除し、クオリアそのものに強く相関している神経活動を同定する試みが見られている(Aru, Bachmann, Singer, & Melloni, 2012; Frässle, Sommer, Jansen, Naber, & Einhäuser, 2014; Tsuchiya, Wilke, Frässle, & Lamme, 2015)。(報告とクオリアの関係性の項を参照)
   
   
 また、関連した研究手法として、クオリアを生み出さす神経活動と生み出さない神経活動の違いに注目する研究なども盛んに行われている<ref name=Dehaene>Dehaene, S. <br>Consciousness and the brain<br>2015<br>高橋洋<br>意識と脳――思考はいかにコード化されるか<br>紀伊國屋書店</ref>。
 また、関連した研究手法として、クオリアを生み出さす神経活動と生み出さない神経活動の違いに注目する研究なども盛んに行われている<ref name=Dehaene>Dehaene, S. <br>'''Consciousness and the brain'''<br>2015<br>高橋洋<br>'''意識と脳――思考はいかにコード化されるか'''<br>紀伊國屋書店</ref>。


===アクセス可能な意識と現象としての意識・クオリアへの実証的な研究===
===アクセス可能な意識と現象としての意識・クオリアへの実証的な研究===
 自分自身の一瞬の経験を振り返ってみると、その時に注意を向けていなかった周辺視野での印象、机の木の木目のように、いかんとも言語で表現できない複雑な感覚の側面がある。先の節で述べたように、これらの意識の側面はクオリアや現象としての意識の中に含まれるが、意識的なアクセスはされていないとも考えられる{{refn|意識的なアクセスが可能な状態(accessibility)であれば意識にのぼるという考え方と、実際にアクセスがなければ意識にはのぼっていないという考え方がある。(Cohen, Cavanagh, Chun, & Nakayama, 2012; Tsuchiya et al., 2015)|group=註}}。意識的なアクセス可能性とクオリアという問題は、クオリア問題の本質に関わっている。現在、このトピックは心理学・脳科学による実証的な研究が盛んに行われている。
 自分自身の一瞬の経験を振り返ってみると、その時に注意を向けていなかった周辺視野での印象、机の木の木目のように、いかんとも言語で表現できない複雑な感覚の側面がある。先の節で述べたように、これらの意識の側面はクオリアや現象としての意識の中に含まれるが、意識的なアクセスはされていないとも考えられる{{refn|意識的なアクセスが可能な状態(accessibility)であれば意識にのぼるという考え方と、実際にアクセスがなければ意識にはのぼっていないという考え方がある。(Cohen, Cavanagh, Chun, & Nakayama, 2012; Tsuchiya et al., 2015)|group=註}}。意識的なアクセス可能性とクオリアという問題は、クオリア問題の本質に関わっている。現在、このトピックは心理学・脳科学による実証的な研究が盛んに行われている。
   
   
 アクセスできる意識は、報告可能な意識内容であるため、報告が正確である限り、実験者・被験者の間で共有可能である。報告内容を客観的なデータとして扱い、同時に脳活動を記録することで、アクセスできる意識がどのように脳活動と関連するのかを厳密に研究できる<ref name=Dehaene />。このような手法は、他の科学分野と同様に客観的に研究が可能である。このような考えのもとに発展してきたのが1990年以降の意識研究の主流である[[neural correlates of consciousness]] (NCC)アプローチである<ref name=koch2004> Koch, C<br>The Quest for Consciousness<br>CO: Roberts and Publishers, 2004</ref>。
 アクセスできる意識は、報告可能な意識内容であるため、報告が正確である限り、実験者・被験者の間で共有可能である。報告内容を客観的なデータとして扱い、同時に脳活動を記録することで、アクセスできる意識がどのように脳活動と関連するのかを厳密に研究できる<ref name=Dehaene />。このような手法は、他の科学分野と同様に客観的に研究が可能である。このような考えのもとに発展してきたのが1990年以降の意識研究の主流である[[neural correlates of consciousness]] (NCC)アプローチである<ref name=koch2004> Koch, C<br>'''The Quest for Consciousness'''<br>CO: Roberts and Publishers, 2004</ref>。
   
   
 近年、上のようなアプローチでは、意識的なアクセスのメカニズム、報告のメカニズムが明らかになるだけで、クオリアがどのように脳活動から生じてくるのかを理解するには、妨げになるのではないか、ということが指摘されてきている(Aru et al., 2012; de Graaf, Hsieh, & Sack, 2012; Tsuchiya et al., 2015)。
 近年、上のようなアプローチでは、意識的なアクセスのメカニズム、報告のメカニズムが明らかになるだけで、クオリアがどのように脳活動から生じてくるのかを理解するには、妨げになるのではないか、ということが指摘されてきている(Aru et al., 2012; de Graaf, Hsieh, & Sack, 2012; Tsuchiya et al., 2015)。
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 前章で紹介した、つなぎ変え・感覚代行・共感覚などの現象は、クオリアが神経回路のつながり方とその活動パターンによって決定されるという考えと辻褄があう。しかし、どのような神経回路のつながり方が、どのようなクオリアを生み出すかについては、現在全く脳科学的な知見がないと言って良い。
 前章で紹介した、つなぎ変え・感覚代行・共感覚などの現象は、クオリアが神経回路のつながり方とその活動パターンによって決定されるという考えと辻褄があう。しかし、どのような神経回路のつながり方が、どのようなクオリアを生み出すかについては、現在全く脳科学的な知見がないと言って良い。
   
   
 現在までに提唱されているクオリアの理論の中では、[[wj:ジュリオ・トノーニ|ジュリオ・トノーニ]]によって提唱された[[統合情報理論]]は、ニューロン同士の階層的な因果関係がクオリアと対応するという仮説を提唱している(Balduzzi & Tononi, 2009; Oizumi, Albantakis, & Tononi, 2014; Tononi, 2004, 2015)<ref name=Tononi2015> Tononi, G. <br>Integrated information theory<br>Scholarpedia, 10(1), 4164, 2015.</ref>。
 現在までに提唱されているクオリアの理論の中では、[[wj:ジュリオ・トノーニ|ジュリオ・トノーニ]]によって提唱された[[統合情報理論]]は、ニューロン同士の階層的な因果関係がクオリアと対応するという仮説を提唱している(Balduzzi & Tononi, 2009; Oizumi, Albantakis, & Tononi, 2014; Tononi, 2004, 2015)<ref name=Tononi2015> Tononi, G. <br>'''Integrated information theory'''<br>Scholarpedia, 10(1), 4164, 2015.</ref>。
   
   
 統合情報理論によれば、あるニューロンが脳内のどの部位に位置するかは、そのニューロンが生み出すクオリアには直接関係がなく、そのニューロンが他のニューロンとどのようにつながっているのこそがクオリアを決定するはずである。フェレットのつなぎ変えの実験では(Sharma, Angelucci, & Sur, 2000; von Melchner, Pallas, & Sur, 2000)、つなぎ変えられた聴覚野内のニューロン同士のつながり方のパターンは、通常のフェレットの聴覚野内のニューロン同士のつながり方よりも、視覚野内のつながり方に似ていたと考えられる。これは、統合情報理論による、クオリアに関する予言と辻褄があう。
 統合情報理論によれば、あるニューロンが脳内のどの部位に位置するかは、そのニューロンが生み出すクオリアには直接関係がなく、そのニューロンが他のニューロンとどのようにつながっているのこそがクオリアを決定するはずである。フェレットのつなぎ変えの実験では(Sharma, Angelucci, & Sur, 2000; von Melchner, Pallas, & Sur, 2000)、つなぎ変えられた聴覚野内のニューロン同士のつながり方のパターンは、通常のフェレットの聴覚野内のニューロン同士のつながり方よりも、視覚野内のつながり方に似ていたと考えられる。これは、統合情報理論による、クオリアに関する予言と辻褄があう。

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